第十四話:そして血闘へ


「ヴェラさん、早速、始めませんか?」


「もちろん、構わないよ」


 朝、教室に入って早速、僕はヴェラさんに提案する。一もニもなく彼女は了承してくれた。

 教室にいる全生徒から視線を集める。もう慣れた。ただ、視線の中身は以前受けたものと違う気がした。明らかに侮蔑が入っている。お前が勝てるはずないだろう、的なね。それがないのは、サヌルボゥだけだった。

 はん、今に見てろよ。心でつばを吐いてから、意識をヴェラさんへ集中させる。


「あと、提案なんですが……今回、試合場フィールドはランダムで選びません」


 そう言って、懐からダイスを取り出す。先日サヌルボゥからもらったやつだ。


「こいつの出た目で、試合場を決めましょう。一とニが〈闘技場とうぎじょう〉、三と四で〈森林しんりん〉、五と六で〈岩場いわば〉って感じです」


「面白いアイデアだね、のったよ」


「ヴェラさんならそう言ってくれると思ってましたよ」


「ふふ、君の申し出を断るわけないじゃあないか」


 いやはや、本当に好かれているものだ。


「念のため聞きますが、いいんですか?」


「構わない。どこで戦おうとボクの戦い方に変わりはないからね」


 まぁ、そういうことだろうとは思った。ぶっちゃけ、試合場フィールドが変わった程度のことで、彼女の自信は揺らぐはずがないのだ。


「それならば遠慮なく」


 短くつぶやいて、近くにあった机の上に僕はダイスを転がした。

 出た目は、五。


「〈岩場いわば〉に決定ですね」


「そうみたいだね。じゃあ……すぐに向かおう!」


「楽しそうですねぇ」


「楽しいよ! 君は?」


「そりゃもちろん、楽しいですよ」


 あなたが楽しそうにしてるから、ね。こっちまでテンションが上がるじゃないか。


「絶対に勝つ」


「絶対に負けない」


 見つめあい、静かに気迫を交わらせる。心に秘めた願いは同じ。勝ちたい、それだけ。紅蓮の炎を思わせるヴェラさんの瞳から、全てを焦がすような業火が見えた。


「行こう」


「ええ」


 そうして、僕達二人は戦いの場所へ向かう。ヴェラさんは終始ご機嫌だ。そして、機嫌が良い以上に、闘争心に溢れている。彼女の赤い髪が、闘気をまとって揺れているように見えた。

 かく言う自分も、心が沸き立っている。全身が沸騰しそうだ。

 興奮、恐れ、熱意、怯え、闘志……ありとあらゆる感情がないまぜになる。それを全て、脳の奥にまとめて、冷やす。

 戦いは冷静に、熱くなりすぎず。

 ティグルさんから教わったことだ。


(勝ちますよ、俺は、絶対に)


 今はどこにいるかも分からない師を思い浮かべながら誓う。ヴェラさんの背を見つめながら。

 血闘デュエルが、戦いが始まる。


 改めて、戦いの場所として選ばれた岩場いわばの試合場を一瞥する。

 地面は砂利で覆われた乾いた土でできており、ふとした弾みで容易に砂塵が舞う。その他の特徴としてやはり岩山だ。大小様々なサイズのものがあり、全体の見通しが悪い。それはすなわち、相手から身を隠す場所が多いということである。サヌルボゥ曰く人気がないとのことだが、それも納得はする。単純に戦いづらい。


「まぁ、僕としては好みだけどね」


 なんにも障害物がなかった闘技場よりは、正面でのぶつかりあいになりにくいからね。特に飛び道具、ヴェラさんの〈火球ファイアボール〉に対し、岩山を盾に防ぐことが可能なのは大きい。


「ああ、かっこいいなぁ……」


「いきなりなんですか?」


「君の瞳、今、すごくかっこよかった」


 以前と同じ、鉄の胸当てプレートメイル篭手ガントレットを装備したヴェラさんが、こっちをまっすぐに見つめてくる。開始前というのに、たたずまいが気迫に満ちていた。大きくて美しい肢体、それ自体がまるで鉄製の全身鎧フルアーマーのようだ。立ち姿が強固なのは、間違いなく強者の証だ。

 相対する僕には、とても真似できない。だがまぁ、これでいい。僕には僕の、弱者には弱者の戦い方がある。鉄製の棒と革製の胸当てプレートメイルの感触をたしかめながら、軽くストレッチをした。そんな僕の様子に、熱のこもった視線を向けながら、ヴェラさんが続ける。


「お父様に連れられて、狩猟しゅりょうに行ったことがあるんだ。一番狩るのに苦労したのは、一匹の飢えた狼だった。よく覚えてるよ、彼の瞳を。今の君とおんなじだ」


「褒めてるんですか? それ」


「最高級の賛辞さ。他の誰にもあげたことなどない」


 そんなものか、いや、そんなものなのだろうな。

 すでに相当な人数となった観客に目を走らせながら、僕は苦笑した。ヴェラさんに挑む気概はないくせに、彼女の戦いは見たいのか。気の抜けた瞳だ。


「まぁ、それなら素直に受け取っておきますね」


「どうぞ、そうしてくださいな」


 なんてやり取りしてるうちに、石像ガーゴイルの目が光って、〈決闘空間デュエルフィールド〉が展開された。これで、どんなに傷ついても大丈夫だ。だからこそ熾烈な争いができる。遠慮はいらない。

 そして、これが展開されたということは、戦いがいつでも始められる、ということでもある。


「じゃ、ぼちぼち。やりましょうか」


「そうだね」


 ――なんて、言ってる途端に火炎かえんたまが飛んできた。

 即座に、バックステップで躱し、距離を離す。


「さすがだ、君に油断はないか」


「そりゃまぁ、自分からやりましょうか、なんて言ったんですから」

 

 近くにあった岩山に身を隠す。僕の背丈くらいあるそれが、すっぽりと身体を隠してくれた。


「格闘技の大会と違って、試合開始のゴングなんてない……だったらいつ戦いが始まってもおかしくないんで」


「そう! その通りだよ!」


 絶賛がこもった同意と一緒に、〈火球ファイアボール〉の連打が真っ直ぐに浴びせられる。相変わらずとんでもない威力だ。岩山を盾にしていても、安心できそうにない。

 ふと、違和感が背中を走った。

 即座に横へ飛ぶ。

 ボンっと、恐ろしい音がした。僕がさっきまでいた場所に。


「曲射もできるよな! そりゃ」


 そう、ヴェラさんほどの人が、馬鹿正直に真正面へ〈火球ファイアボール〉を投げるだけにするか? そんなわけがない。それらはフェイクで本命はこっち。放物軌道で岩山を越えて狙うくらい、当たり前に可能ってわけだ。


「〈火球ファイアボール|〉、〈火球ファイアボール〉、〈火球ファイアボール〉」


 詠唱が三連でつむがれる。どれもが正確に僕を狙っていた。視認性が悪い場所のはずなのに、なんでこうも精密に狙ってこれるんだか。避けるのに全神経を使わなければ、すぐさま決着がついてしまう。


「どうしたの? 逃げるだけじゃ勝てないよ!?」


「さて! 本当に逃げてるだけですかねぇ!!」


 ヴェラさんの挑発に、威勢をもって返す。虚勢なのは否めない。


「でもすごいよ! 逃げ方が上手い!」


「だから褒めてるんですかねぇ!」


 会話の応酬、その間にも、〈火球ファイアボール〉の乱れ撃ちを必死に躱す。決して距離は詰めず、岩山を使い射線を切りながら。

 とにかく、アウトレンジを意識する。距離が近くなれば近くなるほど、命中率が高くなるからだ。相手の攻撃が当たる確率をとにかく減らすことを意識する。こっちも近づかないとまともな攻撃はできないが、それを承知の上で……。


「なるほどね」


 なにかを納得したのか、ヴェラさんがうなずいたのが見えた。


「君の強さは精神力だったよ」


 低く、短く唸って、彼女が一歩前へ踏み出す。


「避けて、避けて、避けて、ボクの隙をうかがい、倒す。それが狙いだろう? ボクの心に空白ができるチャンスをものにしたいんだ」


 〈火球ファイアボール〉、〈火球ファイアボール〉、〈火球ファイアボール〉。

 魔術の詠唱は緩めず、じりじりと、彼女が前進。こちらの距離を少しずつ詰めてきた。


「残念だが、そうはいかないよ」


 〈火球ファイアボール〉の雨を、弾丸を、僕に放ち続けながら、彼女はゆっくりと前へ進む。それを、なんとか必死に回避する、回避しつづける。


「さすがだよなぁ!」


 まぁ、それくらいの思考には彼女なら至るだろうな。ここで、下手に距離を詰めないのはさすがだ。そのタイミングに合わせてこっちも近づくことができるのを、彼女は理解しているのだ。

 だからこそ、ゆっくりと、着実に詰める。

 そうすれば、やがて〈決闘空間デュエルフィールド〉の壁にぶち当たり、僕はアウトレンジを維持できなくなるということだ。


「はは、ばれましたか……」


 強がりもでてこない。

 こっちの浅知恵なんてお見通しだ。全く本当に、嫌になる。


「じっくりと、丁寧に、狩猟をするかのように戦うさ」


 徐々に、壁際へ追いつめられていく。このままでは、完全に向こうのペースだ。さりとて、強引に近づこうとすれば相手の思う壺。下手に近づくと〈火球ファイアボール〉が正確無比な狙いで飛んできて、身を焦がすだけだ。

 さて、どうするか?

 このままでは、駄目だが……。


「さぁ、どうするんだい? まさかこれで終わりじゃないよね?」


「さぁ、どうしでしょう?」


「本当にこれで終わりなら、今回もボクの勝ちだ。このまま、ゆっくりと君に近づいて……」


「――そこ、危ないですよ?」


 僕の言葉に、一瞬、ヴェラさんが呆けた顔を作る。


「え?」


 そして、彼女の体勢が、ガクッと、大きく崩れた。

 一瞬、されど、大きな隙が生まれた。

 すぐさま、僕は、地面を蹴った。今、この瞬間、距離を――詰める!


△△△


 ボクの身に何が起こったのか、分からなかった。分からないまま、体勢が崩れた。


「なにがっ!?」


 驚愕のまま、下を見る。ボクの右足が、穴に突っこんでいた。バケツ一杯分くらいの、大きさと深さの穴だ。


(落とし穴っ!?)


 どうして、なぜ、こんなものが? 思考を高速回転させる。岩場にこんなものがあるなんて、聞いたことはない。経験したことも。

 だとしたら、これを掘って、仕込んだ者がいるということ。

 誰なのか、ロウガ君か、それ以外にいない。

 けど、血闘デュエルが始まる前にこんなものを作ってる様子は一切なかった。ならば、いつ?


『今回、試合場はランダムにしません?』


 ああ、そういうことか。全て合点がいった。

 落とし穴を仕込んだのは、血闘デュエルが始まる前、多分、今日の朝早くからだろう。

 ランダムというのは、嘘。あのダイス、イカサマだったんだ。そういうものがあると聞いたことがある。ランダムのように見せることで、ボクの油断を誘ったんだ。

 そして、まんまと、嵌められたわけだ。


「くっ!?」


 とにかく体勢を立て直さなければ、そう思った時にはもうロウガ君が一直線に突進してきた。集中が切れた、呪文の詠唱が間に合わない。


「これ、プレゼントです」


 せめて、接近戦の構えを、なんてまごついてる間に、彼の懐から何かが飛んできた、それも複数。小さな紙袋だ。反射的に防御するが、その内の一つを防ぎきれず、顔面へと直撃してしまう。

 袋が破裂した。顔が、視界が、白い粉で覆われる。それが、口の中へ入ってしまった。舌で感触を確かめる。

 これは……小麦粉?


「まずい!!??」


 焦りが抑えられなかった。

 小麦粉は、喉が渇くんだ。

 ボクは炎属性の魔素エレメンツを多く保有している。その天稟の代償からか、身体に熱を帯びやすく、人よりも水分の代謝が激しい。つまり、人より喉が渇く。そこに、小麦粉。口内がカラカラになってしまう。


(知ってたのか!? 彼は、これを!?)


 実際、以前、彼からレモネード水をもらったことがある。デートの日だ。その時にはもう、彼はこのことに目星がついていたんだ。


「くそっ!」


 自らの蒙昧さに恥入りながら、ポケットに常備してある手のひらサイズの革袋を急いで取り出す。これには水が入っていた。緊急用に常備しているものだ。これで水分を補強しつつ、口腔内を洗えば……。


「させるかっ!」


 ロウガ君の気迫とともに、ナイフが一閃、鋭利な直線起動で飛んできた。袋を切り裂く。切り口から水がこぼれ腕を濡らした。


「なっ!?」


「そりゃまぁ、持ってるよねぇ! 水くらい!」


 そこまで読まれていたのか。というか、隠し持っていたのか、ナイフを。暗器だ。投げナイフの技術にも明るいとは。今の今まで、飛び道具が使えることを隠していただなんて。


(なんで、こんなっ!?)


 落ち着け、と自らを律しようとするも、上手くいかない。こんな経験、始めてだった。何てことだ。自分にこんな弱さがあっただなんて、思ってもみなかった。


『ヴェラさん、あなたのことは理解しました。勝ちます、いや、勝てます。勝たなければならない』


 あの日のデート、ロウガ君との再戦を誓った時、そう言われた。もうその時には、こうなることを見透かされていたのだろうか。

 自らの力を過信し、相手がどんな手を使ってくるのかに考えを巡らせず、真正面から全て叩き潰せばそれですむと思っていた。浅はかで、傲慢。それを彼は見抜いていたのか。


「ようやく……ようやく、ここまで来れたぞ」


 そして、こんなにも分かりやすい隙を、見過ごしてくれるはずもない。いつの間にか、ショートレンジの間合いへ、近づかれていた。


「じゃっ!」


 鉄の棒による突きが襲いかかる、正確に、喉を狙って。まずは喉を潰して、魔術の詠唱を封じようという算段か。


「ふっ!」


 間一髪、左腕の篭手で防ぐ。事前にコリーと訓練していたのが生きた。すぐさま、右腕に力をこめる。反撃をしなければ。


「そこ、左足のとこ、落とし穴あるんで気をつけてくださいね」


 その言葉に、身体がこわばる。脳から発する危険信号が、全身に麻酔をかけた。


「嘘なんですけどね」


 いたずら小僧のような無邪気さで、さらりと言ってのけた。その時には、ボクの腹を鉄棒が深くえぐっていた。


「あっ!? がっ!?」


 白い火花が、頭の中で弾ける。すさまじい痛み。これは、肝臓を狙われたか。


「まだまだぁ!」


 痛みでまごついている間にも、ロウガ君は攻撃の手を緩めない。目、喉、腹、頭……およそ人体の急所と呼ばれるような場所を、的確に狙ってきている。


「ぐっ、こっ、のぉ!」


 なんとか、防ぎ、避ける。だが、このままではまずい。体勢を立て直したい。特に、喉を潤さなければ。時間をかければかけるほど、渇きが酷くなって思考能力が奪われてしまう。幸い、常備している水はまだある。強引にでも距離をとって……。


「ああ、耳寄りな情報、教えますね」


「な、なにかな!?」


「さっきのは嘘でしたけど……落とし穴、まだあるんで」


 くそがっ、なんて言葉に出さなかった自分を褒めてやりたかった。ロウガ君は、当然、喋っている間も攻撃の手を止めない。


「あ、もちろん、僕は全部場所覚えてます」


「さすがに嘘だろう?」


「どうでしょうね? 自分で言うのもあれですが、嘘は得意なんで」


 だろうね。さっきまで、追いつめられているかのように見せていたのも、嘘だったんだから。まんまと騙されたよ。


「はは、なんて汚い、汚い手口を使うんだよ! 君は!」


「勝つことにこだわるなら、これくらいは必要ですよ! 対応できない方が悪いんです!」


 ああ、その通りだよ。ぐうの音も出ない。全部、ボクのせいだ。


「こっ、のぉ!」


 なんとか、なんとか状況を打破せねば……。だが、ロウガ君の攻めは苛烈であり、とても付け入る隙がない。流れを、こちらに引き寄せることができない。


(ああ、駄目だ。喉が、渇いて……頭が)


 そうこうしていくうちに、どんどんと頭が回らなくなってくる。水が、水が飲みたい。


「っつ!? がぁ!?」


 いつの間にか、右大腿部みぎだいたいぶにナイフが刺さっていた。刺されたことによる痛みが、ボクの思考能力をさらに奪ってくる。どうやって刺されたのか、どんな攻撃を受けたのか、それすらも分からなくなってきた。


「らぁっ!」


 脳天を狙った振り下ろし。まずい、防がないと。これは致命傷になりうる。

 ゴン。

 頭蓋の中に、鉛が落ちた音がした。防ぎきれなかったんだ。

 まずい、まずい、意識が遠のく。

 このままでは、負ける。

 負ける? ボクが?

 嫌だ。

 負けたく、ない。


「エ、〈爆破エクスプロード〉!!」

 本能で、叫んだ。


△△△


「……は?」


 呆気にとられながら、僕の身体は宙を舞っていた。

 何故こうなったのか、理屈自体は分かる。炎属性魔術の〈爆破エクスプロード〉だ。指定した場所に大爆発を発生させる魔術が行使されたことにより、爆風でふっとばされてしまったのだ。

 理屈は分かる。だが、納得ができない。

 〈爆破エクスプロード〉は、たしか、かなり扱いが難しい魔術だったはずだ。それこそ、かなりの集中を必要とする魔術のはずなのだ。なんで詠唱できるんだ。魔術を唱える余裕なんて、一切与えなかったはずなのに。

 理屈を超えたというのか……魔術には集中が必要という理屈を。そんな馬鹿な。


「ぎっ!?」


 青白い雷光が瞳を走る。岩山に叩きつけられたようだ。背中から発した鈍痛が、全身を巡る。すべての神経が痛覚に支配されようとしていく。そして、地面に突っ伏すように倒れた。


「なっ、ろぉ!!」


 急いで立ち上がる。〈決闘空間デュエルフィールド〉はまだ解除されていない。ならば、まだ決着はついていない。僕は勝っていないし、負けてもいない。ヴェラさんもまだ戦えるはずだ。


「ああ、もう全身が痛い。こんな経験、ボク、初めて」


 ヴェラさんの声が耳朶に響いた。悲痛ながらも、妙に艶やかだ。目を向ける。彼女の姿はボロボロだ。全身は砂ぼこりでまみれていたし、赤色の髪はボサボサになってしまっている、よくよく見れば顔に小麦粉が残っており頬を白く染めていた。右の太腿には相変わらずナイフが突き刺さっており、そこから血が滲む。痛ましい姿なのに、強烈な色香を感じた。深紅の瞳から発する眼光が、僕の心を強烈に掴んで離さない。嫌になるくらい美しい人だ。


「水、やっと、飲めた」


 革袋を取り出し、そこから水を口へ落としていた。ああ、やっぱり一つだけじゃなかったのか。せっかく、策を練ったというのに、これで台無しだ。

 早朝から落とし穴を仕込んで、イカサマダイスを用意して、無理矢理地の利を作った。小麦粉を顔面にぶつけ水分を奪い、体力を消費させた。ナイフを隠し持っていたことも、今の今までずっと秘匿にしていた。虚実を交えて言葉を操り、相手を惑わした。これらの策はほぼ全て上手くいっていた。ヴェラさんは明らかに追いつめられていたし、僕も手応えを感じていた。もう少しで勝てると確信していた。

 もう少しだったのに……ヴェラさんは、僕ごときが用意した搦手を全て吹き飛ばすほど、規格外の人だったというのか。

 そんな人に、勝てるのか。


「るっ、あああああああああ!!」


 咆哮を放つ。勝てるのかじゃない。勝つんだよ。折れない意志こそ真の才能なんだろうが、それを信じて、ここまで来たんだろうが。あの人の、ティグルさんの言葉を嘘にするんじゃない。

 状況整理だ。棒は、爆風とともに吹き飛ばされて手放したようだ。残っているのは隠し持っていたナイフが一本だけ。身体の状態は? 肋骨が何本か折れてる。背中の痛みが取れてない。だが動く。完全の状態ではないが、戦える。

 懐からナイフを出して、右手に装備した。素手よりは絶対に効果的だ。これで喉を切れば、それで終わり。それだけを狙っていけばいい。

 相手の様子はどうだ? 水分補給は許してしまった。だが、無傷ではない。かなりギリギリのはずだ。事実、〈火球ファイアボール〉が飛んでこない。それすら詠唱できないほどに消耗してる証左だ。


「うおおおおおおおおおおおおお!!」


「うあああああああああああああ!!」


 地面を蹴る。ヴェラさんへ向かって一直線に駆けた。示し合わせたわけでもないのに、ほぼ同じタイミングで彼女もこちらへ全力疾走している。程なくして、接近戦の距離にまで互いが近づいた。


「しゃっ!」


 ヴェラさんの喉笛を狙って、ナイフを横に薙ぐ。


「はあっ!」


 右腕の篭手によって防がれた。すぐさま反撃がくる。顔面を狙った右ストレートだ。スウェーバックで躱す。

 切る。防ぐ。殴る。躱す。切る。防ぐ。殴る。躱す。

 一進一退の攻防。一度でもしくじったらそこで終わり。心臓が、焼きごてを当てられたかのように熱い。いつの間にか唇が乾いていた。こっちもこっちで、身体から水分が蒸発してしまっているようだ。動けなくなるのも時間の問題だろう。

 ああ、くそ。

 身体が動けなくなる前に、決着をつけなければならないのに……届かない。ここまでやったのに。打てる手を全て打って……それでもまだ足りないのか。

 嫌だ、負けたくない。

 ここまできて、負けたくない。

 どうすれば、どうすれば勝てる。

 僕は……俺は、勝ちたいんだ。


『お前に、奥義を教えたい』


 ああ、そうか。

 まだあるか、打てる手は。


△△△


 あの状況で、〈爆破エクスプロード〉の魔術を放てるとは思わなかった。結構集中力が必要な魔術だから、あんな土壇場で詠唱できるなんて考えてもいなかった。ここにきて、ブレイクスルーを果たしたんだ。ボクはもっと強くなれる。それが証明されたんだ。

 それも、ロウガ君のおかげだ。

 素敵、ああ、なんて素敵なんだ。

 今もほら、彼のナイフがボクの喉笛を狙ってる。一度でも通したら負け。全神経を極限まで尖らせて、必死に防ぎ、反撃をする。

 これだよ、これがやりたかったんだ。全身全霊の力でもってぶつかる戦い。これを越えた時、ボクはもっともっと強くなれるんだ。

 ああ、だからこそ。

 勝ちたい。

 君に勝ちたい。

 君をボクのものだけにしたい。

 ロウガ君の眼光は殺気の光を放ち、ボクに瞬きを許さない。シャープな野生が、彼の身体から削り出ている。皆、なんで彼のことに目をくれないんだろうか。こんなにも、かっこいいのに。ああ、でも、他人に渡すつもりはないけどね。


「がああっ!」

 

 獣のようなおたけびをあげながら、弧を描くようにボクは左フックを打つ。かがめて回避された。そのまま、ナイフを腰だめに構えてからタックル。右腕の篭手をナイフにかち合わせて防ぐ。その流れで組みつきを試みた。バックステップで離脱される。

 ああもう、届かない。届いたら、勝てるのに。

 魔術は使えるか? いや、厳しい、集中ができない。さっきの〈爆破エクスプロード〉はほとんどまぐれだ。感覚をつかめていない。二度も奇跡を起こせるなんて思っちゃいないし、思っちゃいけない。

 だからもう、殴り勝つしかない。幸い、相手の武器はナイフだけ。他に隠し持ってる様子はない。ボクなら、篭手で十分に相手取ることが可能だ。

 大丈夫、勝てる。


「ボクのものになってよ、ロウガ君」


「僕が負けたら、そうします」


 ああ、そうだ。勝てばいい。

 君が他の女に目移りしてしまうなんて、想像するだけで胸が張り裂けそうだ。一生、となりにいてほしい。

 こんなにも、誰かに勝ちたいと思ったのは初めてだ。新鮮な気持ちで、快い。ロウガ君はボクに新しい地平を見せてくれる。

 ボクは、ロウガ=ジーンが好きだ。大好きだ。

 だから、勝つ。

 刃の閃きが見えた。

 反射的に、手首で受ける。自分でも驚くほど、完璧に、力のベクトルを流し変えた。ナイフの柄がロウガ君の手から離れ、宙を舞う。

 ――来た。

 勝機を感じる。ここしかない。足、腰、背中、腕、余すところなく身体を連動させて、右のストレートを、相手の顔面へ。これで終わりだ。


「〈きつねあし〉」


 それが聞こえた瞬間、ロウガ君の姿が、視界から消えた。


「えっ?」


 そんな馬鹿な。彼の姿から一秒たりとも目を離さなかったのに、消えるなんて、そんなこと。

 パンッ。

 混乱の中、空気が破れる音がした。

 そう感じた時には、もう、膝から力が抜けていた。

 脳震盪だ。顎を叩かれて、脳を揺さぶられたんだ。


「あっ」


 駄目だ。立たないと、大丈夫、ボクならできる。まだ、負けてない。負けて。


「俺の、勝ちだ」


 勝利の宣言が耳朶を打つ。ロウガ君の声は、静かながら高らかだった。ああ、君、本来は『俺』なんだね。そう反応しようと思った時には、もう、視界がブラックアウトして何も見えなくなっていた。

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