VR兵馬俑の凱旋

坂崎かおる

 

 そのVRは兵馬俑だった。

 喩えではなく、兵馬俑そのものであった。土で焼かれた人型。被葬者の霊魂の生活のためにつくられた、あれである。「VR兵马俑」というタイトルでもって、それは突然現れた。サーバーはタジキスタンを示していたが、どうやら便宜的なようで、タイトルも操作方法も、すべて中国語で書かれていた。それ以上の情報はサイト上にはなく、どこの兵馬俑か、何のためか、説明はなかった。

 兵馬俑は兵馬俑だ。歩くことはできない。手を動かすことも、首すら動かせない。無論、しゃべることもできない。多少、眼球が稼働する範囲の追随機能はついていたが、その程度だ。VR兵馬俑にログインすると、ただひたすら、前方の別の兵馬俑の後頭部を見るだけになる。つまり、アップになった陶俑のざらざらが延々と映し出されているわけだ。たとえヘッドセットを着けたとしても、首を少しでも動かそうものなら、途端にエラーを吐き出す。VR空間でありながら、一切の動きが禁じられているというそれが、人々の嘲笑を買うのも時間の問題だった。

 はじめそれは、いわゆる「劣質遊戲クソゲー」としてネット上で紹介された。人々はそのVRをおもちゃにして、様々な拼贴コラをつくり、そしてそれが転載されることで、VR兵馬俑は他の国にも認知されていった。折しも感染症対策で、外出制限がかかっていた頃である。拡散することも早かった。「兵馬俑日記」というブログでは、毎日同じ時間にログインした一分間の動画を流していたが、一度、かなり精巧なトカゲのモデリングが目の前を横切ったときは、ちょっとしたお祭り状態になった。ある識者は、これが製作途中の段階であることを示唆し、ある評論家は、表現規制が厳しいかの国を批判する芸術作品だと評した。

 状況が変わったのは、日本のプログラマーがバグを発見したときだった。VR兵馬俑は、その制限過多の仕様に反し、コマンド自体は多数用意されていた。「メニューを開く(輝度や視野角の調整)」「前後左右に進む(進もうとするとエラーになる)」「腕の上げ下げ(動かそうとするとエラーになる)」など。彼が発見したバグは、メニューを開き、輝度を30%にして、閉じる瞬間に、「前に進む」というコマンドを二回入力するというものだった。その「瞬間」の判定がかなり厳しいものだったが、成功すると、首を動かすことができるようになった。それは、通常の人間の可動域の範囲で、相変わらず他の動作はできなかったが、「辺りを見回す」という動作が可能になったのだ。

 この「メニューバグ」はまたたくまに広がり、その結果、この兵馬俑の位置も特定することができた。始皇帝陵兵馬俑坑の1号坑の武士俑で、「18」と「19」の列の間にあるものだった。可動域が広がると、そのVR空間がかなり精密につくられていることがわかった。始皇帝陵の兵馬俑坑は、おびたたしい陶俑をとりかこむような形で観覧する場所が設けられているのだが、観光客の顔の細部に至るまで描写されており、なおかつ人の入れ替わりも表現されていた。ドーム型の天井には開口部があるのだが、そこは時間によって空の移り変わりがあり、天候もランダムで決められているようだった。できることの少なさの割に、手の込んだつくりをしており、人々は訝しんだ。陰謀論めいたことが語られるようになったのも、この頃である。

 そのことが知れると、こぞっていろいろな人間が他のバグを探し始め、「歩く」動作が可能になったのは早かった。発見したのはアメリカのギークで、発見されていたいくつかのバグを組み合わせることで、最初の一歩を踏み出すことができた。彼は発見した技をYoutubeのライブ配信で発表し、初めて建屋から出たときの映像は、無数のチャット欄の叫び声と共に、後日、アポロの月着陸とあわせて編集されたりもした。

 屋外についてもしっかり描写されていたのだが、どうやら進める方向は決まっているようだった。道を間違えると、途端にグラフィックは直方体や立方体に変わり、どこにも行けなくなった。正しい道を歩んでいる限りは、坑の中と同様、高い技術で環境が構築されていた。日はかげり、雨が降り、道行く人は兵馬俑に気付くと怪訝な表情を浮かべた。店の看板などから、モデリングの基礎は2010年代だろうと推測された。

 ただ、それからどこに進めるかは試行錯誤が続いた。少しでも〈正規ルート〉から外れるとグラフィックは崩れ、操作を受け付けなくなった。かといって、座標を弄ることも難しく、いっとき成功したように見えても、すぐに不正を検知するのか、元の坑の場所に戻されてしまった。つまり、正しい道は実際に歩いてみるしか確かめる方法がないということだった。しかし、一定時間操作しないと坑に戻される仕様や、一度ログアウトしても始皇帝陵兵馬俑坑からスタートになるということから、多くの脱落者を生んだ。

 熱心なファンたちは、〈正規ルート〉をGoogleマップ上に記すということをし始めた。だが、何週間かかけて徐々に赤く引かれた道路が浮かんできたものの、終点がどこにあるのか、もしくは終点が存在するのかは全く不明だった。そのため、〈正規ルート〉が100kmを超えたあたりで、これは不可能ではないかという意見が出始めた。ログインし直したり、一定時間操作しないと元に戻されるというつくりから、ひとりの人間が連続で〈正規ルート〉を探索することを強いられており、それは現実的に難しいだろうというものだった。いろいろな予測も盛んになり、始皇帝の天下巡遊路ではないかとか、天下統一の際の戦場をめぐっているに違いない、といった、いろいろな説が検証されたが、どれも実際のルートとはかけ離れており、行路を予想することは困難であるということがわかっただけであった。

 そんなこともあり、やや世間がこの件について飽き始めたころ、VR兵馬俑の参加者のコミュニティのひとつが、そのマラソンに挑戦する試みを発表した。とあるゲーム会社がスポンサーとなり、ホテルを貸し切って、リレー方式で〈正規ルート〉を探し続ける、というプロジェクトだった。つまり、ひとつの筐体を使って、Aができるだけ〈正規ルート〉を辿ったあと、ログイン状態のままBがそれを引き継ぎ、そのあとでCが……という形だ。

 この企画がライブ配信されると、またVR兵馬俑の話題はSNS上を賑わせた。ツイッターや微博ウェイボーでは「#加油!兵马俑!」というハッシュタグで、挑戦者たちの動画が続々と切り抜かれ、拡散された。実際の現地に立ち、動画を片手に手を振るというアクションも流行った。現実の〈正規ルート〉にARタグをぺたぺた貼って、歩いている兵馬俑を出現させるというものもあったが、民家の壁にまで貼られてちょっとした社会問題となった。

 「#加油!兵马俑!」のプロジェクトは順調に進んだ。道は行きつ戻りつしながらも、大まかに北から北西方向に向かって進んでおり、ゴールは北京になるのではないかという憶測を生んだ。すると今度は、この兵馬俑が北京を目指す意味について議論がかまびすしくなってきた。兵馬俑は現代の君主にあいさつをしにいくのだという国粋主義的な主張もあれば、逆にそう思わせることで、現代の権威主義的体制を古代と照らし合わせ、批判をしているのだという皮肉な見方も存在した。わいわいと外野が騒ぐ中、兵馬俑は確実に歩みを進めた。

 進捗の平均距離から、北京の中心部に入る日付が国慶節になると予測されると、ますます議論は激しくなった。この頃になると、ネット上の書き込みが削除されるなどの規制も入り始め、それが一層議論の混迷に拍車をかけた。

 実際は、機材トラブルもあり、北京の中心部に入ったのは国慶節の連休が終わってからだった。その日のライブ配信の接続は過去最高となり、チャット欄は、兵馬俑の到着をいまかいまかと見守る数十カ国からの人々で埋め尽くされた。最後に選ばれた現実世界のランナーは、中国出身の若者で、いつもよりゆっくりと慎重に進んだ。天気は快晴で、石畳の伝統ある家々を兵馬俑は通り過ぎ、現実世界ではスマホやタブレットを片手に、窓の中から、道の端から、その姿の見えない兵馬俑に向けて、多くの人が手を振り、声援を送った。

 ところが、北京自然博物館を過ぎたあたりで、視聴していた人々は異変を感じた。画面がちらつくのだ。機材側の不具合かと思われたが、出力される画面は正常値を示していた。紙吹雪だ、と誰かが呟いたとき、どよめきがあった。無論、音はなく、雰囲気としてだけだが、確かに視聴していた人間たちはその昂りを感じた。真っ赤な紙吹雪が、兵馬俑が歩みを進めるにつれて画面をうっすらと覆いつくしていく。赤い絨毯がまっすぐと広場へと続いている。その上を、一歩一歩踏みしめ、兵馬俑がまっすぐと歩いていく。その光景を、何万という人が、同時に体験したのだ。あとで動画を分析した人々によれば、その紙吹雪はそれまでの精密な重力値や空気の動きを完全に無視した動作をしていたということだった。しかし、見ている人々は、思わず自身の肩に手をやり、そして空をあおいだ。それほどまでに細部が現実的で、でもどこか夢の中にいるような、そんな幻のような光景だった。「空白の十秒」と後に名付けられたその瞬間、誰もがこの場所を兵馬俑の目的地だと確信し、彼の旅の終わりを称え、それを凱旋と思い涙した。

 だが、その熱狂は長く続かなかった。それから数時間後、ひとりの中国人が北京のアメリカ大使館に亡命した。Qと名乗るその人物は、「VR兵馬俑」製作の責任者だ、と自称した。「国威発揚」と「オピニオンコントロール」のために政府が製作を指示したものであり、Qは様々な要求に応えてつくったものの、その内容に嫌気がさし、VR視点を兵馬俑に置き換え、操作不能にして逃亡したとの由だった。彼自身も、このようなバグでもって、プロジェクトの全容が明らかにされるとは思ってはおらず、他の反体制的な「イースターエッグ」が見つけられる前に、亡命を決意したということを、アメリカのメディアはこぞって報じた。もちろん当局は一切を否定し、Qの身柄引き渡しを求めたが、アメリカ側も応じず、のちに彼は第三国へと出国することになった。

 この話題が報じられたあとも、「#加油!兵马俑!」のプロジェクトを遂行するメンバーは、北京市街を歩み続けた。そして、〈美国駐華大使館在中国アメリカ大使館〉に辿り着けることを確認した。門はかたく閉ざされ、それ以上進むことはできず、そこでプロジェクトは中断することになった。同時に、中国国内からの「VR兵馬俑」はアクセスが遮断された。もっとも、そのすぐあとに、「VR兵馬俑」の全データがネット上で公開されたため、結局は当局とのいたちごっことなるのだが。

 Qは長らく姿を隠していたが、ときおりメールなどのやりとりによるインタビューには答えていた。けれど、お世辞にもサービスの良い答え方ではなかった。例えば、「どうして北京をゴールにしたのか」という質問には、「そもそもマラソンのように順路を決めていたわけではない」「適当にGoogleマップに表示された経路を優先的に環境構築しただけ」「北京は母が住んでいたから」などと答え、陰謀論者たちから露骨な落胆を引き出した。特に、「(政府に対して)感謝している部分もある」という発言が一部メディアで報じられた際は、弱腰になったと盛大なバッシングを受けた。彼の回答はあまりに一般的というか、無味乾燥たるもので、長らくVR兵馬俑を追ってきた者からすると、落胆を隠せないものだった。

 唯一興味深い回答として、「どうして兵馬俑にしたのか」という問いに、彼は「兵馬俑は主体にはなれないので」と答えている。「常に傍観者であり観測者であり続ける墓守」。彼の真意はわからないまま、Qは表舞台から姿を消し、それと時を同じくして、VR兵馬俑は起動されることが少なくなり、本当にただの置物としての兵馬俑となった。

 それからかなり長い年月が経ち、最初の「メニューバグ」を発見した日本人プログラマーが、「VR兵馬俑」に、新しいバグを発見した。それは、「メニューバグ」に手を加える形で、首の可動域の制限が外れるというものだった。そのプログラマーが試しに真後ろまで首を回してみると、突然ディスプレイ側にあるWEBカメラがハックされ、画面いっぱいに自分の顔が映し出された。そして、勝手にテキストが打ちこまれた。そこにはこう書かれていた。

 次はお前の番だ。

 プログラマーは回線を切り、作業領域を強制的にパージし、反射的に電源を落とした。画面は暗い。しかし、室内灯に反射する形で、自分の顔が映っている。次はお前の番だ。プログラマーはしばらくその意味を考え、そして考えることをやめた。

 やがてこのバグは、細々と運営されているVR兵馬俑のコミュニティ上に公開されることになる。何人かが試し、そのうちの何人かが、同じように、真っ暗な画面に映る自分の顔を見た。何人かはその顔を嫌悪した。何人かがSNS上に書きこみ、少しだけ話題になり、そして忘れ去られた。紙吹雪が舞うこともなく、この国ではいつものように、時間だけが進んでいく。チクタク。

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VR兵馬俑の凱旋 坂崎かおる @sakasakikaoru

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