絆が開く道

「……田原さん、私はね、本気であなたに作家になってほしいと思っているんです」


 松下が改まった口調で言った。


「私達が自費出版事業を立ち上げたのは、単なる事業拡大のためじゃない。本当に価値のある作品を世に送り出す機会を増やしたいと考えたからなんです。

 あなたに大きな金額を負担してもらうことは心苦しいけれど、大きな決断をしてくれた分、私達もそれに応えられるように努力していくつもりです。だから一緒に頑張りましょうね、田原さん」


「はい……」


 智子はいつの間にか涙ぐんでいた。何とか気力を振り絞り、挨拶をしてから通話を終える。目頭を押さえながら天を仰ぐと、月の光が優しく降り注いでいた。


 作家とは孤独な存在だと思っていた。自分の世界を表現したくて筆を取りはするけれど、それを実現するには途方もない時間とたゆまぬ努力がいる。情熱を注ぎながらも時折虚しさが生じ、筆を置きたくなることは何度もある。誰に求められているかもわからぬまま、一人で言葉を捻り出し、物語を紡ぎ上げていく。それは作家以外には理解し得ない孤独の深淵だ。だからこそ作家を目指す者は、孤独な歩みを続けるしかないと思っていた。


 でも今、智子はようやく気づいた。自分は一人でこの道を歩いてきたわけではない。そこには葵がいて、史恵がいて、憧れの作家がいて、そして姿の見えない多くの読者の存在があった。それは、出口の見えない暗闇の中でもがく自分に光を与え、歩みを止めようとする自分を連れ戻してくれた。

 だからこそ智子は今まで歩みを止めず、作品と、そして自分自身と向き合い続けることができた。その不思議な運命の連鎖が、出版という道を開いてくれたのだ。


 自費出版によって作家としての道が開かれるかはわからない。でも、たとえどんな結果に終わったとしても、この選択が自分にとって大きな一歩になることは間違いない。決断の過程で自分自身の心と向き合い、そして支えてくれる者の存在を知ったこと。それは作家への歩みを続ける上で大きな糧となるはずだ。


 智子は携帯を鞄にしまうと、前を向いて歩き始めた。もう涙は出ない。自分は決断を下した。ならば振り返らず、怖れずに進んでいくしかない。一つの道が途絶えたならば、また別の道を探して歩き出す。そうやって模索を繰り返しながら、自分はこれからも作品を書き続けていくのだろう。

 

 書くことでしか自分は生きられない。一つでも多くの世界を形にし、言葉を紡ぎ、そして想いを届けること。それは自分が生涯を懸けて為しえたいことであり、智子の生きる理由そのものなのだ。

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