おまけ 魔術師ジル2

 ジルは誰かを哀れんだりするような思いやりの精神を持ち合わせていない。だから本当に、私のためを思ってとかではなく、馬鹿にされたからやり返そうと思っただけなのだろう。

 それでも、どうしても納得できない。


「たしかに私はあなたの弟子ではありますが、名ばかりの弟子が虚仮にされたとしても、あなたを貶めることにはならないと思います」


 アンリ殿下はジル自ら弟子に誘ったらしい。

 私も、傍から見ればジルが誘ったように映るかもしれないけど、アニエスの手紙を面白がっただけだ。それがなければジルは私を弟子にしようとは思わなかっただろうし、私のことなんて知りもしなかっただろう。


「私の可愛い弟子は今日はとくにおかしなことばかり言うね。他がどう思おうと、私には関係ないよ。私が虚仮にされたと思ったのだから、それだけで十分だろう」


 目つきが気に入らなかったからというだけで呪う人は言うことが違う。

 思わず感心しそうになったけど、それで呪われたり地形を変えられた人はたまらない。それに、度が過ぎれば魔術師を快く思わない人も増える。


 ジルは他の誰のことも脅威には思わないだろうけど、名ばかりの弟子である私が原因でジル以外の魔術師が割を食う事態はできたら避けたい。

 我が道を突き進む師匠をどう説得したものかと悩んでいると、ゆったりとした動作でジルが長椅子を降り、私の前に立った。


「それに、名ばかりの弟子だなんて言った覚えはないはずだよ。私はいつだって可愛い弟子だと言っていたはずだけど、どうしてそう思ったのかな?」


 翳ることなく輝く月のような金色の瞳が私を見下ろす。ゆっくりと傾けられた頭に合わせて、紺色の髪が肩から落ちた。


「私を弟子に迎えたのはアニエスの手紙があったからですよね。なので私に興味があるとは思えませんでしたし……可愛い弟子というのも、いつもの口からでまかせだと思っていました」


 ジルの言葉にたいした意味はない。その場限りの適当なものがほとんどだ。冗談とも本気ともつかないものも多く、次の瞬間には翻されるものばかり。

 だから三年間ずっと可愛い弟子と言われ続けても、本心からとはとうてい思えなかったから。


「たしかに君に興味を持ったのは熱烈な恋文――推薦状があったからだよ。下に慕われる者はどんな人物なのか……何かの参考になるかと思って会いに行ったのは間違っていない。だけどその先で弟子にするかどうかは、私次第。君を弟子にしたのと君の妹はなんの関係もない。私が弟子にすると決めたのだから、君は私の可愛い弟子だよ。それ以上でも以下でもなくね」

「……可愛い弟子に対しての扱いではなかったような気がしますけど」

「それは私を師匠にしてしまったのだからしかたないね。アンリにも聞いてごらん。君に対してとたいした差はないはずだよ」


 ジルの横暴振りや我侭に愚痴を言い合ったことは数知れず。アンリ殿下もそうとうな扱いを受けていそうなのは、今から聞きに行かなくても察しがつく。


「蛙探しに沼を張りこみさせたり、一晩しか咲かない花を見張らせたり、遠方の地でしか売っていないお菓子を買いに行かされたり、魔術に関係ないことばかりさせられたのは……私が弟子として不適格だったから、というわけではないということですか?」

「魔術ばかりでは退屈だろう? 私の興味を埋めるのも弟子の仕事だよ。アンリを遠くにやるのは禁止されていたし、日を跨いで滞在させたら怒られたからね。自由に動ける弟子を取ったのは正解だった」


 もしかしたら私も、両親と同じだったのかもしれない。

 アニエスが言ったから――彼女が願ったから、その通りになったのだと信じてしまった。


 ジルの人柄を考えれば、そんなことはありえないとわかったはずなのに。


「それにしても、可愛い弟子に疑われて私は悲しいよ。だけど私は心の広い師匠だから許してあげるよ。そう思っていることは知っていたしね」

「……知っていたんですか?」


 あっさりと、なんてことのないように言われて、思わず聞き返してしまう。


「でなければ、わざわざ可愛い弟子だなんて呼ぶはずがないだろう? 私はとても親切だからね。君が自分の立場を理解できるように、言葉にしていたんだよ」

「わかりやすいけど、わかりにくいです……」


 アンリ殿下のことは名前で呼ぶから、一種の嫌味なのかと疑ったことすらある。

 でも三年間ずっと嫌味を言うような人ではないので、深い意味はないのかもと結論付けたけど。


「なら、私が認めた可愛い弟子とでも言うようにするかな。長くはなるが、わかりやすいだろう?」

「普通に呼んでください。親しみをこめて……いえ、親しみはあってもなくてもどちらでもいいですが……名前で呼んでいただけるのが一番わかりやすいです」


 ジルが誰かの名前を親しみをこめて呼ぶ図が想像できない。

 それでもまだ、弟子という記号ではなく名前で呼んでもらえたほうが親しみを感じられるような気がする。


「おや、そうかい? なら、クラリス。私はそろそろ眠るから、君も部屋に戻りなさい。夜遅くに、師匠とはいえ人の部屋に出入りするのはよくないからね。また明日の朝、弟子として研鑽を積むといい」

「わかりました。ですがその前に……我が師ジル。最後にひとつだけお伝えしたいことがあります」


 姿勢を正す私に、ジルが何かなと問うように眉を動かす。

 アニエスの手紙に興味を持った経緯は、これまでにも聞いたことがある。ここまで賞賛される人物がどんなものか気になったと、初めて会った時にも口にしていた。


 だけどアニエスが賞賛しているのは、彼女の中にある姉であって、私ではない。ジルが興味を持った人物はどこにもいないのだと、三年間燻る思いを抱き続けた。


 興味を抱いた人物が幻想であることに変わりはないけど、今ならジルが求めている答えを少しだけ、与えられるかもしれない。

 これまでは『下の者』を弟子とか他の魔術師とかだと考えていたけど『下の者』を『妹』として考えたら、そしてジルとノエルが兄弟であることを当てはめたら――興味を持った理由も少し違った見方をできる。


「弟に慕われたいのでしたら、もう少し兄弟として過ごしてみてはいかがでしょうか」


 ふむ、という小さな呟きと共に金色の瞳が細められる。


「なるほど。考えておくよ」

「はい。それでは、おやすみなさい」


 一礼して、研究室を出る。

 実際にノエルに慕われるかどうかはジル次第だけど、ノエルは彼のことを身内と認めていたし、兄と呼んではいたので、多分大丈夫だろう。


 ぐっと背伸びをして、部屋に戻る。今日はなんだかすっきり眠れそうだ。


 ――我が道を突き進む師匠を説得できていないことに気づいたのは、次の日目覚めてからだった。

 そして翌日も説得に失敗したのは言うまでもない。我が師ジルは、いつだって自分の道だけを突き進んでいる。

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なんでも思い通りにしないと気がすまない妹から逃げ出したい 木崎 @kira3230

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