第一章 恋を始めた二人

受け止めて欲しい-1

 当別駅から乗ったタクシーを降りた。


 赤い屋根の、平屋建ての小学校。二宮金次郎の足元が雪に埋まっている。小学校は、自分が卒業した年に廃校になった。正人はこの小学校の体育館で手作り家具工房樹々じゅじゅを経営している。


 道を隔てた所に建つ、赤い屋根の商店をチラリと見る。店の明かりは既に消えている。そこは実家で、今は父が一人で住んでいる。


 今日帰る事になったとは、父には伝えていない。キャリーケースを持ち上げて、音がしないように気をつけながら、体育館の脇に出来た雪の小路を歩いて行く。


 工房の勝手口から光が漏れている。


 ――また、夜に仕事をしている。

 美葉は少しむっとしたが、再度気配を消し、そっと勝手口のドアを開けた。音を立てないように気をつけて中に入る。


 工房の薄明かりの下で、正人は一心不乱に鉋を掛けていた。


 工房の中は、外ほどでは無いが寒い。


 正人の身体から発した熱と吐き出す息で、正人の回りに蜃気楼のような白いもやがかかっている。ギリシャの彫刻を彷彿とさせる彫りの深い端整な顔立ち。その瞳が手元を見つめる。額から噴き出した汗が高い鼻を伝い、滴がキラリと光る。


 鉋から、蝶の羽のように薄い木片がはらりと落ちる。鉋が木を削る音と、正人の息遣いだけが吹き抜けの天井まで広がって跳ね返る。


ふと正人は手を止めて、鉋を掛けていた角材を持ち上げた。端から端まで、ゆっくりと視線が流れる。作業台に角材を置き、その表面を長い指で撫でる。何度か往復した後、途中で指が止まった。正人はそこに鉋を置いて、また身体を大きく手前に引いた。


伸びすぎた坊主頭の額から、汗が落ちる。


 正人は鉋を脇に置き、先ほど指を止めた場所に再度指先を這わせた。


 「よし。」


 小さく呟く。


 正人を包んでいた張り詰めた空気が、溶けるようにほぐれていく。


 正人は、顔を上げた。そして、大きく目を見開いて自分を見つめる。


 ――流石に、笑って「お帰りなさい。」とは言わないか。

 期待していた表情では無くて、少しがっかりした。


 「……美葉、さん?」

 「ただいま。」

 美葉は、正人に微笑んだ。正人の表情が、へろりと緩んだ。


 「美葉さん、明日じゃ無かったですか?帰ってくるの。」

 「うん。でも、一か八かキャンセル待ち狙ってみたの。そしたら、運良くゲットできたんだよね。」


 キャリーケースを脇に置き、正人の傍へ歩みながら答えた。


 「そうなんですか。なら、空港まで迎えに行ったのに。」

 「正人さんを、驚かせたかったの。」

 そう言うとふふ、と思わず笑みが溢れた。正人を驚かせるというミッションは完璧に成功した。


 「驚きましたよ。本当に。幻かと思いました、一瞬。」

 自分を見たときの、大きく見開いた目は幻かどうかを確認していたのか。そう思い、また笑みが溢れる。


 「寒かったでしょう。声を掛けてくれたら良かったのに。」

 正人はストーブの前に手招きする。美葉は小さく首を横に振った。


 「高校生の頃ね、正人さんが仕事してるところを見てるの好きだったんだ。凄く集中しているから、私が入ってきた事にいつも気付かないの。で、やっと気付いてくれた時、『お帰りなさい。』って言ってくれる、その笑顔を見るのが好きだったんだよね。」


 正人が、息を飲んだのが分かった。次の瞬間、正人の腕が美葉の身体をぎゅっと抱きしめた。

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