夜更かしの空

 肺を冷たい空気が満たして、起きてしまった、とまず思考する。

瞼はまるで身体が起き出す時間を必死に稼ぐみたいにして重たく開いていく。黒いざらざらとした闇の中、まず分かるのは腕の中の熱。指先を少し動かしてみれば、自分の熱が移った子供が大人しく傍でくるまっているのが分かった。ぼうっとそれを眺める。瞳が慣れているわけではないから何も見えないけれど、静かにしていれば小さな耳鳴りと一緒に息遣いも聞こえた。眠っているときの深い息の仕方。彼は多くのことが人らしくなくて、こうして呼吸の音や触れ合った箇所から些細に伝わる鼓動を感じては時折意外だと思う。ちゃんと呼吸をしているのだと、ちゃんと鼓動する心臓があるのだと。当たり前のことがいつも不可思議で、余計いとしかった。

 ごそ、と腕の中の楼くんが身じろぎをする。そろそろ視界も慣れてきて、すぐ目の前には後頭部があった。楼くんのまんまるな頭。癖一つない薄茶色の髪の毛が頬を撫でるので、一度そこに顔を埋める。優しくぎゅうと抱き締めて、片手で頭を撫でる。落ち着く匂いだった。楼くん自体は体臭が殆どないだろうに、何故かいつも底の方に私とは違う匂いがある。シャンプーもリンスもボディソープも全部一緒の物を使っているのに、何故こうも好きな匂いがあり続けるのかが不思議だった。それとも匂いさえ、私の為にあるのだろうか。分からないが、もしかしたら彼にとって私も同じなのかもしれなかった。同じようで違う匂いがあって、それは彼にとって落ち着く匂いなのだ。聞かずともきっと、楼くんは私と同じ気持ちなのだと妙な確信を抱いている。

 暫くそうしていた。眠りと覚醒の境をさまようように、腕の中の存在を確かめるように、じっとしていた。

満足して瞼を改めて開く。サイドテーブルに手をのばして自分のスマートフォンを起動させれば、そこに表示されていたのは3時27分。気持ち良く起き出すには早すぎる時間。実際身体は気だるいのに、一度回転を始めたせいか脳は諦め悪く機能し続けている。

 眠気が再び訪れるのを待つか悩んでいれば、楼くんが先ほどより大きく身じろぎをした。邪魔にならないよう少しだけ腕をあげれば、くるりと彼の身体がこちらに向き直る。目は閉じていたが、彼がゆっくりと深く呼吸したのが分かった。細い指先が私の身体にぺたりと触れる。

「おこしちゃった?」

 自分が思い描く中で一番小さな声で問う。きっと私を知る誰かが聞けば笑ってしまうような、恥ずかしいくらいに優しい声だった。

楼くんはうっそりと瞼を薄く開いて、私の顔をじっと見ている。私が発した言葉を拾い上げて、寝起きの頭で一生懸命処理しようとしている。それでまず聞こえたのが、ほとんど掠れた「いえ、」という音だった。それから私の胸元に顔を埋める。また3秒にも満たない間が開いて、「あたまを」とくぐもった声が聞こえてくる。

「…なでられてるなとおもって、うれしいなっておもって、おきました」

 それは結局起こしてしまったのではないかとも思うが、当の本人がここまで嫌じゃないと態度で示してくれれば罪悪感も少なかった。「そっか。ごめんね」と言うと、楼くんは「んー…?」と分かっていない声を出す。なんであやまるんですか、と問うような音だった。

 ふ、と私の笑った音が空気に溶けていく。布団の外は少し寒くて、二人の体温でぬくまった空間だけが穏やかであり続けている。

もう一度ゆっくりと丁寧に彼の頭を撫でてみた。私の手が大きいせいで、楼くんの小さな頭はすっぽりと収まりきる。身体が大きいことで得をした試しはなかったけれど、やっと“良かった”と思えることがこれだった。

 楼くんは暫くじっとしていて、それからふうと大きく息をついた。見下ろしている背中が一度上下する。首元まで続くなだらかな背骨の凹凸が服の淵からちらりと見えた。

「ねれないんですか」

 ひとつ落とされた声に、今度は私が曖昧な返事をした。確かにもう眼が冴えてしまった。

「そうだね、ちょっと起きてようかなと思ってるよ」

 楼くんは私の返事を聞きながらそろりと腕を伸ばしてベッドサイドランプをつける。ぱち、と橙色の光が周囲を照らした。眠たそうな楼くんの顔が一瞬しかめられて、そのあと眉間の皺が解れる。「それじゃあ」と明瞭になり出した声で彼は言った。ぽふんとまた態勢が崩れて、私と彼の距離が戻る。

「夜更かししましょう。ご一緒してもいいですか」

 楼くんの瞳は穏やかで、私のことをずっと眺めていた。すぐ傍の頬を指先で少し撫でれば、嬉しそうに瞼が閉じる。

彼の言葉は不思議で、私ばかりが嬉しいはずなのに彼もとくと嬉しいみたいに聞こえるのだ。彼に落ちることになった感情というのは私にとって全て優しく、真絹のように柔い。だからこそ安心して身をゆだねられる。

「じゃあお願いしようかな」

 最後に一度抱き締めて、少々名残惜しいもののベッドから起き上がる。寝る直前まで彼が羽織っていたブランケットを手繰り寄せて、同じく身を起こした楼くんの肩口にかける。

「今って何時ですか」

 小さいセリフを聴きながら私もカーディガンを羽織って、冷えた床に足先を降ろせば余計に目が冴えた気がした。

「3時半過ぎだと思うよ」

「じゃあまだまだ夜が続きますね」

 夜が続く。可愛らしい表現だ。詩や小説で見かけることはあれど、人の口からは滅多に聞かないと思った。よく彼の言葉がきらきら輝いて聞こえるのは、こういう子供っぽいとも取れる表現のせいなのだろうか。

 寝室を出て暗い廊下を歩む。楼くんのスリッパが擦れるちょっと高い音が響いていく。

辿り着いたリビングはしんと静まっていて、空気が行き交うさらさらとしたノイズが聞こえているような気がしていた。

 楼くんは炉に薪を入れて、そこにマッチで火を灯す。暖炉なんて日本ではお目にかかったこともなかったが、こちらではまだ現役として働くことも少なくないらしい。実際、この家の主力な暖房器具はこの暖炉だった。

 淡い赤色がぽっと照って、それがゆらゆらと膨らんでいく。楼くんはしゃがみ込んで、ストーブの前でじっとそれを眺めていた。少しずつ火種は育って、そのうち馴染みのある火の爆ぜる音が響く。

 それから数分、楼くんはただぼうっと炎を見つめていた。黒々とした瞳はガラスのように光を跳ね返して、まつ毛の影が彼の頬にそっと落ちている。もたらされる穏やかさはまどろみと似た気配を持っていて、だからこそ楼くんの横に立ったまま、じっと彼のことを眺め続けていた。

 ふと、ようやっと視線に気づいたみたいにして楼くんは顔をあげた。首を反らせて、先ほどまで炎を宿していた瞳で私を見る。光がふらふらとその中で踊っている。

「ホットミルクでもいれましょうか」

 ささやかに落とされた提案は魅力的で、「いいね」と言って少し笑った。楼くんは目じりを下げて、丁寧な仕草で立ち上がる。ぱたぱたとキッチンへ戻ったかと思えば、暫くして片手鍋と牛乳、蜂蜜、それからコップを二つを手にして戻ってきた。

「ここでやるの?」

「はい、せっかく火つけましたし」

 楼くんは暖炉の横に置いてあった背の高いクッキングスタンドを火の中に設置して、その上に鍋を置く。瓶に収められた牛乳を注いで、それを木製のへらでくるくるとかき混ぜながら様子を見ている。マグカップや材料は暖炉の上だ。

 私はすぐ目の前にあるソファに腰かけて楼くんの後ろ姿を見ていた。暗がりの中、楼くんの輪郭をなぞるように彼を構成する色が炎の抑揚を受けながら輝いている。

「楼くんは手間をかけるのが好きだね」

 ホットミルクなんて、正直レンジを使えばあっという間に済むだった。それを彼は、当然といった顔で手のかかる手段を選択する。合理的な彼らしくないといえばそうだった。

 楼くんは一瞬振り返って、それからまた前を向いた。ちょっと小首をかしげる。

「そうですかね?」

「うん。ミルクもそうだけど、料理とか他の家事も…、まだお互いに忙しくしていた時から、そうやって時間をかけていたよね。私と暮らす前からそうだったの?」

 今度は考える素振りも見せず、楼くんは「いいえ」と言った。暖炉の上から蜂蜜を取って、蓋を開けてからスプーンで掬い上げる。綺麗な黄色は輝きを持ったまま鍋の中へと落ちていく。

「寧ろ、いかに時間を使わないか考えてましたね。仕事の方に時間を割きたかったので」

 少し苦笑を孕んだ音。意外とも言えなかった。彼の性質を思えば、こんな答えが返ることは逆に当然とも言えるだろう。

「じゃあ私と暮らし始めてから?」

「そうですね。家事というか、何事にも時間をかけるようになったのは」

「君らしいね。私のため?」

 分かり切ったことをわざわざ聞くのは、分かり切った答えがほしいからだ。

楼くんはこちらを振り返る。火にあてられて少し火照った赤い頬が、美しく弧を描く口元によって丸みを帯びる。

「はい」

 丁寧に落ちた肯定は、ちょっとだけ照れ臭そうな楼くんの笑顔付き。ふ、とつられて笑う。楼くんは一度何かを思いついたような顔をして、少し足を急かしながらキッチンに姿を消した。

それからすぐに戻って来て、彼の手元にあったのはブランデー。琥珀色した液体を鍋に入れて、くるりと数度かき混ぜる。楼くんはそうしながら、「でも」と言った。話の続きだった。

「最近、俺のためでもあるんだなとわかったんです」

「君のため?」

「そう」

 一つ肯定して、彼は鍋を片手に立ち上がる。マグカップにミルクを注いでいく。真っ白な湯気が立ち上って、ゆったりと天井へとのぼっていく。

「暦さんといっしょに暮らすようになってから、生活のいろんなことが暦さんありきになりました。だからこそ、何かをするときに必ず暦さんのことを考えるんです」

 よどみない言葉。穢れのない声。楼くんは二つのマグを満たして、それらを両手にしながら振り返った。

「貴方のことが好きなのは最初から変わらないけれど、貴方を想う時間自体が、俺にとってとにかく喜ばしいことなんだとわかったんです。だから今まで時間をかけることを好んだし、これが分かった今は、それこそよけいに」

 手渡された暖かなミルクを見つめて、それから楼くんを見た。彼は私の横に腰かけながら、にこりと微笑んで私を眺めている。まさかここまで熱烈に口説かれるなんて思ってもなかった私は、肩をすくめてから誤魔化すようにミルクを口にするしかなかった。

「…ときどき、君がおそろしくなるよ」

「どうして?」

「可愛いことばかり言うから。それに、腑抜けてしまいそうで」

 舌先に乗ったミルクは優しくて温かい。白が似合って、まるで楼くんみたい。彼の顔を見れば、嬉しそうににんまりと笑みを深めていた。

「腑抜けていいんですよ。今までいっぱいたいへんだったんだから」

 楼くんはとん、と私の肩口にもたれかかった。なるべく私との距離を埋めたがるのは彼の癖。もしかしたら、私の癖でもあるのかも。

「怒られないかな」

「何に」

 問われて、いくつかが脳裏をよぎった。例えば、まだ私を使おうとする様々であったり、或いは私に理想を抱く若者であったり、また或いは。

 思いついたのは母のシルエットだった。そういえば顔は朧気で、それもこれも、真っ直ぐ目を見て話す勇気がなかったからなのだろう。それが妙に悲しくて、ただ当然だとも思えた。

 きっと、私がどう腑抜けようと堕落しようと、あの人は何も思わないだろう。何も知らないままだろう。幸せになることを時々後ろめたく思うのは、私の感傷一つに過ぎないのだ。

「……、」

 ちらりと彼の顔を見た。何に怒られると期待しているんだろう。それをわざわざ口にするのは子供みたいでばかばかしくて、とにかく恥ずかしいことに思えた。だから答えが出なくて、黙って楼くんを覗き込むみたいにしながら笑みを浮かべた。

 彼は私を見つめ返して、少し考えるように口をつぐむ。それから視線を下げて、赤子を抱き上げるときのような丁寧さでゆっくりと言葉を落とした。

「誰も何も、怒らないし咎めませんよ。神様すら、俺たちの幸福を脅かすことはあれど、否定することはないんですから。否定することはできないんですから」

 ぱちん、と暖炉の火が大きく爆ぜる。静かだった。部屋の中にある色々なものの影が暖炉の光で長く伸びて、背後の壁では少し不気味に揺らめいていることだろう。

 時折、彼の言葉にどう返すのが正解なのか分からなくなる。私だけを守る音の並び。私だけを想う純粋な心。清廉さに射抜かれて立ち竦むことは度々あれど、楼くんのそれはまた別格だった。

 彼も穢れを知る人間の筈だった。誰かのように万人に信念ある慈悲を持つわけではなく、誰かのように強かに人らしくあるわけではなく、誰かのように子供らしい愛嬌があるわけではない。信念なく駒のように動き、人を選び、人らしさを棄てて誰かに気に入られることを諦めたのが我々だった。そうだと思い込んでいた。

 しかし彼と接するうち、私もそういう人間だったのだと思い出せるようになった。自分を信じて君と接したかったし、君に優しくすることを恐れたくなかったし、人らしく笑って君の傍にいたかった。君を愛したかった。穢れを知りながらに、私の前でだけ純真無垢であり続ける子供。その歪さに、いつも小さく小さく救われていく。

 片手を持ち上げて、楼くんの頭をぽん、と撫でる。楼くんはただ黙ってそれを受け入れて、大人しく撫でられていた。この小さな身体を、いつだって私への想いでたっぷりと満たし切っているこども。

 結局何も言えずじまいで、でも彼は返事を求めている様ではなかった。その証拠に、撫でられながら私を上目に見つめる。

「そういえば、今日は星が綺麗に出ているらしいですよ。少し見てみませんか」

「…そうだね、窓でも開けてみようか」

 にっこりと笑った楼くんが立ち上がったのを見て、同じようにする。「コートもってきましょうか」と囁く彼に、「ちょっと見るだけだしいいんじゃないかな。それに、くっついてればあったかいでしょ」といたずらっぽく言ってみる。楼くんはきょとんと目を丸くしたあとに、照れ臭そうに顔をほころばせて「はい」と笑った。

 私たちの家はリビングに多く光を取り込めるよう大きな掃き出し窓があって、庭に出る時はいつもそこから出入りしている。窓を開いてみれば小さな風が滑り込んできて、カーテンが一度ふわりと揺れた。

 開き切って、マグを手にしたままその縁に腰を掛ける。脚を伸ばせば青い芝が指先をくすぐった。楼くんも私の隣に座り込んで、同じようにしている。少し肌寒いけれど、ぴったりと寄り添った肩口の熱が身体を温めた。

 街はずれだからか、庭と一口に言ってもそこそこの広さがある。今では楼くんの趣味となった植物たちは、今は秋の花が主役らしい。他にも料理に使えるハーブがいくつも植わっていた。

「わあ…」

 楼くんが漏らした感嘆の声に、視線を上にあげた。

抑揚のある黒にはまるで小さな宝石たちをちりばめたように星々が敷き詰められている。は、と吐き出した息が白くなって、そのまま空に吸い込まれていく。

「綺麗だね。楼くんの瞳の色だ」

「え?」

 一度視線を降ろして彼を見れば、楼くんはその瞳をまんまるにして私を見ていた。それに少し笑って、ホットミルクに口をつける。また口を開く。

「楼くんの瞳は夜空の色だよ」

 囁けば、彼は少し恥ずかしそうにした。私に大きくもたれかかって、肩口に頭をぐりぐりと擦り付ける。照れ隠しにしては子供っぽく、そして分かりやすい。

「今までそうやって、何人の女性をこんなきもちにさせてきたんですか?」

「聞きたい?」

「いえ、遠慮しときます」

 すぐに返った台詞に思わず笑う。すぐそこにある頭のてっぺんにキスを落とせば、楼くんはむっとした顔をしていた。それが余計に可愛くて、今度はおでこにキスをする。

「冗談だよ。君にしか言ったことない」

「ほんとうですか?」

「疑り深いね」

 どうしたら信じる? と尋ねれば、楼くんは「ちゃんとキスしてください」とだけ言った。瞳は真っ直ぐと私を射抜いて、期待する風でも、試す風でもない。そうあることが当然であるというように、あるがままで楼くんは私の愛を求めていた。

「仰せのままに、ダーリン」

 ちう、と唇を触れ合わせるだけのキス。何度かついばんで、改めて彼の顔をのぞき見る。楼くんは目じりを少し火照らせて、満足そうに微笑む。最初から、信じてないわけがないのだ。ただ照れ隠しのついでに私のキスが欲しかっただけ。だから楼くんはすぐに「しんじます」と満ち足りて言った。

「ずるい子。どこで覚えてきたの?」

「意地悪を言ったのは暦さんです。それにいつだって、俺のお手本は貴方ですよ」

 肩をすくめる。反論はできそうになかった。私だって、“ずるい子”を演じた記憶はそれなりにある。

「やめよう。今の君には口で勝てないらしい」

 楼くんはふふん、と得意気に笑った。「ほら、星を見よう」と促せば、私にもたれたまま上を見る。彼の足先がゆらゆらと機嫌が良さそうに揺れていて、全く、昔に比べれば本当に感情豊かになった。

「暦さん、秋の大四辺形です」

 白い指先が空をなぞる。「あれがアンドロメダ座」「あっちがペガサス座」とそのまま線を描くようにする。

「アンドロメダはギリシャ神話に出てくる古代エチオピアの王女だね。確か、両腕を鎖でつながれたような姿で星になってるんだっけ」

「アンドロメダとペガサスは何か関わりがあるんでしょうか?」

 こてん、と首を傾げる仕草は子供のそれだ。少し頭を撫でて、「そうだね」と頷く。

「ギリシャ神話でペルセウスとペガサスの物語があるんだけど、その中にアンドロメダが出てくるんだ」

 人に物を教えるのは好きだ。自ら得意と言えるほど経験があるわけでもないし、自分の知識をひけらかしたいわけではないけれど、知ったことを伝えて、伝わると嬉しい。楼くんはいつも正しく私の知恵を受け取ってくれるから余計に話がしやすかった。

 丁寧に、彼の知識の土台を考えながら教えていく。楼くんは何度も頷いて真面目に聞いていた。いくつかの疑問が飛んで、それに分かりやすく答える努力をする。

 一通り話し終えたあと、楼くんは空をまた見つめ返して、「不思議ですね」と一つ言った。

「何が?」

「人は星にまで意味を求めるから。ずっと昔から臆病だったんですね」

 彼はまた星に手をのばした。それに手が届かないと知らない子供のように。

「臆病だから生き残ってきたんだと思うよ」

「逆じゃないんですか」

「こうして寄り添うでしょ」

 彼は私の台詞にぱっとこちらを見た。ぱちりと瞬き。この子供の瞳はまさしく夜空だった。澄み切った深い黒。見つめられると時が止まったようだった。それで、いつも時を動かすのは子供の役目。

「…そうですね」

 楼くんは一言呟いて、また大人しく私に寄り添った。気付けば互いのマグは空になっていて、くわりと一つ欠伸が漏れる。それを眺めていた楼くんも同じように欠伸をして、一緒に少し笑い合う。

「寝直そうか」

「はい」

 窓を閉じる前、もう一度空を見上げた。星々は何光年と先で絶えず輝き地球に光を届け、その中にはもう潰えた星もあるのだろう。

 楼くんが「暦さん」と私の名前を呼んだ。「うん」と応えて、窓を閉じる。


 ベッドに戻って楼くんを抱え直す。彼は私の腕の中で暫く身じろいで、やっと落ち着ける姿勢になったのかくったりと身体の力を抜いた。

 じ、と見上げられているのに気付いて、「ん?」と囁くような音で尋ねる。楼くんは1秒ほど黙って私の顔を見つめて、それから小さく口を開いた。

「暦さんの瞳の色は、何にも例えがたいですね」

「今は深い茶色です。暖炉の傍にいた時ははちみつ色。夜空を眺める時はその間の色」

 ぽそぽそと落とされた言葉に、ぱちりと瞬きをする。

それから少し笑って、彼の頭を撫でた。細い髪の毛は外の空気に晒されていたからか未だひんやりとしている。

「眠る直前に口説かれるなんて、初めてだよ」

 そう言って額にキスを落とせば、楼くんはふふふ、と音をなくして笑った。

「ほら、おやすみ。私の夜更かしに付き合ってくれてありがとう。もう大丈夫だよ」

「…よかったです。おやすみなさい」

 小さく口の中で転がすような音。それに同じように「おやすみ」と返して、私も瞼を閉じた。


 結局、次に目を覚ましたのは昼過ぎ頃だった。

明るい光が差すベッドの中で楼くんは微睡んで、「よくねれましたか」と舌足らずに私に問う。

 「君のおかげで」と素直に返せば、彼は満足そうに笑った。

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