思わぬ邂逅

 それから約1ヶ月が経った。あれ以来、文栄社から何度か電話やメールが来ていたが、智子は全て無視した。現実を突きつけられたことで、出版をしたいという気持ちは完全に下火になっていた。地道に新人賞への応募を続け、落選した作品は小説投稿サイトで公開すればいい。そう考えて自費出版の話を頭の隅に追いやろうとした。


 そんな状況の中、智子は大学時代の友人、幡野葵はたのあおいとランチに行くことになった。葵は智子が作家を目指していることを知る唯一の友人だ。


 その事実を告白したのは今から3年前、文栄社の新人賞に落選し、消沈していた智子の異変に葵が気づいてくれたことがきっかけだった。

 最初はてっきり、25歳にもなって夢を追っていることを呆れられると思っていたが、葵は自分の生き方を否定せず、むしろ羨ましいと賞賛してくれた。仕事や結婚といった、同年代の女性が抱くような事柄に感心が持てず、いつまでも夢にしがみつく自分を恥じていた智子は、その言葉にどれほど救われたかわからない。


 以来、葵と会うたびに智子は、自分の近況報告として小説の話題を口にしていた。葵自身は小説を書いていないにもかかわらず熱心に話を聞いてくれ、作品を書き上げる苦労や楽しさを理解しようとしてくれた。そんな葵の言動を思い出すたび、自分は友人に恵まれたと智子はひしひしと感じるのだった。


「で、智子の方は最近どんな感じなの?」


 レストランで落ち合い、食事とお喋りを楽しんだところで、近況報告を終えた葵が尋ねてきた。智子は少し考えてから新人賞の話をした。2ヶ月前に結果が出たが、最終選考で落ちたこと。


「そっか……。残念だったね。じゃあ、今はまた来年に向けて小説書いてるの?」葵が尋ねた。


「うん。来年も応募はするし、それまでに他の賞にも応募していくつもり。まぁ、倍率高いのはどこも一緒なんだけどね」智子が苦笑しながら答えた。


「確か100倍くらいだっけ? 倍率」


「うん。応募作は何千とあるけど、選ばれるのはせいぜい5作か6作くらいだからね。その数字聞くと、賞取るのなんか夢のまた夢って思えてくるよね。かといってプロになるためには新人賞取るしか方法ないし……」


 智子はそこで言い淀んだ。忘れかけていた出版社からの誘いが頭に浮かぶ。


「智子、どうかした?」


 葵が怪訝そうに尋ねてきた。智子は慌てて表情を取り繕った。


「あ、いや、その……作家になる方法って、何も新人賞取るだけじゃないのかなって思って」


「へぇ、他にどんな方法があるの?」


 葵が興味津々の様子で身を乗り出してくる。智子は少し逡巡した後、自費出版の件を話すことにした。最終選考に落ちた出版社から案内が来て、最初は興味を惹かれたが、100万円近い金額がかかると知って一気に気持ちが萎えたこと。


「……これがあたしの近況報告ってとこかな。まぁでも、案内受けただけで実際に出す気ないんだけどね。素人が本出したところで買う人なんかいるわけないし、それに100万も出すなんてどう考えたってお金の無駄だもんね」


 智子は早口で言った。済んだ話として頭の隅に追いやっていたはずなのに、言葉にすると胸の奥で何かが疼くような感覚がある。この感覚はいったい何なのだろう。


 葵はテーブルに視線を落として智子の話を聞いていた。てっきり智子の意見に同調し、単なる近況報告の一つとして受け止めてくれるものと思っていた。だが、返ってきたのは意外な反応だった。


「……あたしは読みたいけど、智子の本」

 智子は目を瞬いて葵を見返した。葵は顔を上げて続けた。


「あたし、ずっと智子の作品読んできたけど、智子は絶対作家になれる才能あると思う。どの作品読んでも外れないし、売ってる本と同じくらい面白い。

 でも、新人賞は倍率高くてほとんどの作品が通らないんでしょ? 小説投稿サイトで読んでくれる人もいるんだろうけど、サイト見る人は限られてるし、そもそも作品多すぎて埋もれるよね。読んだら絶対面白いってわかるのに、知られてないから読まれないのってすごく勿体ないと思うんだ。

 でもさ、本になってお店に並ぶってことは、一般の人にも読んでもらえる可能性があるってことでしょ? そんなチャンス滅多にないし、乗ってみてもいいと思うんだけど」


 智子はまじまじと葵を見つめた。葵の熱意に圧倒されたのではない。彼女が自分の作品を読んでくれているという事実に驚いたのだ。小説投稿サイトに登録したての頃にURLを送ったことはあったが、実際に読んだという話は聞いたことがなかった。智子自身、直接尋ねる勇気はなく、また催促しているようで抵抗があった。


「……葵、あたしの作品読んでくれてたの? いつから?」


 智子がおずおずと尋ねると、葵ははっとして口元を手で覆った。少しためらう様子を見せた後、やがて秘密を打ち明けるように小声で言った。


「……もう3年くらいかな。智子がサイト使い始めた時から、実はずっとフォローしてたんだ。

 あたし、今まであんまり本読まなかったんだけど、智子の作品は本当に面白くて、気づいたら全部の作品読んでた。途中からは感想も書くようになったんだけど、あたしは智子みたいに語彙力ないから、いつも小学生みたいな感想しか書けなくて恥ずかしかったな」

 

 葵が照れたように笑って頬を搔く。智子はまさかという思いで友人の顔を見返した。3年前からのフォロワーで、自分の作品を全て読んで感想をくれる人。思いつくのは一人しかいない。


「……もしかして、『板野青葉いたのあおば』って葵のこと!?」


 智子が目を剥いて尋ねた。板野青葉は、智子が投稿した全ての作品に短い感想をくれるユーザーだ。葵は恥じらうように笑うと、こくりと頷いた。


 智子はその事実が信じられなかった。小説投稿サイトの利用を始めて3年。思うような反応を得られず落ち込むこともあったが、それでも利用を続けてこられたのは、少数でも支持してくれる読者がいたからだ。だがまさか、その一人がリアルの友人だったとは――。

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