後編
女主人は、前々からこの召使に好意を抱いていた、身分のしっかりした、家柄も評判もいい、それはもう素晴らしい殿方に話を持ち掛けます。こんなことを言うわけです。
「ウチの召使のレイラが夢の中の男性に恋をしてしまってねえ。いや、そんな顔をしなさんな。言いたいことはわかるから言わなくていいよ。それでねえ、この前、その夢の中の男性に恋文を渡したのさ。え?ああ、細かいことはいいじゃないか。神は汝らが知らぬことを教え給う、のさ。そういうこともあるってことさね。それでねえ、相手からの返事が来ないってんで、レイラがここ最近は泣き濡れていてねえ。私はもう気の毒で見てられないのさ。それでだね、あんたに一芝居打って欲しいのさ。あんた、夢の中の殿方の振りをして、あの子を夢から覚ましてあげてくれないかねえ。なに、準備はこっちでやっておくからさ。あんたは指定の位置にいてくれればいいんだよ。あんたにとっても悪い話じゃないだろう?」
そして女主人はある晩、こっそりとレイラの寝室に入り込み、その枕元に手紙を忍ばせます。手紙には、「あなたの夢の中の私」からと書かれてあります。
朝になり、レイラは目覚め、枕元の手紙に気が付きます。しかし、レイラは文字が読めませんので、女主人の思惑どおり、手紙を握りしめて、それを書いた張本人のところに顔を出します。
*
召使「おはようございます、ご主人様」
主人「おはよう、レイラ」
召使「あの、こちらの手紙なのですが・・・・・・」
主人「おや、どうしたんだい、その手紙は?あんたが書いたのかい?」
召使「いえ、今朝起きましたら、枕の側に置いてありました」
主人「それは奇妙だね。どれ、お貸しなさいな。ああ、ああ、これはこれは」
召使「何なのでしょうか?アイーシャ様?」
主人「神にかけて、これは、あんたの夢の中の男性からと書いてあるよ」
召使「ああ、神様!素晴らしいお導きに感謝いたしますわ!」
主人「不思議なこともあるもんだねえ」
召使「ご主人様、中身を読んでいただきたいです!」
主人「まあ待ちなさい。これは立派な封蝋だよ。さぞかし
召使「そんなこと、どうでも、いいですから!」
主人「これはまたいい紙を使っているよ。さぞかし裕福なのだろうねえ」
召使「ご主人様!」
主人「インクも立派なもんだ。煤じゃなくて
召使「ア・イー・シャ・様あ!」
主人「こりゃ、主人に向かってその口の利き方はなんですか!」
*
そして女主人は、自分が書いた手紙を読み上げます。
「夢のように美しいレイラへ
夢の中の霧の向こう、その遠くから、君を月のように見つめ続けるのはもう耐えられない。君はいつだって僕の方を向いてはくれなかった。そう、例外はあの一度だけだ。淑女から君の手紙を受け取ったとき、城壁の下から朝露に濡れたチューリップのようにこちらを見つめていた、あの一度きりだ。僕の心を華麗に射貫いたその上目遣いを思い出し、僕は幾夜、眠れぬ夜を過ごしただろうか。
せめてもう一度、君の関心を惹き、僕の目を見つめてくれたらと思う。せめてそれだけでも叶えてくれたなら、僕の心は羽が生えて飛び上がり、天使のつま先にだってキスができるだろう。
もし、この手紙の差出人に興味があるのなら、この手紙を受け取った日の正午、神のお導きのままに、あなたが現実に住む町の、南側の城壁のそば、青い屋根の邸宅の前、白いイベリスの花の咲く花壇の前でお待ちしています。
あなたの夢の中の男より」
さあて、こんな手紙を受け取った召使は、キャーキャーと顔を真っ赤にして体をくねらせ、意味もなく立ったり座ったりして、服の裾をばたつかせて、嬉しさでどうにかなってしまいました。
*
召使「私だって、ずっとあなたのことを見ておりましたのに!それでも視線が重ならないなんてことがあるのでしょうか!?」
主人「さあねえ。何せ夢の話さ。無いとも言い切れないよ」
召使「ああ、それが最初からわかっていれば!こんなに悩まずに済んだのに!」
主人「何はともあれ、神様は善きことへと導き給うのさ。今日はもう、仕事は途中でもいいから、時間が来れば行ってみてごらんなさいな」
*
さてさて、こうして、女主人の作戦は上手くいきました。
召使は午前中いっぱいの時間をかけて、しっかりとめかしこみ、踊り歌うようにして約束の場所へと向かいます。
そこには作戦のとおり、例の男性が身なりを整えて待っているでしょう。
女主人は自宅で待っています。
そして日の沈む前、夕方ごろ、召使は戻ってきました。
戻ってきた召使、首を右に曲げ、左に曲げ、なにやら納得が行かないようです。
*
主人「戻ったかね、レイラ」
召使「ただいま戻りました」
主人「どうしたんだい?そんなに首を左右に曲げて。枝みたいに折れちまうよ?」
召使「いえ、いえ、あのですね、夢の殿方にお会いしたんですけどね」
主人「よかったじゃないか。何かあったかね?」
召使「いえ、んー、何と言いますか、ねー」
主人「何だい。あんたらしくない。はっきりとお言いよ」
召使「夢の中のお姿と、何か、違うようなって言うかー」
主人「そりゃあ夢の中だからね。印象は異なるだろうさ」
召使「そうですかねー」
主人「そもそもあんたは、夢の中のあの人の顔もはっきりとは覚えていなかっただろうに」
召使「そうですけどねー。なんかねー?」
主人「奥歯にものが挟まったようなことを言う」
召使「夢の中のあの人は、金髪なんですよねー」
主人「あの方はカラスみたいな黒髪だねえ」
召使「夢の中のあの人は、猪みたいな首元でぇー」
主人「あの方はほっそりとした、陶器の壺みたいな首筋だね」
召使「夢の中のあの人は、がっしりとした肩幅でしてぇー」
主人「あの方は、確かにちょっと華奢な肩をされておいでだね」
召使「何か、夢の中のお姿と全然違うなあーって、ですねえー」
主人「立派な髭は生えておられるだろう」
召使「アル・アンダルスで、髭の生えていない成人男性の方が珍しいですわ!」
主人「まあ、色々とあるのかも知れないが、夢の殿方と現実に出会えたんだから。神のお導きに感謝しなければならないよ」
召使「でも、なーーんか、違うんですよねえ」
主人「そう言いなさんな。神は全知にして一切に
召使「なんか私、騙されてませんかね?」
主人「そ、そんなことはないよ。お付き合いすればもっとあの方のこともわかるだろうよ」
*
女主人にそう言われて、召使も「そうですかねえ」と首をかしげます。かしげつつ、その男性と付き合い、そして結婚し、自由な身分を得て、アイーシャの元を離れます。
そしてレイラは首をかしげながら妊娠し、首をかしげながら出産し、首をかしげながら何人もの子供を育てます。
やがて10年の月日が流れました。
*
レイラ「アイーシャ様!アイーシャ様!」
アイーシャ「おや、誰かと思えばレイラじゃないか。久し振りだねえ。子供の世話もせずに、ドタバタと、どうしたんだい?」
レイラ「聞いていただきたいのです!私の夫は、やっぱり、あの、夢の中の殿方だったのですよ!」
アイーシャ「アハハハハ。そんなことあるわけないじゃないか!」
レイラ「え?」
アイーシャ「え?あ、ちょっと待った。今のは無しにしておくれ。嫌だねえ
レイラ「んんん?」
アイーシャ「違う違う。やり直しだよ。もう一回さっきのところから、あんたの夫が何だって?」
レイラ「え、ええ。私の夫がですね、やっぱり夢の中の殿方だったんですよ!」
アイーシャ「何を今更、そんなこと当たり前じゃないか」
レイラ「そうなんですけど、今朝ですね、いつものように夫の横顔をじっと見ておりましたら、何だか本当に、あの夢の中の殿方の雰囲気があることに気が付いたのですよ。そう考えてみると、立ち振る舞いとか、遠くから見たときの手や腕の動きというか位置ですとか、そういうのが、あの、昔よく見ていた夢のお方にそっくりだなって気が付きまして!嬉しくなってアイーシャ様のところへ飛んできたのです!」
アイーシャ「本当かね?夢の殿方は、確か金髪なのに?」
レイラ「あ、まぁ、ええ、確かに夫は黒い髪ですけど」
アイーシャ「夢の殿方は猪みたいな太い首だったろうに?」
レイラ「ええ、はい、夫の首はすらりとして細いままですが」
アイーシャ「夢の殿方の肩幅は馬の様だったろう?」
レイラ「わ、私の夫はすとんとした肩です」
アイーシャ「どこが似ているっていうのさ?」
レイラ「それはほら、髭とか・・・・・・・」
アイーシャ「アル・アンダルスで髭のない男性を探す方が一仕事さ!」
レイラ「私、以前にもこのやり取りをした記憶があります!」
アイーシャ「奇遇だね。私もだよ!」
レイラ「それはともかく、私、やっぱり神様は未来のこともご存じで、こんな未来を知っていたからこそ、10年前、夢の中からあのお方を現実へと連れ出していただいたんだと思うんです。そう思うともう、嬉しくて!」
レイラ「そ、そうだね。そうだよ。神はすべてをお知りなのさ」
*
こうして、レイラは言いたいことを言うと、子供の世話があると言ってぴゅーっと戻っていきます。これからはもう首をかしげることもないでしょう。
残されたアイーシャは、安楽椅子に深く腰掛けて、「単純なことはいいことさ。美徳だねえ」と、そう独り言つのでした。
さて、アル・アンダルスの夢見る召使、これにてお終い。めでたし、めでたしでございます。
アル・アンダルスの夢見る召使 ババトーク @babatouku
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます