えせ幸ひ

桜雪

第1話

「私はこれ以上、あなた様を騙したくはないのです」

 

『彼』が小袖を脱ぐと疑念を抱いていた答え合わせのように、そこには自分と同じ膨らみがあったことに、綏子やすこは目を瞬きした。思わず、真白い肌に触れて、その存在を確かめてしまった為、『若君』の顔が恥ずかしさからか、薄紅色に染められていくことが月明かりに照らされて分かった。

 殿方にも胸があるとは女房たちからも聞いたことがない為、『若君』のような振る舞いをしていた人は、本当は自分と同じ『女君』だったということが世間知らずと評される綏子 やすこであっても分かる。


「幻滅、されたでしょう?」

「いいえ。私が本当は知っていたと言えば、貴方は驚く?」

「そんな気はしていました。教えてくれたでしょう? あの時はもう嘘をつくな、と宮様から釘をさされたかと思っていましたが」


『若君』だった人は、笑顔を取り繕う。

 以前、綏子は『若君』が落とした扇に文代わりとして、白い菊の花を送った。その意味を知りつつも、『若君』は綏子の想いから、目を背けていたということだろう。


「今だけは『綏子』と呼んでくれない? 貴方とのことを最後の恋として、この胸に閉じこめておきたいから」

「綏子様。……私でいいのですか?」

「ええ。この逢瀬がふたりの最後となるのなら。私と一夜限りの恋を楽しみましょう?」








 母の急逝により幼い頃から務めていた斎宮を退下することになった綏子に、若い女房たちは揃って『おいたわしい』と嘆きをみせる。

 どうして、彼女たちが苦悶の表情を揃って見せているかといえば、既に帝には周囲から目に余るほど慕っている女人がいて、綏子が入内じゅだいしても、彼の関心を得ることは難しいこと。そして、裳着もぎを済ませたばかりの綏子が恋を知らないまま、父の言いなり通りに入内をすることが、哀れで仕方がない、と言うことらしい。父からしてみれば、綏子は政治の道具にすぎないし、こうして、自分の為にさめざめと泣いてくれる女房たちの気持ちを有り難く思う。

 斎宮を退下すれば、入内をすることは決まっていたことだし、女房たちの思い憧れている素敵な公達きんだちというものが綏子にとっては、よく分からない。

 彼女たちは絵巻物を綏子の前にいくつも置くと、この物語の公達のどこが素敵だったかを、飽きもせずに語ってくる。

『源氏物語』に出てくるような公達と、一夜の恋であるからこそ身を焦がしたい。そんな思いにさせられるのです! と熱く語られたところで、扇子ごしに欠伸を隠しながらも、女房の手前、綏子は巻物を開くが、その素敵な公達とやらの顔が思い浮かばず、首を傾げるばかりだ。

 しかし、自分によく仕えてくれている女房たちが父憎さのあまり毎夜、枕元に生霊として立ち、呪詛を吐きそうな有り様を見れば、誰かと恋の真似ごとでもしてみようかしらと思う。

 いずれ帝の后となることが決まっているのだから、それまでは彼女たちの憂いを解くのもいいだろうと、綏子は考えた。


「誰か、おすすめのお相手はいて?」


 そう綏子が言うのを待っていたかのように、彼女たちは文箱の蓋から、はみ出る程の多くの文を持ってくる。自分の仲立ちをすることで、素敵な公達に逢えることを期待している女房を可愛らしく思った。

 送られた文を乳人に見つからないように、女房たちが選別をすると、綏子からは跳ね除けられた一枚の文が気になって手にとる。


「綺麗な手蹟しゅせきじゃない。この方は駄目なの?」

「此方の家は落ちぶれた家で、宮様のお相手に相応しくはありません」

 

 焚きこめられた香は、確かに高価なものではないが、綏子はこの誠実そうな手蹟を見て、相手のことが気になった。


「この方にするわ」

「宮様⁉︎」

「お前たちの好きな恋物語にもありそうな話じゃない? 貧乏な下級貴族と姫君の恋。私は恋を知ることが出来るし、彼は私を相手にすることで名誉を得られる。お互いに都合がいいわ」

「それはそうですが」


 渋る一人の女房だったが、他の女房たちは綏子の言葉に賛同をする。


「私はいいと思うわよ? どうせ仮染めのお相手だもの。上級貴族なら口止めも面倒だけれど、下級貴族相手なら、うまく口封じも出来るでしょうし」

「もしも、お子が出来た場合、後から詮索されるのも面倒よ?」

「……そうね。分かりました、宮様。ただ、宮様に釣り合わない不作法者でしたら、このお話はなかったことにしますからね!」


 他の女房たちに請われて、綏子の代わりに彼女は筆を取る。女房からの綏子が文を交わしてもいいと許しを得てから暫く、『若君』と文を交わしていた綏子は流暢になった文にふと、違和感を覚える。

 紙に焚きこまれた香を再び、確かめると、眉を寄せた。


「どうしたんですか」

「いえ、私の気のせいだわ。それよりも、今夜よね。どんな方なのかしら」

「噂によれば器量はいいとのことですが、宮様のお相手に相応しいかは別ですわ」

「おまえたちは私に恋をしてほしい、と言うのに、お相手には随分と手厳しいのね」

「皆、宮様が大切だと思っているからですよ」

「知っているわ。これでも、感謝してるのよ?」

「……宮様。何か、企んでませんか?」

「ひどいわね。珍しく、素直になっただけなのに」

「私たちは裏で控えてますが、何かあったら、叫んでくださいね? 必ず、駆けつけますから」

「はぁい」

「宮様?」

「はいはい。分かってるわよ」


 女房に自分の企みを、綏子は知られるわけにはいかなかった。どんな相手が来るのか、という緊張感よりも、どちらの相手がくるのだろうか、という好奇心が綏子の胸を占める。

 彼女たちは気づいてはいなかったようだが、初めに文を送ってきた相手と、綏子が文を交わしていた相手は別人だ。

 御簾みす越しにひとりの影が映ると、綏子はそっと、相手を伺った。相手が御簾に入る前に、自分から御簾を開けるのは行儀の悪いことだが、此処には口煩い女房もいないのだから、分かりはしないだろう。

 綏子は御簾の内側から『若君』だと思う人の手を掴むと男性にしては、か細く白い手を、御簾の中へと引き寄せた。

 相手は綏子の行動にびっくりした様子で、持っていた扇を落としてしまう。


「う、うわぁ」

「しぃ、静かに。女房たちはもう休んでいるから」

「み、宮様ですか」

「ええ。貴方が成り代わった方?」

「……なんのことか」

「初めに文をくれた相手と途中から入れ替わったでしょう?」

「ご存知でしたか」


『若君』は悪戯がばれたように、目を細めると唇を綻ばす。

 初めは女房が代筆をしていたので気づかなかったが、自分が文を書く頃になると、相手の手蹟が優美な物へと代わっていった。相手が薫きしめている香も価値の高いものだし、この人の装いをみれば、下級貴族とは思えない。


「ええ。貴方、呪詛返しは出来て?」

「? 呪詛?」

「女房たちに知られでもしたら、私を騙すなんてと陰陽師にでも依頼をして呪いを飛ばしそうな勢いになるから、黙っていたの。今日、貴方の誘いを受けたのも、なんでこんなことをしたのか、知りたかったからなのよ」

「……宮様は、好奇心旺盛な方なのですね」

「貴方だって、同じことをされたら、気になるでしょう?」

「私は『無礼者!』とその扇で叩かれる覚悟をしてきたのですが」


 普通の姫君はこういうときに怒るのかと綏子は扇を『若君』へと向ける。


「無礼者となじってほしい?」

「いえ、私にそんな高尚な趣味はありません。元々の文は私の異母兄が相手にされないだろう、と出していたようなのですが、宮様が相手だと知ると、どうやら怖気付いたようで」

「それで、貴方に代わったのね。そういえば、貴方の名前はなんていうのかしら」

「では、鬼灯と」


『若君』は飾られている鬼灯を視線を向けて、自分の名を思いついたのか、そう告げる。


「あら、仮初 かりそめであったとしても、恋人に名も明かせないのかしら」

「……私の身分の関係で明かせないのです。駄目ですか?」


 瓜実 うりざね顔の整った顔立ちに、困ったような顔をされれば、綏子は自分の方が悪いことをしたような気持ちになってしまう。

 綏子は鬼灯の君から顔を背けた。


「……許してあげるわ」

「ありがとうございます」


 本来なら同じ枕を共にするところだろうが、鬼灯の君にもそんな素振りはみえないし、互いに恋を語り合うような空気でもなくなってしまった。

 綏子は漆黒に彩られた貝桶を持ってくると、中から何十個かの貝殻を取り出す。普段なら全ての貝殻を取り出すところだが、さすがに三六〇個も並べていたら、すぐに鶏が鳴く声が聞こえるだろう。

 ふたりで遊べるだけの数のはまぐりの貝殻を、綏子は円状に並べていく。


「貝合わせですか?」

「ええ。負けた方が勝者の言うことを聞くのよ」

「なにを請われるんですか?」

「言ったらつまらないじゃない」

「じゃあ、宮様からどうぞ」


 一対のはまぐりの殻を手のひらの中に取り上げて片手で片方の貝殻をうまく合わせることが出来たのなら、カチリと音がする。綏子は貝合わせを始めてから満足気に、何個も音がなった貝殻を膝の上へと載せていく。

 鬼灯の君は手加減をしているのか、貝合わせが得意ではないのか。結局、勝ったのは綏子だった。


「鬼灯の君。貴方、さては遊び下手ね」

「弓を射ることや蹴鞠は得意なんですが、どうもこういう遊びには向いていないようで」

 

 鬼灯の君は綏子から視線を外してしまったので、勝ちを譲ってくれたかどうかは分からない。


「まぁ、いいわ! 勝ちは勝ちだもの!」

「何を望みますか? 姫?」


 鬼灯の君の手を取ると、綏子は対になっている、はまぐりの貝殻を載せた。


「私たちは今だけは恋の相手よね?」

「そうですね」

「二枚貝にはね、夫婦円満の意味もあるの。だから、私にこれ以上の嘘はつかないで」

「……それはどういう」

「貴方は負けたのだから、はい、とだけ返事をすればいいのよ」

「分かりました、宮様」


 女房たちの足音が聞こえたことで、鬼灯の君は御簾を開く。


「後朝 きぬぎぬの文は必要ですか?」

「今はいらないわ」

「分かりました。またお会いしましょう、宮様」


 鬼灯の君が帰ってしまうと、女房たちは揃って、はしゃいだ声を出す。綏子が早々に『若君』を追い出さず、ふたりで朝を迎えたことが、彼女たちにとっては喜ばしいことらしい。


「どうでしたか? 宮様」

「素敵な方でしたか?」

「ねぇ。ここ最近、噂になってる公達の話はないかしら」


 綏子が女房の質問に答えることなく、他の公達に対して問いかけると、彼女たちは一様に顔を見合わせる。


「噂、ですか?」

「そうね。例えば、宮中での評判はとても良いのに、月に何度か参内を休んでいる病弱なお方とか」

「いたかしら。そんな方」


 ひとりの女房が思い出したように、小さく手を挙げる。


「それなら、大納言様のお家の男君だと思います。右大臣家の姫様との結婚のお話もあったようなのですが、帝が話を促されたところ、なぜか大納言様は泡を噴いて卒倒してしまったようで」


 そのまま、話が流れてしまったという女房の言葉に、綏子は考えた素振りを見せると、鬼灯の君が落としていった扇を拾い、女房が飾ろうとしている白い菊の花を渡すように告げる。


「……宮様?」


 開いた扇の上に花を落とし、押し花を作るように閉じてしまうと、一人の女房に手渡した。


「鬼灯の君がお忘れになったみたいなの。渡しておいてくれないかしら?」

「後朝の文の返歌ではなく?」


 女房に怪訝な顔をされたことで、綏子は彼女の手に無理矢理、扇を握らせてしまう。


「鬼灯の君には、これで分かると思うわ」







 入内の準備で忙しくなり、滅多に自分には会いにこない父まで来るものだから、密やかに文を交わしても中々、鬼灯の君に会うことが難しくなっていた。

 会えば自分に隠しごとを明かさない素振りを憎らしく思うのに、会わなければ、心に穴がぽっかりと空いたように感じる。


「これも、恋なのかしら?」

「鬼灯の君ですか?」

「ええ」


 綏子が『鬼灯の君』と『若君』を呼ぶことで、女房たちの間でも、その名が馴染んでしまっている。 

 綏子は真実を鬼灯の君の口から聞きたいと思っているが、本当ならこのまま会わないまま、綺麗な思い出として、いつか懐かしく思う日を待つ方がいいのだろう。

 もし真実を知っても、鬼灯の君と恋真似を続けたいのか、綏子は自分の気持ちが分からない。


「最近では、宮様のお顔が曇りがちですから。皆、囃し立てたことを後悔してました」

「あら、気づかなかったわ」

「気づかせないようにしていましたから」


 指折り、入内をする日にちを数えれば、鬼灯の君と会える日を作ることはもう難しいだろう。

 溜息を吐いた綏子に、女房は耳元で今日は父が来ないから、鬼灯の君を呼ぶことが出来ると話す。


「……いいの?」

「ただ、今宵が最後の手引きとなります。宮様のお好きなようになされませ」





 







 ふたり。枕を共にしながら、鬼灯の君は、自身の生まれをおかしそうに綏子に語りかける。


「私の生まれが大納言家とは、知っていますか?」

「ええ。女房の話から、なんとなくだけど」

「そうですか。大納言の奥方、私の母には男が生まれなかったのです」

 

 睦言代わりに自分の過去を話す、鬼灯の君の冷えた足先を暖めるよう、綏子は軽く足を絡めた。


「けれど、大納言のお家のお姫さまなら、帝の後宮に入内も出来たでしょう?」

「ですね。でも、母は私を『姫』だとは決して、認めたくはなかった。父にまで嘘をつき通して、全てが露見したのが、元服が終わったあとなのです。厳つい熊のような外見をしてる癖して、母を鬼女だと恐れている小心者の父は、事が露見するまで、私を男として扱うことを決意しました」

「……つらくはなかった?」

「いえ。殿方の生き方が私にはあっていたのが不運だったと言えばいいのか。不思議に位は上がるばかりで、父の胃もさぞ傷んでいることかと思います。この生活を幸福とさえ思っていたのに、綏子様に会ってしまってからは辛くなりました」


 鬼灯の君は綏子の艶めいた黒髪の後頭に、手を当てると、互いの額をくっつけあう。幼子がするような行為に綏子がクスクスと笑えば、愛おしそうにみつめられた。


「私が本当の『若君』だったら、ちゃんとした妻問いができたのにと。貴女が帝のものになってしまう前に、綏子様を攫っていたでしょう」

「私が鬼に食べられてもいいと思うの?」

「私なら、決して、貴方を鬼には渡しません」

「……けれど、結局は私も鬼に食べられてしまうわ」

「すいません」


 陽の光が差し込んだことで、彼女は名残り惜しそうに綏子の頬を撫でて起き上がると、手のひらに一枚のはまぐりの貝殻の片割れを握らせる。


「一夜の恋はご満足頂けましたか?」

「ええ。貴方は?」

「……きっと、これからも綏子様を思い出さない日はないでしょう」

「私も」


 これ以上、一緒にいれば、互いの醜聞になると思ったのだろう。彼女は真実の名を明かさないまま、手早く、着替えると、御簾から振り返りもしないで出ていってしまう。

 綏子がいくら待とうとも、彼女から後朝の文が届くことはなかった。












 後宮に入内したはいいものの、予想通り、帝は父の手前か、儀礼的に顔を見せるだけで、綏子は退屈な日々を過ごしていた。

 そのことを宮中のお喋りな雀たちから、聞きつけたのか。焦った父は帝が教養の高い女性を好むと聞きつけて、一人の漢詩が詠める女房を綏子付きとして、引き入れることにしたようだ。

 古参の女房から、その話を聞いて、綏子は扇の下に呆れた顔を隠す。


「お父様も大概、権力がお好きよね」

「綏子様。新しい女房にも、そんな態度はいけませんからね?」

「はいはい」

「失礼致します。新しく綏子様付きになった者ですが」

「どうぞ。入っていらして」

「失礼致します」


 頭を上げた彼女を見たとき。

 お守り代わりに持っていた片方だけの貝殻が、手の中でカチリと合わさった音を立てた気がした。

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えせ幸ひ 桜雪 @sayuki_f

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