第四球 声が聞こえる

「第三球 柊心晴」はこちらから。

https://kakuyomu.jp/works/16817139555266066744/episodes/16817139555993089936


*****


 ──ずっと。

 おそらく長期入院の患者なのだろうか。こんな私よりも大分幼い子が……可哀想に、と思ったがそんなことは本人が一番知っているはずなので努めて明るく振る舞うことにした。

「そうなんだ! でも、見ただけで私の良くないところがわかっちゃうなんて、みーちゃんはまるでお医者さんみたいだね」

「えへへ、みーちゃんすごい?」

「うん、とっても!」

 真夏に咲くヒマワリのように笑う彼女はとても可愛らしい。ぱたぱたとはためく白いカーテンが強い日差しを中和している。蝉時雨も遠く、この病室は穏やかで静かな時間がひたすらに流れ続けていた。しかし、こんな何もない空間では子供ならなおさら息が詰まることだろう。どうやら絶対安静というわけでもなさそうだし、病院内を歩き回って時おり私のような弱くて無害そうな人間に声をかけているのかもしれない。

 自室の清潔なベッドシーツに腰掛けながら、みーちゃんは柔らかい笑顔のまま言葉を続ける。

「でもね、みーちゃんは『声』を聞いてるだけなの。おねえさんは……ええと……」

「ああ、私、みどりっていうの、同じみーちゃんだね」

「……? ふーん、そうなんだあ、面白いね。じゃあ、みどりちゃんって呼ぶね!」

 なんだか腑に落ちないような表情のみーちゃん。私にはその疑問を浮かべた顔の意味がわからないまま、彼女はさらに不可解なことを告げるのだった。

「みどりちゃんは他の人より『声』が強く聞こえたからお話してみたいなって。ヒンケツって言葉も、その『声』が言ってることを聞いてみただけなんだよ?」

「声? 私が喋ってるこの声って、もしかしてうるさかった?」

「ううん、違うよ。『声』はね、お胸の奥から聞こえてくるんだよ」

 そう言って、みーちゃんは自身の胸に手を当てながらにっこり笑う。

 胸の奥──きっと心臓のことだろうか。

 およそ荒唐無稽な話だが、彼女はまだ幼い子供で日々つまらない病室で過ごしているのだ。少しでも興味を惹きたいみーちゃんの境遇を鑑みれば、多少のホラ話程度は可愛いものである。

 先生との診察で呼ばれるまで、まだ時間はあるだろう。お姉さんを気取りたい私はそのままみーちゃんの話に合わせることにした。


「凄いなあ。みーちゃんは不思議なことができるんだね、私には何も聞こえないもの」

「ふふふ、これって凄いのかなあ? でもね、みどりちゃんから聞こえる『声』はお喋りが好きなんだね。みーちゃんはよくわからないけど、色んなこと教えてくれてるよ!」

「やだなあ、私のこと全部みーちゃんに知られちゃうじゃん」

 冗談交じりに軽く恥ずかしがる私。

 しかし、子供というのは良くも悪くも遠慮が無い。彼女の話を肯定し続けて、空想が行き過ぎれば困るのは彼女自身なのだ。どこかのタイミングで話の流れをコントロールしなければ……と思いながら相槌を打っていた私だったが、ふいにみーちゃんの口から出た言葉に耳を疑うことになる。

「んーと、あとね、なんか変なことも言ってるよ? かがみ……みどりちゃんのおうちに鏡あるの? その廊下の壁の鏡を見ないと、みどりちゃんの半分が返せないんだって! なんか変なのー」

 サアッ──と背筋が冷たくなるのを感じた。幼い彼女の後ろ、カーテン越しに切り取られた深い青空、夏がどこか遠くなる。病室の静かさだけが妙にリアルだった。


 みーちゃんと色々会話をしたけれど、家の間取りについては何も話していない。それなのに、彼女は玄関から通じる廊下に鏡がかかっていることを言い当てたのだ。そして、もうひとつ不穏なことも……。

「え、私の半分……みーちゃん、それどういうこと、なのかな」

「うーんとね、よくわかんない! 鏡と、みどりちゃんの半分が入れ替わっちゃったんだって。──うん、うん、それでうまく混ざり合わなくて長いあいだ倒れてたって言ってる、みどりちゃんわかる?」

「あー……少しわかる、かも、たぶん?」

 笑顔が引きつる。

 全てみーちゃんの空想のことだと思っていたが、家族にも病院の先生にも隠していたことを言い当ててくる目の前の小さな存在がとてつもなく恐ろしく見えてきてしまう。確かにあの日、倒れた前後のことは覚えていないが鏡の向こうに何かを見たようなおぼろげな記憶はあるのだ。不思議なことに、みーちゃんはそれを知っている。    

 ──いや、私から聞こえてくる『声』が教えてくれるんだったか。

 あまりオカルトは信じないほうだが、突然の出来事に色々と彼女に訊きたいことが出てきた矢先だった。ピコン、と私のスマホが鳴動する。ポケットから出して、通知を見ると母からで「どこにいるの? 番号札が次だから戻ってきな!」と短いメッセージが。

「ごめん、みーちゃん。お医者さんのとこ行かなくちゃ、順番が来たみたいなの」

「あ、そうなんだ……みーちゃんね、みどりちゃんとお話できて楽しかったよ、ばいばい……」

 それはまるで今生の別れのような、本音を隠した気丈な振る舞いだった。きっと彼女はそういう一期一会を繰り返してきたのだろう。停滞した病室の中で独り、行き交う人々とすれ違いながら。

「──あのさ、また遊びにきてもいいかな。近いうちに必ず!」

 沈痛な表情で目を伏せていた彼女の顔が最初に見たようなヒマワリを思わせる笑顔に戻っていく。やはり女の子は笑っているときが一番可愛い。

「うん! また遊ぼうね、待ってるから!」

 後ろ髪を引かれながら、私はみーちゃんの病室を後にする。

 磨かれたリノリウムの廊下に反射する白い蛍光灯。点滴スタンドを片手に談笑する患者と看護師。この空間には消毒液が混じったような清潔な匂いが充満している。やはりというべきか、いたって健康体である私にはこの空気は肌に合わない。

 不思議なみーちゃんとの出会いを胸に、足早に待合室に居るだろう母の元へ向かうことにした。


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【キャッチボール小説】鏡は冷たく六花を誘う 不可逆性FIG @FigmentR

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