声劇_化け猫おちる_2名朗読劇【50分。1:1または0:1:1】

【概要】


「たとえ空っぽになっても、きっと、取り戻せるものだってある」


年を取らず、子宮に魔女を抱え、思い出を喰われる娘、ユエ。

眼窩がんかに宿る猫の目リールーを相棒に、まじない師として放浪している──はずだったのだが、どうやら結婚していたらしい。


魔女に喰われた、幸せだったはずの三年間。

そこにあったはずの、恋の記憶。

夫の名を聞けども、何ひとつ感じる事ができない。


一方で夫は、王太子暗殺の濡れ衣を着せられ、捕らわれの身となっていた。


過去を「なくして」しまう宿命の化け猫娘が、ひとりの命のため受けとった対価とは。

人の体に猫をまとって、化け猫ユエが降ってくる。


《約10000字》

上演時間目安 50-60分


登場人物


女性1名

性別不問1名


注意事項

 叫び(悲鳴、猫の咆哮ほうこう)あり


【登場人物】


◇ユエ

 右目に猫、子宮に魔女の魂を抱えた女性。西の国の魔法使いの家系だったが、十五歳の時に起こした事故によって故郷にいられなくなった。事故当時から身体の年齢に変化がないが、本人もそれに気づいていない。

メインストーリー中の年齢は実は25歳。


語りとして、状況、心情描写の一部を受け持ちます。

また、「魔女」も担当します。


◇ユエ(語り)

 ユエの立場で行う状況描写。


▽魔女 

 幼い魔女。序盤に少し登場。二人芝居の場合は、ユエ役の方が担当してください。



◆リールー

 ユエの右目。もともとは王族猫おうぞくねこ、ケトリールという妖精であり、ユエの使い魔であった。ユエが事故を起こした時から右目として生きている。いわゆる妖精につき演者の性別不問。

◆リールー(語り)

 リールーの立場で行う状況描写


《ユエ、リールー以外の発言はセリフとして扱ってもよいですし、朗読的表現として扱っても構いません》


原作 「化け猫おちる」

https://kakuyomu.jp/works/1177354055451648831


【PCやタブレット使用であれば、画面右上の「ぁあ《ビューワー設定》」から、組み方向を縦組みにすると読みやすいかと思います】


利用規約はこちらです。ご利用にあたって、かならず一読をお願いいたします。

https://kakuyomu.jp/works/16817139555946031744/episodes/16817139555946036386




<以下本文>



    *   *   *



◆リールー(語り)

 夜明けであった。

 見晴らしのよい山の中腹、目立たぬ墓に日が昇る。


◇ユエ(語り)

 わたしは、わたしが埋葬した、わたしの大切な人に、話しかける。


◇ユエ

 ね。クォン。あっちの国では、わたしたちは空に昇って、太陽に溶けたことになってるらしいよ。


◆リールー(語り)

 ユエの指が、古びた帳簿をなぞる。私はユエの右目であるから、彼女の目として、その様子を見ている。


◇ユエ

 わたしもね。生きている間に、あなたと過ごした三十年があって、良かった。


◆リールー(語り)

 私の視界が滲む。ユエの涙によって、または私の涙によって。


◇ユエ

 そろそろ、行くよ。


◆リールー

 すっかり、寂しくなってしまったな。


◇ユエ

 そうだね、リールー。

 クォン、右目殿も寂しいって。それとももう、聞こえてたりするのかな。


 愛してるよ。



<転換>



◇ユエ(語り)

 二十七年前。わたしは、追われていた。



◆リールー(語り)

 深い密林の中を逃げた。矢と鏑矢かぶらやが飛び交い、猟犬の吠え声が迫っていた。


◇ユエ

 犬しつっこい! 鏑矢かぶらやもピィピィうるさい!


◆リールー

 ユエ、落ち着け。我々を消耗させるのが狙いだ。


◇ユエ

 わかってるけど、まるまる一日、よく飽きもせず……!


◆リールー(語り)

 びう! と耳元をかすめる鏑矢。音で私もユエも平衡感覚を奪われる。


◇ユエ(語り)

 矢の射手しゃしゅめがけて走る。そこに別の矢が飛んできて、わたしは射手を見失う。姿の見えない敵に囲まれて、わたしは逃げざるを得ない。


◇ユエ

 くそっ、くそっ、くそっ!


◆リールー

 あと半刻だ、ユエ。半刻で呪符の効力が切れる!


◇ユエ(語り)

 仕組まれていたと、気づいた時には遅かった。

 依頼されたモノの怪退治はニセモノだった。わたしを、猫の右目を持つまじない師、「化け猫ユエ」を狩るための仕込みだった。


◆リールー(語り)

 密林に案内されるなり不意をつかれ「蛇ノ目じゃのめ呪符じゅふ」を貼られた。「お前を見ているぞ」というまじないがユエを追い詰める。


◇ユエ(語り)

 馴染みのない土地で、生い茂る木が視界をさえぎり、出口もわからない。わたしの平笠なら「笠の神様」の術で道を示せたのに、追われる途中で落としてしまった。


◆リールー(語り)

 さらに、密林に張られた結界が、他のモノの怪を遠ざけている。モノの怪を喰うために受けた依頼であるのに、ユエは、厳密には、ユエの子宮に宿る居候は、食事にありつけない。


◇ユエ(語り)

 わたしの下腹したばらから焦る気持ちがのぼってくる。居候が、いよいよ飢えてきている。


◆リールー

 ユエ、水音だ。沢があるぞ!


◇ユエ

 沢!? あ、そっか沢ぞいに走れば。


◆リールー

 密林を抜けられるだろう。少なくとも、走るに邪魔な植物は少ない。


◇ユエ

 踏ん張りどころか。リールー、猫纏ねこまとい、もう一回やるよ。


◆リールー

 承知した。


◇ユエ(語り)

 わたしは右目にはまった猫の目、わたしの相棒、リールーから猫の力を引き出す。猫の魔法「猫纏ねこまとい」。


◆リールー(語り)

 ユエの肩から上を真珠色の毛が覆い、口が裂けるように広がって牙が伸び、頭に三角の耳が立つ。輝く毛のひとふさに稲穂の色を残して、ユエの頭が猫の頭に変化へんげする。


◇ユエ(語り)

 体の芯に熱がこもる。魔法に体力を奪われて脚がふらつく。それを気力で従えて、わたしは猫の脚力を解放した。


◇ユエ

 クォン。ちゃんと帰るよ、クォン。


◆リールー(語り)

 獣の疾走に沢の水が跳ねてきらめく。

 追っ手が慌てて沢に飛び降り、進路をふさぐ。

 浅黒い肌を革の鎧で覆い、弓を構えた者が数名。

 太く短い段平だんびらを抜いた者が数名。

 ヤブから飛び出してきた猟犬りょうけんを猫の爪で斬り捨て、化け猫ユエが水辺を駆ける。

 矢が腕を、頬をかすめて傷をつける。

 段平が突き出され、振り下ろされるさらにその下。


◇ユエ

 猫は、すり抜ける!


◆リールー(語り)

 追手の足元をくぐり抜け、さらにユエは加速する。さえぎる物はない。このまま引き離せば逃げ切れると思えた。


◇ユエ(語り)

 その時、ぱきん、と痛みを伴う耳鳴りがした。猫纏ねこまといの術が、内側から破られた。


◆リールー(語り)

 ユエが態勢を崩し、沢を転がる。


◇ユエ

 だめ。今は、まだ、だめ……!


◆リールー(語り)

 ユエの下腹に宿る居候が、空腹に耐えきれなくなったのだ。


◇ユエ

 (悲鳴を上げる)(中から内臓を削られるような痛み)


◆リールー(語り)

 ユエの魂を、下腹の居候が、かじった。


◇ユエ(語り)

 そして追手の矢が、わたしの背中を射た。次々と、矢が刺さった。


◆リールー

 ユエ、ユエ、大丈夫だ。何をなくしても、わたしが覚えているから。


◇ユエ(語り)

 リールーの声だけは、はっきりと聞こえる。体のどこに、どれだけの矢が刺さっているのか、もうわからない。熱い。肺から血がのぼって来て、息ができない。


◆リールー(語り)

 追手の一人が、ユエの髪を掴んでいる。王太子おうたいしを殺した罪を償えと、わけのわからぬことを言う。右目でしかないこの身が恨めしい。貴様、貴様、貴様ら、よくも。


◇ユエ(語り)

 下腹したばらが熱い。わたしの腹に宿る居候が、宿主の危機を察してしまった。誰も殺さないように気を付けていたのに、これで、もう誰も助からない。

 下腹の魔女が目を覚ます。



<転換>


▽魔女

 母さまが魂をわけて下さっていたのに、親子の時間を邪魔するなんて、乱暴な人たちなのね。

 ねぇ、痛い? 手や足がちりになるのは痛い? 母さまはもっと痛かったのよ?

 そこのあなた、みなさんを集めてきてくださる?

 わたし、思い付いてしまったの

 食べづらいモノでもね

 ひと工夫すればおいしくなるのでしょう?

 お漬物にして発酵させるだなんて、あなたたちって神秘的なのね。

 わたしね、人間は食べられないけれど

 情念に満ちたモノの怪はとても好きなの!

 あ、でも、こういうのは発酵とは言わないのかしら?

 むずかしいわ、ふふ

 ねぇ、あなたたち


 いまからモノの怪になって?



◆リールー(語り)

 人間はコ・ホンに変えられた。非業の死を遂げ、弔われなかった兵士が成り果てる鬼だ。

 猟犬はチョ・ディアヌに変えられた。背中を下に土に埋められ、地獄に落とされた犬の怪異だ。

 そして魔女は、それらのモノの怪を抱きしめるように丁寧にと捕食した。


◇ユエ(語り)

 満足した魔女がすやすや眠って、わたしは体を取り戻した。体だけは、いつも完璧な状態で戻ってくる。


◆リールー(語り)

 そのかわりに、ユエはなくす。

 例えば思い出。

 例えば他人への関心。

 例えば人らしさへの執着。



<転換>



◇ユエ

 (考えこんでいる)うーん。呪符に、武器に、結界。相手は念入りに準備してやる気まんまんだったのに、どうしてわたしは殺さないように頑張ってたんだろう?


◆リールー

 ユエ。


◇ユエ

 この気持ちのズレが、わたしのなくしたものと関係してるんだろうね。


◆リールー

 なるべく人を殺さない。そういう約束をしていたのだよ


◇ユエ

 誰と?


◆リールー

 クォンという、何かにつけてすぐ唄いたがる、のどかで気のいい行商人の男だ。ここ三年ほど、二人で暮らしている。


◇ユエ

 は?


◆リールー

 ここ三年ほど、二人で


◇ユエ

 聞こえてる。聞こえた。男の人と? 二人で? わたしが? ほんとに?


◆リールー

 うむ。


◇ユエ

 その……いわゆる、夫婦、とか?


◆リールー

 事実上そうなるか


◇ユエ

 事実上。


◆リールー

 私も初めは驚いた。


◇ユエ

 えっと、じゃあ、つまり、わたし


◆リールー

 大事にされておった


◇ユエ

 ほんとうに? わたしが、だれだか知らない人と? その、夫婦ってことは、やっぱり……


◆リールー

 それはそうだが、知らぬ人間というわけではないのだよ。


◇ユエ

 う……うー、だめ。気持ち悪い。


◆リールー

 ユエ。そこらの道端の男が絡んできたわけではないのだ。この三年の間、そなたは幸せそうにしておったよ。そのような言い方はしないでくれ。


◇ユエ

 そんなこと……言われたって。わたしは、思い出すこともできないのに……


 あ!


◆リールー

 どうした?


◇ユエ

 平笠ひらかさあった。追手の連中が拾ってたんだ。


◆リールー

 なるほど、犬に匂いを覚えさせるのにでも使ったか。


◇ユエ

 なくしたと思ってた。(ため息)帰ろう、リールー。

 ……疲れたよ。


◆リールー(語り)

 ユエが大きく息を吸い、魔力を取り込む。私の魂にユエの意識が触れて、私は彼女から受け取った魔力と熱量を代償に魔法を提供する。


◇ユエ(語り)

 わたしに貼られた「蛇ノ目じゃのめ呪符じゅふ」は魔女の登場で破られた。わたしたちを見る者はもういない。魔法をさえぎる物はない。


◆リールー

 猫は


◇ユエ

 いつの間にかいなくなる。




◇ユエ(語り)

 王族猫の通り道。

 夜空に漂っているような、光の瞬く水底みなそこに潜っているような、そういう空間。息ができないから、水底に近いとわたしは思う。


◆リールー(語り)

 瞬く光は「場所のかけら」だ。誰にも見られていない間にだけここに現れる、風景の破片。


◇ユエ(語り)

 この通り道に初めて来たとき、リールーにはまだ真珠色の体があった。十四歳の時に出会い、使い魔の契約を結び、その身を挺して馬鹿なあるじを救ってくれた王族猫。

 いまでもずっと救い続けてくれている、大切な右目。


◆リールー(語り)

 場所のかけらの一つに、私は目をとめた。それはつまり、ユエにも見えたということだ。


◇ユエ

 猫は、どこにでも現れる。


◆リールー(語り)

 選び取ったかけらが広がる。風景に包まれる。


◇ユエ(語り)

 体に重さが、肌に熱が、耳に音が、帰ってくる。

 薄暗くて木の匂いがこもる、閉め切った、夕暮れの室内。わたしの家。


◆リールー

 この家は、なくさなかったのだな。


◇ユエ

 ここに一人で住んでる、と思ってる。でも、二人だったんだね?


◆リールー

 そうだ。


◇ユエ

 そっか。やっぱり書き置きぐらい残してあげた方がいいのかな。その人、字は読めるの?


◆リールー

 行商人だからな、読み書き算盤はなかなかのものだよ。


◇ユエ

 行商……それで留守?


◆リールー

 もう帰っていそうなものだが。なぁ、ユエ。やはり、元の生活には戻らんか。


◇ユエ

 うん。王太子殿下を殺した罪がどうとか言ってたよね? 何がどうしてそうなったのか知らないけど、もうこの国にはいられないって。


◆リールー(語り)

 ユエが血で汚れた服を脱ぎ、硬く絞った布で体を拭き上げていく。


◇ユエ

 それに、普通の人がわたしと一緒に暮らしていくのは、やっぱり無理だよ。モノの怪を食べないと居候が飢えるし、そのために危ない目にも遭う。今回みたいなことだって……また起きるよ。

 もう産まれた街の名前も、元の名前も思い出せない。じわじわと空になっていくような、そんな人と暮らすなんてさ。


◆リールー

 そうならんように、私がいる。


◇ユエ

 うん。そうだね。わたしの過去のほとんどは、リールーが一生懸命話してくれたことだ。リールーがいなかったら、今頃『わたし』なんてどこにもいないんだ。だけど、ふるさとを捨てて、別の土地で新しい思い出ができても、わたしはそれもなくしてしまう。


◆リールー(語り)

 ユエが箪笥たんすを開いて、下帯したおび胴布どうぬの筒袴つつはかまと服を身に着けていく。

 鮮やかな赤の晴れ着が見えた。ユエがこの晴れ着を着た日を、私は覚えている。


◇ユエ

 リールーには、感謝してるんだよ。どんなに感謝してもしきれないぐらい。いつも優しくて、わたしは今でもそれに甘えちゃってる。

 この繰り返しをずっと続けて、それでどうなるんだろう。魔女を追い出す方法は全然見つからないし、わたしは、ずっと年もとってない。

 わたしがユエになったのはもう十年も前なのに、鏡を見ると「十五歳ぐらいだな」って思うよ。このままずっと、たとえば百年たって、それでもこのままで、とかさ。


 そうなったら、どうしよう。


◆リールー

 王族猫はそもそも長命ぞ。たとえ百年たとうが、また話して聞かせるよ。


◇ユエ

 だけど、わたしをなくすたびに、リールーを悲しませてる。それは、すごく、嫌だよ。

 ごめん。こんなこと言われても困るよね。


◆リールー

 なぁ、そなたの右目をえぐった時に、私は使い魔ではなくなった。


◇ユエ

 うん……だからわたしは魔女に喰われずに済んだんだ。


◆リールー

 さて、使い魔でない以上、私がそなたに協力するのは契約ゆえではない。これは意地だよ。

 私と共に見聞きした事をユエがなくしてしまうのは、やはり忍びない。こればかりはな。だが私はあきらめんよ。猫はあきらめが悪いのだ。

 だから何度でも話して聞かせよう。もし私を忘れてしまったとしても、また初めから話して聞かせよう。

 奪われてばかりであっていいものか。この十年そなたはあがき続けておって、そのユエを、私のユエを、空っぽにされてたまるものか。

 これは私の意地であるし、意思であるし、このように生きると決めたのだ。

 今の我々の姿はそなたの失態が引き起こしたかもしれん。だが報いはもう十分だ。

 故郷を離れ、元の名を名乗れず、元の名を知る者に会えず、思い出をなくして見知らぬ土地で放浪を繰り返す。もう十分ではないか


 ユエ。そなたは幸せを求めてよいし、幸せになってよいのだ。私はそれで報われる。そなたの目として見たそなたの生が、私の中のそなたの思い出が、私の生を彩っておるよ。


◇ユエ ……


◆リールー

 だからユエ。なぁ、ユエ。泣くな。そなたが泣くと私は物が見えないのだ。



<転換>



◇ユエ(語り)

 翌朝、早くに目が覚めた。

 右の眼窩がんかで、わたしの相棒はまだ眠っている。

 起こしてしまわないように左目だけ開けて起き上がり、蚊帳かやを出た。

 昨晩、蚊帳を吊ってやけに安心する自分がいることに気が付いた。

 簡素な寝台に横になり、ふわりとやわらかな幸福感も感じた。

 蔓編つるあみの枕が二つあって、ここで抱かれたんだろうと思いはしたけれど、気持ちの悪さはなかった。胸を締め付けるような、甘い痛みだけがあった。


 この家のあちこちに、気分のかけらが散らばっている。朝日に温まりだした室内でかけらを集めているうちに、古い帳簿がしまってあるのを見つけた。

 帳簿から感じる気分は特にない。おそらく触った事がないのだろうと思う。ただ、ぱらぱらとめくってみると、時おり欄外に短かく書き付けがあるのに気が付いた。


◇ユエ

 「平麺はあまり喜ばれず。出汁か? 茹でか?。月は蒸し鶏と香菜こうさいが好みと」


◇ユエ(語り)

 月、というのはわたしのことだろう。シーイーの言葉でユエは月という意味だし、平麺の具は蒸し鶏と香菜が一番だ。


◇ユエ

 「今日から買い付け。戻るまで何事もありませんように」

 「鶏で支払われた。上手にさばけるだろうか」

 「月、素手で鶏をさばく。右目殿の助力だと。心臓に悪い」

 「平麺、褒められる。月は笑うと鼻に小じわが寄る。かわいらしい。唄にしよう」

 「月が平笠を直している。この笠がふってきた日を思い出した」

 「小じわの唄は不評」

 「家に一人だとどうにも落ち着かなくなったな」

 「月と暮らすことに口を出された。大きなお世話だ」

 「右目殿とも直接話してみたいが、なにか方法はないものか」

 「月、戻る。怪我をしていた。大したことはなく安堵あんど

 「お守りをつくってくれた。月のお守りだ。効くに決まっている」

 「月、なかなか帰らず」

 「まだ帰らず。たしかホン市の方と言っていた。探しに出る」

 「腕を折って熱を出していた。泊めてくれていた民家に礼を述べ、どうにか連れ帰る。喧嘩をした」

 「生活のためではなく、なくさないためにモノの怪を喰うのだと。悩む」

 「モノの怪か人間かと月に問われる。不安げ。人間と答えたが、違和感。なぜだ」

 「問いの答え、出ず」

 「どちらでもいい。どちらでも。何をいまさら悩んだのか」

 「月の怪我、癒える。とくに曲がったりもしていないようで、安堵」

 「城下じょうかまで物見遊山ものみゆさん。どちらでもいいと伝えた。月がいてくれれば嬉しい」

 「生地の買い付けの手伝い。美しい生地ばかりだ。月にも見せてやりたかった」

 「晴れ着を作ろう。月は色が薄いから、きっと鮮やかな色が似合う」



◇ユエ(語り)

 どこかぼかして書いてあるのは、帳簿だからかもしれないし、見られるのが恥ずかしかったからかもしれない。


◇ユエ

 ふふっ。誰に見られるのが恥ずかしかったのかな、あなたは。


◇ユエ(語り)

 符合する記憶はある。鶏をさばくのに「猫の爪」を使った覚えがある。でも、その鶏をどうやって手に入れたのか思い出せない。

 腕の骨を折って、道中の民家で世話になった覚えもある。だが、どうやって帰ったのか思い出せない。

 城下町に行った覚えもある。だが、なぜ行ったのかを思い出せない。

 わたしの飛び飛びの記憶を、短い文章が埋めていく。

 この小さな家で過ごした時間を思い出せば、なにもかもチグハグだった。その隙間に、この帳簿の持ち主がいたのだろう。

 この小さな家で過ごした気分を思い返せば、安らぎを、優しさを感じた。その気分は、この帳簿の持ち主がいたからなのだろう。


  わたしは


◇ユエ

 わたしは、ここで、幸せだった。


◇ユエ(語り)

 会ってみたい。昨日までのわたしをいつくしんでくれた人に。顔もわからないけれど、昨日までの幸せに、せめてお礼が言いたい。ここで待っていれば、帰ってくるのだろうか。

 この時、外から大人数の足音が聞こえ、次いで「ばがん」と、戸を蹴りつける大きな音がした。


◆リールー

 なにごと!?


◇ユエ(語り)

 右目を開く。とっさに部屋の隅に身を寄せて、壁に留められた布をむしりとった。

 「鷹ノ目たかのめ呪符じゅふ」が露わになるのと、戸が破られて刀を帯びた役人たちが踏み込んできたのが同時だった。


◆リールー(語り)

 役人たちが家探しを始める「探せ! 内通の証拠、暗殺の企て、疑わしきものはすべて持ち去れ!」と。


◇ユエ(語り)

 鷹ノ目の呪符が奴らに「そこはもう見た」と誤解させ、わたしたちの潜む一角は無視される。


◆リールー(語り)

 それ以外は、徹底的に荒らされる。


◇ユエ(語り)

 箪笥がすべて開けられ、乱暴に中身が引っ張り出される。


◆リールー(語り)

 鮮やかな朱絹あかぎぬの晴れ着が床に投げつけられる。


◇ユエ(語り)

 水瓶が割られる。蚊帳が引き落とされる。


◆リールー(語り)

 寝台がひっくり返されて、蔓編つるあみの枕が飛ぶ。


◇ユエ(語り)

 ふわりとした幸せの匂いが乱されていく。右目が強く振動した。


◆リールー

 何をするか貴様ら!!


◇ユエ(語り)

 リールーの声は、わたしにしか聞こえない。


◆リールー

 おのれ、おのれ! 晴れ着から足をどけよ! 平笠に触れるな! 貴様ら、末代まで呪ってやろうぞ!! ぐぬ、おのれ! おのれぇえ!!


◇ユエ(語り)

 わたしも猫の爪を振るう衝動に駆られて、思いとどまる。


◇ユエ

 リールー、だめ。ここを血で汚したくない……!


◆リールー

 しかし! ユエ、見ておれぬ! 頼む! あやつら私たちの家を!


◇ユエ !!


◇ユエ(語り)

 自分の愚かしさに眩暈がした。汚されているのは、リールーの思い出だ。いま一番傷つけられているのは、リールーだ。


◆リールー(語り)

 役人のひとりが「ありました」と声を上げた。

 手には一冊の帳簿。別の役人がそれを受け取り、周りに背を向けて開く。

 懐から畳んだ紙を出し、帳簿に乗せて「やや!」とわざとらしく驚いた。


◇ユエ(語り)

 ちょうどわたしたちの真っ正面だった。


◆リールー(語り)

 役人が言う。「これこそ、化け猫と共謀した証拠に違いない! 早速王宮に伝えよ! 先日に捕らえ、王宮へ移送した男こそ、下手人の片割れに相違ないとな!」


◇ユエ(語り)

 ふざけてる。


◆リールー(語り)

 ユエが右足を振り上げた。


◇ユエ(語り)

 とんだ茶番。


◆リールー(語り)

 ユエの爪先が役人のこめかみにめり込む。


◇ユエ(語り)

 そんな茶番で、よくもわたしの!


◆リールー(語り)

 ユエが足を振りぬく。


◇ユエ

 リールー!!


◆リールー

 おう!


◇ユエ

 えりゃあああ!!


◆リールー(語り)

 ユエが猫をまとい、蹴り倒した役人を越えて跳び、別の役人の顔面に膝を叩き込む。居並ぶ役人どもを振り返る。「ばっ、化け猫ユエ!」と驚きの声が上がる。


◇ユエ(語り)

 そうだ、化け猫だ。おそれるがいい。それがわたしの力になる。モノの怪としてのわたしを強くする。


◇ユエ

 何が「やや!」か、恥知らずどもめ。

 我が右目の怒りを、思い知れ!



<転換>



◇ユエ(語り)

 役人どもを叩き伏せて、わたしたちは最低限の荷物をまとめると、人目をさけて城下町へと向かった。


◆リールー

 もう、戻ることもなかろうな。


◇ユエ

 やっと住み慣れてきた町だったのにね。さみしい?


◆リールー

 ふむ。まあな。穏やかで明るい場所であったから。


◇ユエ

 また、少しずつ聞かせてね。わたしがどんなふうに、その、夫婦になったか、とか。


◆リールー

 もちろんであるよ。

 なぁ、ユエ。王太子殺しの下手人というのはずいぶんと大ごとだが、町にはそういった噂がなかったな。


◇ユエ

 なんだろうね。あんまり大ごとだから、むしろ秘密にしてるのかもしれないし、単純に知らせが間に合ってないのかも。なんでもいいや。


◆リールー

 クォン殿も、無事でいればよいのだが。


◇ユエ

 うん。捕まえて、王宮まで連れてったって言っていたから、まだ生きてるよ。

 にせのモノの怪退治まで仕込むような力の入れっぷりなんだ。王族殺しの処刑をこっそりやるはずない。城下で、大勢の人が見てる中でやると思う。


◆リールー

 ふむ。しかし、なんだって我々なのか……。あの家で、穏やかに暮らしていたはずなのにな。


◇ユエ

 それは、きっと、わたしだからだよ。

 異国から来た、妖しげな術を使うまじない師で、おまけにあだ名は化け猫だし、適当に罪を着せるにはちょうどよかったんじゃない?

 ……クォンさんを、巻き込んじゃったな。


◆リールー

 あの男は、そんなことは気にせんよ。まずは助ける手立てを考えんと。


◇ユエ

 うん。


◆リールー(語り)

 そして、私たちは城下外れの廃屋はいおくに身を潜めた。




◇ユエ(語り)

 夜中に町へ忍び込んで、処刑の日取りを知った。わたしの首には多額の賞金がかかっていた。

 城下町にはふんわり「楽しい」という気分が残っていた。きっと、二人で遊びに来た時の気持ちなのだろうと思う。


◆リールー(語り)

 王族猫の通り道で「場所のかけら」の中にクォンの姿を探したが、失敗に終わった。

 数多くのかけらの中にそれらしい牢屋を見つけても、はたしてそこが目的の場所かどうか判別するには、情報が少なすぎた。


◇ユエ(語り)

 そして今わたしは猫をまとい、高い木の上に身を隠して正午を待つ。

 平笠は脱出先の目印として置いてきた。荷物もそこに隠しておいた。 


◆リールー(語り)

 遠く向こうの処刑場を木の柵が囲み、柵を群集が囲む。水牛の引く車の上に箱牢はころうが見える。あの中に無実の罪人がいるはずだった。



◇ユエ

 リールー、いつもありがとう。


◆リールー

 どうしたやぶからぼうに。


◇ユエ

 忘れる前に言っておこうと思って。


◆リールー

 ふむ。ありがたく受け取っておくが、まさか魔女の力をあてにしているのではなかろうな?


◇ユエ

 違うよ。魔女があそこの一人一人を区別するとは思えないもん。そうなったら負けだよ。

 この前、言ってくれたでしょ? 奪われるばかりでいいものか、って。私のユエを、って。あれね、すごく嬉しかったよ。


◆リールー

 む、ふ、うむ。


◇ユエ

 照れたの?


◆リールー

 からかわんでくれ。


◇ユエ

 ふふ。


◇ユエ(語り)

 胸の前に縛ったズダ袋に手を当てた。あの帳簿の手触りがある。欠けてしまった「わたし」を再び満たしてくれた短い言葉の数々と、寂しがり屋で照れ屋の右目。


 月は、欠けてもまた満ちるのだ。


◇ユエ

 たとえ空っぽになっても、きっと、取り戻せるものだってある。


◆リールー

 その通りだ。――いま、箱牢はころうから引き出されてきた。あの男だ。

 おお、クォン殿、すっかり痩せてしまって。


◇ユエ

 行こう。リールー。


◆リールー

 猫は、


◇ユエ

 いつの間にかいなくなる。


◆リールー(語り)

 「場所のかけら」の中から、ユエが迷わずひとつを選び出した。処刑場をはるか真下に見下ろすかけらだ。


◇ユエ(語り)

 罪人に罵倒ばとうを、呪詛じゅそを、石を投げるために集まった人たちは、空なんて見ない。


◆リールー

 猫は、


◇ユエ

 どこにでもあらわれる。


◆リールー(語り)

 はるか上空からの落下。


◇ユエ(語り)

 裾や袖がビィイと震える。頬が空気に引かれて、猫の牙がむき出る。


◆リールー(語り)

 私たちはまっすぐ落ちていく。力なくうなだれた人影が、ぐんぐんと近づいてくる。


◇ユエ

 (猫の咆哮)んにゃあああああ!


◆リールー(語り)

 モノの怪に力を与える物がふたつある。

 ひとつは、人々からのおそれ。

 天から降る化け猫の姿が、人々の目におそれを生む。


◇ユエ(語り)

 もうひとつは、正当な対価。

 蚊帳に、寝台に、枕に残った気分が、帳簿の欄外に重なった書き付けが、今のわたしに引き継いだもの。

 これまでに与えられた幸せは、これからの命に釣り合う。


 無実の罪人と目があった。日焼けした顔に真っ黒な瞳。

 はじめまして、クォン。


◆リールー(語り)

 晴天の霹靂へきれき。おそれと対価、ふたつの力を得た化け猫が、雷のごとく着地した。


◇ユエ(語り)

 刀を持った処刑人を、問答無用で蹴り飛ばす。

 クォンの背中に蛇ノ目の呪符が見えた。予想通りの対策。

 わたしは構わずクォンを抱きかかえ、鷹ノ目の呪符を貼る。

「見ているぞ」を「もう見た」が無効化する。


◆リールー(語り)

 処刑場の兵士が迫る。ユエが自分の影を見る。


◇ユエ

 クォン、歯、くいしばって。


◆リールー(語り)

 両脚に筋力、魔力、呪力、ありとあらゆる力を込めてユエは、正午の太陽に向かって、跳んだ。

 これを見た刑場の者たちは後に語ったという。忌まわしき化け猫と大罪人はおそれ多くも空に昇り、陽の光に溶けて二度と降りてくることはなかったと。


◇ユエ

 猫は、いつの間にかいなくなる。



<転換>



◇ユエ(語り)

 一年後。

 お尻の白い耳長馬みみながうまが引く荷車の上で、私たちは揺られていた。

 隣にクォンがいるのにも慣れたはずなんだけど、ふいに「ユエさん」って呼ばれると、時々こそばゆい。


◆リールー(語り)

 私は右目であるからユエの顔色などまったく見えないのだが、それでも熱は伝わってくるのだ。


◇ユエ(語り)

 クォンは不意うちみたいに、好きとか愛してるとかそういう、恥ずかしくなるようなことを言うんだもの。


◆リールー(語り)

 一緒に暮らした三年間を忘れてしまって、すっかり初々しくなったユエを私は、眼窩がんかの中からあたたかく見守っておるよ。


◇ユエ

 ……もう。


<化け猫おちる 完>

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