仲間達-2
美葉の気配を察知したのか、正人がはっと顔を上げた。
「……正人さん、気分悪いの……?」
恐る恐る声を掛け、顔をのぞき込む。正人はふい、と顔を背けた。ぎこちない笑顔は、まるで無理矢理貼り付けたように見える。ざわりと嫌な胸騒ぎに美葉は眉をしかめた。
「何でも無いです。行きましょう。のえるさんに失礼だ。」
正人はひょい、と椅子を持ち上げあるきだす。その椅子に何故か鮮烈に目を奪われた。
――三角形を模した背もたれの、華奢な椅子。
正人が当別にやってきた日は嵐だった。前が見えないほどの吹雪の中を、駅から体育館までこの椅子を抱えてやってきた。と言うことは、それまで住んでいた旭川から当別まで、電車を乗り継ぐ間も持っていたことになる。
この椅子は、初めてオーダーメイドで作った椅子だが、捨てられてしまったのだという。この椅子の元の持ち主は、妊婦だったと思われる。正人のスケッチブックに、この椅子に座るお腹の大きな女性が描かれていた。
まさか、ね。
ふわりと浮んだ思考を嗤って打ち消す。
その女性が正人の元カノだとしたら、正人に子供がいることになってしまう。流石に、それは無いだろう。
リビングルームに続くドアを開けると、大きな笑い声や話し声が華やかに流れ込んできた。小さな胸騒ぎは、あっという間にかき消されていく。
「正人、遅いよ!」
「ごめんなさい。」
健太に声を掛けられて、正人が笑って応じている。その笑顔はもう作り笑いではなかった。
雲の形をしたテーブルに、七人が向かい合って座った。それぞれ、手元に飲み物を置いている。誰も何も言わないのに、当然だと言わんばかりに健太が立ち上がる。乾杯の音頭を取ろうとしているのだ。美葉も手元のチューハイの缶に手を置いた。
耳元に、大きな息遣いを感じて、正人の方を何気なく振り向く。そして、椅子から転げ落ちそうなほど驚いた。
正人の顔が、大量の涙と鼻水で濡れている。
他の皆もその異変に気付き、唖然と正人を見ていた。美葉は慌てて正人の前にボックスティッシュを置いた。よくある光景かも知れないが、今日のは特別大量だ。
「す、すいません……。こうやって、全員がそろう日が来るなんて……、夢みたいだと思って……。」
涙につかえながら正人が言うと、錬はばつが悪そうに頭を掻いた。その頭に、佳音が小さなげんこつを置いた。
錬がいなくなって、五年。
農業資材や機械を扱う会社の跡取り息子なのにも関わらず、パン職人として自分の店を持つことを夢見てしまい、どうしていいか分からなくなって皆の前から姿を消した。偶然再会した佳音と同棲を始め、妊娠をきっかけに再び姿を現したのは十一月の事だった。
「なんだよー、今その事を話してさー、俺の言葉で皆の涙を誘う予定だったのによー。」
健太が、そう言ってからふと顔を逸らし、顔を袖で拭った。美葉も目頭が熱くなる。
「本当にね、心配掛けてごめんね。」
佳音が困ったように言う。その横で、ひょろ長い身体を小さく丸めた錬がぺこりと頭を下げた。
「ちゃっかり嫁さん作ってさ。……あ、知ってっか?こいつらも付き合いだしたんだぜ!」
健太が美葉と正人を指さすと、錬と佳音が身を乗り出し、陽汰が大きな瞳を丸く見開いた。
「よかった!おめでとう、美葉。」
佳音がパチパチと拍手をする。美葉は照れくさくなり、ぽりぽりと頬を掻いてから、これは正人の癖だと思い、手を止める。隣を見ると、まだ涙に濡れた頬を、正人がポリポリと掻いていた。
突然、健太がはっと息を飲んだ。
「ちょっと……待てよ……。」
佳音と錬、美葉と正人、のえると陽汰を順番に指さす。
「俺にだけ、女がいねぇじゃねぇかよ!なんだよこれ!」
上背のある身体を悔しそうに仰け反らせる。思わず笑ってしまう。皆の笑い声が合わさる。
佳音の隣で錬が笑っている。前髪で顔を隠すのをやめた陽汰の隣でのえるも屈託なく笑っている。自分の隣で、正人も声を上げて笑っている。泣いたり笑ったり、感情がストレートで忙しい人だ。
幸せな時間だ。
美葉は笑いながら、鼻の奥がツンと痛くなった。
故郷の空の下で、大切な人たちが集まって笑っている。
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