【キャッチボール小説】鏡は冷たく六花を誘う

不可逆性FIG

第二球 積乱雲

※この作品は、おくとりょう様主催の自主企画『第一回キャッチボール小説マラソン大会』にむけて書かれたものです。「鏡は冷たく六花を誘う」の「第一球 始まり」の続きとなっております。

「第一球 始まり」は以下URLから

https://kakuyomu.jp/works/16817139555266066744/episodes/16817139555527798261


『第一回キャッチボール小説マラソン大会』要項はこちら

https://kakuyomu.jp/user_events/16817139555566238264


*****


 世界が一瞬、真っ白に眩く染まる。

 真上からの暴力的なまでに強い日差しにようやく目が慣れると、お母さんが自動車のドアを開けて「暑ぅーい」としかめっ面をしているのが見えた。今日は八月一日、まるで七月の夏を丸ごと吸収したかのような熱が、きっとあの運転席のドアからどろりと流れ出しているのだろう。私が助手席のドアを開ける頃には全て流れ出していてくれないだろうか……と願いながらドアを開けるも、そんなことはもちろんなく、どろりとしたまとわりつくような暑さが流れ出したのだった。


「ねえ、お母さん。病院ってあと何回通うの?」

「さあねえ。でもまあ、みどりあれから別になんともないみたいだし、今日で終わるかもねー」

「だってもう通院三回目だよ! ずっと先生には元気です大丈夫ですって言ってるのに、笑いながら次に来る予定を話し出すんだもん」

「いきなり家でぶっ倒れてた人の言葉なんて信憑性なんか無いの。信用ゼロだっての!」

 あはは、と笑いながら車を走らせている母。家から病院まではおよそ二十分の距離で、その間カーステレオからは英語で歌われる陽気な音楽が絶えず流れ続けていた。

 ──思い返せばあれは夏休みに入りたて、七月の中旬のことだ。私は気付いたら白い天井、白いベッドに寝かされていて傍らには母が私の手を握りながら、硬そうなパイプイスに座ったままの状態でうつらうつらと寝ている、そんな非日常に置かれていたのだった。病室で覚醒した私に母が気が付くと、慌てて先生を呼びに行ったと思ったらあれこれ検査や質問をされて、ようやく解放された頃に事の顛末を母から知ることになる。

 それはいつも通り母が夕方くらいにパートから帰宅し、玄関のほぼ真横に設置された鏡に手を伸ばすかたちで、そこから右に続く廊下の途中に私がうつ伏せで倒れていたそうだ。今まで大病を患ったことも無い私だからこそ、母はパニックになりながら救急車を呼び、夜も深まった今に至るとのことだった。

「検査ってなんか腕に変なの巻いて脈計ったり、大きい変な機械に頭突っ込んで写真撮ったりするだけじゃん。よくわからないことばっかで退屈なの」

「みどりがわかってなくても、病院の先生が全部わかってて、それでお母さんが安心できるんだから、それでいいのよ!」

 最初は季節柄、熱中症だと疑われたがどうにも違うらしい。それはそうだ。我が家でぐうたらしていた私は水分補給も、空調もエアコンで涼しくバッチリだったのだから。

 病院の先生も私が倒れた原因がよくわからず、おそらく貧血か何かだということにして経過観察、様子見ということになった。大事を取って一日だけ入院、明くる日には母の迎えで我が家に帰宅。その日の夜は仕事の関係でお見舞いに行けなかった父からの質問攻めに会いながら一家団欒での夕食となった。食卓に並んだのは鶏レバーの甘辛煮、カツオのたたき、納豆、ほうれん草と小松菜とそら豆のサラダというあからさまに鉄分オンパレードのメニューだったのが少し面白かったことを覚えている。


「はい到着。さすがにこう何度も通っているとカーナビもいらなくなってくるわね!」

「何度も通わなくていいのに……もう決めた、今日で終わりにしたいって先生に言ってやるんだから!」

 広い駐車場の、なるべく病院入口近くに停車させて私たちは車を降りる。

 ジリジリと灼けたアスファルトに足がついたあたりから、真夏の太陽は容赦なく足元に溜まった僅かな影を黒く焦がしていく。比較的、緑の多い病院内敷地のあちこちからジワジワと蝉の喧騒が幾層にも重なって聞こえてきていた。私は透きとおるような青い八月の空を見上げる。大きな積乱雲が浮かんでいる遥か遠くの夏空。あの雲の真下は雷雨らしい。私は母に「みどり、早く行こ!」と呼びかけられるまで、じっと積乱雲の膨れ上がった白さを見つめていたのだった。


 あのとき、私には倒れた前後の記憶が無い。

 それは家族にも先生にも伝えてある。しかし、もうひとつ伝えていないこともあった。あの日、廊下の壁にかけられた鏡には私では無くが映っていたような気がするのだ。

 何かはわからないけど、何かを見たような不思議な記憶だけがおぼろげに残っている。それは昨夜見た夢の、雪景色が広がる鏡の向こうの世界だったような気もするけど、結局は思い出せないままである。

 私は気持ちを切り替えて、先を行く母の後を追った。

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