初デート

 札幌ファクトリーで映画を見て、ランチを食べて買い物をし、帰りにホームセンターでカーペットと布団と鏡を買うことにした。


 正人は、映画館で映画を見たのは幼い頃一度だけで、大画面の迫力や音量の大きさに興奮して鼻血を出してしまった。通常の人よりも感覚があまりにも鋭い正人にとって、映画館は刺激が強すぎたようだ。リュックの中に例のごとく何時洗濯したのか分からないタオルが入っていて、それを鼻に押し当てていたが、涙もおいおいと流すので収拾が付かない状態になった。


 映画が終わりライトが付くと、カーキ色のはずの胸元が薄紅色に染まっていた。


 「ひえっ!」


 思わずおかしな悲鳴を上げて正人から一歩身を引いてしまう。正人も、自分の異変に気付き、オロオロとしていた。鼻の下にはピンク色の鼻水がまだ残っている。だんだんとおかしくなってきて、気が付くとお腹を抱えて笑っていた。


 きょとんとしている正人の手首を掴んで、立ち上がる。


 「先に、買い物だね!」


 正人がポリポリと頬を掻いた。


 正人は時に、あり得ないことをする。正人自身はいつも大真面目で一生懸命やっていることなのに、思いがけない出来事に変化する。その彩りに満ちた世界は、端から見ると奇異に映るかも知れない。でも、真っ只中にいると楽しくて温かな気持ちになる。


 正人は、自分の為に服を選ぶのも初めてだし、目の前の鉄板でお好み焼きを焼くのも初めてだった。


 正人の世界がこれほど狭いのには、理由がある。


 正人の母は彼が10歳の頃から心を病んで部屋に引きこもっていた。父親は、そんな妻子を置いてアメリカに単身赴任していた。幼少期から風変わりだった正人には友達と呼べる存在もいなかった。正人は、ひとりぼっちで育ったと言っても過言ではない。


 たった一人味方だった母は、正人が大学一年生の時に自殺している。首を吊った母を見付けたのは正人だった。その後正人は家具の製造販売を手がける会社社長の祖父に引き取られ、家具職人の修行に明け暮れることとなった。


 困難なことがあっても守ってくれ、間違いを犯しても正し、許してくれる家族がいる。友達と遊び、共感やいざこざや和解をしながら共に成長する。人々との関わりの中から様々な価値観を見出し、育てながら社会の中で生きることを学んでいく。


 そういったことを積み重ねて大人になり、自由と責任のもと楽しんだり息抜きをしたり、物欲を満たしたりしてバランスを取りながら生きていく。


正人にはその経験が無いのだ。


 正人と共に生きるなら、正人の世界にもっともっと彩りを与えたい。

 そして、正人が引き起こす摩訶不思議な世界を一緒に楽しみたい。


 真新しいジーンズに、モスグリーンのスウェットを着た正人と、毛布の手触りを比べながらそう思う。

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