きっと紙一重

真白恣閒

きっと紙一重



 『あんたなんか嫌いだもん!』


 騒がしい教室。その中心にいるのは私と。

 曖昧な記憶は段々とぼやけていき、やがて鮮明な声に変わった。


 「彩夏あやか、遅刻するわよー!」

 1階のリビングから母の声が聞こえる。

 まだ重いまぶたをこすりながら身体を起こす。

 「……やな夢」

 「起きてるのー?」

 「起きてるよ!」

 ベッドから起き上がり、顔を洗うために部屋を出る。

 制服に袖を通し、リビングのドアを開けると、朝食の準備が済んでいた。

 ウィンナー、スクランブルエッグ、トースト2枚に牛乳。

 朝からこんなに食べられないよ。

 そう思い、冷蔵庫からいちごミルクの紙パックを取り出す。

 「彩夏、朝ごはんは?」

 「もう家でないとだから」

 「でも栄養足りてないわよ」

 「へーきだよ。今日卒業式の予行練習だからすぐ終わるし。じゃ、行ってきます」

 「あ、彩夏!……もう」

 母の声を背に家を出る。

 紙パックにストローをさす。

 今日は中学校の卒業式。の、予行練習。

 正直めんどくさい。だが、いつもより早く帰れるのは少し嬉しい。

 そんな事を考えながら彩夏は急ぎ足で学校に向かった。


 教室のドアを開けると、クラスメイトはほとんど揃っていた。皆どこか浮き足立っているのかいつもより騒がしい。

 「彩夏、おはよ」

 「おはよー春菜はるな

 「おは、遅かったじゃん」

 「おはよ秋楓かえで。夢見悪くてさ」

 他愛もない話をしながら席に着く。

 しばらくして担任の先生が入ってきた。

 「お前ら、体育館で予行練習するからイス持って廊下並べ」

 はーい、という気だるい声と共に椅子を持ち上げる音が教室に響く。

 「パイプイス並べとけよな」

 誰かの声が聞こえた。同感。


 体育館に向かう途中、スマホをポケットに入れっぱなしなのを思い出した。

 うちの学校は持ち込みオーケーだが、授業中はカバンに入れ、昼休みと放課後にしか使用してはいけない決まりだ。

 もしポケットに入れてることがバレたら没収されるのは確実だ。放課後呼び出され、軽い説教に反省文。そうなったらめんどくさい。

 「春菜、ごめん。スマホ置いてくるからイス運んでくれない?」

 「ありゃ、りょーかいっ。急ぎな」

 「ありがと」

 イスを重ね、列の進行に逆らい教室へ戻る。

 誰もいない教室はどこか寂しい空気をまとっていた。

 明日卒業したらもうこの教室に来ることはないんだな。

 そんな感傷に浸っていると、ガタッとドアが開く音がした。

 振り向くと、カバンを持った1人の生徒が立っていた。

 「冬弥とうや

 「……皆も寝坊?」

 教室を見渡し、冬弥は首を傾げた。

 「ふっ。違うし。皆移動しただけだし。寝坊したのあんただけだよ」

 間抜けな発言に思わず吹き出す。ひとしきり笑ったあと、自分も寝坊したことを思い出し咳払いをする。

 「私は間に合ったからね。スマホ置きに来ただけだから」

 「そうか」

 「じゃ」

 冬弥の横を通り、教室を後にする。

 足早に廊下を歩いていると、ふと足音が2つ重なっていることに気づく。

 「ちょ」

 「ん?体育館だろ?」

 「そ、そーだけど。イス、イス!」

 「パイプイスじゃないのか」

 「そーだよバカ、自分のイス持ってくんの」

 「ああ、それで皆のイスが無かったのか」

 「いーから早く持ってきなよっ」

 

 キーンコーンカーンコーン。


 チャイムが鳴る。

 「げっ」

 今体育館に行っても予行練習が始まってる。戻ったら間違いなく注目されるし担任に怒られる。

 「っはぁ……。最悪。戻んのダル。」

 「じゃあ帰るか」

 「は?」

 「ダルいんだろ」

 そう言うと冬弥は教室に戻ろうとする。その後を慌てて追いかける。

 「い、いやいやいや。予行練習はさすがに、ってそもそもなんであんたと帰るのよ」

 「2人で帰るなんて言ってない」

 「そ、れは。そうだけど」

 冬弥のクセに。

 ふん、と鼻を鳴らし、教室に入る。自分のカバンを少し乱暴に持つ。

 「どーせ2時間くらいで終わる練習だしね、サボってやる。それじゃ、さよなら!」

 冬弥の肩にわざとぶつかり、昇降口へ歩く。靴を履き替え、校門を出た。

 どうしても冬弥への当たりが強くなってしまう。昔からそうだった。

 家が近く、家族ぐるみの付き合いだったので小さい頃はよく遊んでいた。いや、遊んであげてたのだ。だけど、何を考えているのかイマイチ掴めず、よく振り回されていた。

 小学校に上がってから、2人でいるのを冷やかされるようになった。私はそれが嫌で段々と話さなくなった。

 その関係は卒業を明日に控えた今も続いている。

 「彩夏」

 気づくと隣に冬弥がいた。

 「な、何よ。てかなんでついてくんの。ストーカー?キモイんだけど」

 「いや家同じ方向じゃん」

 「それはそうだけど」

 「あ、ほら。小学校の頃よく遊んでた公園」

 「は?」

 急に大きい声を出したかと思うと、彩夏の事はお構い無しに公園に入っていく。

 「なつかしー。ブランコ乗ろうぜ」

 「はぁ?」

 ブランコまで駆け寄ると、カバンを地面に置きブランコに座る。

 「うわ、ちっちぇ」

 笑いながらブランコをこぎ始める。

 「彩夏も来いよ。ブランコに乗れるチャンス、意外とないもんだよ」

 「バッカじゃないの……。私帰るよ」

 「あ、ツチノコ」

 「えっ!どこどこ!?」

 公園に入り、バッと草むらをかき分ける。キョロキョロと見回していると、後ろから吹き出す声が聞こえた。

 「ふ、ふっ。ほんと好きだよな。ツチノコとかそーゆーの」

 「は、あ、あんた。騙して」

 「彩夏しか引っかからねーよ」

 「はぁ!?」

 明らかにバカにされている。

 1発叩かないと気がすまなくて、冬弥の座っているブランコへ走る。だが、冬弥がひらりと彩夏から逃げたので、そのままぐるぐるとブランコの周りを追いかけた。

 やがて2人とも疲れ、ブランコに座った。それがなんだか面白くて。2人で笑い合った。

 「はー笑った笑った」

 「ほんと。涙出た」

 「……なんだ」

 「ん?」

 「彩夏、俺といるの嫌がると思ってた」

 「え」

 「覚えてる?小学校の頃、俺に嫌いって言ったじゃん」

 「……」


 冬弥とは家が近かったのもあり、一緒に学校に行っていた。

 小学生からしたらそんなの冷やかしの対象でしかなかった。

 ある日、いつものように学校に行くと、クラスの何人かがいきなり彩夏と冬弥をいじり始めた。

 『よー!おしどりふーふのご入場だぜ』

 『毎日イチャついてて飽きねーの?』

 それに乗っかってクラスのほとんどの人がいじり始めた。

 『うるせーな。家が近いだけだよ』

 『とか言って。見ろよ!彩夏の奴顔真っ赤にしてるぜ』

 『あはっ。やっぱり付き合ってるんじゃん』

 騒がしい教室。その中心にいるのは私と冬弥。

 周りからはやし立てられ、心臓がギュッと縮まったような感覚。

 怖くて怖くて泣きそうになった。

 何か言わないと。

 『……だから。家が近いだけだってば』

 『嘘つけよ!こいつの事好きなくせに』

 『好きじゃないってばっ!!』

 ぐっと、相手が一瞬怯む。今だ。そう思い、冬弥に向き合う。

 『あんたなんか嫌いだもん!』


 ブランコにそっとこぐ。

 「……覚えてるよ」

 あの日から冬弥を避けるようになった。あんな風に冷やかされるのが嫌だったから。

 それに。

 「あれなー。……ちょっとキツかったわ」

 冬弥を傷つけた自分が、嫌だったから。

 「私だって」

 キィ。乾いたブランコの音。

 言葉につまり、ブランコを静かにこぐ。

 先程までの楽しげな空気から一転。2人の間に重い空気が流れる。

 沈黙に耐えきれなくなったのか、冬弥が口を開く。

 「ま、最後に話せたし。蒸し返すのは良くないな」

 「……最後?」

 「ん、俺引っ越すから」

 「は?」

 「おばさんから聞いてない?」

 聞いてない。聞こうとしなかった。冬弥の話題は避けていたから。

 「……どこ引っ越すの」

 「それがな、親父、北海道に転勤なんだぜ。寒さに耐えれるか不安だよ」

 「北海道とか……。遠すぎない?」

 「飛行機で3時間くらい」

 「やばっ。そりゃ会えなくなるね」

 「あー、でも」

 「私帰る」

 「え?」

 ブランコから降り、荷物を持ち公園を出ようとする。これ以上一緒にいたくない。

 「あ、おい。彩夏」

 慌てて着いてくる冬弥。

 「何?いーじゃん北海道。積もってる雪とか私も見たいな」

 「彩夏」

 「北海道って何があるんだっけ。カニ?時計塔?」

 「彩夏」

 「いーね、楽しそう。きっとここにいるよりずっと楽しいよ」

 「彩夏!」

 「何よっ!!」

 振り向いた瞬間、ポロリと涙が零れた。

 冬弥がぎょっと目を見開く。

 「ちょ、おま。泣くなよ」

 「は?ウザ。泣いてないし」

 「いや思いっきり泣いて」

 「泣いてないし!」

 どうしても冬弥への当たりが強くなってしまう。

 昔、彼を傷つけてしまった事の後悔から。

 「……彩夏、もしかして俺の事嫌いじゃ」

 「は?嫌いだし」

 また、自分の気持ちとあべこべに答えてしまう。いつもこうだ。今までも。これからも。いや、これから冬弥と会うことはなくなるのだ。これから、なんて私には訪れない。

 「……そうか。やっぱ嫌いだよな」

 「っ……」

 冬弥の悲しそう顔に胸が痛む。だけどこれでいいんだ。一緒にいても私は冬弥の事を傷つける。そして冬弥を傷つけた自分の事がどんどん嫌いになる。

 「俺は嫌いじゃないけどな」

 「え」

 頬をかきながらそう呟いた冬弥の耳は、わずかに赤かった。

 「あの時、俺がちゃんと彩夏のこと庇えてたら。嫌な思いさせずにすんだのにってずっと後悔してた」

 「……」

 「ごめんな」

 「ちが、私が。私があんな風に言わなきゃ」

 「もうやめようぜ。俺ら、後悔ばっかしてる。明日卒業式だってのに」

 「……」

 「……帰るか。送るよ」

 それから家まで、冬弥と一言も交わすことはなかった。


 卒業式。

 「ああー!!やだやだぁ彩夏と秋楓と違う高校なんてやだぁ」

 「もう泣くのやめなよ。春菜が勉強しなかったのが悪いんだから」

 「春菜、泣かないでよ。離れていても友情は壊れないよ。多分」

 「2人とも辛辣ぅ!」

 他愛もない話をして、式が終わる。

 「いいもん、今日は帰さないからっ」

 「あ、ごめん私彼氏と帰る」

 「秋楓の裏切り者っ!彩夏ぁ」

 「……」

 泣きじゃくる春菜をなだめる。

 ふと、昨日の公園での出来事が頭をよぎる。

 あれが、最後。

 これで、終わり?

 「彩夏?」

 「……ごめん、春菜!私も急がなきゃ」

 「えぇっ!?彩夏も!?」

 「じゃ、またいつかね」

 「彩夏ぁ!……うぅっ。友情の……危機だよっ」

 心の中でもう一度春菜に謝り、足早に学校を後にする。

 教室にも昇降口前にもいなかった。もう帰っちゃったんだ。

 このまま家に帰ってもいい。

 でも、それだとまた後悔しそうで。

 昨日の公園に差し掛かる。少し期待していたが冬弥の姿はなかった。

 もしかして、今日引っ越すの?

 走る。全速力で冬弥の家へと向かう。

 懐かしい道。昔はよくお互いの家で遊んでいたのに。

 もう昔みたいにはなれない。

 ふいに涙が込み上げてきた。慌てて顔を上げる。泣いちゃダメだ。

 「彩夏!」

 「!」

 振り向くと冬弥がいた。追いかけてきたのか、息が弾んでいた。

 「びっくりしたー。トイレ行ってる間に彩夏は帰ったって言われたもんで」

 「と、冬弥」

 「ん?」

 「ごめん。ごめん。本当に、これだけ言いたくて」

 「それはもう良いって昨日」

 「それでも謝る」

 許して欲しいなんて思ってない。ただ、嫌われたまま終わるのが嫌だった。

 だって、私は冬弥が。

 うつむくと、ぽろりと涙がこぼれる。

 「……」

 今更気づいても遅い。もっと早く自分の気持ちに気づきたかった。

 そして、もっと早く。気持ちを伝えたかった。そうすれば。もしかしたら。

 「俺も、ごめん。でも、もう謝らなくていいよ」

 「……うん」

 「好きな奴がずっと泣いてんの、1番キツいわ」

 「え?」

 顔を上げる。

 冬弥の耳は昨日よりもはっきりと赤くなっていた。

 「い、いや。好きって言っても、その、俺は北海道行っちゃうし?まあ大学はこっち受けるけど。だから3年だけ待ってくれないかなって。あ、いやお前は俺の事嫌いって言ってたから無理なのはわかってんだけど」

 「私も好き」

 「えっ?……《ルビを入力…》今、なんて?」

 「……さあね」

 冬弥がしつこくなんて言ったのかを聞いてくる。その様子があまりにもおかしくて、笑ってしまった。

 つられて、冬弥も吹き出した。

 それからまた、2人で馬鹿みたいに笑った。

 私が誰に恋をしているかなんて、冬弥には絶対に教えてやらない。だって私。


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きっと紙一重 真白恣閒 @Mashiro_Shima

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