第8話 忘れ去られし存在たち

 カルビヨンでの滞在先に選んだ宿〝なぎさかんどりてい〟にて、店主夫婦から留守番の依頼を引き受けたエルスたち。


 アリサとティアナは酒場の料理全般を、エルスとニセルは清掃全般を、そしてミーファは料理と接客を受け持ち、それぞれが労働にはげんでいた。


「思ってた以上に疲れたぜ……。酒場をやンのも大変なんだなぁ……」


 一仕事を終えたエルスは休憩のため、一階の酒場から外へ出る。


 港町の南西端、はくしょくがんがけぎわに張りつくように建てられた〝渚と閑古鳥亭〟は立地条件に恵まれないこともあり、普段からの客入りは少ないようだ。


 それでも定期船の多くが欠航している影響か、数組の冒険者らに来店してもらうことができた。また、エルスは作業用のエプロンとさんかくきんを着けていたためか、客らには〝勇者〟だと気づかれることはなかった。


 三角巾を外したエルスは汗ばんだ銀髪を潮風にさらしながら、眼前の海に広がる〝霧〟へと視線を向ける。すでに天上の太陽ソルは夕刻の陽光ひかりを放っているというのに、オレンジ色に染まった霧はどうだにもしていない。



「おつかれさまっ! エルス!」


 霧を観察するエルスの肩をつつきながら、ティアナが元気よく彼に声をかける。入口のドアが開かなかったことから察するに、ちゅうぼうの勝手口から出てきたのだろう。


厨房こっちの仕事も一段落したよ! エルスにも付き合せちゃってごめんね」


「いやぁ、気にすンなッて。ほら、みんなもやる気だったし、俺もこういう仕事は結構好きだからなッ!」


「ありがとっ……。なんだか赤ちゃん見てると、孤児こどもたちを思い出しちゃって……」


 第一王女として王城で暮らしていた際にも、すきあらば城を抜け出し、街教会が運営する孤児院へと通っていたティアナ。彼女はそこで仲良くなった孤児らと敷地内で遊んだり、時には街の外にまで、小さな冒険に連れ出したりもしていたのだ。


「ああ、ティアナと初めて会った時の。あン時は、無事に見つかってよかったぜ」


「うんっ! ナディアちゃんたち、元気にしてるかなぁ……」


 ぼんやりと海をながめながら、ティアナは友人たちへの想いをせる。


 父親であるアルティリア国王からおうせきはくだつを言い渡され、有無を言わさず王城から追放されてしまった日――。彼女は教会で子供たちと一夜を過ごし、その後は直接の別れを告げることもなく、夜明けと共に旅に出ていた。


「大丈夫さッ! あいつらは勇気があるし、ナディアはスゲェも使えるしなッ。次に会った時には、俺たちよりも立派な冒険者になってるかもしれねェぞ?」


「あはっ!……うん、そうだね。私たちも頑張らなきゃ!」


 ティアナはポケットから出したハンカチで自身の目元をぬぐい、エルスに向かって笑顔をみせる。そこで彼女は自身の手にした布に気づき、それを彼に差し出した。


「そういえば、これエルスのだった……。ありがとう、返すねっ」


「おうッ! 役に立ったならよかったぜ!」


 彼女の手からハンカチを受け取り、エルスも少年のような笑みを返す。そんな彼をしばし見つめ、ティアナはあわてて口を開いた。


「あっ……。やっぱり、あらっ――」


「勇者さま! 帰りが遅くなってしまい、大変申し訳ございません!」


 ティアナの声をかき消すように、さらに慌てた様子の宿の主人が大声と共に、がけ沿いの道を駆け上ってきた。


 よほど急いで戻ってきたのか、店主は大きく息を切らしており、額からはだらだらと汗が流れ落ちている。彼のはるか後方には、赤子を抱いた夫人の姿も見える。



「おッ、おかえり! 急がなくてもよかったのに。無事に儀式は済んだのか?」


「ふぅ……。ふぅ……。はい、おかげさまで。……実は教会が立て込んでおりまして、あのタイミングを逃していれば、危うくところでした」


 言い終えた店主は深々と頭を下げ、その場にあおけに倒れこむ。


 命名の儀そのものは、町を巡回中の神殿騎士へ申し出ることでも、簡易的に執り行なってもらうことができる。しかし親の思いとしては、やはり我が子には伝統にのっとった、教会での儀式を受けさせてやりたいようだ。


 やがて店主夫人も赤子と共に到着し、五人は揃って店内へと戻ってゆく。店主夫婦の話によると、娘の名はカルビヨンにちなみ、〝ビヨンセ〟に決めたとのことだった。



             *



 その夜――。無事に依頼を終え、軽めの夕食を済ませたエルスたち。ニセルを除く四名は二階の宿泊部屋へと移動し、それぞれが就寝の準備を整えていた。


 しかしエルスらの働きによって宿泊客が増えたことで寝室が不足し、二つの一人部屋にエルスとアリサ、ミーファとティアナに分かれて眠ることとなってしまった。


「戦わない依頼は久しぶりだったねぇ。出航できなかったのは残念だけど、なんだかちょっと楽しかったかも」


 アリサはポニーテールをっていた赤いリボンを解き、くしで長い茶髪をかしながら、鏡に映るエルスに向かって話しかける。彼は身につけていた武器やマントを椅子に引っ掛け、すでにベッドで横になっている。


「だなぁ。……でも、なんだろな。この町に来てから、どうにもムズムズするんだよな。よくわからねェけど、何かを忘れちまッてるような……」


「そういえば、今日ずっと言ってるもんね。それ」


 寝支度を整えたアリサは、エルスが脱ぎ散らかしたコートやマントをれいたたみ、質素な木製の衣装棚へ丁寧に並べる。幼い頃から共に育った二人は、こうして同じ部屋に居るのが今でも当たり前となっていた。



「なんか、こう……。ガルマニアの時に、もう一人いたような気がすンだよな。誰か、スゲェ嫌な奴が居てさ。それから悔しくて悲しい気分にもなったような……」


「うーん? あっ。もしかして、ラァテルさんとか?」


「アイツのことなら忘れねェよ。それにリリィナの家族だッて聞いてからは、それほど嫌な奴とは思ってねェしな。そういやロイマンたち、今頃どこに居んのかなぁ」


 ロイマンと共に旅を続けているラァテルは、エルスたちの仲間であるリリィナのおいにあたる。エルスが最後に彼の姿を見たのは、〝はじまりの遺跡〟での異変の時だ。


「今はエルスも勇者だもんね。今度会ったら、ロイマンさんも褒めてくれるかも?」


「ばッ!? いらねェよ、そんなモン!――ええい、考えても仕方ねェ。そろそろ寝ちまおうぜ」


 エルスはろうばいした様子で言い、アリサのためにベッドの端へと移動する。


 ファスティアでのロイマンとの一件は駆け出しの頃の苦い経験として、そして大きないましめとして、今でもエルスの心に焼きついている。


「うん。おやすみ、エルス」


「おやすみ、アリサ。……いつもありがとな」


 最後はつぶやくように言い、エルスは静かに眠りに入る。そんな彼の左手を握り、アリサも微笑みと共に目を閉じた。



             *



 深夜――。ルナあやしく輝くなか、ニセルは一人、カルビヨンの南西に位置する〝みさきの灯台〟までやってきた。無骨な石造りの灯台からは霧に包まれた海へ向けて、太陽ソル陽光ひかりにも似た、白い光線が放たれている。


 中にとうだいもりは居ないのか、入口のてっには外側から鍵が掛けられている。しかし円柱状の外壁に空いた窓にはガラスやこうたぐいはなく、熱心な侵入者を積極的に拒んでいるような気配もない。


 ニセルは大きめなサイズの窓を狙い、そちらへ向かって左手をかざす。すると精霊銀エレニウムせいの手首から先の部分が外れ、こうせんの尾をともなって射出された。


 射ち出された左手は灯台の窓枠をつかみ、ゆっくりとニセルのからだを灯台内へと巻き上げてゆく。これはガルマニアでの戦いを終えた際、ドミナによって追加された新機能であるが、左手の発射速度はともかく、巻き上げ速度には少々難があるようだ。



「まっ、うまく使ってみるしかないな。感謝するぞ、ドミナ」


 灯台の中には外壁に沿うように、石の階段がせんじょうに造られている。ニセルは集音機能を持った左耳に意識を集中させてみるも、わずかに上階から、連続した低音が聞こえてくるのみだ。


 内部には松明たいまつりょくとうといった照明はなく、暗黒の段差には窓から射すようこうのみが輝いている。ニセルは左眼の暗視能力を頼りに、暗闇の階段を上ってゆく。


             *


 階段の終着には〝照射管理室〟への大扉があり、半開きの隙間からは断続的な光がている。床には大量のほこりたいせきしており、足跡らしきこんせきも見当たらない。


 ニセルはそれらの状態を観察した後、ゆっくりとしんちょうに、管理室への大扉を押す。すると扉は金属のきしみと共に、ぎこちない様子で奥へと開いた。


「ふっ、なるほどな」


 何らかの予測が的中したのか、ニセルはニヤリと口元を上げる。

 そして光あふれる管理室へ入り、制御装置の前へと移動した。



 室内には横長に開いた大きな窓があり、霧の海が一望できる。窓にはガラス代わりとなるほうしょうへきが展開されているのか、空気の流れは感じない。


 円形をした部屋の中央には反射鏡によって囲まれた、巨大な魔水晶クリスタルが設置され、海へ向けて強烈な光線を放っている。その光源は照明魔法ソルクスだと思われるが、これほどまでの光量では照明魔法ソルクスといえど、直視すれば視力を失ってしまうことだろう。


 魔水晶クリスタルが載せられた台座には、直線を主体とした紋様が彫られ、銅製の糸が埋め込まれている。それは台座の側面を伝って延び、最終的にはニセルの目の前に設置された、金属製の操作パネルへと繋げられていた。


魔紋様ルーン――いや、あんごうじゅつの回路が組み込まれているな。やはり転世者エインシャントからんでいるようだ」


 暗号術とは古代のそうせいにおいて、転世者エインシャントらによって異世界から持ち込まれた技術をさす。現在では失われた秘術として、その存在が伝えられている。


「だが、比較的新しい。びつき具合から察するに、ざっと十年といったところか。残念ながら、エティ先生の仕事ものではないな」


 ニセルは台座に刻まれた術式を左眼で読み取り、自身の記憶領域に保存する。こうして刻み込んだ情報は、決してなんぴとにも奪われるようなこともない。



「――さて、帰るとするか。これ以上、ここで得られる情報は無さそうだ」


 明日はエルスたちと共に、デスアーミーぎょりょうだんの本部を訪問する。情報収集を終えたニセルはこうこうと輝く光に背を向け、暗闇に延びる階段へと引き返した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る