03 Who's that guy?
帰省四日目。
昼一でホテルを出たあと、
「最後の日、キミの家に行きたい」
懇願のように目を落とした。
「本田さんは俺の実家に来たことがある?」
「そうね。それはキミの記憶次第」
ふたりは未だに連絡先を交換していない間柄だったが、遥はカバンからボールペンとコンビニのレシートを取り出し、その裏に十一ケタの電話番号をさらさらと記すと、
「また……あした」
そうして名残惜しそうに小さく笑い、車を降りて繁華街へと消えていった。新は実家に着くと、彼女との四日間を巡らせながら自室のベッドに横になった。
目を開いたらカラスが鳴いており、覚醒しきらない意識の中で、ふたたびこの四日間を思い起こした。
――連日、遥と顔を合わせてきたが、その言動が有り難いと思う反面、邪推してしまう心があることに気づいた。記憶がないからではなく、心の底で人間を信用していないからかもしれない。
夜になると腹の虫が不定期な鳴き声を発し、脳裏をよぎったのは中毒性のあるスープだった。新は靴を履くと、生暖かい風を浴びながら高架下近くへ足を運んだ。なんとなく、赤提灯の光に彼女の姿が照らされている気がして。
「いらっしゃい。おっ、先日のお兄さん。今日は彼女は一緒じゃないのかい」
「いやいや、彼女じゃないですよ。えっと、味噌ラーメンひとつ」
今夜も定位置で店を構えている軽トラック。ほかに客が見当たらないインサイド。簡素な丸椅子に座りながら、新はこないだと同じ注文をした。
「ははっ、そりゃ失礼」
店主は笑いながら、職人を思わせる手つきで作業を始める。出来上がるまでの五分強、無言でそれを待つ新の目には、見慣れた地元が別世界のように映っていた。
「――はい、味噌お待ちどおさま」
指の先まで日焼けした、シワが目立つ高年の両手が、一杯のラーメンをそっとテーブルに置いてくれる。新は「いただきます」と小さく手を合わせた。
レンゲですくった最初の一杯は、数日前とまったく変わらない味で、遠い記憶のように感じた。ほどなく麺を勢いよくすすり、二口三口――と欲に任せて手を動かし、じんわりと出てくる汗に合わせて一息ついた。
周囲でクビキリギスがジージー言い、店主側では小さく流れるAMラジオに、調理器具が触れ合う金属音が混じっている。
「そういや、俺のこと覚えててくれたんですね」
新は雰囲気に呑まれ、自ら話題を店主に投げかけていた。
「若いお客さんなんて、たまにしか来ないもんでね。ほら、あのお嬢さんも初めて見る子だったし――」
「今なんて? 初めて……常連じゃなくて?」
が、それがキッカケで、談笑にピリオドがついた。胸三寸に絡みついてきた一言により、彼女と過ごした数日間の違和感が大量に押し寄せてきたのだ。
突如現れた『本田遥』という人物もしかり。
過去につながらない、リンク切れのリソースもしかり。
「ハハっ。あんな可愛い子がビール片手にラーメンなんて早々ないさ」
「そ、そうですよね……」
新は焦燥によって食事が居た堪れなくなり、黙々と箸と口を動かして、たった十分ほどで、「ごちそうさんです」と勘定を済ませてしまった。
帰宅し、さっとシャワーを浴びてベッドに寝転がったが、波状のように押し寄せてくる彼女との会話がうるさすぎて、目を閉じても闇の中で覚醒し続けていた。
「あの人は……」
帰省最終日、朝。
両親が一階でテレビを観ている、田舎の休日。
「あのさ、俺の記憶のことなんだけど少し良いかな?」
新はひとつ話題を持ちかけながら、居間のソファに座った。
「あんたからその話するなんて珍しいわね」
ローテーブルを挟んだ先では、テレビから新に目線を映した母親が、きょとんとしている。
「俺の過去を知ってるって女性に出逢ったんだ」
「なに、
「いや、俺が思い出せないってことは、たぶん高校の知り合いだと思って。それで、その人うちに来たことあるっぽいんだけど、誰か心当たりない?」
途端、両親が不思議そうに顔を見合わせた。取るに足らない朝のニュースが、いやに耳をまさぐってくる。
「なに言ってんだ。お前、女っ気がなくて男とばっか遊んでただろ」
そうしてぶっきらぼうに笑ったのは、ダイニングテーブルでくつろぐ父親だった。言葉にならない疑問符を発した新の脳裏には、彼女と交わした会話がじわりとよみがえってきた。
『そう、覚えてない? ホントに? わたしは遥』
帰省初日。それは彼女が放った言葉である。もし新の知人なら、健忘のことは知っているはずだ。出逢った時に、『覚えてない?』なんて聞くとは思えない。
当時、記憶障害を起こした新から離れてゆく知人は居た。が、声すらかけてこない知人なんて居るのだろうか。
『今は答えられない。それでも記憶喪失の手助けになれるかも』
彼女は記憶喪失と言ったが、そんな大層な話ではない。あくまで高校時代の記憶がなくなってしまったのだ。
『こんばんは、
彼女が新の名前を間違えたのは、帰省初日の夜に顔を合わせた時だった。
逆に言えば、昼間は一度も新の名前を口にしなかった。それどころか、下の名前は今まで一度も呼ばれていない。考えられるのは、一度別れたあと新をつけてきた遥が、豊田家の表札を見た可能性。
『この出逢いに』
これは、ラーメン屋台でグラスを合わせた時のミスマッチだ。
知人なら、『再会に』といったセリフが先に浮かんでくるはずなのに、あたかも初めて出会った人間へ放つような言葉選びをしていた。
新はソースのわからぬ痛みに冷や汗を流しながら自室へ戻り、昨日もらったレシートの十一桁を呼び出した。
『もしもし?』
「あ、えと……本田さん、ですよね」
『わたしよ? あ、トヨダくんね。電話してくれたの、嬉しい。あのね、今トヨダくん家に向かってるのよ。ねえ、もうすぐよ? もうすぐ着くよ?』
数秒もせず聞こえてきたのは、いつもより高いトーンだった。電話越しでも、嬉々とした表情が伝わってくる。
「え、向かっ……? いや、あの! 俺の記憶、まだおぼろげなんですけど、通ってた高校って高架下から西側にある、公立校でした?」
『あーぁ……そうだったね』
――違う。新が通っていたのは、東側にある進学校だ。
胸を突き破りそうなほど、動悸が激しくなってゆく。
「同じクラスでしたっけ? というか同じ学年?」
『そうね、わたしは……キミと同い年よ? ふふっ』
「あぁ。えと、俺は……二十七歳」
新は続けて鎌をかけ、二歳ほど年齢を重ねてみた。
『そう、今わたしも二十七歳よ。童顔なの』
するとどうだろう、彼女も同じ年齢だと言うのである。
「そ、そっか……そういう……」
『なにか問題でもあった? だって、わたしは昔からキミを知ってるの。本当よ。だからあとは……キミ次第よ、ふふっ』
――そういうことか。初めから思い出せるわけがなかったのだ。なにせ彼女との記憶なんて、たったひとつもなかったのだから。
理由は定かではないが、出逢った瞬間からすべて彼女の妄想で、ここまでのストーリーが展開されたということだ。
彼女の相手なんて誰でも良かったのだろうか。
帰省した新を、たまたま見かけただけだったのだろうか。
「ちょ待っ、というか着くってあとどれくら――」
『着いたよ?』
スピーカーから聞こえる彼女の嬉しそうな声と、豊田家の玄関で彼女が浮かべている笑みの正体なんて、新には理解できなかった。ひとつ確かなのは、暑さとは異なる脂汗が全身から吹き出ていることくらいである。
「じゃあ、アイツはいったい……?」
了
かのなつ Dual 常陸乃ひかる @consan123
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます