第6話 1-2
〇
「グワッ!? グあああああああああああああああああああああああああッ!?」
もはや堂に入った絶叫を数度響き渡らせてから、自称英雄は地に倒れた。
「二度とその気味悪い仮面を見せるんじゃねぇぞ、雑魚」
衛兵が唾を吐く音がしてから暫く。そのまま息絶えていれば良いものを、しぶとくも這い上がったアルフレインは、ずりずりと棺桶にもたれかかる。
「魔女よ、これは一体どういうことだ!?」
すぐ傍で囁かれる声を聞いて、わたしは何度でもほくそ笑む。こんなにも良い気分なのは、一体いつ以来だろう。
「……さあ? もう何度か試せば通れるんじゃないですかね」
「馬鹿を言うなッ! 我が手合わせしたところあの門番かなりの手練れ! 今の我のレベルでは命がいくつあっても足りはせぬ!」
「では諦めて帰りましょう。……あぁ、わたしはこの街に知人が居るので、置いて行ってもらって結構ですよ」
「ナッ!? ならばその友人に助けを乞い、共に招き入れてもらえば良いではないか!」
「お断りします。あなたのような人と知り合いだと思われては恥ずかしいので」
「ナッ!?」
その後わたしは暫しの間、棺桶の傍で響く「ナッ!?」という絶句の声を気分良く聞いていた。
万事が万事予定通りである。
まさか恐怖の魔法が通じぬ人間が居るなどとは思いもしなかったが、その相手が馬鹿で良かった。
わたしはこのまま夜を待ち、辺りから人気が去るのを見計らい棺桶を出る。番兵に声をかけ、この都のどこかに住まうかつての仲間を呼ばせ、馬車を用意してもらい森へ帰る。
もし声をかけた人間が騒ごうものなら、その時は魔法で黙らせ言う事を聞いてもらおう。無論騒ぎを起こして衆目を浴びるのはわたしの望むところではないが、ギシギシと軋みながら歩き帰るよりはマシである。
がしかし。一見完璧に見えるこの神策鬼謀には、ある一つの問題があった。
閉じ込もる棺桶の外から、最大の障壁・アルフレインの呟きが聞こえる。
「町へ入れぬのなら仕方があるまい。別の町を目指すか、或いは元来た村々へ戻り、この街へ侵入する為のフラグを立てる他ない」
「……だから一体何なのです、そのフラグというのは」
「知らんのか、運命だよ」
「……あぁ全く、言葉の通じない狂った人間」
ともかく主導権はアルフレインにあるのだった。
いつか訪れる夜を待つ間、わたしはこの場にアルフレインを縛り付けておかねばならない。
しかし、一体どうやって。一日中この男と話し続けでもしたら、わたしの頭までおかしくなってしまうのは明白だ。
「……うぅむ」
チャラチャラと軽薄な音が近付いて来たのは、わたしが思案に沈んで間もなくの事だった。
鎧を着た衛兵にしては軽い響きのある金属音を不審に思っていると、どうやらそれはアルフレインの傍で歩みを止めた。
「そこのお兄さん、ちょっとちょっと」
「何用だ」
お兄さんと呼ばれれば一度で反応する辺りがアルフレインの気持ち悪いところだ。おっさんと言われた時には無視していたくせに。
「関所での騒ぎを見ててさ、気になって追いかけて来ちゃったよ。お兄さんなんでそこまでして街に入りたいワケ?」
「無論、この壁の向こうから救いを求める民の声が聞こえるからだ」
「……。なるほどな?」
分からないことを分かった振りをしているのが見え見えだったが、アルフレインは少しもそれが気にならないようだ。
「もしやお主、この街へ入る方法を知っているのか?」
「許可証えあれば入れるさ。ただし持ってない奴は、やる気次第」
「というと」
「見ての通り俺は商人でね。交易用の手形だってちゃんと持ってる。つまるとこ、この街への出入りは自由」
「おぉつまり、お主の友人という立場で我を街に招き入れてくれると?」
「いやそんな道理が通用したら手形の意味がねぇだろ」
「確かに。我とお主は初対面、竹馬の友というにはほど遠い」
「どんだけ俺とあんたが仲良くなっても入れねぇもんは入れねぇよ、そういう問題じゃねぇんだよ」
「ならば訳が分からんぞ」
「……俺もだよ。どうやったらその歳でそうも世間知らずで居られるんだ?」
アルフレインに翻弄される謎の男を哀れに思い、わたしはほんの少しだけ棺桶を開き、外の様子を覗き見た。
門前に止められた大きな幌馬車の前に、アルフレインのド間抜けが突っ立っている。その横に並ぶ細長い人間は、いかにもがめつい商人だった。
ジャラジャラとうるさく安っぽい金の指輪は一つの指に二つ以上ついていて、手に収まらない分は耳・鼻・唇に回されている。凡そ信頼できるところなど無さそうなその怪し気な商人の言葉を、アルフレインは縋るような姿勢で聞いている。
「良いかいお兄さん。この街はミドランド王国の特例商業区。獣人・鬼族・リザードマン。他では動物として扱われる亜人にも人権が認められてる珍しい街だ」
「素晴らしい。人は可能な限り平等であるべきだと、我は思う。他の街も今すぐにそうすべきだろう」
「だからこの街には世にも珍しい亜人市民が存在するワケだが、一つ気にならねぇか」
「何も。世界は須らくそうあるべきだ」
「……この街の市民になった元動物共はそもそもどうやってこの街に入り込んだんだって話なんだが、もう良い。結論から言おう。亜人共は最初、この街に奴隷としてやって来る」
「奴隷だと!?」
「この街の法律上、奴隷は持ち主の所有物扱い。だが勿論全く人権が無い訳じゃない。雇い主が奴隷を殺したりすれば罪に問われるし、給金の支払い義務だって果たさないといけない。奴隷は毎月の給金で、いつか市民の権利を買うことも出来る。それが、この街に亜人市民が居る理由だ」
「……。なるほどな?」
「そして俺はこの街に奴隷を卸す商売をやってる」
「ナッ!? 人を物のように商うなど、貴様には良心というものが無いのか!?」
「めんどくせぇこと言ってんじゃねぇよ。俺は喰うに困った奴らに職を斡旋してるだけだ。勿論この国とその街の法に則ってな」
「だからと言って貴様そのような、」
「他人に何を言われようと、俺はこの商売をやめるつもりはない。……お兄さん街の中へ入りたいんだろ。だったら黙って話を聞け」
「……」
「この街へ潜り込むには、人間なら通行手形、商品ならその管理者が必要だ。そして俺は通行手形を持ってる奴隷商人、つまり管理者だ。後は分かるな?」
「……」
「……もう喋って良いよ」
「なるほどつまり、お主は我を馬車の積み荷、つまるところ奴隷としてこの街の中へ運び入れると、つまりはそういう話なのだな?」
「……意外にも物分かりが良くてびっくりしてるよ」
「しかしそう簡単にはいかぬだろう。我の経験によるとこの街の関所は鉄壁。更に言えば我が肉体より放たれる後光は正に英雄の其れ。そう簡単には奴隷と認識されぬ」
「そう、だからここからはやる気次第なワケ」
怪し気な奴隷商は一片の光も放っていない薄汚れたアルフレインに向かい、懐から取り出した一枚の羊皮紙を突き付ける。
「奴隷ってのは誰でもすぐさま始められる商売だ。落ちぶれた貴族だろうが物乞いの獣人だろうが、この紙切れにサインを入れるだけで奴隷になれる。もし字が書けないのなら、代筆師の資格も持ってる俺が書いてやる」
「その契約書に記名すれば、我は今すぐ奴隷になれると?」
「あんた金は持ってるか?」
「多少」
「見せてみろ。……うん、ギリギリ足りるな。あんたは町へ入った後、この金で市民権を買えば良い」
「なるほど。我は奴隷としてこの街に入りこみ、その後すぐに市民兼英雄として人々を救う。……良しならば何も問題はない。今すぐ貴殿と契約を交わそう」
「……物分かりが良過ぎないか?」
一体どこまで本気なのだろうか、アルフレインは。
どう考えてもこの奴隷商は詐欺師だろう。それとも何か策があって、取り敢えずこの場は男の口車に乗るのだろうか。……いやそちらの方が有り得ない。アルフレインはド間抜けだ。烏よりも頭が悪い。そんな事はこの長旅の間に分かり切っているではないか。
それでも尚信じられない思いで眺めている間に、アルフレインは羊皮紙に自らの名を書き記させた。「我が名は英雄アルフレイン」。宣う彼の声音には、少しの憂いや疑惑もない。
「俺の名はミケル、門を超えるまでの縁だがよろしく頼むよ」
唇のリングをチャラチャラと揺らしながら、奴隷商人は微笑んだ。如何にも自らの腹を見せない悪徳商人らしいその笑顔と握手を交わし、アルフレインは自ら幌馬車に乗り込もうとする。ミケルなる奴隷商はその肩を掴み、わたしの方へと指を差す。
「ところでアルフレイン。あの棺桶は一体なんだ」
「そうであった。……いや、あれは、実は我の奴隷でな。最強の剣奴に育てようと日夜手ほどきを与えていたのだが、過酷な訓練に耐えきれず昨晩死んでしまった。全く以て情けない奴だが、そのような木っ端奴隷とて故郷くらいはある。最期くらいは父母の眠るこの西の街へ返してやろうと思ってな。……な?」
目配せするようにこちらを眺める鉄仮面。わたしは隙間からそれを眺め、ため息を吐きながら理解する。どうやらそういう設定で、死体のふりをしていろと、彼はそう言いたいらしい。
「とんだ鬼畜野郎じゃねぇかアンタ。……まぁ死因については何も言わねぇよ。腐った臭いもしねぇし、荷台にはまだ空きがある。自分で積み込むなら文句は言わねぇ」
「かたじけない」
アルフレインが走り寄り、わたしを必死に持ち上げる。「フンッ」などとほざいているが、言うほど重くはない筈だ。
「世の中には善人も居る者だなぁ、魔女よ。無償でこのように親身にしてくれる者が居るとは」
棺桶を運びながら呟くアルフレインは、どうやら男の言葉を全て理解しつつ、それなのに完全に騙されている。一体どのような思考回路をしているのだろう。
がしかし。恐らく何も問題はない筈だ。この男がどうなろうと、わたしは別に構わない。むしろ何の騒ぎも起きないまま町へ入り、その後アルフレインがどこかへ売り飛ばされる方が、わたしとにとって都合が良い。
「……せいせいしますよ、本当に」
遅々として進まなかったここまでの旅路を思い起こし、わたしは棺桶の闇に向かい、一人静かに囁いた。
ミケルなる商人が、アルフレインに拘束具を取り付ける音がする。「疑われちゃまずいからな」。ガチャリと重い音がして、錠前が固く降りる。
「よし、これであんたは晴れて奴隷だ」
きっとひどい悪人面でミケルがそう宣言したのを聞いて、アルフレインは文句の一つも言いはしない。どころかきっと万事上手くいったと勘違いし、喜んでいるのだろう。耳を澄ますとくぐもった口笛の音が聞こえるから間違いない。
荷台に積まれた他の奴隷がひそひそと囁き始める。きっとあまりに奴隷らしくないアルフレインの振る舞いを見て、不審に思っているのだろう。……本当に、哀れな男だ。
「馬車を出すぞ、怪我すんなよ商品共」
悪徳商人が鞭を打つと、幌馬車は進み始める。
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