第31話 ありがとう




 そう言われて、一瞬だがドキッとした拓斗。



「それならそうと、話してくれたら良かっただろ」

「もし話してたら、拓斗くん強引に私から逃げると思ったんだもん」

「そんなわけ」

「あるでしょ?」



 無いとすぐに否定できなかった。

 もしも杏が前から拓斗のことを知っていて、サッカーをしている姿を見てきたと言っていたなら、きっとここまで仲良くはならなかったのだろう。

 拓斗をよく知っていた場合の彼女の言葉は、きっとなんの意識をしていなくてもサッカー関連の話題が出ただろうから。


 何も知らない彼女だから、拓斗は何も意識せずに話せたのだ。



「それで、両親も俺のこと知っていたわけか」

「そう、何度か一緒に試合とか見に行ったんだよ?」

「そうだったのか」

「今度、あの時は見に来てくれてありがとうございましたって言っておくんだよ?」

「あの時っていつだよ。まあ……そのうちな」

「うん、そのうちね」



 少しの沈黙が生まれ、拓斗は思い出したことがあった。



「……俺が怪我したとき、すぐ近くにいただろ」

「……覚えてたの?」

「正確には思い出した、だな。怪我したときの光景は、よく夢で見るから」

「そっか」

「俺が倒れてるのを見て、口に手を当てて涙流してた女子がいたなーって。顔も、こんなんだったかなーって」

「こんなん言うな!」



 背中を叩かれ、拓斗は笑いながら「ごめんごめん」と謝る。



「そうだね、泣いてたね。怪我したときにわんわん泣いて、君がもうサッカー続けないの知って、またわんわん泣いて」



 そっと、隣を並んで歩く杏。



「またサッカーしてる姿が見たかった。だけどさ、どうせ他人の私が拓斗くんにお節介焼いても何も変わらないなって。怪我が治るわけでも、元気になるわけでもない。むしろ迷惑がられるなって」

「……」

「だから拓斗くんに何かするのは諦めた。代わりに、捨てられてた茶々にお節介を焼いたの」



 そのお節介というのは、茶々が捨てられていた場所で雨避けになっていたときのことだろう。



「そしたら、拓斗くんが声をかけてくれた」

「あの時な」

「二年間、一度も声かけられなかったけど、茶々をきっかけにしたら話せるかなって、お節介焼けるかなって。嫌がられてもいいから、サッカー辞めてもいいから、元気になってくれたらいいなって」



 そして一歩前に飛び出ると、彼女は振り返り、しんみりした空気を吹き飛ばすように笑顔を浮かべた。



「結果、こうして元気になってくれたから良かったよ」

「元気に……そうだな。色々と振り回されたけど、元気になったかな」

「振り回したとは何さ」

「いきなり家に来て、飯作り始めて、クマ牧場に連れて行かれて、バイトさせられて……どう考えても振り回しただろ」

「それは……気のせいだよ! 私にはちゃんとした拓斗くん更生計画があったんだから!」

「更生って、なんか言い方があれだぞ」

「そう? じゃあ、なんだろ」



 うんうん唸る杏。

 あれが計画かどうかは置いておいて、この一ヵ月間、まったく暇に感じたことはなかった。

 暇なときがなかったから、サッカーのことを考えずにすんだ。いいリフレッシュになったのではないだろうか。


 そしてあれから悪夢も見なくなっていた。



「杏」

「ん?」



 ありがとう、と伝えるべきなんだが、なんとなく急に恥ずかしく感じた。だから別の言葉を彼女に伝える。



「俺、もう一度サッカー頑張ってみるから」



 そう告げると、彼女の目蓋からじわっと涙が溢れ出した。



「高校在学中の復帰は無理だけどさ」

「うん」

「大学に行って、また頑張ってみようかなって」

「……うん」

「だからまあ、えっと……ありがとうな、色々と」



 結局、ありがとうという言葉が勝手に出た。

 彼女の嬉しそうな泣き顔を見たら、言わないという選択肢はなかった。



「なに泣いてんだよ」

「泣いてないよ、別に」

「そうか?」

「そうだよ」

「そっか」



 これ以上なにか言うことはない。

 涙を流す彼女の隣を、拓斗は黙ったまま歩いた。


 そして家に到着するころには泣き止んだ杏。

 カギを開け、扉を開けると、



「にゃあ、にゃあ!」



 玄関の明かりを付けると、茶々が出迎えてくれた。



「おーおー、茶々! どうしたの、お腹空いたの?」

「にゃあん!」

「そうかそうか、今ちゅーるあげるからねえ」

「にゃうん♡」



 買ってきた食材が入った買い物袋をテーブルに置く杏。

 そんな彼女を見て、拓斗は大きくため息をつく。



「……今日の分のちゅーる、もうあげたぞ?」

「え、そうなの?」

「ああ」

「……にゃあん♡」

「もらったの、茶々?」

「にゃんにゃん♡」



 これこそ猫撫で声というものだろう、甘えた声で杏に催促する茶々。



「そっかあ、もらってないんだね」

「にゃふん♡」

「おい!」

「だって茶々が欲しいって言ってるんだもん! この瞳に見つめられて、拓斗くんはお預けできるの!?」



 大きくて丸い瞳が、今度は拓斗を見つめる。



「……わかった、一つだけだぞ」

「だって。良かったね、茶々」

「にゃん♡」

「ほら、お食べ」



 がつがつとちゅーるを食べる茶々。

 冷蔵庫に食材を入れ終わる頃には食べ終わっていた。



「あっ、もう食べたの? 美味しかった、茶々?」



 茶々のお腹に顔を埋めようと近付く杏。

 だが、



「……ぷい」



 茶々は危険を察知して逃げてしまった。



「がーん、なんで」

「もうちゅーるは貰ったから媚は売らないってよ」

「こら茶々! そのお腹に顔すりすりさせてくれないと、もうちゅーるあげないぞ!?」

「……ふん」



 ぷんぷん怒る杏だったが、茶々は座布団の上で横になって無視する。



「もう絶対にあげない、ふんだ!」

「どうせ明日また甘えられて、ちゅーるあげるくせに」

「あげないったらあげない、料理するから拓斗くんは座ってて!」



 杏にリビングに追いやられてしまった。

 拓斗の家に置いていったエプロンを付けて、いつの間にか増えていった料理道具を使って料理を始める杏。

 そんな彼女が料理している間、拓斗は封をした段ボールに手をかけた。



「これも、開けるか……」



 ずっと開けていなかったサッカー関連が入った段ボール。

 一つ一つ中身を取り出し確認していると、



「ああ! それユニフォーム!」



 キッチンからこちらを見ていた杏が大声を出して走ってきた。



「なになに、ユニフォーム出してどうしたの? もしかして着るの?」

「着ない。ただ段ボールから出して、ハンガーにかけるだけだ」

「ええ、久しぶりに着てみてよ!」

「はあ? なんでだよ。ってか、料理の途中だろ」

「いいじゃんいいじゃん、もう!」



 ブーブー文句を言う杏を追い返し、ユニフォームを見つめる。


 これをいつかまた着よう。

 そしてそのときは、



「仕方ないから、最初にあいつに見せてやるか」



 そう、心に決めたのだった。













これにて一先ずの区切りとして、完結します。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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世話焼き彼女が家に来るたび私物を置いていくようになった 柊咲 @ooka

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