第2話 気分転換

 始まりは梅雨に入ったばかりの六月。屋根のない駐輪所へ行くと、籠の中に、水滴がまだ付いている朝顔が入っていた。よく見かける青い朝顔だ。


 あまり花の種類を知らない百合でも、分かる花だったからよく覚えている。その後は、白だったり赤だったり、余所の花壇で見たような、でも名前の知らない花が籠に入れられていた。


 その度に冴が、何の花か教えてくれたが、百合の頭の中に留まるものはなかった。


「いつまで続くのかな」


 百合は塾のない日、自宅の部屋にある机で教科書を広げながら、ふと思った。冴にはあぁ言ったものの、百合は考えても考えても、答えが出そうになかった。


 頭に全く入らない教科書の文字をなぞりながら、二ヵ月前のことを思い出そうとした。


 そう、始まりの二ヵ月前。

 いつものように、朝学校へ行くために、自宅から駅まで自転車を走らせた。駅の中はいつものように人で溢れ、それに逆らったり、割り込んだりせずに、流れに乗って改札を通っていく。


 ホームも、電車の中も、変わった出来事は一切なかった、と思う。


 冴に言ったように、痴漢ちかんに遭うような容姿でもないし、身長でもない。

 むしろ百六十センチ以下だから、ラッシュ時は大変だった。雨の日なんて、前の人の肩に雨水があると、顔に付きそうになるのだ。


 百合の通う高校の最寄りの駅に着くと、同じ制服を着た同年代の男女が、まるで列を作るように学校へと向かって行く。帰りと違い、寄り道をする者などいないから、余計にそう見えた。


「なら、帰りかな」


 寄り道をしないで帰るほど、百合は優等生ではなかった。塾のない日は、学校の友達と買い物をしたり、ファミレスに入ったり、先生に見つからない範囲以内で遊んで帰っていた。


「でも他の子は、何かあったって聞かないし」


 友達は、私よりも可愛い子たちばかりだ。目を引くなら、むしろそっちの方――……。


『何も、そういう人ばかりが狙われてたら、世の中からギャルがいなくなってるよ』


 冴の言葉が頭に浮かんだ。


「嫌がらせに花を置く、なんてことをする人っていないよね」


 じゃ、と消去法で得た答えに、百合は背筋が寒くなった。



 ***



 八月の日曜日。塾のない日は気分が軽かった。今日は特に、両親と共に車で出かけるから尚更だった。


「今日はどこに行くの?」


 昨日塾から帰ると、突然出掛けるぞ、と父親に言われ、憂鬱ゆううつな気分のまま生返事をした。そのため、場所を聞いていなかった。その日も自転車の籠には、例に洩れず花が置いてあったからだ。


羽生はにゅうパーキングエリアよ」


 車の助手席に座った母親が、父親の代わりに行き先を教えてくれた。


「じゃ、高速に乗るんだね」

「ううん。一般道を通って行くのよ」

「高速に乗らなくても行けるの?」

「そういうパーキングなのよ」


 そうなんだ、と思ったが興味は湧かなかった。そんな百合の態度とは裏腹に、車は動き始める。

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