第42話 白き霧は世界を覆う

 闇の空間と化した玉座の間にて、どうにかおうガルマリウスを退けたエルスたち。魔皇の強力な攻撃によって全員が負傷したものの、仲間たちの対応が適切だったためか、大事に至った者はいなかった。


「ふぅ……。危なかったぜ。勝てたのが奇跡みてェだ」


「うん。でもエルス、本当ほんとに大丈夫なの?」


「ああッ、この通りなッ! それより、ユリウス!」


 不意にエルスに名前を呼ばれ、ユリウスが驚いたように顔を上げる。するとエルスは半歩横へ下がり、足元に渦巻いている〝こくえん〟を彼に手で示した。


「ゼレウスさんが……。最期に話したいッてよ」


「父さんが……?」


 エルスにうながされ、ユリウスがゆっくりと黒煙の元へ近づいてゆく。彼がに近づくと、周囲にゼレウスの声が響き渡った。



「ユリウスよ。愛する息子よ」


とう――父上なのですか? 私は結局、何も出来ず……」


「おまえの成すべきことは、これから始まるのだ。ガルマニアの再興を――いや、新たなるガルマニアを、どうかおまえたちの手で創りあげてくれ」


「……はい。お任せください、父上」


 ユリウスは父からたくされた騎士剣をかかげ、ガルマニア式の敬礼をする。すると黒煙となったゼレウスはうなずくかのように揺らめいた後、今度はエルスに語りかけた。


「貴公らの協力により、ガルマニアの奪還は成った。心より礼を申しあげる」


「へへッ、仲間たちが頑張ってくれたおかげさ。もちろんゼレウスさんもなッ!」


 エルスは言いながら、足元へ向かって得意げに親指を立ててみせる。それが見えているかのように、黒煙が再び大きく揺れる。


 そうして黒煙が揺らめくたびに、心なしか周囲の明るさが増してゆく。どうやら空間を形成する闇が少しずつかくはんされ、濃度が薄められているようだ。



「なんだか、空間の様子が……」


「うむ。わしの消滅と共に、諸君らも現実界へと戻される。世話になったな、誇り高き傭兵なかまたちよ」


「うぐっ……。ゼレウス様……」


 カリウスは顔を右手で覆い、身を震わせながら天を仰いでいる。


 やがて闇色の空にも光が射し、透き通った青空に浮かぶ太陽ソルの姿が、エルスらの目にも鮮明に映りはじめた。



「別れの時だ。偉大なる英雄たちよ。諸君らの未来に、神々の導きが在らんことを」


「ありがとな、ゼレウスさん。――大いなる闇よ。どうか仲間に、導きと幸運を」


「……感謝する。さらばだ」


 降り注ぐ光に導かれるように。

 黒煙ゼレウスは高く、高く、空へと高く昇ってゆく――。


 そして七人が彼を見送った直後、空間を形成していた闇は完全に晴れ、エルスらの周囲の光景は、荒廃した廃墟の姿へと移り変わった。


             *


「これは……。本来のガルマニア帝都か?」


「おそらくは……。帝都を覆っていた暗域が消滅し、元の〝げんじつかい〟での姿に戻ったのでしょう……」


 カリウスは頭を押さえながら、ニセルのつぶやいた疑問に答える。


 戦闘の影響か、あるいは長年仕え続けたであろうゼレウスとの別れがこたえたのか。カリウスの足元は、時おり大きくふらついている。


「よしッ! それじゃ野営地に戻ろうぜ! カリウスさんも参ってるみてェだしな」


「うん、そうしよう。――カリウス、戻ったら充分な休息を。そしてどうかガルマニアのため、これからも僕に力を貸してほしい」


「はい……。もちろんです、ユリウス様……」


 七人は野営地へ向け、瓦礫がれきと化した帝都を静かに進む。すでに異空間のこんせきは一切なく、空中にかるトロッコや、宙で回る水車も存在しない。


             *


 エルスたちが帝都へ想いをせながら歩んでいると、少しずつ周囲の空間を、白い霧がおおいはじめた。


「もう霧が出るのか。これでガルマニアも、元の街に戻ったりしねェかな?」


「ガルマニアは大神殿により、〝きょてん〟としての登録を抹消されている。再び承認を得るためには、街としての機能を取り戻す必要があるな」


 ニセルが説明するように、長き戦乱と混乱によって、ガルマニアの拠点としての機能は完全に消失してしまった。この街が再興を果たすための道のりは遠い。それには長い時間と資金、そして人々の努力が必要となるだろう。


「なぁ、ユリウス。新しいガルマニアは、どんなとこにするんだ?」


「ん、そうだね。できれば、と同じような感じにしてみたいかな」


 ユリウスは言いながら、白みがかった空に指で曲線を引いてみせる。どうやら彼は〝あの遊園地〟を――異空間の帝都を、再現しようと考えているらしい。



「おッ、そりゃいい考えかもなッ! へへッ、楽しみだぜ!」


「はは、ありがとう。それで、もしよければなんだけど、僕もエルスたちの仲間に入れてもらえないかな? もちろん、帝都の復興が最優先になってしまうけど……」


「ああ、もちろんいいぜッ! これからもよろしくな、ユリウス!」


 そう言ったエルスに続き、アリサら彼の仲間たちも、ユリウスに歓迎の言葉をかける。ユリウスは大きく一礼し、うっすらと涙を浮かべながら「ありがとう」と呟いた。


             *


 やがて七人は野営地へと辿たどき――。

 待機していた支援部隊の騎士らによって、大歓声と共に迎えられた。


 帝都は奪還したものの、ガルマニアの新たなる歴史は始まったばかり。


 エルスたちは束の間の休息を終えるなり、せわしない様子でトロントリアへとがいせんするのだった。



             *



 そして、エルスたちが勝利の帰還を果たした頃。


 トロントリアから遠く北西。

 アルティリア王国内、ファスティアの街の〝農園〟にて。


 黒髪の青年・ナナシは本日の収穫を終え、いつものように作物を保管庫へと運ぶ、めの作業に取り掛かかろうとしていた。


「うん、いいね。今日も豊作だ」


 ナナシは草刈り鎌を手に、労働で汗ばんだ額をそでぬぐう。


 まだ天上の太陽ソルは昼の陽光ひかりを放っているが、霧が出る兆候なのか、周囲の空間は薄暗さを増しはじめている。


「そろそろ霧が出そうだな。それじゃ、一旦戻って……」


 そう呟いて、ナナシが荷車に目を向けてみると――。そちらでは軍服姿に金色の短髪をした男が、今朝ナナシが収穫したばかりの根菜をかじっていた。


 男は右の手首から先を失っているのか、そこに黒い布を固く巻きつけている。

 そして、その男・ディークスはナナシに気づき、殺気立った視線を彼に向けた。



「あぁ?――んだ、テメェは。ここを管理してるデク人形か?」


「霧にまぎれて泥棒かい? 少しくらいなら食べてもいいけど、随分と失礼な人だね」


「事実だろうが。テメェらデク人形は、人間サマの……」


 そこまで言いかけたディークスだったが、ナナシの首に掛けられた〝りの守護符アミュレット〟を見るなり、彼は目を大きく見開いた。


「おい! テメェは古代人エインシャント――いや、てんせいしゃだなっ!? さては〝あの女〟が言ってやがった野郎か!」


「何のこと? 僕はナナシ。残念だけど、君の言ってることはわからないよ」


 一方的にまくてるディークスに対し、ナナシは冷静に首を左右に振ってみせる。


「ファック! テメェにも俺様の、まわしい管理番号ナンバーえてんだろうが! それに、そのダセェ首飾りが何よりの証拠だ!」


「僕は何も知らない。覚えてないんだ」


 ナナシがしらっていると判断したのか、ディークスはふところから拳銃を取り出した。そして銃口をナナシに向けたまま、ゆっくりと彼に近づいてゆく。



「……正気かい? 軍人が民間人に銃を向けるなんて」


「それだよ! この世界の人形どもは、銃を知りもしねぇ! まぁいい。そこまで言うなら、思い知らせてやる!」


 ディークスは銃を自身の右のわきに挟み込み、左手でナナシの首から強引に、彼の守護符アミュレットを引きった。


「どうだ!? 霧から〝声〟が聞こえんだろうが! それに、ここに刻まれた文字が」


 しかしナナシの守護符アミュレットを裏返したたんきょうがくの表情と共にディークスの動きが固まった。には小さな傷こそあるが、文字らしきものは何ひとつ刻まれていない。


「無い? 馬鹿な……。じゃあ、なぜテメェに管理番号ナンバーが――」


「――返せ」


 静かな、しかし確かな怒りのもった言葉が、ナナシの口から発せられる。


「それは僕のだ。エルスが、僕の友達がくれたものだ。返せ」


「あぁ!? テメェまでも、エルスエルスとほざくのか!?」


「返せェ――ッ!」


 ナナシは右手の草刈り鎌を振り上げ、素早くディークスに襲いかかる。手入れの行き届いた刃は非常に鋭く、ディークスの左手首をやすやすと刈り取った。


「シィ――! またアバターに損傷が! こうなったら魔法で……」


「敵だッ! おまえは僕の、敵だァ――ッ!」


 呪文を唱えようとしたディークスののどもとを狙い、ナナシの鎌が伸ばされる。対するディークスは上体をらし、よこぎの刃をかみひとで避ける――。


 しかし、わんきょくした刃先がディークスの胸元をかすめ、細いくさりのついた彼の守護符アミュレットを引きずり出す。さらに勢い余って鎖はれ、は宙へと投げ出された。



「ファック! しまった――!」


 ディークスはあわてふためきながら、畑に落ちた守護符アミュレットの元へと走る。彼は必死にを拾いあげようとするも、すでに両手を失っているために、当然ながら上手くはいかない。


 そんな彼とは対照的に、ナナシは自身の守護符アミュレットを拾い上げ、冷ややかな視線をディークスへと向けている。


「や……やめろ! 俺様は異常じゃない! 俺様は人間だ! 待てっ! 消さないでくれ! 頼むよっ! やめてくれ――!」


 泥まみれになりながら、しばらく土とたわむれていたディークスだったが――やがて恐怖に震えながら、自身の両耳を手首で押さえはじめた。


《異常な存在を検知。――解析を完了。手順プロトコル記録抹消処置ダムナティオ・メモリアエに従い、対象の構造物オブジェクトを終了します。――なのっ!》


 ディークスの頭に響く、謎の声。それに激しく抵抗するように、彼は大きく身をよじじらせながら、大声で泣きわめく。


 その直後――。


 てんせいしゃディークスは霧の中へと溶け込むように、跡形もなく消滅してしまった。

 あとには真っ白な空間と、守護符アミュレットを手にしたナナシだけが立っている。


             *


 やがて先ほどのを聞きつけたのか、ナナシの養父であるドワーフ族のカルミドが、この場に駆けつけてきた。


「ナナシ、大丈夫か? なにやら大きな音が聞こえたのだが」


「あ、父さん。僕も、なにか嫌なことがあったような感じはするんだけど……」


 ナナシは気分が悪げにうつむきながら、いたがゆさの残る首筋に手をった。いつのまにか守護符アミュレットの鎖で切ったのか、首筋からはわずかに出血しており、触れた指先に赤いものが付いてしまった。


 その指先を眺めていたナナシだったが、ふと足元に落ちている黒い物体に気づき、を拾い上げて確かめる。


「ん? これって、銃……? どうしてこんなものが……」


「ナナシよ。ここに木彫りの守護符アミュレットが落ちていたのだが……」


「えっ? どんなの?」


 ナナシはカルミドから守護符アミュレットを受け取り、それを顔に近づける。彼が何気なく裏面を見ると、乱雑な神聖文字で〝ディクス〟と刻まれているのが見てとれた。


「誰のだろ? さっき拾ったこれといい……。なんだか気分が悪いや」


「ふむ……。おまえの〝記憶〟の手がかりとなる、なにか重要な物かもしれんな。――ともかく、家に戻りなさい。あまり霧に触れぬほうがい」


「ありがとう。悪いけど、そうさせてもらうよ」



 ナナシはカルミドに残りの作業を任せ、自宅へ向かって霧の中を進む。手の中にある謎の銃と守護符アミュレットを見ていると、なぜだか心の中がざわついた。


「僕の名は、ナナシ。――それだけが、真実だ」


 二つのアイテムを携帯バッグにい、ナナシはエルスから貰った大切な守護符アミュレットを握りしめる。と友人がくれた名前だけが、自身が〝ナナシ〟であることの存在証明アイデンティティなのだ。


 家に辿り着いたナナシは扉を固く閉じ、自室で大きく深呼吸をする。

 本日の霧は一段と濃く、ミストリアス全体を完全に覆い尽くしていた――。

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