第7話 1-3


 屍人のわたしは三日に一度、もぎたての心臓を喰わねば気が済まない。

 無論わたしは食通だから、心臓なら何でも良いという訳にはいかぬ。

 犬や猫では物足りないし、牛や馬では噛み切れない。

 こと食用に関してのみ言えば、心臓は人に限る。

 断末魔の中から取り出したる、手のひらほどの滴る果実。

 それをムシャリとやる瞬間だけ、わたしは生を実感する。「あぁ命とは、必ずや尊き犠牲の上に在るもの」。闇の中呟きながら、この唇を朱で濡らす。


 ……などという話は全て出鱈目だが、なぜか人間という生き物は、わたしにそう言った悪趣味な習性を求めてやまぬようである。

 無論屍人のわたしは死んでいるのだから、食事などしようがしまいが、どちらにせよずっと死んでいる。食わないだけで死んでしまう脆弱な人間などとは、全く一緒にしないでほしい。

 いくらそう主張しようと、彼らはわたしを疑い続ける。

 毎夜肉を喰い漁らねば死ぬ人間共は、その為なら同類だって蹴落とす人間共は、自分の方がよほど恐ろしい存在であるにも関わらず、わたしを怖れ、時に殺しにかかって来る。

 全く以て、人間風情は面倒である。

 だからわたしは出来るだけ人の世に足を踏み入れぬようにしていると言うのに、彼らはわたしを怖がるあまり、すぐに暗闇を覗きたがる。

 閉ざされた棺桶の蓋をわざわざ開き、そこに居る醜い屍人の顔を眺め、引き裂くような悲鳴を上げる。



 奴隷達と相乗りする事となった幌馬車に運ばれ辿り着いたのは、広大なるエストの都のその片隅。巨大な帆船をいくつも繋ぐ湾港にほど近い、楽市の開かれる広場だった。

 傍の波音がかき消されるほど人の雑踏に溢れるその市には舶来の名品・珍品が所狭しと並べられ、商人共に叩き売られている。

 果物・魚・陶器に宝玉。様々の商品が並ぶ広場の一角に陣取った奴隷商人のミケルは無論、人間を叩き売っている。

 わたしは棺桶の奥底からその光景を……アルフレインが売り捌かれる瞬間を、今か今かと覗き見ている。


「今日の目玉は獣人だ! 獣人ってのは体が強く、病気知らずでおまけに機敏、ちょっとの事じゃあ音を上げない。更に更に人間と違って狭い住処に文句を言う事も無いってーんだから、そりゃあ奴隷にピッタリよ!」

 ミケルの傍らに立たたされる小さな少女は彼が言う通り獣人族で、その頭についた犬のような耳をそわそわと不安げに揺らしている。年の頃はまだ十といったところだろう。

 きっと少しの労働力にもならず、世の理だって知らぬだろう幼子を、如何に高値で売り捌くかのみに苦心するミケルの姿からは、いくばくの良心も窺えはしない。

 この悪徳奴隷商は勿論知っている事だろう。非力で愚かな奴隷の娘が、買われた先でどのような仕事を任されるのか。

 無論良心が無い事に関しては、ミケルに群がる客共もまるで同じである。彼らは〆られた魚でも漁るよう無遠慮に、少女の体を値踏みしている。べたべたと手で触りながら、粗が無いかを探している。

「確かに器量は中々良いが、いかんせん小さすぎる」

「まだ十歳の育ち盛りだ、ちゃんと食わせりゃデカくなるよ」

「それでも骨格が悪いだろう。力仕事がまるで出来んのでは、獣人を買う意味がない」

「それでも獣人は獣人だ。今の内から鍛えておけ」

「……もうちょっと安くならんか?」

「ならんならん!」

 売る人間と買う人間。

 二者の間に敷かれた境界線の狭間に置かれた商品は、その身に纏う襤褸切れを震わせながら、それでも泣き顔と笑顔の間の微妙な表情を保ち続けている。怯えているのは見え見えだが、それでも固く唇を結び、文句の一つも言わぬのは立派である。

 彼女はきっと良き奴隷として、その生涯を終えるだろう。

「分かった分かった俺の負けだ! ……あんたの吝嗇ぶりには呆れるよ」

 まだ幼すぎる故に中々買い手も付かぬ獣人の子に匙を投げ、やがてミケルは大袈裟なため息を吐いた。

「大赤字だが二割引こう、これ以上はまけられんよ」

 売り手がそう呟くのを待っていたかのように、肥え太った客が気味の悪い笑みを浮かべる。如何にも少女趣味といった風体の脂まみれの客が懐から取り出した銅貨を、ミケルが顰め面で受け取ろうとする。

 凡そ成立しかけているその商談を御破産にしたのは、掠れた男の一声だった。


「……その奴隷は処女か?」


 奴隷売り場に居る誰もが、慌て後ろを振り返った。

 薄っぺらい笑顔を貼り付けるのをやめたミケルの見詰める先には、ひどく不気味な老人が立って居た。

 骨と皮。人間と言うよりも屍人わたしに近しい見た目をした老人は痩せこけて、眼下の奥の瞳だけが爛々と生気を放っている。かしぐ体を杖で立たせ、黒き獣皮を身に纏い、まるで周囲を威圧しておらねば死んでしまうとでも言わんばかりの必死さで、辺りの人間を睥睨している。

「ゴアテリの旦那……」

 ミケルにゴアテリと呼ばれたその老人が何か余計なことをしでかす気しか起きなくて、わたしは商品売り場に並べられたアルフレインを覗き見た。敷かれたござの上で膝を抱え座り込む彼が何を考えているのかは、……その顔を覆う鉄仮面のせいで窺えない。もしかすると居眠りでもしているのかも知れない。というよりも、そうであって欲しいと願う。

「ミケル。その奴隷は処女かと、儂はそう聞いておる」

 筋骨隆々の部下らしき者らを後ろに従えながら、老いぼれはミケルに迫る。

「まだ十歳になったばかりの獣人です。多分、初物じゃないかと」

「確かでないなら確かめろ、今ここでだ」

「……」

「膜があるか見せてみろと言っている」

 どこか偏執狂めいた瞳で見つめられ、ミケルは渋々と奴隷を座りこませた。まだ幼い獣人の少女はこれから何が行われるのかを理解していないようで、ただ不安に体を小さく縮ませている。

 老人はやはり無遠慮に、ピタリと閉じた少女の真っ白な脚に、皺だらけの指を這わせる。

「開け」

 腰布を捲りながら、老いぼれはそう言った。少女はやっと何かを察し、目に涙を浮かべながら大声で叫び始める。

「……いやだっ! いやだっ!」

 目の前の老人を突き放そうと暴れ始めた少女の矮躯は、ミケルによって抑え込まれる。

「この旦那はエストで一番の商人様だ。……言うこと聞いときゃ、悪いようにはならねぇよ」

 ミケルの言葉を受けた老人は、一層不気味な顔をして、恐らくだが微笑んだ。どこまでも裂けた唇の端からは、透明な涎が垂れていた。

「奴隷の躾がなっていないぞ、ミケル。鞭を貸せ。獣には言葉ではなく、痛みと恐怖で教えてやらねばならない。人間と動物、主と下僕、それを体で分からせるのだ」

 どうやらミケルという悪徳商人は、この老人ほどは良心が欠落していないらしい。

 ぐっと何かを堪えるよう唇を噛み、それでも利にさとい商人の性には抗えなかったようで、結局少しの間を置いてから、「分かりました」と呟いた。そのまま少女の方を見ず、きっと言われた通りの道具を用意する為に、自分の幌馬車へと足を向けた。

 それまで置物のようになっていたアルフレインが声を上げたのは、その最悪の場面でのことであった。


「そこな気味悪い老耄おいぼれよ、暫し待て」


 ミケルが後ろを振り返り、引き攣った顔を覗かせた。

 ゴアテリなる老人は眉間を痙攣させ、少女の脚から手を離した。

 わたしは立ち上がったアルフレインを止めるべく、咄嗟に魔法を操ろうとし、思い出した。

 ……そうであった、アルフレインは愚かな狂人で、恐れるものなどなにもないのだ、と。

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