第12話 侵食する魔の手

 迷宮ダンジョンに潜んでいたは、道を外れた冒険者の一団だった。すでに五人は息絶え、ひとり生き残った男は忌まわしく変異した左腕を前方へかざす!

 闇色に変色したそれは木炭のような光沢を放ち――腕に開いた大小いくつもの目玉が、意志を持つが如く周囲をへいげいしている……。

 「ねぇ、エルス。あれって……」

 「ああ……。あの博士はかせが絡んでるのは間違いねェな……」

 冷静に分析する二人とは裏腹に――アルティアナや孤児らは青ざめ、き、どうにか男から目を背けている。

 「なっ……なんなのっ!? あれは……!」

 「なんてキモ――まがまがし……ひっ!?」

 「――ケッ、どうだ見たか!? その反応よ!――もう俺は冒険者どころか、にも戻れやしねぇ!」

 わざと子供たちを怖がらせるように、これ見よがしに腕を突き出す男。エルスはおびえるナディアをかばい、一歩前へ出る。

 「みんな気をつけろッ! アレに触れると、同じようになッちまうぞ!――おい、あんたも諦めるなッ! すぐに左腕を落とせば助かるからさッ!」

 「遅ぇ遅ぇ……、もう何もかも遅ぇんだよ! 今さら元には戻れねぇ!」

 男は絶望のことだまを吐き棄て、左の拳を握り締める! 肉がはち切れるような音をたて、左腕のサイズが一回り増大した!


 「せめて、そのクソガキだけでも握り潰して……道連れにしてやるッ!」

 「いっ……!? いや――っ!」

 殺気立った形相で睨みつけ、男はナディアに飛びかかる! 自らへ明確に向けられた殺意。気丈だったナディアもひるみ、その場にうずくまることしかできない!

 「クッ……! もうやるしかねェのか!」

 「――はぁあーッ!」

 エルスが迎撃すべく構えた直後、アリサの一撃が男を吹き飛ばした! 彼女の手には両手持ちの大型剣・ダインスヴェインが握られている。

 ――男が叩きつけられた壁は砕け、盛大にすなぼこりが舞う!

 「エルス! ナディアちゃんを!」

 「ああッ! 助かったぜ!」

 しゃがみ込んだままのナディアを立たせるべく、彼女の左腕を引くエルス。だが、恐怖で硬直してしまったのか、震える腕は岩のように重く感じる。

 「ほら、ここは危ねェ。ティアナんとこ、行こうぜ」

 「あぁっ……ううっ……」

 「まぁ無理もねェか……。こうなりゃかかえて――」

 エルスがナディアを抱きかかえようとした瞬間!――砂煙の中から、次々と闇色の触手が飛び出した!

 「危ないっ! エルスっ!」

 不規則に伸ばされる触手の群れを、アリサが剣で斬り払う! エルスも慌てて応戦するが、ナディアが居るために剣を振り回すことができない!

 「チィッ……! このままじゃヤベェ……!」

 「イッ、ヒヒッ……! 終わり、終わりだ……! このクソガキめぇ!」

 左腕から触手を伸ばし、砂煙の中から男が現れる。闇の侵食は左半身にまで及び、直視した児童らからは悲鳴があがる。


 「いやっ……! やめてっ! もうやめてぇー!」

 仲間の仇ゆえか、最後の執着ゆえか。男の攻撃はしつようにナディアを狙っている。もはや、残された右眼は濁り、彼の感情を読み取ることはできない。

 「クソッ、なんとかしねェと……!」

 ナディアの前に立ち塞がり、エルスは襲い来る触手をぎ続ける! 後方ではアルティアナが剣を抜き、少年らを守護してくれているようだ。

 ――その時、エルスの隙をついて、触手の一本がナディアの右腕に絡みついた!

 「あっ!? あああぁっ――!?」

 「しまッ――!? うおおぉーッ!」

 エルスが触手を斬り落とすと、絡みついていた触手も霧散する!――同時にアリサが突撃し、男を再び吹き飛ばす!

 「いっ……いやっ! ぁあああーっ!」

 ナディアの右手は浅黒く染まり、吹き出物のように小さな目玉が開いてゆく!――エルスは呼吸を整え、素早く呪文を唱えた!

 「デストミスト――ッ!」

 解呪の闇魔法・デストミストが発動し、エルスのてのひらに紫色の光球が生じる! 光球はナディアの腕に着地すると泡のように広がり、闇の侵食を打ち消した!

 「ぁあっ……。私の……手……?」

 「ふうぅー……。なんとか間に合ったみてェだ……」

 エルスは額の汗を拭い、両手を見つめるナディアを抱える。彼女の右手には軽い火傷のようなあとがあるが、いずれ完治するだろう。

 攻撃が止んでいる間にエルスは走り、アルティアナの元へと合流する――!


 「ナディアちゃん! さあ、こっちに!――エルス、よく無事で……」

 「ティアナ! わりィけどみんなを連れて、先に脱出しておいてくれねェか?」

 砂煙の中からはぜん、ナディアに対するえんの声が響いている。まだ戦闘は終わっていない。

 「じゃあ、この子たちを避難させたら、私も――」

 「――いや、大丈夫だ! 俺たち、アレとの戦いには慣れてるからさッ! 子供らを最優先に頼むぜ!」

 アルティアナが広間へ目をると、アリサもうなずいて肯定する。エルスは左手に短杖ワンドを取り出し、呪文を唱える。

 「わかったっ! あっ、もしかして――ファスティアを救った冒険者って……」

 「へへッ、そうかもな!――リフレイトッ!」

 風の精霊魔法・リフレイトが発動し、アルティアナの周囲を風の結界が包み込む!――結界は四人を浮上させ、ゆっくりと移動を開始した!

 「わわっ、すごい魔法っ……! おおっと……」

 「頼んだぜ! どうにか飛び方は慣れてくれ!」

 「りょっ、了解っ! 教会で待ってるね!」

 球状の結界は次第に速度を増し、あっという間に視界から消える。どうやら、制御には問題ないようだ。

 アルティアナたちを見送ったエルスは、アリサの元へと急ぐ!



 「アリサ、ありがとなッ! 大丈夫か?」

 「うんっ。でも、もうわたしの攻撃は通らないみたい」

 二人の前に立つ、かつて人間だったもの。彼の肉体は顔の右側を除いて硬質化し、完全に闇に支配されている。

 「……ガキ……コロ……ス……ガキ……ナカマ……」

 「待ってろ、いま楽にしてやるからなッ……。アリサ、いけるか?」

 「任せてっ」

 さきほどの移送魔法リフレイトにより、かなりの魔力素マナを消耗してしまったエルス。なんとか目眩めまいこらえ、彼は再び呪文を唱える!

 「レイリフォルス――ッ!」

 炎の精霊魔法・レイリフォルスが発動し、アリサの剣に炎の魔力が宿る! さらに、剣身に埋め込まれた魔水晶クリスタルが赤く発光し、刻まれた文様ルーンこうこうと浮かびあがった!

 「えっ……? すごい、わたしにも力が流れ込んで……」

 祖父が孫のために鍛えた剣――ダインスヴェインを構え、アリサは目標へ向かってはしる!

 「はあぁ――ッ!」

 「……オワリ……オワリ……ウヘ……へ……」

 炎の軌跡を描き、アリサは剣を斜めに振り下ろす! 刃は硬質な皮膚をものともせず、やすやすと肉体を両断した!

 「……グベッ!――オ……俺は……死ねるの……か……?」

 鈍い音と共に、崩れ落ちる異形の男。一面には真っ黒な液体が広がっているが、彼の残された右眼には、再び光が戻っていた。


 「――あんた、名前は?」

 「ダブレイ。いて、どうする……?」

 「覚えとくよ。ダブレイって名の、冒険者が居たッてことを――な!」

 その言葉を聞き、ダブレイの瞳からは透明な液体が流れ出す。

 「へっ……へへっ……。悪かぁねぇな……。ありがと……よ……」

 そう言い遺し、ダブレイはゆっくりと右眼を閉じた。

 彼の最期を見届け、エルスは小さく呪文を唱える――。

 「デストミスト……!」

 解呪の闇魔法デストミストの泡に包まれ、ダブレイの肉体はくうへとかえってゆく。その様子を見届け、エルスは静かに目をじた。


 「やっぱ……慣れねェな。こういうの」

 「エルス……」

 アリサは剣を腕輪バングルへ納め、エルスの背中にそっと触れる。

 ゆらめくたいまつが照らす広間には、二人の冒険者と物言わぬ五つの遺体。床に設置された装置が出す不気味な鳴動音だけが、絶え間なく静寂を妨害している。

 予期せず挑むことになった、迷宮ダンジョン探索。目標である子供たちの救出には成功したものの――幼い彼らにとっても、エルスにとっても、つらい経験となったようだ。

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