第29話 集団拡散機

 ドーム状の建物は天井が硝子張りになっていて、空を見渡せる作りになっていた。


 ドームを突き破り見上げても天辺が見えない塔。それこそが集団拡散機。

 その根元は大きな機械装置と、倒れた人々で埋まっている。

 二人退屈そうに話しているのはチカ姉とバートン。


「手が空いているなら助けてくれても良かったんじゃないか?」

「終わったときには二人とも追い詰めてたわよ」


 やっぱり見ていたんじゃないか。


 死ぬ覚悟はできていても安全策があるには越したことはないのだから、助太刀大歓迎だったのに、サボっていたとは……俺が巻き込んだことを考慮しなければしっかりと働いてほしいものだ。


「あの能力は楼君の能力なのかい?」

「いいや、わからない。俺の能力と茜の能力を組み合わせたんだ」

「初陣なのによく工夫したんだね」

 バートンがなぜか暖かい視線を向けてくるのがむずがゆい。

「どうしちゃったんだ。バートンはもっと馬鹿っぽく、好奇心旺盛な子供みたいなやつだっただろう」

 大きなため息を吐いて、偉そうにも首を横に振って見せる。

「楼君もまだまだだね。今は物語が終わろうとしているのだから、求められているのはエモいラストだよ。いつもみたいな空気間はラストに合わないんだ」


 うむ。いつも通りだったようで安心した。バートンにまでワームが入っていたら今の俺じゃお手上げだからな。

 物語のラストについて持論をペラペラと語るバートンを無視して茜に目をやる。


 チカ姉と抱き合いながらも話しているのはこれがお別れだから。

 俺がどれだけ茜を現実世界の人間と思っていようが、彼女は物語の登場人物。それだけは変えることができない事実。


 俺の視線に気づいたチカ姉が話を纏めこちらへ歩いてくる。


「外見張って、待ってるからね。バートン。ほら行くわよ」


 手渡される瓶には記憶消去の薬。

 手順はわかっている。薄い赤色の液体に茜の血を入れたら機械へいれるだけ。

 そんな簡単な操作、小さな瓶でも重く感じるのは気持ちの問題。


「いや今は楼君に物語のラストがどれだけ大事なのかを説明して――」

「そんなもの鼻から聞いてないと思うけど」

「え、嘘だよね。楼君、君みたいないい子がそんなことしないよね。楼君‼」


 どうやら悪い子の俺の前から騒がしかった一人を連れて行ったようで、部屋に二人きりになる。チカ姉が気を利かせた形とはいえ、気恥ずかしいものがないわけではない。


 最後だっていうのに。


「なあ、茜」

「なに?」

「寂しくなるな」

「……うん」


 風は冷たい、傷は痛い、体が重い、精神的にも一杯一杯だ。

 けれども、せっかくできた仲間であり理解者を失うのはどうしようもなくとも苦しい。


「このフィナーレこそが俺のロマンが描いた最後だっていうのに……それなら」

「楼」


 湧き出る感情がどこまでも自分だけの感情で、欲望で、してはいけないことだとしても少しでも長く茜といられるならどれだけいいか……そう考えてしまうことは悪なのか。


 茜が楼の名を呼びその先の言葉を止めたのは彼女の正義であり義務だった。


「この物語を終わらせなくちゃいけない。私はこの世界の皆が幸せになって欲しいから」


 わかっていたさ。

 仲間であり味方だとしても、茜が想う幸せは俺とだけで描けるものではない。

 誰も犠牲にならず、物語の皆にとって幸せでなければいけない。たとえ俺が拒んでも。


 だから俺は小瓶を渡す。


「寂しくなるな」

「……」


 グラティアで作った針で指を刺し、出てきたそれを瓶へ入れた。

 記憶消去をするにはそのモノへ意識を向ける必要があるという。しかし、世界に散布するには物理的に不可能。代替的に血を含ませることで彼女だけを世界から消す。


「じゃあ、入れるよ?」


 この部屋の中央にあるメインマシン――集団拡散機はすべての用意を済ましている。


「やろう。これがフィナーレだ」


 中央装置に瓶を入れ、緑に点灯するボタンを茜が押した。


 瓶が入っている箱の上部からストローが伸び、液体を吸い込むと集団拡散機の塔が白く点灯。眩く目を開けるのも苦労するほど強く発光した刹那、轟音と共に空へ打ち上げられる。それは雨のようで、雪のような、硝子の結晶に見えた。


 世界が白く染まっていくのは物語が閉じようとしているだからだろうか。

 天から注がれる結晶に触れたものが発光する。

 きっとあれに触れると茜を忘れてしまうのだろう。


「本当に終わったんだな」

「楼のおかげで私は生きて終われるの」


 結末は変わらない。

 ただ、茜が忘れられ生きていくだけ。

 それでも俺にとっては大きな改編と言える。


「俺のエゴだとしても、茜に生きていて欲しかったから」

 空を見上げる茜は今何を思うのか、俺にはわからない。

「忘れないからな、俺は」

「え?」


 ぼうっとして茜も気が緩んだのだろう。

 だからもう一度。


「俺は茜を忘れない」


 この物語が終わっても俺だけは覚えている。業を背負いながらも、気高く、派閥の皆のために、誰よりも強く平和を望んでいた一人の少女を。


「楼にも生活があるのだから、忘れちゃうわ」

「いいや何度だって、物語を読む。その度に思い出すさ」


 俺はあの結晶を浴びないのだから忘れない。

 忘れようがない。こんなにも眩い思い出を。


「俺の唯一の仲間を忘れるわけがない」

「そう……辛くない?」

 向かい合った茜が楼を見つめる。

「ああ」

「もう会えないのだからきっと辛いわよ」

「それでも、忘れない」

「わかった……」


 頬を染め後ろを向いた茜を見て、俺自身の言葉が気恥ずかしいものだと気が付いた。


 もちろん、嘘ではない。でも、その、俺はここまで情熱的な男ではないわけで、こんなことを日常的に考えているようなヤツでもない。ただ、今の状況だから……そう、バートンが言っていた通りラストはエモーショナルな感じにすべきだと口が勝手に動いて――


 あたふたする楼を見ている者はいなかった。

 ただ、瞬間的に浮かび上がった情景に頭を支配された楼は何も見ていなかった。


 ちょんちょん、と背中を突かれて振り向いた時――


 楼の唇が塞がれた。


 何が起こっているのかわからない。

 けれども眼前の彼女の顔を見たら動揺など消し飛んだ。

 そして理解する。


 俺は今茜とキスをして――彼女の口からそそがれる液体。


「ッ‼ やめろ」

 間違いない。これはキスなどではない。


 口を拭って手に残るそれは薄い赤色をしているのだ。


「どうして……俺は茜を忘れたくなんか」

「辛いから。もうずっと会えないのに想い続けるのは辛いから」


 あの液体は記憶消去の薬。

 茜の右手にはなぜか小瓶が握られていた。


「それ、チカ姉にもらったのか?」

 小さく頷く茜。


 そうだろう。二人で話していたあの時しか受け取る機会なんてなかったんだから。

 でも、どうして……どうして俺の記憶まで。


「忘れる方がもっと辛いだろ」

「いいえ、会えない方がもっと辛いわ」


 ああ、辛いだろう。でもそれでよかった。辛くても茜を忘れたくなかった。ずっと独りだったのは茜だけじゃないんだ。だからせっかくの仲間を忘れたくなんか――


 気づいたら楼は茜を抱きしめていた。

 強く、離れることの無いように。


「忘れない。絶対俺は、忘れない。どんなことがあっても思い出す」

「ごめんなさい……でも、私本当に楼のことが」

 涙ながらの茜。この選択が幸せなんだと思ってしたのだろう。

「俺は茜を覚えてる。ずっと。この先もずっと」

「無理よ‼」


 無理? そんなはずない。可能性は絶対ある。であれば信じよう。そのロマンを。


 俺の目指す最高のフィナーレを目指して。

 茜の胸元で光る藤の光。

 俺たちを繋いだそのネックレスを楼は掴んで、わざと冷静な口調で話す。


「茜、俺のロマンを信じてくれないか?」


 だって、俺たちは信じてきたんだ。


「……わかった。信じる」


 最高のフィナーレに向けて、世界が白く包まれた。

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