第十六話:これからの生活に、想いを馳せる


 国立シンドヴァルト冒険者学園はそれなりに規模が大きい。それがゆえか、人目につかない場所というのもそこそこ存在する。以前、サヌルボゥと密談

交わした体育館裏もその一つだ。

 ユウノの話を信じるなら、ここにヴェラさんがいるとのことだが。


「うお、本当にいたよ……」


 腕を組み、目を閉じながら、ヴェラさんは壁に背中を預けていた。なんてことないポーズなのだが、アンニュイな空気も合わさって妙な色香がある、

 太陽とは、そこに存在するだけで光を放つ。ヴェラさんはまさにそんな女性だ。いついかなる時だって輝いているし、輝いてほしいとも願ってる。

 なんて声をかけようか……。

 言いたいことも、聞きたいことも山ほどあるはずなのに口が開かない。彼女と話がしたいはずなのに、いざ話そうとすると頭の回転が重くなる。ああ、弱いなぁ、僕って男は。


「血闘が終わって三日間、ずっと考えていたんだ」


 黙したまま突っ立っている僕よりも先に、ヴェラさんが口を開いた。相変わらず目を閉じたままで、こちらには一瞥もしていない。


「ずっと敗因を考えていた。負けるべくして負けた戦いだった。君はずっと、ずっと、勝つために試行錯誤を行っていたのだろう。ひるがえって、ボクは自分の力を過信して、本気で戦いに臨まなかった」


「過信というのは、ようするに自信です。自信があるのは素晴らしいことじゃないですか」


「その結果で負けたのなら、意味がない」


「意味がないなんてことはないですよ」


「じゃあなにがあるんだい?」


「強くなれる」


 なぐさめじゃない、これは僕の本心だ。信念とも称していい。

 負けると失うものは大きく、得るものは少ない。しかして、地に這いつくばらなければ見えない地平もある。僕にはそれがよく分かる。


「過信で負けたのなら。次は過信を潰せばいい。そうすれば強固な自信になる。ちょとやそっとじゃ揺るがない自信はそれだけで厄介だ」


「ふふ……ありがとうね、ロウガ君」


 柔らかに口もとをほころばせて、ヴェラさんが僕に顔を向ける。ふわっと流れた風が、彼女の赤髪をほんの少し波立たせた。


「お礼を言われるようなことは、なにも」


「なぐさめてくれてるんだろう?」


「別になぐさめじゃないんですがね」


「そういうことにしておくよ」


 ウィンクを飛ばすヴェラさん。なんだかホッとしてまった。こういう瀟洒しょうしゃな振舞いが自然にでてくるってことは、いつもの調子に戻ったということであろう。


「……考えたんだよ、ずっと、負けた理由を。その中で、どうしても、一つだけ分からないことがあるんだ。あまりにも答えが出なくて夢にも現れたくらいだ」


 ヴェラさんが眉間を歪ませ、唇を噛んだ。


「最後、君の姿が消えた理由が、どうしても分からない」


「ああ、〈狐の足〉か。原理自体は、まあ、そんな複雑じゃないですよ、多分。ようするに、気配を消すんです」


「気配……?」


「人間って、目だけでモノを見てるんじゃないんですよ。脳が、見てるんです。視覚を始めとしたありとあらゆる情報を、脳が総合的に判断することによって、人間は正しくモノを見ることができる」


「つまり、あの時の君は、ボクの脳に伝わる情報を不完全にしたということかい?」


「そういうことです」


 さすがに、ヴェラさんは理解が早い。


「〈狐の足〉は、奥の手の一つでしてね。気配……主に足音を消す技なんです。足を地面に同化させて、足音を消す。そうすれば、自然と気配が消える。気配が消えれば、相手は正しい情報を脳に送れなくなる」


「結果、姿が消えたのか……」


 ぷっくりとした唇に人差し指を当てながら、ヴェラさんがつぶやく。しばらく感嘆するかのような吐息をもらした後、はたと、弾かれたように目を見開いた。


「いや、いやいや、なんでそんな簡単に手の内を!」


「別に、もうすでに晒した手の内ですし。どうせ、ヴェラさんならいずれ遅かれ早かれ解明しましたよ」


「いやいや! それと! そんな技があるなら! どうして最初から使わなかったんだい!?」


「足を地面に慣れさせなきゃいけないから、すぐに使えない。集中力必要なんで体力を大きく消耗する。完全に修得した技じゃないんで不安定要素が大きい。理由としてはこんなとこです。可能なら、使わずにいたかったんですけどねー」


 そこに関してはヴェラさんがあっぱれとしか言いようがない。使わされるまで追いこまれたのだから。


「信じられない……闇属性魔術である〈影隠れシャドウハイド〉とほぼ同等の技術じゃないか。君、本当に魔素を持ってないんだよね?」


「ないですよ、調べてもらっても構わないです」


「そんな馬鹿な……魔素がないのに、魔術じみたことを?」


「やろうと思えばやれます。意志さえ折れなければね」


「そんな簡単に言わないでくれよ……」


 乾いた笑いをヴェラさんがもらしている。

 魔術じみてるというが、正直、僕からすれば魔術の方が圧倒的に便利だ。魔素と集中力さえあればそれでよい魔術に比べると、使用の際に越えなきゃいけないハードルが多くて高い。何より習熟が難しい。魔術と違って技術が体系化されてないから、ティグルさんの教えを元に自分なりに訓練して感覚を掴んでものにしていかなければならない。正直、僕に魔素という才能があったらこんなもの目もくれていない。

 それでも、奥の手であることに違いはない。あの人は、僕の師は、これを使えると判断してくれた。ならば、いずれは完全に使いこなさなければならない。

 でないと、一生、あの人に会えない気がする。会えるくらい、強くなれない気がするのだ。空を見上げる。青空はいつだってティグルさんの記憶を呼び覚ましてくれるのだ。


「あのさ……それほどの技術、誰に教わったんだい?」


 その疑問が投げられた時、一瞬、背筋が凍った。空に向けていた視線は、即座にヴェラさんへと向き直す。赤き瞳が、昏い炎を宿しているかのように見えた。


「いや、その、別に聞かなくても……」


「聞きたいの、教えて」


 ひっ、と声がもれそうになるのを必死にこらえた。なにをこんなに恐れているんだ? 僕は。


「えと……昔スラムで生きてたころに出会った……師匠みたいな人で」


「女?」


「え? それ関係あります?」


「答えて」


「……女性です」


 大人しく素直に答えた。


「ふーん」


 ヴェラさんが近づいてくる。笑っているのだが、目が笑っていなかった。何を、何をそんなに怒っているんだ?


「ねぇ、気づいてた?」


「はい?」


「今の君……すっっっっっっごく、優しい顔をしてた」


 ヴェラさんの声が、口から出るたびにどんどんと冷えていく。魂すら氷にされる気がした。危険を感じる。今すぐ逃げたいが、逃げてはいけない気もする。彼女の両指が、僕の両ほほに触れた。


「そんな顔、ボクに見せたことないじゃないか」


「あの、そんなこと言われましても」


「普段の、闘争心を奥底に隠した、理知の光を宿す表情も大好き。でも、ボクに見せないそれがあるのは、どうして?」


「どうしてと言われましても」


「ねぇ、その女の人のこと、好き?」


 投げられ問い。答えに窮してしまった。

 好き、なのだろうか。いや、間違いなく好きだ。ただ、ストレートに口に出したらやばい、そんな予感がある。


「好きなんだね?」


 沈黙を肯定と受け取ってしまったらしい。


「ちょっと待ってください! あのですね! なにを勘違いしてるか知りませんけど、僕はあなたのことがっ――!?」


 言い終わる前に、僕の唇はヴェラさんの唇によって塞がれていた。


「――っ!? むぅ、ん?!?!」


 それはキスというにはあまりに暴力的だった。ヴェラさんの舌が、僕の口内を蹂躙するかのようにねぶっていた。ロマンチックな感情は、微塵もわいてこなかった。


「ぷはぁ!」


 散々に僕の唇をもてあそんだヴェラさん。大変満足そうな表情で、顔を離して息を吐いた。


「もうね、やっぱり、駄目。ボクはね、ロウガ君の全てが欲しい。君の中に、他の女がいる……それがどうしても耐えられない」


 恍惚とした笑みを浮かべたヴェラさんが、僕の髪を触り、いじくる。見惚れてしまうくらいに美麗で、動けなくなってしまうくらいに妖艶だった。


「必ず、君の全てを手に入れる。そのためには、勝たなければならない。絶対に、絶対に」


「あの……ヴェラさん、僕は」


「次は勝つ。いやそれだけじゃない、もう誰も、他に誰も見えなくなるくらい、心を奪って勝つ」


「……そんなの、すでに奪われてます」


「足りない。少なくとも、その師匠とやらを追い出すくらいじゃないと」


 ヴェラさんが、まっすぐに僕を見つめてくる。そして、力強く抱きしめられた。むちりとした太腿が下半身を、柔らかな胸が上半身を、それぞれ支配してくる。


「待っててね、ロウガ君」


 艶かしい声色で、ヴェラさんはささやいた。


「ふふ、じゃあね」

 その次には、もう、身体は離れてしまっていた。最後に、悪戯な微笑みを向けながら、踵を返して彼女は去っていった。ゆったり、堂々と歩いていくその姿に、僕は一言も声をかけることができなかった。


「……なにが」


 なにが、起こったんだ?

 あれか、嫉妬? ヴェラさんが、嫉妬してたってこと? ティグルさんに?

 いやいや、だってそんな……僕が好きなのはヴェラさんで……。


「いや、もしたかしたら自分で気づいてないのか」


 そうかもしれない。自分では、あの人に対する感情は、師弟愛とか、親愛に類するものだと思ってた。けど、他人から見たら違うものなのかもしれない。現に、ヴェラさんは違うと判断したようだし。


「敵わないなぁ、ヴェラさんには」


 たしかに、血闘には勝った。でも、彼女を越えたとは未だに感じない。いつもいつも、圧倒されっばなしだ。

 いっそ、もう、素直に負けを認めて、身も心も全てヴェラさんに差し出すか?


「――あり得ないね」


 負けを認める、なんて絶対にない。それをしてしまったら、僕は僕でいられなくなる。

 強くなりたい。それを心に刻んで生きてきた。強くなるには、勝たなければならない。負けは必要だ。だが、それは、勝ちに繋げる負けでなければならない。

 あきらめて負けを選ぶような生き方、あってはならない。


「次も、勝つ」


 つぶやき、歩く。決意を新たにして。

 ヴェラさんは、僕の全てを手に入れるほどの勝利を得ると宣言した。上等だ。ならば、僕は彼女の全てを手に入れるほどの勝利を掴んでやる。


「くっ、ははははははははははははははははは!!」


 腹の底から、愉悦がこみ上げてくる。これからの学園生活に、どんどんと期待がふくらむじゃないか。

 傷つき、血を流し、地に倒れる……平穏とは無縁な学園生活になるだろうことは、火を見るより明らかだ。そして、それを乗り越えた時、僕はどれほど強くなれるだろうか。


「全てを! 全てを手に入れてやるよ!」


 決意する。もう、ティグルさんに会うためだけに、強くなる……なんて、言わない。

 強くなれば、全てを手に入れられる。ヴェラさんのことも、ティグルさんのことも。全て。

 大丈夫だ。僕には、才能がある。

 折れない意志。それさえあれば、どんな苦難がこようと関係ない。真の才能がある絶対に大丈夫だ。


「あっ、はははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」


 楽しくて、楽しくて、僕は笑い続ける。ひたすらに、狂ったように。なにも与えられなかった僕が、この先、この学園で、なにを残すことができるのか。あるいは、なにも残せないまま終わるのか。

 想像するだけ楽しくて、ひたすら、ひたすらに、僕は笑い続けていた。

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冒険者学園に、“強くなりたい”と叫んだ男女が二人 maesonn @maesonn

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