命の町の設計図-1
ガラガラと勢いよく入り口のドアを開けて保志が入ってきたのは、皆が乾杯をして間もなくのことだった。
正月だというのに紺色の作業着を着てがに股でどしどしと歩いてくる中年の男。手には模造紙のような物を持っていた。年齢よりも老けて見えるのは、無数に刻まれた皺のせいだ。特に、眉間に入った縦の皺が深く、悪人面に貫禄を加えている。
「よう、毎度!」
「あ、やっさん。明けましておめでとうございます。」
正人が立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。
「うわ、万年作業着のはずの正人に裏切られた。」
「いいでしょ、これ。美葉さんに買ってもらったんです。」
子供のように正人が自慢する。二着買えば良かったと美葉は既に後悔していた。この服を買って以来、正人は頑なに洗濯を拒み、同じ服を着続けている。お正月が明けるまでは洗わないのだそうだ。
保志はキッチンの上に模造紙のような丸めた紙を置き、カウンター席から持ってきたスツールに腰掛ける。
「嬉しそうやなぁ。」
「はい、生まれて初めて彼女から貰ったプレゼントなので!」
正人がぷっくりと小鼻を膨らませると、保志が細い目を更に細めた。
「そうか、良かったな。……で、ちゃんと嫁に来て貰う約束も出来たか?」
「はい!」
正人は直立不動の姿勢で頷いた。そのやり取りは、美葉のアンテナに引っかかった。保志は何かと陰で画策する。
「もしかして、やっさんが正人さんにプロポーズするよう嗾けたの?」
この段階でプロポーズをするのは、正人にしては勇気ある行動だと思ってはいた。それも、保志に嗾けられてのことだと思えば納得できる。美葉の疑念を保志はあっさりと首肯して見せた。
「当たり前やん。お前らが付き合いだしたと分かったら、涼真が全力で邪魔しに来るで。」
美葉が勤める木寿屋の社長・涼真からは、昨年の夏にプロポーズをされている。何度断っても意に介さず、美葉が帰郷して正人に会うのを妨害するのだ。仕事を詰め込んで休みを取れなくしたり、休日に営業に付き合わせたり。会社で費用を持つからと大型連休はホームステイに行くように仕向けられてもいた。この正月休みも、勝手にホームステイ先への航空チケットを手配してあった。父に病気になってもらい、心配だから帰らねばとお断りしたのだが。
「確かに、ね。」
それが本格的に正人と付き合い始めたと知ったら、どんな手を使ってくるか分からない。保志が深く頷いた。
「そやから、生半可な関係や無くて婚約という固い関係が必要や。美葉は、仕事辞めて帰ってくるつもりやろ?」
「勿論。」
年始に退職について上司に相談しようと思っていた。
「退職時期は年度末。それは絶対に譲るな。そんで、タヌキちゃんに伝えて筋だけ通しとけ。他の奴には黙っておいてもらうんやで。俺がええというまではな。タヌキちゃんには、俺からも話ししとくから。」
「タヌキちゃんって……。佐緒里さんのこと?」
美葉の上司である佐緒里は、確かにふくよかでタヌキ顔だが、失礼にも程がある。それに、あまりにも内情に詳しすぎる。
「やっさん、佐緒里さん知ってるの?」
保志はがはは、と歯並びの悪い口を大きく開けて笑う。
「当たり前や。新入社員の時から知っとる。本社勤務の時から、頭切れる子やったわ。」
「……流石、ゼンノーの田中さんだね。」
美葉は肩をすくめた。京都に本社を置くゼンノーという建設会社は160年の歴史を持つ木寿屋と創業以来の付き合いだ。寺社仏閣の建設を請け負っていた大工集団に、建築材料を提供していたという間柄なのだ。保志は、そのゼンノーの次期社長を務めなければならない立場らしい。本人はその気があるのか無いのか、当別でのんびりゼンノー北海道支店支店長と称してリフォーム業を楽しんでいるのだが。
「涼真が邪魔できんように手を打つから、美葉はすました顔で仕事しとけ。ええな。」
美葉は保志に言葉に頷いた。
「ちょっと悔しいけど、社長の件はやっさんを頼るわ。よろしくお願いします。」
「よっしゃよっしゃ!任せとけ!」
保志ががははと笑い、テーブルの上のビールを手に取るとプシュッとプルトップを開けた。
「飲酒運転じゃ無いの?」
美葉がとがめると、保志は大きな口を開けて笑った。
「歩いて来たでー!!」
いつもよりテンションが高い理由を、陽汰がうんざりとした顔で教えてくれた。
「既に十本は飲んでやがる。」
「は?」
「正月はずっとウチにいて、親父と飲んでる。」
がはは、とまた保志が笑った。そう言えば、保志と陽汰の父親は仲が良いのだった。保志が何故か北海道にやってきて、当別町に流れ着いたときに陽汰の父が保志の世話をしてやったのだと、悠人から聞いたことがあった。
「陽汰が、樹々で皆が集まる言うんで。丁度ええ機会やから皆の意見聞こう思てな。」
どっこいしょと保志は重たそうに腰を上げ、キッチンに置いていた紙を手に取ると、大きく広げた。テーブルの中央に皆が手分けしてスペースを空けると、そこに置く。
A0サイズの上質紙には、町の絵が描かれている。
「これは?」
皆が立ち上がり、のぞき込む。美葉は代表して保志に問いかけた。
「『命の町』の設計図や。」
保志が得意げに言った。
「人が産まれ、豊かに育ち、安心して死んでいく事が出来るような、命の営みが見える町。そんな町を、
美葉は目をすっと細め、指で円を作った。
「それは、樹々として受けてええのかしら、ゼンノーの田中さん。」
保志は片方の眉を上げた。
「勿論、それなりの金は出す。せやから、ショーも無い仕事は許さんで。」
「ふふん。とりあえず、たたき台の詳細を聞こうや無いの。」
美葉も片方の眉をぴくりとつり上げた。保志がつり上げた眉と反対側の口角をにやりと上げた。
「主幹となるのは病院や。その隣りに、有料老人ホームを作る。節子ばあちゃんみたいに認知症になっても、安心して暮らせる町や。温泉を作って、人を集める。人が集まれば金も集まる。温泉施設にジムを作って、じいちゃんばあちゃんが集まって体操やらなんやら出来るようにする。この町で働く人のための保育施設を作れば、じじいとばばあと子供が一緒になって遊べるやろ。子供は昔の遊びを教えて貰い、じじいとばばあは子供の世話をする。お互いにええ影響を与え合うはずや。」
得意げに語る保志に、美葉は冷たい視線を投げた。両方の腕を組み、保志の正面に仁王立ちになる。
「ありきたりやな。」
顎をしゃくり、そう言い放つ。
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