床屋さん

 テラスに並べたダイニングチェアに、和夫と正人が並んで座っている。二人とも、穴を開けたゴミ袋から頭だけを出している。


 正月前だというのに、二人とも坊主頭が見苦しいほど伸びていた。見かねた美葉が、久々にバリカンの腕を披露することになったのだ。


 「六ミリで頼むぞ。六ミリだぞ。」

 和夫が今日何度目かのその言葉を吐く。


 「分かってるってば。その代わり伸びたら自分で何とかしてね。」

 冷たく言い放ち、バリカンに六ミリのアタッチメントを取り付ける。


 「美葉さん、僕も親父さんと同じで良いですから。」

 ニコニコとした笑顔でそう言う正人に、美葉はムッと頬を膨らませた。


 「駄目よ、正人さんは十二ミリ。折角イケメンなんだからおしゃれ坊主にしなくちゃね。」

 「十二ミリだと、すぐに伸びて見苦しくなってしまいます。」

 「大丈夫。私が毎月お手入れしてあげるから。」

 「……なんだ、そのあからさまな扱いの差は。」

 和夫が不機嫌な声を出す。美葉はその声を無視してバリカンのスイッチを入れた。父親に頭にバリカンを沿わせると、ジョリジョリという感触と共にパラパラと髪が落ちていく。


 夕べは久しぶりに三人で食卓を囲んだ。和夫と美葉の親子に、隣人の正人という組み合わせ。これが、谷口家の食卓だとしみじみと感じた。


 出会った日から、正人は寝床の違う居候となった。毎日「ただいま」と言って帰ってきて、一緒に食事をして風呂に入り、三人でテレビを見る。その内にうたた寝を始めた和夫を布団に誘導し、正人は宿直室へ帰っていく。樹々が一定の収入を得るようになってからは生活費を納めるようになり、美葉が京都に行ってからは正人が食事の用意をするようになった。そんな変化はあったけれど、三人が家族であることに変わりは無い。


 「まぁ、正人さんのついでにお父さんの頭も刈ってあげるかな。」

 家に帰ってきたという実感を噛みしめながら、美葉は言葉を返した。

 「ついで、か。」

 心なしかシュンとした声で和夫が言う。


 「あ、あの!」

 ゴミ袋を被った正人が、勢いよく和夫の方を向いた。


 「何だ?」

 和夫がのんびりとした声で応じる。美葉は正人の真剣な顔を見て、何を言おうとしているのか察した。このタイミングでか、手元が狂いそうだな、と思う。


 「お、お嬢さんとお付き合いをさせて頂くことになりました!お、お父さん!……いや、親父さん、ふつつか者ですが、どうかよろしくお願いいたします。」

 「へ?」

 和夫があまり聞いたことの無い声を上げる。それから、ぽかんと口を開けた。正人は真剣な表情で和夫の承諾の言葉を待つ。


 和夫は正気を取り戻したようにしかめ面を作り、肩をすくめた。


 「……まぁ、いずれこうなるとは思ってたがなぁ……。親子は似るもんだな。」

 溜息とも付かない息を吐き出す。


 「親子って、お母さんと私?」

 「他に誰がいる。」

 問いかけにぶっきらぼうに和夫が答えた。


 確かに、そうなのかも知れないと美葉はバリカンを動かしながら考える。

 母は若い頃「当別のマドンナ」と称され、町の男性達の憧れの的だったらしい。そのマドンナは、当別一の冴えない男と結婚した。当別七不思議の一つだ。


 「そう言えば、お母さんはなんでお父さんを選んだの?最初にデートに誘ったのはお父さん?」

 「……いや。」

 頭皮が汗ばんできたのは、気のせいではなさそうだ。

 「お母さんから?」

 「……ああ。」

 「えー、何でー?」

 「知らん。」

 ムッとしたような声で答える。美葉も唇を尖らせた。


 「お母さんが先にお父さんを好きになったの?何で?どこが良かったの?」

 「お前が正人を気に入ったのと同じような理由じゃ無いのか?」

 不機嫌そうな声を聞いて、美葉はきょとんとしている正人を見た。自分が正人を好きな理由を、言葉にするのは難しい。だけど、母は父ののほほんとした所が好きだったのだろうなと思っていた。自分も正人の、穏やかな空気が好きだ。


 「頼りない男を助けるのが好きなんだそうだ、母さんは。」

 言いにくそうに、和夫が言う。自分を『頼りない』と明言するような言葉だ。言った後で和夫は至極不機嫌な顔をした。成る程そこか。美葉は腑に落ちて一人頷いた。


 「……頼りない……。」

 シュンと肩をすくめる正人がおかしくて、思わず笑ってしまう。


 レジの奥でうたた寝をする父と、キビキビと仕事をする母。美葉にとって当たり前だった谷口商店の姿を思い出す。母は、仕事が好きだった。客と話をして、その客が必要としていることを見付けて手配し、相手を喜ばせるのが上手な人だった。だから、母が居た頃の谷口商店にはいつも母と客の笑い声が聞こえていた。近くのスーパーでもっと安く買える物を、わざわざ谷口商店で買い求める客もいた。


 確かに、自分は母に似ているのかも知れない。


 正人の家具作りの腕は本物だ。だが、経営には向いていない。正人が苦手としていることを自分が補えば、正人は家具作りに専念できる。自分も、正人の家具を使ったリフォームで空間デザイナーの仕事をする。正人を支えながら。それが、ずっと夢だった。


 「はい、出来たよ。」

 和夫に声を掛けて、バリカンのアタッチメントを取り替える。


 「次は正人さん。動かないでね。」

 正人の髪は栗色で、真っ直ぐで柔らかい。


 「明日で今年は終わりだね。来年は、夢を叶える年になるね。」


 ジョリジョリとした感触を手元に感じながら呟く。

 「はい。」

 正人が嬉しそうに頷いた。

 

 

 

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