序章-2

 石狩川を渡り、電車は漆黒の闇を進む。昼間ならば麦畑に積もる雪や綿帽子を被ったような防風林を見ることが出来ただろう。しかし月の無い深夜には、それらを映す術は何一つなかった。


 札幌発石狩当別行きの最終列車。同じ車両には誰も乗っていない。がらんと空いた座席にじっと座っていることが出来ず、美葉は席を立ち、すぐ側のドアに身体を預けた。


 車窓に映る女は、美しい相貌を強ばらせていた。


 さっきまでの浮き立った気持ちが、急激に冷めて不安に変わる。喉元が締め付けられるようだ。


 12月28日17時丁度に席を立ち、年納めの挨拶を早口言葉のようにまくし立ててから退社して、一目散に伊丹空港に向かった。持っていたのは29日昼過ぎフライトのチケットだが、もしかしたらキャンセル待ちの座席と交換できるかも知れないと思ったのだ。


 一分一秒でも早く、正人に会いたかった。


 17歳の春に出会った家具職人木全正人の恋人になったのは先月のこと。好きだという気持ちを伝え合っただけで、恋人らしいことはまだ何一つしていない。見つめ合うことすら。だから、好きだという気持ちを抱いて、正人と向き合いたかった。少しでも早く。


 年末のこの時期に空席を手に入れることが出来たのも、当別行きの最終列車の発車時刻が10分遅れていて、乗り込むことが出来たのも、幸運の女神の計らいだと喜んでいた。


 仕事を納めた酔客で、最終列車は混んでいた。


 しかし、駅に着く度に乗客は減り、あいの里の駅で同じ車両にいた乗客は自分を残して皆降りてしまった。その後、列車は石狩川にかかる鉄橋を渡り、漆黒の闇に滑り込んで行ったのだ。

 同じ頃に、日付が変わった。


 この時間に、女が男の元を訪ねていく。


 その行動がどういう意味を持つのか考えると怖くなってきた。

 起こるかも知れない事象そのものでは無くて、正人の心が、怖いのだ。


 受け入れてくれるだろうか。はしたない女だと思われないだろうか。怖じ気付いて追い返されてしまうのでは無いだろうか。そうなったとき、自分はきっと傷つくだろう。こんなに、息せき切って彼の元に向かっているのに、傷つくだけなのならこの行動は無意味だ。

 黒い窓に額を付ける。


 胸元に、木彫りのペンダントを見付けた。


 芍薬の花を模した小さなペンダントに触れる。正人が自分のために作ってくれたペンダントだ。そのペンダントに触れていると、鼓動を打つ度に感じる痛みが和らいでいく。


 踏切の警笛が耳に飛び込んできた。


 顔を上げると闇は去り、駅前通りを照らす外灯が雪を青く照らしていた。


 電車がホームに滑り込んでいく。見慣れた故郷のホームの向こうに、体育館や公園など懐かしい風景が見える。


 キャリーケースを押して、ホームに立つと、キリリと冷えた空気が頬を刺した。

 震えるように揺れていた心が定まり顔を上げる。


 正人の元に向かう。愛する人に、会いに行く。

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