ちょっと怪しい-1

 「美葉さん、寝るんだったら服着ましょ?風邪引きますよ。」

 うとうととまどろみに意識を手放したところに、正人の声がした。目を開けると、正人が見下ろしている。


 真新しい布団と、正人の体温は溶けるように温かくてつい眠たくなってしまった。


 「やだ。」

 美葉は正人の肩に頬を押しつけた。

 「正人さんの体温を感じてる。」

 ふっと正人が笑みを含んだ息を吐いた。それが、額に当たってくすぐったい。


 おろしたての靴が足に馴染んでいくように、お互いの身体が馴染んでいく。身体の内側から沸き起こる幸せな感覚。こんな幸せが、この世にあったのかと思う。


 ――けれど。

 美葉は身体を起こし、正人の顔を上からのぞき込む。細く整った眉や、筋の通った鼻に人差し指を這わせる。


 一つ、解せないことがある。


 正人は、どうも初めてでは無いようだ。口に出さないけれど、ちゃんと手順を知っていた。そうで無ければ、正人は思いきりテンパるはずだ。


 いつ、誰と?


 正人の過去に、女性と付き合うような華々しいエピソードが挟まる余地など無いように思っていた。しかし、どうやらそれは思い込みのようだ。


 正人は、自分の前に誰かに恋をしている?


 それは、当たり前の事なのだろう。29歳の男が、今まで女性と付き合いが無かった事の方がおかしい。若干個性的すぎるとは言え、正人はとても美しく、何よりも優しい。そんな彼の事を好きになる女性が、今までいないと思っていた方がおかしいのだ。


 そう自分に言い聞かせても、なんとなく腹の底がムカムカする。正人が悪いわけでは無いが、裏切られたような気持ち。かといって、過去をほじくり返すのもおかしな話だ。


 「……美葉さん、なにか、怒ってますか?」

 正人の瞳に不安の陰が浮ぶ。

 「怒ってないよ、何も。」

 怒ってないけど、なんか、腹立つ。


 ……襲ってやれ。


 ムカムカした心の隙間に、いたずら心が入り込んだ。美葉は身体をかがめて正人に唇を重ねた。覚えたばかりの、大人のキスをする。


 「ん!?」


 正人が、驚いて小さな声を上げた。でもそれは、ほんの少しの間のことで、正人の舌が応じて動き出す。


 スイッチが入った。思わず笑みがこぼれる。


 正人の手が、背中に添えられる。その指が、静かに上下に動く。的確に心地よさを引き出す場所を探り当てる。


 木になったみたいだ。


 鉋を掛けているとき、仕上がりをその鋭利な感覚を持つ指先で確かめる。長い指がゆっくりと木材の表面を撫でていく。それと同じ。正人が自分の身体の、甘美な感覚を引き出す場所に触れていく。


 まだ高校生だった頃、その指の動きに何故か内側から沸き上がるような衝動を感じ、顔を赤らめたことがある。自分はあの頃から、その指で触れて欲しいと願っていたのだろうか。


 その気付きは美葉に強い羞恥の念を起こし、身体に起こる熱と共に熱い息を吐きだした。

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