第27話 瘴気の森を抜けて

 かつて、アルティリア王国の辺境都市トロントリアとガルマニア帝都との境界には、シエル大森林という名の美しい森が広がっていた。


 森は近隣で暮らす人々に資材や食料といった、豊富な恵みをもたらしていた。そのため両国は互いに森を尊重し、永きに渡って大切に守り続けていた。


 だが、七十年前のガルマニア滅亡の後――。帝都の周囲一帯は高濃度のしょうおおわれてしまい、この美しい森も〝闇〟の侵食を受けてしまった。


 樹木のみきは闇色に変色・変質・変容し、のうしょくに染まった枝葉からは、絶えず瘴気が降り注ぐ。生けとし者らは森を追われ、森は魔物のそうくつと化した。


 そして、いつしかこの地は〝しょうもり〟と呼ばれるようになったのだ。



 エルスたち〝特攻部隊〟は〝帝都奪還作戦〟の総司令官であるディークスの命令によって、一足先にトロントリアをたされた。


 そして、今まさに――。

 いっこうは、この闇色に染まった森の中へと、足を踏み入れようとしていた。


             *


「うげェッ……。話には聞いてたけど、これはかなり手ごわそうだな……」


 エルスの目の前にあるのは〝闇そのもの〟といったしょうへき。まるで高濃度の瘴気が壁となり、木々の間にたいりゅうしているかのようだ。この中にとどまれば着実に体力と魔力素マナを削られ、ゆるやかな死を迎えてしまうだろう。


「すごい瘴気だねぇ……。エルス、大丈夫?」


「いざという時は、ミーの魔力素マナを分けるのだ! 好きなだけいていいのだー!」


 体内の魔力素マナは互いの肉体を触れ合わせることで、ある程度のじょうが可能となっている。これまでもミーファはエルスにしがみつくことで、魔力素マナが不足しがちな彼に対して自身の魔力素マナを受け渡していた。



「ああ、ありがとなッ。とはいえ、これは……。どちらかというと体力だな……」


「エルスが一番、体力ないもんねぇ。――あれ? ティアナちゃん、どうしたの?」


 アリサはパーティの後方で、ひとり赤面しているティアナの方を振り返る。どうやら彼女はミーファの言葉を曲解してしまったらしい。


 エルスはあわてて誤解を解き、改めて気を引きしめた。


             *


「オレたちはあとに続く部隊のため、なるべく多くの魔物を排除しつつ、この森を突破する。――現時点での作戦は以上ですね? ゼレウスどの」


「うむ……。諸君らに危険な役を任せることになり、誠に心苦しいが……。どうか、よろしく頼む……」


 ニセルの確認に対し、騎士団長ゼレウスは丁寧に頭を下げる。本日はステッキではなく大型の騎士剣を帯びていることから察するに、彼も戦うつもりのようだ。



「後方支援は、私にお任せをっ! 休憩用に、こまめに障壁バリアを張ってくから。瘴気がつらくなったら下がってね?」


「ああッ。頼んだぜ、ティアナ! それじゃみんな、準備はいいか?」


 一同はうなずき、各々がものを強くにぎりしめる。


 何もない空間からとうとつに、巨大な剣や斧を出現させたアリサらを見てゼレウスは思わず目を丸くするが――。突入前ということもあり、彼が驚きや疑問を口にすることはなかった。



「よしッ! それじゃ、突入だ――ッ!」


 エルスは気合いと共に、〝闇〟の中へと足を踏み入れる。


 そして分厚い瘴気の壁を突き抜けると――。

 そこには薄暗い迷路のような、奇妙な森が広がっていた。


 完全に視界をさえぎられることも覚悟したが、意外にも〝内部〟の見通しは悪くないようだ。見上げた空はくらく染まり、太陽ソルの姿は見えない。例えるならば、巨大なテントの内部といった状況か。



「なんだ、この森? 瘴気のせいもあるけど、なんか変だな……」


「あっ、この感じ――! もしかして……」


 ひらめいたかのように声を上げ、ティアナは左手に、薄い魔水晶クリスタルの板がめ込まれた魔導盤タブレットを出現させる。彼女は腕輪バングルに武器ではなく、愛用の道具ツールを収納していたようだ。


 ティアナは魔導盤タブレットを手にしたまま精神を集中し、口の中で呪文を唱えた。


「マピクト――!」


 探査の光魔法・マピクトが発動し、ティアナの持つ魔導盤タブレットに、小さな光が生じる。光は魔水晶クリスタルの上をせわしなくそうし、盤面に周囲の地形をびょうした。


「やっぱり! この森、異界迷宮ダンジョンになってるっ!」


「おおッ、すげェ!――ッていうか異界迷宮ダンジョンって、洞窟以外にもあンのか」


 世界に迷宮ダンジョンが現れる詳しい仕組みは、いまだ解明されていない。光の地図で確認すると、密集した木々が壁のように立ち並び、迷路のごとく空間を仕切っているようだ。



「こりゃ、下手に突っ込むと迷ッちまいそうだな……。なぁ、ゼレウスさん。どっちに行きゃいいか、わかるか?」


「ああ……。以前と比べ、ずいぶんと様変わりしてはいるが――。おそらくは、だろう」


 ゼレウスは慣れた手つきで地図を操作し、描画が消滅しかけているポイントを指でさす。その位置を確認し、ティアナはアルティリア式の敬礼をしてみせた。


「わかりましたっ! それじゃ、行先案内ナビゲーションは私がするね!」


「さすがは不思議の探求者ラビリス・エクリスタなのだ! 頼りになるのだー!」


 ティアナを称えるミーファに続き、アリサも彼女に同意を示す。


「うんっ! これでわたしたちは、魔物に集中できるね」


 道中ではエルス、アリサ、ミーファの三名が前衛となり、ニセル、ティアナ、ゼレウスが後衛へと回る。いっこうは魔物や罠に警戒しつつ、しんちょうに森の異界迷宮ダンジョンを進む。



「あっ、分かれ道。ちょっと待ってね!」


 ティアナはエルスの前へと走り、今度は右手にステッキを出現させる。その杖の先端には、デフォルメされたウサギの飾りが付いており、彼女は奇術師のように杖を回転させながら呪文を唱える。


「マルポルト――!」


 光魔法・マルポルトが発動し、杖の先から光のくいが発射される。杭は地面へと突き刺さり、杖と同様の〝ウサギの顔〟が描かれた、光の道標しるべを出現させた。


「これでよし! あとから来るみんなにも、方向がわかるはずだよ!」


「やるなぁ、ティアナ! なんか、順調に行けそうな気がするぜッ!」


             *


 迷宮ダンジョン探索者クエスターを自称するだけのことはあり、ティアナは探索に特化した魔法を多く身につけていた。エルスたちは彼女の地図に従って、さらに奥へと進んでゆく。どうやら、この先には広場らしき空間が存在しているようだ。


「いかにも出てきそうな感じだな……。よし、行くぜッ」


 エルスは覚悟を決め、細道から広場の中へと突入する。


 すると案の定――。

 異界迷宮ダンジョンの〝壁〟となった木々のかげから、複数の魔物が姿を現した。



「なッ……!? なんだ、コイツらは……」


不死人類アンデッドなのだ! これはやっかいな相手なのだー!」


 出現した魔物たちの正体は、力尽きた騎士らの遺体が高濃度の瘴気にばくした結果に誕生した、まわしき存在だった。


 すでに肉体は崩壊し、自我はのこっていないものの、彼らは死してもなお武器を手に、かんに戦いを挑んでくる。


 今度は人類の敵である、魔物の一員として。


「おお、誇り高きガルマニアの騎士たちよ――。諸君、もはや遠慮はいらぬ。二度と動かぬよう、粉々に打ち砕き、焼き払い、大いなる闇へとかえしてやってくれ」


「……わかった。それじゃみんな、戦闘開始だ――ッ!」

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