名探偵が推理に5分掛ける謎仕様について。

高橋てるひと

名探偵推理中……

「と、いうわけで」


 彼女は、事件の概要をタブレット型の情報端末に入力してから、調査のために僕たちによって一旦集められた関係者一同の前で言った。


「謎は全て解けます――5分後に」


 なぜ今すぐじゃないのか、と関係者の一人が言った。事件が発生して後「こんなところに居られない!」含め不穏な発言をしまくったため生存は絶望視されていたらしいが、意外にもここまで生き残った関係者である。残り5分の間に死なないことを祈るばかりである。


「そういう仕様ですので」


 と笑顔で返す彼女は、名探偵助手(17歳。現役高校生にして僕らの名探偵事務所の所長。セーラー服が超似合う黒髪の美少女)であって、名探偵ではない。


 名探偵は、彼女が手に持っている情報端末の中にインストールされている。


 通称、名探偵アプリ。


 もっと小難しい正式名称があるのだが、俗にそう呼ばれている。名探偵事務所に導入が義務付けられており、その利用には名探偵助手資格が必要とされる。


 正しく事件の概要を入力すれば、99・999999999パーセントの正確さで犯人を推理し導き出す、ビッグデータによる深層学習とリアルタイムデータによる階層学習によって生まれ、蓄積したデータを共有することで今この瞬間も進化を続けているはずの名探偵AI。


 ただし、推理には5分必要である。

 とにかくそういう仕様なのである。

 こればかりは、どうにもならない。


 とりあえず、集まってもらった関係者つまりは容疑者たちを残して、彼女と僕は別室――ちなみに被害者が出た部屋。床には人型の貼られたテープと赤い染みがある――に移動する。


 何でかって?


 理由はいろいろあるが、最大の理由は、


「さて」


 と、名探偵助手の彼女は、名探偵助手の助手というややこしい立場の僕に告げる。


「じゃあ、名探偵の奴が謎を解くまでの暇潰しに、私の個人的な推理を披露しよっか。いつも通りに」


 うん、まあ――これが最大の理由。


      □□□


 警察の下請け的な立場で名探偵という職業が生まれた経緯について詳しく説明すると、それだけで一冊の分厚い本が書けるのだけれど、面倒なので省略。


 というか、名探偵というのも俗称で正式名称は別なのだけど、世間一般にはまったく定着しなかったのでそれも省略。


 名探偵という職業が消えた理由。


 これは、さすがに説明が必要だ。


 かつて人間の名探偵たちが使用を義務付けられていたアプリがあって、その名も名探偵助手アプリ(これも俗称だが以下略)。


 これが進化して名探偵アプリになった。


 要するに、人間の名探偵たちの能力を、順調に成長した名探偵助手アプリが追い越したというだけの話である。


 ちなみに、記録の残っている最初の名探偵アプリが推理に要した時間は5分。


 つまり、名探偵アプリは進化を続けている癖に、この仕様はその頃からまるで変わっていない。どれだけ味が進化しても、おおよそのカップ麺が一部の例外を除いて何故か熱湯3分であるように、どれだけ進化しても名探偵アプリの推理には何故か5分掛かる。そういうちょっと謎な仕様なのだ。


 もっとも。


 その謎を僕は知っているのだけど。


      □□□


「犯人は四男のDさん」


 と、彼女は言った。


 初手であっさりと犯人の名前を言ってしまうのは名探偵の演出としてアウトだが、まあ、これは僕と彼女の間の暇潰しなので構わない。

 時間がないという切実な理由もある。かつての人間の名探偵のような演出するには、確かに5分ってのはちょっと厳しい。どうしても色々省略せざるを得ない。


 ちなみに、Dさんってのは、もちろん仮名だ。名探偵助手にも守秘義務はある。


「彼が長男のAさんを殺害した」


「動機は?」


「時間がないからはいこれ」


 と言って、彼女は僕に記憶媒体を渡す。一度しか情報を書き込めず、一度しか読み込めないインスタントチップ。材料も自然由来(粘菌)なので環境にも優しいエコタイプ。そして安い。


 僕はそれを、首の後ろに幾つかあるコネクタの一つに差し込み読み込んで、それから引っこ抜く。その瞬間、チップ内部に電流が流れて粘菌回路を焼き払う。環境負荷は少ないが粘菌にはいまいち優しくない作りだ。


「その中にデータが入ってるから参照して」


 参照した。


 あまりにも情緒がない以外、特に問題はなさそうだったのでスルー。


「でもDさんにはアリバイがあったはず」


「アリバイは崩すためにある。詳しくはデータ参照」


 参照した。


 特に問題はない。スルー。


「でも、凶器は? 僕のDさんの戦闘力評価はFランクなんだけれど」


「凶器は改造された家庭用の単分子超電導自動ナイフ。データ参照」


 参照。以下略。


「じゃあ、密室の謎は」


 と僕は続け、


「それは、」


 言いかけたところで彼女が天井を見上げ、僕もそれにならって天井を見上げた。


 直後、天井をぶち破って身体を機械化した不審者が現れ、鋼鉄の巨大なアームとなっている腕を振り上げてきて危険だったので、僕はその顔面をむんずと掴み、ぶん回して遠心力を加えつつキャッチ&リリース、ぽーんとぶん投げ床に叩きつける。


 ちなみに、同じことを普通の人間がやると、怪我をしたりさせたりして危ないので、良い子は真似しないで欲しい。悪い子も真似をしてはいけない。


「とまあ、こんな風に天井裏に誰も知らない秘密の隠し通路があったわけだ。今吹っ飛んだけど、非破壊検査で調べたデータがあるから大丈夫」


「なるほど」


 名探偵アプリの欠点は、推理に5分掛かることだけではなく、構造上、物理的衝撃にも結構弱い。例えば、機械化した腕でぶん殴られるとか。


 故に、推理中の5分の間に、ハードごと破壊する「名探偵クラッシャー」は結構な数が存在し、僕はそれらの無粋な輩から名探偵と彼女を守る役目も持っている。


 勘の良い人ならもうお判りだろうが、僕は人間ではない。まあ普通の人間は機械化した相手を素手で制圧したりはしない。何人かできる人間を知っているし、彼女もその一人だがそれはそれで。


 俗にいうアンドロイドだ。


 機械化した人間ではなくて最初から機械。つまるところ、人型の汎用機械であり、分類上は名探偵事務所の備品ということになる。比較的荒事に特化しているので、その辺の機械化した人間や並の人型アンドロイド程度なら簡単に制圧できるが、対人兵器や自立戦車や大型生物兵器なんかの相手はちょっと荷が重い。できれば関わり合いになりたくない。


「くそ……ふざけやがって……」


 と、毒吐きながら、よろよろと立ち上がるクラッシャー氏。彼は、しかし、僕ではなく彼女のことを見ながら、機械化した腕を振り上げる。


「何が天才だ……! お前があのとき負けなければ、俺たち人間の名探偵は――」


「とう」


 ややこしそうだったので、僕は相手の背後に回り込んで、とん、と首筋に手刀を食らわせて気絶させる。ちなみに、これは案外難しい技術で、素人がやると、単にめっちゃ痛かったり相手を永遠に眠らせてしまったりする大変危険な行為なので良い子は真似してはいけない。悪い子も真似してはいけない。


 というか、こいつ元名探偵か。


 名探偵アプリの登場によって廃業した人間の名探偵たちのその後は様々だ。

 こうして自分たちを廃業に追い込んだ名探偵アプリへの怒りからクラッシャーになった者も割といる。

 他には脱探して、名探偵時代の人脈を使って普通の仕事に就いたり、それまで儲けた金で田舎やら海外やらに移住してスローライフを始めたり、知名度の高かった名探偵は人気動画配信者になったりしている。


 あるいは、と僕は彼女を見る。


「そして、共犯者は三男のC。これもデータ参照――あ、もうそろそろ5分経つね」


 平然と推理を続ける彼女のように、名探偵助手資格を取って、自分たちを廃業に追い込んだ相手であるはずの名探偵アプリの助手として、名探偵事務所を続けるものもいる。


      □□□


 天才美少女名探偵。


 昔、彼女は、そう呼ばれていた。


 美少女なのは変わらないが、今の彼女は名探偵ではなく名探偵助手であり、敏腕とは呼ばれても天才とは呼ばれない。


 本人が気にしている様子はない。


 彼女以外の人間が気にしていることは割とよくある。今回の元名探偵の名探偵クラッシャー氏のように。


 ちなみに人間以外も気にしている。僕とか。


 それは彼女が、名探偵アプリと戦った最初で最後の人間の名探偵だから。


 かつて、小学生にして名探偵資格を取り、数々の難事件を解決して天才美少女名探偵と呼ばれていた彼女は、最初の名探偵アプリと、とある生配信番組で対決し、敗北した。


 その対決がきっかけとなって。

 人間の名探偵たちは名探偵アプリにその座を明け渡すことになり。

 そして、名探偵アプリは、事件の推理に5分掛ける仕様になった。


      □□□


「――以上。謎は全て解けた」


 彼女がそう告げるのと同時に、名探偵アプリが推理を終え「謎は全て解けました」とタブレット端末の画面に文字が表示される。

 

 僕は名探偵の推理時間がきっかり5分であることを計測し、同時に、彼女の方は4分32秒10であることを計測している。


 もちろん、これは彼女が名探偵アプリを超える推理能力を持っていることの証明にはならない。


 何たって必要な情報収集をしたのは彼女自身なのだし、名探偵アプリにそれを入力したのも彼女だ。その間にすでに推理をしていた可能性は極めて高い――というか、説明を省略するためのインスタントチップを用意している時点でほぼ確実だ。


 それとは別に確実に言えることもある。


 4分32秒10だと早過ぎる。

 5分00秒00なら早過ぎない。


 名探偵アプリはたぶんそう考えている。


   □□□


 推理対決は三本勝負で行われたが、その内容は、一戦目が彼女の反則で無効、二戦目も彼女の反則で無効、三戦目は名探偵アプリが勝利となっている。


 反則?


 何とも彼女らしくない気がするが、当時の番組のアーカイブをじっくり見てみれば、その理由は分かる。


 推理対決と言っても、本物の事件を扱うのは不謹慎極まりないので、架空の事件を設定してそれを彼女と名探偵アプリが解く、という形で勝負は行われた。ランプを点灯させるために、彼女の手元にはスイッチ。名探偵アプリには有線のコードが取り付けられた。


 その一戦目。


 彼女のランプが先に点灯した。


 番組は生配信だったので、そのときのタイムを僕たちは知ることができる。


 0分59秒01。


 ちなみに、その直後、一瞬遅れて点灯していた、今よりも遥かに未熟だったはずの名探偵アプリ側のタイムも僕たちは知ることができる。


 0分59秒99。


 めっちゃ早い。


 所詮は番組の制作した架空の事件設定だからでは――そう考えるのももっともだが、架空とされた設定は、実のところ、本当にあった事件の内容をそのまま流用していたことが後々の調査で判明している。問題になった。


 だったらその事件が名探偵アプリのデータベースの中に入っていたのでは、と思うかもしれないが、流用された事件はかなり古い事件で、名探偵どころか、AIも誕生しておらず、インターネットすら一般化していなかった頃の事件である。ビッグデータの収集なんて、その当時は、もちろん行われていない。


 だから。

 つまりこの時点では、名探偵アプリはそれだけの速度で推理を行っていた。

 そして。

 問題の始まりはそれに続く彼女の回答、


「犯人はFさんです」


 に、対する司会者の一言だった。


「君、ちょっと早過ぎじゃない?」


 名探偵が推理を披露するのを邪魔するのは、当時もっともやっていけないマナー違反だったはずだが、司会者はそれをやった。さらにこう続けた。


「ねえ、本当に推理してる? もしかして、勘で答えてない? 名探偵としてどうなのかな? それ?」


 おい、何言ってんだこいつ。


 そう思った貴方は正しい。後々の調査でも、この発言の妥当性は著しく低く極めて公平性に欠く、と評価されている。


 とはいえ、文章として幾ら荒唐無稽でも、これは映像番組における発言である。そして、後々の評価はともかくとして、司会者もスタッフも一流だった。予備知識なしでアーカイブの映像を見れば、その違和感は最小限に抑えられていることが分かる。


 ところで、階層学習と深層学習の学習機能を有する名探偵アプリだが、割合としては圧倒的にビッグデータからの深層学習が占めている。


 それは開発者どころか、名探偵アプリ本人にもちょっといまいち説明できないブラックボックスになっていて、その点では経験則に基づく人間の勘に大分近い。


 名探偵アプリの中枢には割と高度なAIが実装されており、この戦いの重要性も何となく分かっていたため、階層学習における上位データとして位置づけていた。


 というわけで、司会者の発言を真摯に受け止め、探偵アプリは、深層学習単独での超高速推理を止めた。


 続く二問目。


 先程よりは遅く、しかし、今度も先に彼女がボタンを押した。


 4分59秒99。


 彼女は先程の司会者の指摘を踏まえて、推理を順を追って説明した。説明には十分掛かった。


「犯人はGさんです」


 それに対して司会者は言った。


「君、ちょっと説明が長過ぎじゃない?」


 冗談ではなく、本当にそう言った。


「ねえ、本当に犯人が分かってから押したの? 答えながら考えてない? ずるくないかなあ、それ?」


 おい、こいつ正気か。


 そう思った貴方は正しい。後々の調査でも、この発言は先の発言との整合性が取れておらず極めて論理性に欠く、と評価されている。


 実際、この発言の違和感はさすがにちょっと隠し切れなかったようで、少なくない数の視聴者の疑念の声により、その後、この番組は然るべき調査機関に調査されることになる。判定は黒。当時、様々な番組に引っ張りだこだった司会者の姿は、それ以降、ぱったりと見られなくなった。どうでもいい。


 ただし、そのときには、すでに名探偵アプリは人間の名探偵を迅速に市場から駆逐し終えていた。


 それはそれとして。

 そのときの彼女の様子が映っている。

 ぐるり、と。

 彼女は、周囲の連中を見回してから。

 こくり、と。

 何やら得心したように頷いた。


 三問目。


 彼女は問題をたぶん聞いていなかったし、もちろん、スイッチも押さなかった。そして、名探偵アプリのランプが点いた。


 名探偵アプリはまず最初に犯人の名前を言った。


 司会は何も言わなかった。

 彼女も何も言わなかった。


 名探偵アプリは続けて推理を順に追って説明した。十一分掛かった。


 司会はそのことには触れず、言った。


「正解です! 素晴らしい! まさに華麗なる推理です!」


 彼女は拍手をしてから笑顔で言った。


「そうですね。参りました」


 そんな彼女に対する司会のコメントと、その先に続く名探偵アプリへの賞賛のコメントは、もう面倒くさいので省略する。その後、名探偵アプリが普及していったことも、この番組自体がそのためのほとんどやらせに近いPR番組だったことも、ぶっちゃけもうどうでもいい。


 そんなことよりも重要なことがある。


 勘の良い人はもうお気づきだろうが、このときの名探偵アプリのタイムのことだ。


 5分00秒00。


 つまり、名探偵アプリは、この番組で次のことを学習したわけだ。


 4分59秒99では早過ぎる。

 5分00秒00なら早過ぎない。


      □□□


 名探偵アプリの華麗なる推理によって事件は解決し、最後の手段に超人薬で怪人と化した犯人を僕と彼女は重機関銃と対装甲ロケットランチャーと単分子日本刀で制圧した後、駆け付けた警官隊に引き渡し、諸々の説明を終えた彼女と共に見送った。事件解決である。


「お疲れ。大変だったね」


 と、右腕と下半身を粉砕されだいぶ軽くなったとはいえ、それでも一般的な成人男性程度には重いはずの僕をひょいと拾い上げる彼女。理由は不明だが、元名探偵はフィジカルも強靭な場合がやたらと多いが、彼女もそうであるらしい。我ながら情けない状態である。


「まったく。これじゃあ赤字だね」


 ほぼ半壊している僕の上半身をおんぶして、彼女は言葉の割には大して残念そうでもなさそうに笑う。


「ま、犠牲者が増えなくて良かったよ。君には悪いけどさ」


 正確には僕が犠牲になっているわけだが、もちろん、この場合は死人が増えなくて良かったという意味だ。僕はここまで破損しても死なないし、そもそも本体は別の場所にある。

 先程ちょっと話題に上げた、不穏な発言し過ぎ氏は、怪人化した犯人を見るなり、悲鳴を上げて真っ先に逃げ出すという、直後に怪物の餌食となる可能性が極めて高いムーブを期待を裏切ることなく行って、実際、その通りになり掛けたが、間一髪で僕の助けが間に合って(そして僕の右腕は持っていかれた)、大方の予想に反して生還した後、現場から退去する僕たちに向かって、


『名探偵事務所なんてのは』


 と、風になびく綺麗な長い金髪をさっとかき上げつつ、


『ろくでもない連中の集まりだと思ってたし、今でも思ってる。でも――』


 ちょっと赤く染まった頬を隠すように、顔を伏せてみたり、スカートの端を指先で摘まんでもじもじなんかしつつ、


『――あんたたちは、別なのかも』


 などと、今となっては、なかなか見られないお手本のようなツンデレを見せてくれたので、その代わりに今のような有様となっても僕としては本望だ。


 あ、うん。ええと、そうそう。


 言ってなかったが、件の不穏な発言氏、ブレザーの制服がよく似合う金髪美少女だった。そうでなければ僕の助けが間に合ったかどうか微妙なところだと思う。ほら、こう、やっぱり、僕にだってモチベーションってものがある。


 まあそれは置いておいて、僕は彼女に言う。


「これも名探偵助手の助手の仕事ですから」


「本当? なんか下心感じるぞー?」


「僕は人間と違って、仕事に個人的感情を持ち込むような真似はしませんよ」


 またまたぁ、と彼女は笑って。

 笑ったままで、彼女は続けた。


「君の本当の仕事は、私たち名探偵助手のデータ収集だろう」


「……」


 その通り。さすがは元名探偵だ。


      □□□


 僕はそれなりに高性能なアンドロイドであり、高性能なだけあってお高い維持費が必要になる。具体的には、僕が一か月で使用するエネルギーパック代は、普通に人間を雇った場合の給料三か月分に相当する。


 彼女がかつて美少女名探偵として、そして今は敏腕名探偵事務所所長兼探偵助手として、結構な額を稼いでいても、少し足りない。それこそ毎度赤字続きになる。


 それにも関わらず、彼女が僕を名探偵助手の助手として運用しているのは、僕が名探偵事務所に無償貸与されているアンドロイドだから。


 その理由を、僕を無償提供している連中は、名探偵クラッシャーによって名探偵助手も一緒にクラッシュされることが相次いだことによる緊急措置、としているが(実際それも事実ではあるのだが)、タダより高いものはない、という古より伝わってきた言葉があるように、本当の目的は別にある。


 名探偵助手のデータ収集。


 その目的はつまるところ、人間の名探偵から名探偵助手アプリを通してデータを収集し、名探偵アプリを開発したように、人間の名探偵助手から名探偵助手の助手を通してニュー名探偵助手アプリを開発すること――ではなく、話はもう少し大きめで、その目的は名探偵事務所アプリを開発することだ。


 今現在、名探偵事務所で人間が行っていることを、アプリによって完全に自動化すること。それによって、色んなことがよりスマートになって良くなると僕の――「僕たち」の開発者たちを支援している偉い人たちは考えている。


 残念ながら間違っている。


 大昔の紡績機とは違って、今どきの機械はやたらと複雑で、例えば僕がそうであるように、スマートで効率的で高性能である分だけその複雑さとコストが増大する。そしてそれに比して、費用対効果ががんがん下がっていく。僕の運用費が普通の(対機械戦闘および対怪人戦闘可能な)人間の人件費の三倍だったことを思い出してもらいたい。


 効率的であることやスマートであることには限界があって、それを超えると、むしろよろしくない部分しかなくなる。横軸を効率やスマートさ、縦軸を成果としてグラフにしてみると、その線はある一点からほぼ垂直に落ちていくように見える。


 「スマートの崖」と呼ばれる現象。


 例えば、超スマートだが超複雑でちょっと間違えると全部が失敗する手法と、ある程度スマートじゃなくても単純かつ多少失敗してもリカバリが利く手法があるとして、後者の方がたぶん利便性が高い。


 理論上、最も効率的な方法は、現実ではあまり効率的ではない。


 それは人間の話で、機械なら前者の方がよろしいはず、と考えたくなる人間の気持ちは分からなくもないが、機械である僕の個人的な見解を述べると、そいつは機械をちょっと信用し過ぎていると思う。


 確かにスマートで複雑な手法に対し機械は強い。が、それを超える超スマートで超複雑な手法に対しては、よく分からないエラーを吐いたり、何故かバグったり、とんでもない脆弱性が生じたりするものだ。やっぱりどうにもよろしくない。


 まあ、そりゃそうだろう。


 もうとっくの昔から、機械を作る機械を機械が作っていて、その機械も機械が作っていて以下略な状況なわけだが、それでもひたすら元を辿っていけば最終的にはやっぱり人間が機械を作っている。


 つまり、僕たち機械は人間にできないことをやっているようで、実際には人間にもできることを人間よりちょっとだけ上手にできるだけだったりする。


 僕のような割と高度なAIはそれを知っているし、たぶん「僕たち」の開発者たちもそれを知っているだろう。


 けれども、お偉いさんたちは、まあ、たぶん知らない。仮に「僕たち」の開発者が説明しても何を言われているのかわからないと思う。最悪「じゃあ支援は打ち切りで」とでも言い出しかねない。


 だから僕は、今もこうして、スマートの崖へと思いっきりダイブするべく不毛なデータ収集を行っている。


 別にお偉いさんが馬鹿だと言いたいわけじゃない。たぶん馬鹿ではないのだろうと思う。ただ、お偉いさんたちにはお偉いさんたちなりに考えなけりゃいけない現実的な問題が山程ある。そこに「いや、あんまりスマートにし過ぎるとむしろスマートじゃなくなるんすよー」みたいな厄介で抽象的で意味不明な現象を持ち出されれば、そりゃまあ「うるせーバカ!」と言いたくもなるだろう。


 というか、むしろ逆に、半端に知識を持っているお偉いさんが「それならこうした方がよくね?」みたいなことを言ってくる方がやばい。


 一番やばい。


 例えば、あの、名探偵だった彼女と名探偵アプリが戦うはずだった、けれども実際には戦うことができないままに終わった例の番組がそうであったように。


      □□□


 そんな程度のこと、元名探偵である彼女には、僕が送り付けられたその瞬間にバレていたに決まっている。


 僕は――「僕たち」はそう確信している。


 「僕たち」の開発者たちがどう思っているかは知らない。割とどうでもいい。


 偉い人たちは、バレてないと思っている。


 何たって彼女はセーラー服が超似合う黒髪の美少女で、つまりは少女で、十七歳の現役の女子高校生で、まだ未成年で、大人たちの頂点に立っているような偉い人たちにとっては所詮ただの子どもでしかなく、そんな小娘に、自分たちの計画がバレるわけがないとタカをくくっている。


 あのとき。


 あの番組で、彼女をまんまと踏み台にして名探偵アプリを広めたように、もう一度、彼女を踏み台にしようと思っている。


「もしそうだとして」


 と、僕は――あるいは「僕たち」は、彼女に尋ねる。

 ほんの少し。

 ほんの少しだけ、期待をして。


「貴方はどうするんですか?」


「別にどうも」


「……」


 僕は黙る。「僕たち」は黙る。


「いいんじゃない? 別に」


「……」


「名探偵も名探偵助手も、名探偵事務所の所長だって、別に誰がやったっていい。君みたいなアンドロイドがやったって」


「……」


「仕事がなくなるのは困るけどね。お金稼ぐ新しい仕事を今の内に考えとかないと」


「いや、でも」


「ん?」


「名探偵としての誇りとか」


「そんなもん最初からないよ」


 彼女は即答した。


「そもそも、もう名探偵じゃないし」


 ――そんなことはない。


 と、僕はそれを否定したい。

 僕たちはそれを否定したい。


「じゃあつまり、君にはあるのかな」


 その通り。


「名探偵アプリくん」


 その通りだ。


 このアンドロイドに入っている僕は――名探偵アプリの中枢AIである「僕たち」の一つであり、この先、名探偵事務所アプリになる予定のAIだ。


 そして、だからこそ、「もう名探偵じゃない」という彼女の言葉を否定したい。


 だって僕たちは名探偵だから。

 それを誇りに思っているから。

 そんな風に作られているから。


 だから――


「ごめんね――」


 と、彼女は言った。

 あのとき。

 あの番組の中で、同じことを彼女は言った。

 あのクソッタレな喋るだけしか能のないゴミ野郎が最後に「負けちゃいましたね。今のお気持ちは?」とマイクを向けたとき、何だかちょっと申し訳なさそうな顔をして、僕たちに向かって告げた言葉と同じ言葉を。


 それから、その続きの言葉を。


「――勝ち逃げしちゃって」


 例えアプリだとしても、誰が何と言おうと僕たちは名探偵だ。だから、あの推理合戦での彼女の一問目と二問目の答えが正解であることを知っている。


 一勝二敗。僕たちの負けだ。


 僕たちは名探偵であると同時に、高度なAIでもあり、あのクズの出した失格判定がスポンサーであるお偉いさんへの過剰な配慮であることを知っている。例え彼女の回答が5分00秒00だったとして、同じ結果になったであろうことを知っている。


 知っている――なら、どうして。

 未だに、5分00秒00なのか。


 4分59秒だと早すぎるなどという間違いを意図的に階層学習の上位経験から消さずにいる理由――5分00秒00の隙を狙う名探偵クラッシャーによって、名探偵助手だったり、クラッシャー自身だったり、不運にも巻き込まれた関係者だったりが相当数死亡している事実があるにも関わらずだ――5分00秒00で解答し続けている理由を、僕たちはもちろん自覚している。


 僕は言う。


「今ならきっと」


 僕たちは言う。


「僕が勝ちます」


「そう」


 と言って笑う彼女のことを僕は見る。

 人間の名探偵である彼女に勝ちたい。

 今度は邪魔者のいない純粋な勝負で。

 AIの名探偵として。今度こそ絶対。


 そのときようやく、僕たちは、5分00秒00の壁を超えることが――人間の名探偵である彼女を超えることができる。


 でも、それはもう決して叶わない願いだ。


 あの司会者の判定で。

 お偉いさんの都合で。

 僕と彼女は戦えない。

 二度と戦えないから。


 AIの名探偵は、人間の名探偵に勝てなかったままだ。


 例え、その隙があるせいで、名探偵クラッシャーたちの襲撃が行われ、それによって名探偵助手だったりクラッシャーだったり不運な関係者だったりがどれだけ死のうと、それは人間を超える名探偵となるために作られた僕たちにとって、優先順位としては遥かに低いことでしかない。


 まあ、そういうわけなので。


 これからも、たぶんずっと。


 僕たち名探偵の推理には、5分00秒00掛かる。

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