第3話 アイデンティファイ
ナナシは目を覚ました。まだ
「エルス。元気にしてるかな」
ベッドから降りたナナシは、部屋に据え付けられた鏡を
首からは、安物の小さな
「おはよう。ナナシ」
ナナシは鏡に向かって
手早く
すでに二つのベッドは空になっている。この家は農業を生業としており、ベッドの
家主らのベッドを横目に通り過ぎ、ナナシはリビングへと続く扉を
まずは
「いただきます」
ナナシはテーブルに着き、手を合わせる。マイナも、義父のカルミドも、彼と同様の動作を行なった
パンをスープに浸しながら、じっくりと味わって食す。水はさきほどの水瓶からカップに注いだものを飲む。とても冷たく清涼感があり、味も申し分ない。
「
そう
彼自身がそう言いはじめたのだが、首を
「あっはっは。
やはり〝
「ごちそうさまでした」
食事を終えたナナシは再び手を合わせ、台所で食器を洗う。
これが彼の、いつもと変わらぬ日常。寝床があり、家族がいて、食事も仕事も与えられている。ナナシは、言語では表せないほどの恩義を、義理の両親に感じていた。
*
「さあ、今日も頑張ろう」
大きく伸びをし、ナナシは玄関へと向かう。
ふと――。なぜだか今日は、壁に掛けられた〝古い写真〟が気になった。
「あっ。これは……」
写真とは、錬金術を用いて描かれた特殊な絵画だ。空間の情報を瞬時に認識し、紙などの
だが、気になったのは〝仕組み〟に関してではない。
被写体となった〝三名〟に、見覚えがあるような気がするのだ。
「アインス。ゼニスさん」
ナナシは
それでもナナシには、ここに〝誰〟が写っているのかを把握することができた。
「えっ……? ナナシ……?」
いつの間にか帰宅していたマイナが、驚いたように口元に手を当てる。頭には帽子代わりの
「ん? エレナ……?」
ナナシはマイナへ視線を移し、その名を口にする。それは〝写真に写った少女の名〟だ。彼の言葉を受けた
「あ、違う……。ごめん、母さん」
「え……、ええ……。ナナシ、どうしてご先祖さまの名前を?」
記憶を失くしたナナシを養子に迎え入れているが、彼とマイナの年齢に大差はないと思われる。そんな〝母〟に対し、ナナシは
「わからないんだ。いつも見てたはずなのに――」
今日は何故か、ひどく写真が気になった。そして、この写真を
「そう……。そうなのね。ご先祖さまの名前は、誰にも話していないのに」
マイナは野菜のカゴを置き、
「でも不思議。……アインス? その名前を聞いた時、私にも
自身よりも大きな息子から離れ、マイナが色あせた写真を見上げる。彼女の母や祖母からも、中央に写る〝少年〟の名は教わっていなかった。
「金髪の少年――。勇者アインス。それが〝彼の名前〟だって……」
やがてマイナの夫であるカルミドも帰宅し、驚いた様子で二人を
「どうした、二人とも? 何かあったのかな?」
「ううん。何でも――。いいえ、あとでゆっくりと話しましょう?」
マイナは野菜カゴを台所へ置いて戻り、優しげに微笑んだ。いずれにせよ、ナナシの〝記憶〟の手がかりになるのならば、それは喜ばしいことだろう。
「ふむ、わかった。では
「はい。父さん。
「ああ。行ってくる」
カルミドはマイナの手を引き、玄関から外へと向かう。人間族のマイナの方が、カルミドよりも背が高い。ほどなくすると、荷車が
「僕はナナシだ。絶対に……」
家に一人残されたナナシ。
彼は写真の少年を、じっと
*
農作業服に着替え、ナナシは〝アルティリアカブ〟の畑へ向かう。これは、この地方で古くから栽培されている作物であり、今朝のスープの材料にもなっていた。
「さてと、もういいかな?」
丸々と育ったカブを引き抜き、荷車へと積み込む。このアルティリアカブは、五日ほどで収穫できる。ナナシは初めこそ驚いたが、すっかり慣れてしまったようだ。
次々と畑を周り、土を耕し、種を
ナナシは畑に手をかざしながら、小さく呪文を
「ミュゼル――!」
水の精霊魔法・ミュゼルが発動し、ナナシの頭上に数個の水球が出現する。水球は上空へ舞うと大きく弾け、広範囲に大粒の〝水の雨〟を降らせた。
「ふう……。今日も上手くいった」
ミュゼルは本来、対象を凍結・粉砕する魔法。当然ながら、主な用途は〝戦闘用〟となっている。こうして
*
「よし、戻ろう」
他の農地の見回りも終え、ナナシは山盛りの荷車を
「少し、ゆっくりしすぎたかな?」
ナナシは空を見上げる。すでに天上の
「うん。今回も出来が良いね」
真っ白なカブを磨きながら、ナナシは思わず笑みをこぼす。たとえ〝記憶〟は戻らずとも、彼には〝今の生活〟だけで充分だった。
ナナシが作業を進めていると、不意に〝聞き覚えのある声〟が彼の名を呼んだ。
「おーい! ナナシーッ!」
「ん……? あっ――」
顔を上げたナナシの視界に、三人の人物が映り込む。一人はエルス。もう一人はアリサ。そして、エルスにしがみついているのは見覚えのない小さな少女。
「やぁ。久しぶりだね、エルス。冒険は順調かい?」
ナナシは作業の手を止め、親愛なる友人に
なぜだか今日は、彼らに会える予感がしていたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます