第十五話:決着


 気絶して地に伏せたヴェラさんを、息を切らせながら見つめていた。ややあって、周囲を覆っていた透明の膜が消えていく。石像が、僕を勝者と判断したらしい。身体が軽くなっていくのを感じる。怪我は全て元通りだ。〈|決闘空間〉、つくづくと感じるが恐ろしい代物である。


「……立てますか? ヴェラさん」


 地面に倒れたままでいるヴェラさんへ問いながら、身をかがめて手を伸ばした。少し間を置いたものの、彼女は顔を上げて手を取ってくれた。


「ありが、とう……」


 そして、ゆっくりと立ち上がる。無表情であった。比較的感情豊かである彼女のそんな顔を、僕は初めて見た。


「良い戦いでした。本当に、素晴らしい経験をさせてもらいました。ありがとうございます」


「…………」


「ヴェラさん?」


「あの、ヴェラさん?」


「――ゔっ、ゔああああああああああああん!!!!」


 無表情から一転、急に顔面をくしゃくしゃにして、ヴェラさんが大声で泣き始める。


「わああああああああああああっっっ!!」


 涙声のハンマーが僕の耳を叩く。握っていた手を離し、顔を覆いながら彼女は泣きじゃくった。真紅の瞳から大粒の涙が流れ、頬を濡らしている。どよめきが聞こえた。見物に来ていた人達がとまどっているのだろう。ヴェラ=ウルフェードの敗北と、その姿に。

 だが、僕はとまどい以上に、共感が胸中を占めていた。

 悔しいよな、負けると。

 自分の価値自体が、音を立てて崩れるような、そんな気持ちが胸を締めつけるんだ。それは、本当に辛い。


「ひっぐ……こんなに、こんなにも悔しいなんて……何よりも、自分に腹立たしくて、もう、ボクはっ!! 君にもっ、こんなっ、醜い姿をっ!!」

「醜くなんて、ない。あなたは、どんな時だって美しい」

 嘘じゃない。悔しさで泣き続ける姿だって、ヴェラさんは本当に美しい。全力で戦い抜いて、自らの力が足りなかったと自戒するその姿勢に、卑しさなんて一片たりともありはしない。

 何なら、今の姿に、僕は彼女の新しい魅力を感じたくらいだ。華がある普段の立ち振る舞いとは違う、弱さと必死に向き合おうとするありさまの中に、不可侵の高貴が見えた気がするのだ。

 やはりヴェラ=ウルフェードという女性は、美しい。

 そして、そんなヴェラさんのことを、僕は。

「その、ヴェラさん……こんな時に言うことじゃないのかもしれないのですが、僕は」

「聞きたくない」

 強引に、彼女は言葉を割り込ませた。

「嫌だ、駄目。そこから先は言わないで」

「いや、でもですね……」

「とにかく駄目、駄目と言ったら駄目」

「そんな馬鹿な」

 せっかく、自分の中でヴェラさんの対する想いを形にしたというのに。

 ロウガ=ジーンは、ヴェラ=ウルフェードのことが好きなんだって、自覚ができたというのに。

「それでも僕としては聞いてほしいんですけど……」

「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!」

「何でそうなるんですか? というか、何を言いたいの分かるですか?」

「今の状態で、君の言葉を素直に受け取れる気がしないんだよ!!」

 泣き晴らした目を、精一杯に尖らせて彼女は叫んだ。

「ああ、もう、心がぐちゃぐちゃ! こんな姿、やっぱり駄目!」

 ヴェラさんが、急激に背を向けた。あまりにも勢いがありすぎて、竜巻が巻き起こるんじゃないかと思ったほどだ。

 で、背を向けた途端、全速力で駆け出していった。

「えっ!? ちょっ!?」

「しばらく、ボクのことは探さないで、見ないで、さよなら!!」

 その背中を追いかけることもできなかった。疾風のように走り去り、眼前から彼女の姿が消えていく。一人、ぽつんと取り残されてしまった。

「どうしてこうなるんだよ、もう……」

 ままならないな、髪をかきながら苦笑する。ぐいぐいとこちらを押してくると思えば、押し返そうとした途端に脱兎のごとくだ。高貴な猫ほど気まぐれだと聞くが、ヴェラさんはまさにそれなのだろう。

「見事に振られたな」

 いつの間にやらサヌルボゥが背後にいた。振り返ると、鷲鼻を指でこすりながらにまついている。

「振られてねぇやい」

「かかか、まぁ、女心なんて、秋の空のごとく移ろいやすいもんだ、気にすんなや」

「だから振られてねぇって言ってんだろう

「そんなことよりももだ」

「そんなことってなぁ……」

「周り、見てみろよ」

 色々と言いたいことを内心に抑えつつ、促されるままに周囲へと目を回した。

 そこでようやく、とんでもない人だかりができていたことに気づいた。血闘を始めた時よりも明らかに見物客が多くなっている。男子生徒、女性生徒、教師……全員、沈黙していた。何も喋らず、ただ、視線だけをこちらに向けていた。血闘開始前にあった侮蔑の意はそこになく、驚愕か、あるいは困惑からか、口を半開きにして僕を見つめたままたたずんでいるだけだった。

 サヌルボゥが、肘で脇腹をこづいてきた。

 何かを言ってやれってことだろうか。

(いや、何を言ってやればいいんだよ)

 正直、こいつらに興味なんてまるでない。何なら、全員無視してヴェラさんを追いかけたいくらいだ。

 再度、視線を回す。餌を待つアヒルのように、僕を見ている全員が、口を開けながら何かを待っていた。

 何を期待してるというのか。今の今まで、僕になどまるで注視しなかったというのに。

 いや、だからこそか……才能などまるでない僕が、才能あふれるヴェラさんを倒した。その事実を目の当たりにして、自らの価値観に揺らぎが生じているのだろう。この血闘を震源地として、ここにいる全員の心が揺れてしまったのだ。

 そんな奴らに、言ってやることか。

 僕は、右の拳を前に突き出した。

「僕の勝ちだ」

 短く、静謐に、されど揚々と宣言した。

 ……パチ。

 ……パチパチ。

 パチパチパチ。

 パチパチパチパチパチパチパチパチ!!

 パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ!!

「おお、すげぇな」

 サヌルボゥが感嘆のつぶやきをもらす。最初はおずおずと鳴り始めた拍手は、徐々に大音量の火花となって鼓膜に響いてきた。

 身体が熱くなっているのに、気づく。

 思ってた以上に、僕という男の強さが、この学園に刻みつけられたらしい。脳内麻薬が分泌されているのを自覚した。多幸感が空気にまとわりついて全身を包んでいく。

 これこそが、勝利か。

「ああ、やっぱりお前と友人になっていて正解だった」

「役に立てたようで何より」

「役に立つなんてもんじゃねぇな。これから先はお前さんの価値はうなぎのぼりだ。間違いなく、この学園の全てがロウガ=ジーンという男を放っておかないぜ」

「はは、面白いことになりそうだよ」

 心が踊る。この戦いを転機として、ここより先の学園生活は、大きく変わっていくのだろう。僕も、サヌルボゥも、それを確信している。

「ロウガ……勝ってくれよ。そして、どんどん価値を高めてくれ。血闘にも積極的に挑んでくれ」

「もちろん。誰の挑戦だって受けるし、誰にだって挑戦するつもりさ」

「冒険者学園だからな迷宮探索だってあるぜ。魔物とも戦うことになる」

「魔物相手にだって負けはしないさ」

「最高だな。友誼を結んだ甲斐があったってもんだぜ」

 サヌルボゥが両の手を合わせて揉みこんだ。ゴツゴツした手のひらが、奇っ怪な動きでぐにぐにしている。先々の混沌を暗示しているかのようだ。

「その心意気でもって勝ち続けてくれ。いくらでも協力するさ。いずれは、お前の欲しいもの何でも、俺が用意してやるぜ」

「何でも?」

「たとえば……探し人とかな」

 握っていた両手をパッと開いて、サヌルボゥが言った。思わず目を丸くする。そして、彼のにやけ面を睨めつけた。

「……知っているのか?」

「誰が、何をだ?」

「ふざけ……!」

 落ち着け。心に冷水を浴びせる。これも一つの戦いだ。

「ロウガ=ジーンが、誰かを探していることを、だ」

 わざとらしく一文字ずつ区切って言ってやった。

「知ってるよ」

「何で知ってる?」

「そりゃあ、身辺調査くらいはするもんだろ。お前に賭けると決めたんだからな」

「それなら……」

「おっと、それ以上は企業秘密だ」

 サヌルボゥの口角がつり上がった。

「教えてほしければ、もっともっと強くなって、価値を高めてくれ」

「教えてくれなければ、以降一切の関係を断つと言ったら?」

「それならそれで構わないぜ。自分一人でお師匠さんを探せばいい」

 サヌルボゥが顎をさする。『お師匠さん』と発言したあたり、こっちの事情をそれなりに知っているとのことだ。全く、ある意味ヴェラさんよりも恐い男だ。いつの間にやら手のひらで転がされているじゃないか。

「分かった。君が僕に全てを与えたくなるくらい、強くなってなりまくってやるさ」

「期待してるぜ……本気でな」

 サヌルボゥが歯を剥きだして笑う。何というか、この男はいつだって楽しそうだ。人生の楽しみ方を人より多く知っているのだろう。羨ましいよなぁ。

「あ、あの……」

 そんなことをつらつら思っていると、控えめな声がおっかなびっくり割りこんできた。声の主に視線を配る。眼鏡をかけた、おとなしそうな女子生徒だった。

「何でしょうか?」

「その、私、この学園の新聞部でして……」

「新聞部?」

「倶楽部活動の一つだよ」

 サヌルボゥが補足する。ああ、そんなものもあったか、興味がなさすぎて忘れていた。

「それで、新聞部さんが僕に何の用ですか?」

「その……ヴェラ=ウルフェードさんに勝利したあなたに、ぜひ、インタビューをしてみたいなと……」

 引っこみ思案なのだろうか、態度が大人しい。ヴェラさんとはえらい違いだ。

 しかし、インタビューか……面倒だな。面倒以上に、忌避感もある。自分の情報が拡散されるのはあまり好ましくないが。

「受けた方がいいぜ」

 僕の逡巡を見透かしたかのように、サヌルボゥが提言する。

「これもまた価値を高めるために必要なことなのさ。お前の強さを、一人でも多くの人に知ってもらうことはな」

「そういうものなのかい?」

「騙されたと思って、やってみな」

「まぁ、そういうのは、商人の君が得意そうだしね」

「そーそー」

 気のない返事をしながら、サヌルボゥが側から離れる。

「ひとまず俺は退散するわ。お疲れさん」

「分かった」

「ああ、それとな」

 サヌルボゥの拳が、僕の腹を軽く押した。じんわりとした熱波が、胃に届いた気がした。

「最高の戦いだったよ、ロウガ」

 何ともあっさりとした賞賛だ。けど、心の奥からじんわりと歓喜が滲む。そうか、僕はこの男のことが結構好きなんだな。こんな簡単な褒め言葉で嬉しくなっちゃってんだから。

 そのまま、サヌルボゥは去っていった。その背中をあえて追わず。改めて新聞部の女生徒に向きなおる。

「じゃぁ、さっそく、そのインタビューというのをやりましょうか」

「あっ、はい! では、まず……今回の血闘における勝因は何でしょうか?」

 メモを片手に質問を投げる新聞部さん。勝因は何だと聞かれたら答えは一つだ。

「あきらめなかったことです」

 それしかない。折れない意志こそ、真の才能。それを証明してやっただけだ。


 ロウガ=ジーンはヴェラ=ウルフェードに勝った。この事実は、僕が想像した以上に衝撃を与えたらしい。

『ロウガ君、すごいねぇ! 色々と話を聞かさてもらっていいかな?』

『いやー、本当は最初から君に注目してたんだよね!』

『ねぇねぇ! ロウガ君って一般コース合格したんでしょ!? どんな試験だったの?』

 あの血闘に勝ってからというもの、こんな風にして僕に近づいてくる奴、多数。鮮やかすぎる手のひら返しに失笑を抑えるのが大変だった。新聞部さんの影響もあるのだろうか。出来上がった記事を実際に読んでみたが、読み物として結構面白かったのを覚えている。

 なお、手のひら返しがあったのは生徒からだけではない、教師からもだ。今まではどことなく腫れ物を扱うような態度だったのが一変、丁重な扱いを受けることが多くなった。どうやら、僕も金の卵の仲間入りをしたらしい。血闘の結果も成績に加点されるであろうから、通知表を受け取るのが楽しみだ。

 もっとも、全員が僕のことを認めたのかというと、そんなことはなかった。

『あんな卑怯な手段で勝ったお前を認めない』

『そこまでして勝ちたかったのかよ』

『小手先に頼った強さなんて、本物じゃない』

 こんな陰口を叩かれることも珍しくはなかったのである。中には、面と向かってあらん限りの批判をぶつけた人もいた。

 個人的には、こっちの方が好みだ。変におもねってくる人物よりも、敵意を浴びせてくる人物の方が、覇気を感じられる。いずれ、血闘で戦ってみたいと思えてくるのだ。

 何となく、僕がシンドヴァルト冒険者学園に入学できた理由も分かった気がした。この学園は、優秀な冒険者を多く排出してるという。では、具体的にどんなところが優秀かというと、生存率であるとのことだ。とにもかくにも、ここを卒業していった冒険者達は迷宮から生きて帰ってこれる確率が高いという。なるほど、それは本当に素晴らしいことだろう。シンドヴァルト冒険者学園が、金の卵達を大切に丁寧に扱い、絶対に傷物にしない、させないような教育を徹底してきたからだろう。それは疑うべくもない功績だ。

 だが、それらを徹底してきた弊害も、目立つようになったのではないか。少なくとも僕はそう考えている。というのも、ここの生徒達に闘争心がなくなっているからだ。危険にはなるべく近づかず。傷つくことを恐れ。負けることを避ける。そんなことを第一に考える思考が、脳に刷りこまれているような印象を受けるのだ。

 間違いじゃない、それは確実だ。負けて失うものは多い、なるべく避けたいものであることは僕も心底理解している。

 けど、それでは、強くなれない。

 僕がティグルさんから教わった真の才能たる、折れない意志。それを見出すことが難しい。そうとしか思えない。

 だからこそ、この学園は僕を入れたのだ。いかなる手を使ってでも勝つという、野蛮なまでの闘争心を宿す存在を交えることによって、今までのあり方を変化させようと試みようとしたのではないだろうか。そして、その変化がちょうど見えてきたという段階だ。

 面白い。純粋にそう思う。入学式の際、思わず鼻白んでしまった【切磋琢磨】というモットーも、今ならばすんなりと受け入れることができる。シンドヴァルト冒険者学園という場所がどんどんと好きになっていく。

 なのだが……目下、一つだけ気がかりなことがあるのだ。

「うーむ……」

 腕を組んで口をへの字に曲げながら、ちょうど昼休みに入った教室の中を、すみずみまで見渡してみた。

「いない」

 落胆を隠さず僕はつぶやく。教室に探し人の影が見えなかったのだ。

 探しているのは、ヴェラさんだ。

 あの血闘から三日が過ぎた。「探さないで、見ないで」と懇願されたが、やはり気になって探して見つけようとしてしまう。一応、授業に出席はしているし、全く姿を見せないわけではなかった。

 ただ、僕との接触を極端に拒んでいるのだ。

「嫌われたかなぁ……」

 言っておきながら、心が沈んでしまう。やっぱり、あの人のことを結構好きになっているようだ。今ならば、この気持ちが恋愛感情であると誰に対しても宣言できる。なので、嫌われたのならばかなりショックだ。

(いや、きっとそれだけじゃない)

 拳を握り、改めて心中を見つめなおす。きっと、僕は恐れているのだ。彼女の心が折れてしまっていることを。

 あの血闘は僕が勝った。逆に言えば、ヴェラさんは負けたのだ。過去のことを察するに、敗北の経験は初めてではないだろうか。戦いの直後に見せた涙を思い出す。燃え上がる炎のような瞳から流れた悲涙は、自信にあふれた彼女からはあまりにも縁遠いものだった。

 あのヴェラさんが、挫折したままで終わる。正直、それは考えられない。彼女は誰よりも強いのだ。そう思いたい。腑抜けになって全てから逃げ出すような、そんなヴェラ=ウルフェードは見たくない。

 強くなりたい、そう言ったじゃないか。だったら、僕から逃げる必要なんてないじゃないか。

 そんな、ある種わがままと断じてよい気持ちが僕の脳内をぐるぐるとかき混ぜている。あまりよくない、と己が襟を正そうとしても、感情というものは制御が効かないものであるようだ。特に、恋愛感情ならば。

「ヴェラなら、体育館裏に行ったよ」

 僕の内心を見透かしたようなセリフが、いきなり背後から飛んできた。急ぎ身体を回転させる。ユウノ=ジュンナーが、やや呆れたような顔つきでたたずんでいた。

「明らかに上の空で、間抜けだった。ヴェラと戦い、勝利した者とは思えないな」

「そこは、本気で反省します」

 彼の発言通り、間抜けだ。もしこれが戦いなら、それこそ血闘であるならば、絶対に負けていた。気を引きしめなければ。

「再度言うが、ヴェラなら体育館裏に行ったよ。考え事をしてるんだろうな。彼女が一人でいる時は大抵そうなんだ」

「はぁ」

「はぁ、じゃない。早くヴェラに会ってくれ。そろそろ考えもまとまっているだろうし、ちょうどよいタイミングさ」

 両手を腰に当てながらユウノが唆す。ずいぶんとおせっかいだが、はて、こんな男だっただろうか。何とも親しみやすい。

「……何だ? 私の顔なんかまじまじ見ててもしょうがないだろうが」

「いや、その、何でその情報を、僕に?」

「それこそ何で? だろう。君が行ってくれた方がヴェラは喜ぶからさ」

 うんうんとユウノが深く頷く。自分の発言に嘘偽りなどなく、それが世界の真実であると主張しているかのように。いやいや待ってくれ、僕の好感度は、こんなにも高いものだったか? 蛇蝎のごとく嫌われてるものだと思っていたのだが?

「……この前の血闘、心が震えたんだ」

 ユウノが噛みしめるようにつぶやいた。僕の内心を察して、答えを返すかのように。

「卑怯、姑息……口のさがない者は、君をそのように評価している。間違いではない。だが、君以外の人物が、君と同じように戦ったとして、ヴェラに勝てただろうか? 間違いなく私には無理だ。そこへ考えが至った時、かつて聞いた言葉を全部飲みこむことができたのだ――私は、小物だった」

 ユウノが目を伏せる。それは、自分に言い聞かせるための戒めのようであった。『かつて聞いた言葉』とは、以前、彼とぶつかりあった時に浴びせた僕の罵倒の数々であることは明白だ。

「あんなにも必死になって戦ったヴェラの姿、初めて見たんだ。あの時の彼女は、きっと誰よりも満たされていた。見物していただけの私にもそれが分かってしまったんだ。腹立たしかったよ……彼女が何を求めていたのか、そんな大事なことすら考えもせずに、君に一方的な怒りをぶつけるなんて……小物以外の何物でもない」

 涼やかな甘いマスクをじょじょに紅潮させて、ユウノが想いの丈を一気に吐き出す。そして、勢いよく頭を下げた。

「申し訳なかった! 先日、私がしでかした全ての非礼をここで謝罪させてほしい! ヴェラに相応しいのは……私なんかじゃない、君だ!」

 真摯な謝罪が、五臓六腑に染みわたる。温かい感情が、心臓から全身へと巡った。

 頭を下げる、一見簡単に見えるこの行動が、はたしてどれだけ難しいか。葛藤があったに違いない。それでも、僕への謝罪を、彼は選んでくれたのだ。

 こっちが謝りたい気分だ。この学園に来た時、僕はここにいる生徒のでほとんどを見下していた。ぬくぬくと育てられた軟弱者達に、負ける気はしないと意気込んでいた。今、それを改めよう。目の前にいるユウノ=ジュンナーのように、己の弱さを恥じて謝罪ができるような人が、軟弱であるはずがない。

 むしろ、これから、強敵としてぶつかっていくはずだ。

「気にしないでください。あの日は、僕も言い過ぎました。申し訳なかったです」

「そう言ってもらえると、ありがたい限りだ」

「それと、一つお願いしていいですか?」

「何だろうか?」

「えと、友達になっていただけませんか?」

 気恥ずかしくて、目を逸らしながら髪の毛をかきむしってしまった。はてさて、友人がいなくても構わないとイキっていたのは、どこのどいつだったっけ? けど仕方ない、ぜひとも、ユウノ=ジュンナーという男とこれからも接していたいのだから。

「こんな小物な私でよければ、喜んで」

「はは、意地悪だなぁ、もう……僕、友達少ないんで嬉しいです」

「君ならば、いずれ多くの友人に囲まれるだろうさ」

 握手を交わして、互いに微笑む。ユウノの手は滑らかで優美なものだった。優美ながら、指にまとわりつく鍛えられた肉が、ただ美しいだけで終わらせない強かさを主張していた。

「……さぁ、もう行った方がいい。ヴェラが待ってる」

「待ってる……んですかね?」

「当たり前だろう」

 ユウノが力強く言い放つ。理屈もないのに、それが絶対の真理であるかのごとく。繊細なイメージを勝手に抱いていたのだが、それだけじゃないらしい。

「それなら、行きますね」

「うん、頼んだよ。ああ、それはそれとしてだ」

「はい?」

「ヴェラのこと、諦めたわけではないからな」

 叩きつけられるユウノからの挑戦状に、犬歯を剥きだしにして笑った。

「楽しみにしてますね」

「楽しみにしててくれ」

 何を、とは言わなかった。そんなこと、もうお互いに分かりきっているだろうと疑わなかったから。

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