身を投げる女-1

 助手席で正人は窓の外を凝視していた。少しの手がかりも見落とすまいとしているのが分かる。元々色白の顔は血の気が失せて青ざめ、唇がワナワナと震え続けている。


 軽トラックに乗り込む寸前で陽汰が正人を体当たりで止めた。何がどうなっているのか一通り話を聞こうにも要領を得なかった。分かったのは、この二つだけだ。


 猛が手渡したのは、アキという女性が書いた遺書だった。アキは河に身を投げて死のうとしている。


 血相を変えている正人を見れば、それは切羽詰まった事実だと認識できた。ならばそれを未然に防がなければならない。


当別にある大きな橋は二つだ。国道275号線の新石狩大橋と、国道337号線の札幌大橋。猛の自転車だけがあったと言う事は、アキは自転車で移動している。移動距離を考えると、新石狩大橋を目指している可能性が高い。


新石狩大橋を渡る国道275号線に出る道は目の前にある。一方、札幌大橋を目指すのならば、国道337号線に出るまでの長い道のりには幾つものパターンがある。


 錬と陽汰は、札幌大橋の袂に最短ルートで向かいそこで待ち伏せをする。健太と正人は新石狩大橋に向かう。自転車だから、橋に付く手前で見付けることが出来るだろう。


 そして今、時速40㎞のスピードで275を進んでいる。二車線だからいいものの、一車線をこのスピードで走っていたら顰蹙ひんしゅくものだ。右車線をどんどん車が追い越していく。


 「……なぁ、どうしてその人が、河に身投げするって分かるんだ?」


 正人はそう決めつけているが、健太には恐れがあった。もしも違う方法を選んでいるのならば、既に手遅れになっているかも知れない。


 「遺体が残るのが嫌なんだよ。この世から跡形も無くいなくなりたい。だから大きな河に身を投げる以外の方法では、死にたくないんだよ。」


 カサカサに乾いた小さな声で正人が答える。跡形も無くこの世からいなくなりたいという願望に、背筋が寒くなる。


 「……なんで、そんな物騒な話をしたんだい?」

 チラリと正人の顔を見て、ハッと息を飲んだ。正人の顔が苦しそうに歪んでいたからだ。


 「……一緒に、死のうとした事があるんだよ。その時、アキは遺体が残らない方法に凄くこだわっていた。」

 口の中が急激に乾く。普段穏やかでのんびりとした正人が心中を謀ろうとしたなど、想像も出来なかった。


 「何でそんな事……。」

 理由を問おうとしたが、正人は顔を背けた。程なく、新石狩大橋へ向かうカーブにさしかかる。


 石狩川は雪溶け水で増水していた。濁った水面を渡る橋は一車線で、後ろのトラックがあからさまに煽ってきた。それでもスピードを上げること無く渡りきる。


 人の姿は、無かった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る