終章 世界は神話で出来ていた

「楼‼ それこっちに持ってこい‼」

「はい!」


 こんなパイプ何に使うんだ。錆びてて、しばらく雨に打たれたら穴だって開きそうなのに無駄に修理している。貴重な金属なのに。


 担いだパイプは大男の背丈ほどあるが、普段からこれを運ぶ楼としては重くも何ともない大きなパイプ程度でしかなかった。


「よし、じゃあ今日は上がれ」

「でもまだ時間じゃ」

「いいんだよ。まだそれ、痛むんだろ?」


 男が指差すのは楼の右腕。


 いつかのあの日、家で目覚めた楼の身体は全身血だらけで倒れているのを清衣によって見つけられ街の治療を受けたが、腕の傷だけは完治せずにいた。傷跡しかないが、痛む怪我は医者にも説明ができず、ただ一年ずっと腕の痛みを感じながらも働いていた。


 この傷がどこで負ったのかも覚えていない。


「いいから今日は上がれ」

「ああ、上がりなさい。清衣君が呼んでたぞ」

 赤ちゃんを抱いて現れたのは街長――菊輪和重。


「清衣が?」


 俺より酷い怪我を追っていた彼も右腕を粉砕骨折していたそうだが、赤ちゃんを抱いても問題ないくらい回復はしている。もっとも今では元気に仕事を手伝ったりもしようとして……当然、俺たちとしては心配だから断るのだが。


「ああ、借金もなくなったからデートにでも誘いにきたのだろうな」


 俺が働き始めてから街長の顔が優しくなったと皆は言う。暗に俺が原因で暗いままだったんだと言われているような気がしているのだが、否定はできない。


「デートの誘いなわけないさ。どうせ本を早く書けとかだ」

 俺と街長の間に割り込む上司。

「けぇー、しけてんなぁー、もっとロマンあること言えばいいってのによ」


 ロマン……俺がずっと信じているもの。

 でも何か引っかかる気がする。欠けているような、忘れているような、何かを。

 それを乱すよう街長の背後から顔を覗かせる彼女こそが話題の当人。


「なになにぃ、私の話かい?」

 ピクッと動かす小さな耳はどんな話でも逃すまいと俺たちに向けられる。


「清衣、驚かせないでくれ」

「信樂さんがぁ、遅いのがいけないんですよ?」

「はぁー、働いていたのだから仕方ないだろ」


 ため息が出てしまうが、そんなやり取りが面白いのか俺の上司は笑って、さっさと行けと手を払う。笑顔で見送る街長に頭を下げた。記憶になくても大金を貸してくれた人だ。きっとこれからこの街を守っていく人だ。泣きわめく赤ちゃんをあやす姿はすっかりお父さんだった。


 それを尻目に清衣が歩くのに俺も続く。


「一年前に話したことぉ、覚えてますか?」


 あの時のことは鮮明に覚えている。何かの為に必死になって、なぜか借金をしてまで大量の本を買ったんだ。本当に理解に苦しむ行動をしたあの日のことを忘れるはずがない。


「旅商人だろ?」

「気乗りしませんかぁ?」


 この話は半年前にもしている。借金を清衣が肩代わりするから一緒に行こうと言われたのだ。清衣がそこまでして望んでいることを未だに信じられていない。


「気乗りしないわけじゃない。でも、どうして俺なんだ」

 くるっと振り返って、後ろで手を組む彼女は当然のことのように言う。

「楽しそうだから。それだけですよぉ」


 それだけだから納得ができていないのだが、これ以上聞いても仕方なさそうだったからあえて言わない。

 どちらにせよ、俺は決断できないだろうから。


「清衣、俺は行けない」


「忘れた何かを思い出せないからですか?」

「ああ、それを探さなかったら俺は清衣との旅を楽しめないだろうから」


 探さなきゃいけない。その気持ちだけは未だに消えない。

「そうですかぁー、なら仕方ないですね」


 つまらなそうに地面の小石を蹴って遊ぶ清衣には申し訳ないが、この決断を中途半端にはしたくないから視線を外す。


「気が変わったら教えてくださぁい。でもぉ、私が他の人見つけてからだとぉ、タイムアップなのでよろしくですよぉ?」


 ニッと歯を見せていたずらに笑う彼女には気を使わせてばかりだ。

 手を振って去っていく清衣を見届けると、そこは俺の家、トレーラーハウス。

 俺は随分と考えて話していたらしい。


「中途半端に……できないから」


 決断が正しかったかなんてわからない。

 でも、この傷と空白の記憶。

 それは俺にとって、凄く大事な記憶だったような、そんな気がする。

 家に入ってすぐ、ベッドに置いてある本、あれが手がかりなことは間違いないんだ。


 なぜか一冊だけ手元に残っていた本。

 そしておかしな本。

 俺はそれが気になって本を開いた。


「空白……気持ちわりぃ」

 思い出せない。


 なぜかこれを読めば思い出せる気がするのに、何もわからない自分に腹が立つ。


 だから胸から湧き出る感情は影しかなくて、ただひたすらに気持ち悪い。

 本を投げて、苛立ちをどうにかしようと拳を上げても、俺は何もできない。

 こんなことしても意味がないのはわかっているのに。


「大体、あの音はなんだよ‼」


 拍子木の音が頭だけで鳴るのが手掛かりだってわかってる。

 だがその音が思考をかき混ぜて考えさせてくれやしない。


「毎度本を開く度うるせぇんだよ」


 怒っても仕方ないのに。

 あぁ、今日は疲れているんだ。それを見越して上司だって休むように言ったに違いない。

 気づけば空は茜色に染まっている。


 本を読んでいて時間が過ぎるのに気が付かなかったのか。早く休めたのに、こんなところで怒っていてはせっかくの早上がりがもったいない。あの空白は大事なものだとわかっている。だから諦めるつもりはないし、諦めることは俺のロマンに反している。


 この胸騒ぎは一体何を求めているのか――


「頼むよ。誰か教えてくれよ。俺は何を忘れてるんだ」


 俺が問いかける本は答えてはくれない。

 こんなんじゃ俺まで見失いそうだ。


 ――チリリン


 それに追い打ちを掛けるドアベルの音。

 窓の外は綺麗な世界。

 壊れている世界に見えても、これは現実。そう考えたら自分がちっぽけな存在に思えてきたのだが、再び鳴るベルが空気を壊す。


「こんな時間に誰だよ」


 僅かに開けた扉から薄暗い部屋に光が射して……


 ――シャン


 藤の宝石が光る銀色のネックレス。

 そんな高価なものを落とすバカタレに呆れた声で言う。


「おい、あんたこんな高価なもん落としたら……」

 俺はそれに触れた。


『茜、俺のロマンを信じてくれないか?』

『……わかった。信じる』


 俺は、何を――

 扉を開けた先にいたのは茜色の光をいっぱいに浴びたアイボリーの髪を持つ少女。翠の双眸と現実離れした硝子細工のような容姿。


 黒いスーツを着ている姿は、あの特殊改編保安局の姿に見えた。


「楼」


 鈴の音を転がした透き通った声は忘れようがない。

 いや、俺は忘れてたって言うのか。


「茜」


 だが、ここは現実で、彼女は物語の世界の住民で――


「私とまた、物語を救いに行かない?」


 しかし、彼女は目の前にいる。

 あの虚構は現実で、真実だったのだ。

 虚構の物語などない。すべて真実。


「その物語にロマンはあるか?」


 きっと世界は神話で出来ていたんだ。


「ええもちろん」


 ならば行こう。


「俺のすべてをロマンにベットしよう」

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