太陽

ヤン

太陽

 全てが思い出に変わっていく。

 卒業式を終えた一ノ瀬いちのせ静流しずるは、高校生活を思い返していた。特に思い出深いのは、目の前の講堂だ。ここで、いったい何回演技をしただろう。

 静流は演劇部に所属していた。女子高ということもあり、身長の高い静流は男役を務めていた。それが合っていたようで、静流が男装をして舞台に上がると、生徒が悲鳴のような声を上げた。

 トップとして舞台を盛り上げてきたという自負はある。が、それも相手役があってのこと。静流の相手は、いつも町田かよ子だった。

 かよ子は目がぱっちりとしていて、いつも笑顔だ。彼女の笑顔を見ると、誰でもつられて笑顔になってしまう。静流にとって、かよ子は太陽のような存在だ。いつも明るく照らしてくれていた。

 かよ子が演技以外で怒っているのを一度も見たことがない。穏やかで人懐こい。そして、静流とは親友で、いつも一緒に行動していた。

 二人があまり仲がいいので、付き合っているのではないかという誤解を受けることもあった。校内新聞の記者から理想の恋人像を訊かれると、かよ子が面白がってか、「静流です」と答えていたのもそれを助長していたと思われる。

 静流が訊かれた時は、「私より背が高い人」や「優しい人」など、ありきたりのことを言ってごまかしていた。本当はそうじゃない、といつも思いながら。


 思いを巡らせていると、「静流」と呼ばれた。静流を名前で呼ぶのは、この学校でただ一人だ。振り返ると、彼女は手を振ってきた。

「やっぱりここにいたんだ。そうじゃないかと思って、来てみたの」

「ここで何回演技したんだろうって考えてた。私に何か用事?」

「一緒に帰ろうと思って。教室で声掛けようと思ったらもういない。じゃあ、ここかなって。そうだね。何回やったんだろう。楽しかったよね」

 にっこりと微笑む。静流はかよ子から顔をそむけて、

「まあ、楽しかったかな」

 あまり関心ないように言った。

「初めて舞台に上がった時は、足が震えちゃって。静流がフォローしてくれたから何とかなったけど。あの時はありがとうね」

「そんなの、覚えてない」

 それは嘘だ。かよ子とのことなら、なんだって思い出せる。

 かよ子は静流の言葉を真に受けて、驚いた表情になる。

「え。忘れちゃったの? 嘘でしょう」

「嘘なもんか。そんなこと、いちいち覚えてられるか」

 かよ子の横を通り、校門に向かおうとした時、彼女が静流の腕につかまってきた。思わずかよ子を見る。彼女は笑顔で、

「一緒に帰ろうって言ったでしょ。何で一人で行こうとしてるのよ」

 笑顔が崩れてきた。そして、涙が流れ始めた。演技で泣くのも上手だったが、これは本当の涙らしい。

「今日で終わりなんだよ。こうしてられるの、今日までなんだよ。何で一人で行こうとするのよ」

「かよ。泣くなよ。永遠に会えないわけじゃない。今までより会う頻度が下がるだけだろう」

「そうだけど。でも…」

 静流はカバンからハンカチを出すと、かよ子の目元を拭いてやった。が、後から後から涙がこぼれてくる。静流は溜息をつき、「自分で拭いてよ」とハンカチを渡した。彼女は素直に受け取ると、

「ありがとう、静流」

 涙声で言った。

 しばらくして落ち着いてくると、

「いろんなことがあったね。ファンレターかと思ったら、中に剃刀の刃が入れてあったり、舞台衣装を破かれたり」

 静流のファンが、かよ子を敵対視して様々なことを仕掛けてきた。静流の方も、かよ子のファンから嫌がらせを受けた。が、今となってはいい思い出だ。

「いつも守ってくれたよね。役の上だけじゃなくて、本当に王子様みたいだった。静流、ありがとう」

 また泣きそうになっている。静流はかよ子の髪を撫でる。それが、かえってかよ子を泣かせてしまった。

「いつもそばにいてくれたのに。これからは違うんだね。何か信じられない」

「だけど、さっき卒業証書もらったし。もう、ここにはいられないんだよ。そんなこと、わかってるだろう」

 努めて冷静に言った。本当は静流だって信じられない。ここに来ればいつも会えたかよ子に、明日からは会えない。それはどういうことなんだろう、と思う。が、仕方ない、とも思う。それが卒業するということなのだから。


 歩きなれた道を二人で歩く。お互いに黙り合っていた。いつも楽しそうにずっと話しているかよ子が黙っている。それだけ、この卒業が彼女にとっても重たいものなのだろう。

 駅の改札口を入り、少し行ってから立ち止まる。静流とかよ子は、上りと下りで別々の電車に乗る。そして、プラットフォームは別々の階段を上がる。いつもここで手を振り合って別れていた。

「かよ…」

 呼んでみたものの、後が続かない。静流の戸惑いは、彼女には全く伝わっていない。彼女は静流を見上げ、「何?」と訊き返してきた。まっすぐに見返されて、よけいに動揺する。今の気持ちに比べれば、初めて舞台に上がった時のことなんて何でもないことだった、と思う。

 かよ子が次の言葉を待っているのはわかっている。が、迷った挙句口から出たのは、

「いや。何でもないよ。じゃあね」

 かよ子の肩を軽く叩き、歩き出した。

 正に階段を上がろうとしたその時だった。「静流」とかよ子が呼んだ。思わず足を止め、振り返る。彼女は静流の所まで走ってくると、静流に抱きついた。思いがけないことをされて、鼓動が速くなった。

「静流…」

 また泣きそうな声だ。つられてしまいそうな自分に喝を入れて、舞台に立っている時のように冷静に、

「何だよ、かよ。じゃあね、って言っただろう」

「言ったけど…」

「じゃあ、さよならだ。もうすぐ電車が来るんだから」

 離れようと体を動かしたが、彼女は腕を離さない。

「静流は哀しくないの? どうして、『じゃあね』なんて言って行こうとするの? 静流、ひどい」

「ひどいって何だよ。いいから、もう離れてよ」

「だって、ひどいでしょ」

 泣くのを必死にこらえて、静流をなじってくる。静流は、大きな溜息をついた。

「かよはいつもそうだ。自分の気持ちをぶつけてくる。だけど、かよは私の気持ちなんて考えてない。そうだろう。私が今何考えてるのか、少しは考えてみなよ」

 つい、きつい言い方になってしまった。

 中学に入学して以来六年間、静流がいだき続けたこの気持ちを、かよ子は全く知らない。平気で、理想の人に静流の名前を出して笑っている。そう言われるたびに、静流がどんな気持ちになったか、かよ子は知らない。

 知ってほしかったのか、と訊かれたら、「違う」と答えるだろう。が、無邪気な彼女が時々は憎らしくさえ感じられた。

 かよ子は少し考えるような表情をしたが、すぐに首を振り、

「わからないわよ、あなたが何を考えてるかなんて。言ってくれなきゃわからない」

「そうだよ。かよはいつだってそうだった。いいんだ。私が間違ってた。かよにそんなこと期待したって無駄だった。じゃあ、今度こそ行くよ」

 冷たい口調で突き放すように言ったが、かよ子は離れない。

「静流。私たち、親友でしょ? これからもずっと、そうでしょ?」

「いいから離れてよ。離れてくれないと、かよのこと嫌いになる」

 親友。そんな言葉はいらない。もっと違う名前の関係がほしい。でも、それは絶対に言えない、と静流は思っていた。

 嫌いになる、が効いたのか、かよ子はようやく離れてくれた。静流はかよ子の髪を撫で、「じゃあね」と言って階段を上り始めた。

 階段を上り切った時、ちょうど電車が来た。静流は乗り込む前に階段の方を見た。彼女はいない。良かった、と安堵の息をつく。ここまで来られたら、今度は静流が自分の感情を押さえられなくなるかもしれない。きっと、泣いてしまうだろう。そんな姿は彼女に見られたくない。「かっこいいね」と言われていた静流のままでいたい。


 できるなら、時間を戻したい。出会った頃へ。こんな感情を知らなかった頃へ。


 埒もないことを考えていた。                     (完)

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