勇者に下してやる鉄槌

一三一 二三一

勇者に下してやる鉄槌

 この日の表通りはいつもとは違っていた。

 期待と昂ぶりがあった。

 普段ならば城門から真っ直ぐに伸びているこの表通りには、貴族の乗る箱馬車や荷馬車、城の兵士達などがこの道を行き交い、馬の嘶きや足音、車輪が転がる音などで騒々しかった。

しかしこの日は一般の人馬での通行を禁止され、その通りの両端には住民達が互いに道の中央を向いて出征する勇者達を見送ろうと待ち構え喋り合うざわつきが広がっていた。


 ロットルは勇者の出征を眺めにこの表通りに訪れたのだが、別に勇者達に大した関心があった訳ではない。この日はたまたまこの城下町での用事が済んだ後に時間が余っていたので、時間潰しも兼ねて勇者達がどんな面をしているのか眺めに寄っただけに過ぎなかった。


 観衆が並んで待つ背中が目に入ると後ろから近付く。その中にいる斜め前に肥えた中年男の背中から脂の臭いが鼻を突く。


――――――焼けたような臭いだな。


 人体の焼けた臭いなど嗅いだ記憶が無いにもかかわらずそう思うと、鼻で息を吸うのを止め臭いが届かない所まで後ろに下がった。


――――――金ありゃーこんな臭ぇの嗅いでねぇで、娼家に行ってんだけどな……。


 欲情のままに娼婦を弄ぶ想像が心の中に広がり、摘まんだ娼婦の乳首の感触が指先に甦る。しかしそれを満たす事が出来ず、腹立ちで思わず舌打ちをしてしまうのだった。



 店の影が交差点で待っている観衆を覆い、風が森から吹き始めロットル達観衆の顔を撫でる。勇者達が現れるはずの時刻から大分過ぎて行く。


 並んで待っている観衆の中の職人らしき男は、古傷が痛み出すのを防ぐかのように身体を左右に揺らし足を動かしながら立ち続けている。疲れた老婆が通りに建つ店の前に座り込み時が止まり石像のように小さくなっている。


「ゆうしゃさまたち遅いな~。もうとっくに出てきてもいいんじゃないの~?」


子供達は道で警備する兵士の顔を見上げ囲んで尋ねる。兵士は追い払おうともせず、ただ苦笑いをする。


 紅いくせ毛をロングに伸ばした女性が、張り詰め硬い表情をして並んで待つ観衆達の間に身体をねじ入れ空間を拡げながら、川の流れに逆らい滝を登る鮭のように前に前にと進んでいく。

 

「聞きたいんだけど、この観衆は何を待っているんだい?」


 ロットルは目の前を通り過ぎようとするロングの紅いくせ毛の女性に、解っているのに解らなそうに聞く。

 ロングの紅いくせ毛の女性から放つ、八重咲の花のような香水の柔らかく優しい香りが、ロットルの鼻腔に纏わりつく。


「……さぁ。知らないわ。」


 紅いロングのくせ毛の女性は眉間に皺を寄せ、顔を一瞥し面倒臭そうに答える。ロットルに対して如何わしく感じている顔を隠さなかった。そしてロットルの反応に顧みずに離れ、並んで待ち望む観衆達の間に割り込むと、道を横切り反対側に並ぶ観衆達の中に消えて行った。


「……空振りか。別のオンナ、ナンパするか。」


 ロットルは淡々と呟く。

鼻腔に残るロングの紅いくせ毛の女性が放った香水の香りで、昂りそうになる自分自身を冷めさすように。


 表通りに面する商店の裏側にある外壁の前で、頭の禿げた老人が立小便された跡を凝視し舌打ちする。そして外に置かれた桶から柄杓で水を掬いその跡に掛け流すと、商店の裏側にある勝手口の扉を開き中に消えていった。



 観衆の中に、家事の合間に見に来たであろうエプロンつけた主婦達も固まって話をしている。


「そういえば勇者サマ達、何退治するんだっけ?」


その真ん中にいる丸っこい中年の主婦が周りにいる他の主婦に顔を向けて問いかける。


「南東の国のスバルトブエスにいる魔王?」


その右隣りにいる瘦せてひょろ長い主婦が振り向きながら問い返す。


「そんな所に魔王なんかいたのかしら?その隣の国のグルジョフを攻めるんなら解るんだけどねぇ。」


左隣にいる白い頭巾を被った主婦が首をひねり眉間を寄せ考えてるように言う。


「……さぁ。」


更にその左にいる朱色の上着を着た若い主婦が顔を向けず興味なさそうに淡々と呟く。


「あそこの王サマとは昔っから仲悪いって聞いた事あるわ。」


白い頭巾の主婦が述べる。


「解んないと言えば勇者サマのオンナの趣味もねぇ。……」


丸っこい主婦が眉間に皺を寄せあざ笑うかのような笑みを口元に浮かべながら勇者の非難を始めると、主婦達が勇者一行の評価や噂話など色々と喋り合う。


 山脈の向こうから現れた白雲が風に流され城の真上を過ぎると、彼方へと消えていった。


 観衆の後ろを警備で見回っていた兵士が、男を地面に倒し右腕を逆手に捕って地面に押えつけた。捕まった男が兵士に向かって怒鳴るが、もう一人いた兵士が男の顔を踏みつけ黙らせる。その周りにいた観衆は驚き兵士達がいる方を向いて見つめる。男の口や鼻から流れ落ちた赤い血が地面に広がっていく。兵士達は男を拘束すると立ち上がらせ、観衆から離れ人がまばらな通りを通って連れて行った。

 周りにいた観衆は兵士達が連行する方を見つめていたが、角を曲がり見えなくなると、勇者達が行進する予定の表通りがある方を気にして待ち始めた。



 ロットルは待っている住民の列から離れ店の壁にもたれかかっていた。


――――――……今日は不漁も良いトコだ……。


ナンパが一回も成功しない事に落胆し溜息をつく。それが普段も上手くいっていない事を忘れたかのように。


――――――ガキどもにまで『何かおごってくれたらアドバイスしてあげようか』だなんて言われる始末だもんな……。ムケてないガキの癖に、余計なお世話だ。


ロットルはその時の子供の勝ち誇って見下すような表情と口調を思い出し、腹が立って舌打ちする。


「……それにしても、こんなに待たせやがって、勇者って何様のつもりだ……。」


予定の時刻に現れない勇者達へ苛立ちをぶつける。わざわざ住民達が見送りに来てやっているのに、全く配慮せず時間通りに現れない彼らに対して、図々しくも傲慢に思え憤りを感じた事もあったのだった。


 憤りに流されたまま勇者達が遅れている理由を色々想像するうちに、そんなモン待たずに帰った方が良いのではないかと疑念が湧き始める。すると城門の方から門が開く音が耳に入った。それまで聞こえていた住民達の声が鎮まる。

 

 城の鼓笛隊が奏でる行進曲が流れてくると、城門から勇者達が現れたのが見えたのだろう観衆から大きな歓声が上がった。


 ロットルは並んで待つ観衆の後ろに戻り城門がある方向に顔を向けた。勇者達を先導する兵士達が身に着けたくすんだ鋼の鎧の列が、門を出て表通りを通りこちらに向かって来るのが目に入った。


 行進してくる兵士達は皆緊張したかのように顔を強張らせている。

その後ろから光を放つように空気が華やぎ歓声が集まる。勇者達一行だった。男一人に女三人で計四人のパーティーだった。



 前列手前側には治療術師である聖女が昂然と進んでいる。

所属する教団の権威を示しつけるように上にそびえる紺色をした司教冠を被り、仮面のように固まった皺の深い嬌笑を浮かべながら手を規則正しく左右に振っている。


 その向こう側には金髪を短く切った勇者が観衆に向けて手を上げながらやって来る。歓声を受けるのが当然と思っているのか、得意そうな薄笑いを口許に浮かべている。軽薄そうで、出征というより娼館で好みの女性を選んでいるような感じに見える。


 そんな勇者のすぐ後ろを、まだら模様をした銅色の髪から猫のように尖った両耳を覗かせた獣族の女戦士がくっついている。歓声に応え腕を上げると胸当てと一緒に溢れる胸が上下に揺れる。


 その女戦士の隣り手前側には、吞み込まれるように見える程大きな黒いとんがり帽を被った魔術師の少女が、女戦士達から距離を置いて淡々と無表情のまま誰もいないかのように歩いている。


 予めこの時の為に摘んできたのであろう赤・青・黄など様々な色の花びらが勇者達の頭の上を舞う。投げた少女が何かを成し遂げ満足したような笑みを浮かべた。


「聖女サマ、キレイー!」


丸っこい中年の主婦が両手を上げ左右に振りながら、重そうな身体を上に飛び上がることが出来ずにつま先が付いたまま上下に弾ませ歓声を上げる。


「勇者サマ、カッコイイ~。アイしてる~!」


今まで興味なさそうだった朱色の上着を着た若い主婦が我を忘れて熱狂的に絶叫する姿を、白い頭巾の主婦が引きつった顔で身をのけ反らしながら凝視している。


 街道を挟んだ反対側に並ぶ観衆の中にいたロングの紅いくせ毛の女性が、眼を輝かせ口許に期待の籠った笑みを浮かべながら、目の前を通った勇者達に両手で握った小箱を差し出した。プレゼントのようだ。

 勇者が微笑みを浮かべながらこれを受け取ると、ロングの紅いくせ毛の女性は歓喜で昂ぶり顔も赤くなる。

 女戦士が顔を勇者の目の前まで寄せ、好奇心の現れた眼差しをして小箱と交互に見つめながら話しかける。笑う度に胸当ての下から溢れる胸が上下に揺れる。



 ロットルは勇者に対して憤った。


――――――これから魔王を倒そうというのに、オンナに相手にしてもらってニヤニヤしてるんじゃねぇ。少しは気合を入れやがれ。ボケぇ。

……しっかもアイツは、魔王を倒すのに美人をあんなに揃えていやがる。顔で戦う訳ではないのに。美人のオンナである必要はないじゃないか。ハーレムでも作るつもりか?……


 勇者は不埒に見えた。


 確かに聖女は気品を感じられる清楚な美人であったし、魔術師の少女は幼く見えながらも平然として可愛らしかった。また女戦士もアグレッシブで野性味溢れる美女であった。


勇者に随行する美女三人やロングの紅いくせ毛の女性などといった女性は、ロットル自身の好みであった。そのような美女の身体に纏わりへばり付きたいという欲情が、ロットルの心の奥底から湧き上がってくる。しかし欲情を満たす事が出来ず、渇した心が辛く苦しく感じる。ロットルはそんな自らの欲情を直視せずに、辛く憤りを感じる原因を勇者の不埒さだと見做していた。


 勇者が振り返り女戦士に喋りかけると、その肩を手のひらで何か思いを伝えるかのように軽く叩いた。女戦士が微笑むと胸当ての下から溢れる胸が上下に揺れる。



――――――……戦う前から色ボケしてタルんでるヤツには罰を与えないといけねぇな。


 ロットルは右手の中指を自らの鼻の穴に突っ込んだ。指は爪の根元まで入ると右側の鼻の穴は中から広げられていく。肉に絡んだ指をまさぐると指先に生暖かさが纏わり付く。引っこ抜くとその爪先には鼻毛が飛び出た白と淡い黄緑色した鼻糞が引っ付いている。眉間に皺を寄せ右の口許に嘲笑いを浮かべた。そして斜め前にいる中年男の頭の後ろに手を構えると、進んでくる勇者の顔に向けて狙いを定め鼻糞のついた中指を弾いた。



 鼻糞は聖女が被る紺の司教帽を越え孤を描くと、勇者の黒髪の上ではなく猫耳の間に挟まれた女戦士の髪の上に乗っかった。


 時が止まる。


 女戦士はそれに気付かないようで、勇者を見つめながらその背中を掴んでいる。


 魔術師の少女は横目で女戦士の頭を眺めると、ロットルがいる側の観衆を進む方向の先から横まで探すように首を動かした。


 これに目が入った瞬間、ロットルは驚き動揺する。


――――――ヤバい。


 咄嗟に顔をすくめ前にいる男の陰に隠れた。


 少女の視線はロットルの正面で止まらずに通り過ぎていく。そして女戦士の姿を一瞥すると、前を向き何事も無いように無言でロットルの目の前を歩き過ぎて行った。

勇者達の後を行進する兵士達もロットルを気付くことなくただ前に進んでいく。



 ロットルの背中は汗で滲んでいるが、それに自覚せず気付いてもいなかった。勇者一行に鼻糞を飛ばして付けた犯人だと気付かれ報復されるのが怖かった。


 ロットルは周囲を見回し自分のいる方を誰も注視せずにいるのを確認した。そして身体を縮め勇者一行を追いかける子供達を躱し早足で隠れるように表通りから離れると、その反対方向に向かって逃げていった。



 その後勇者一行が再びこの城に戻ったという話は、二度とロットルの耳に入る事はなかった。

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