声劇_化け猫おちる_2名朗読劇【50分。1:1または0:1:1】
【概要】
「たとえ空っぽになっても、きっと、取り戻せるものだってある」
年を取らず、子宮に魔女を抱え、思い出を喰われる娘、ユエ。
魔女に喰われた、幸せだったはずの三年間。
そこにあったはずの、恋の記憶。
夫の名を聞けども、何ひとつ感じる事ができない。
一方で夫は、王太子暗殺の濡れ衣を着せられ、捕らわれの身となっていた。
過去を「なくして」しまう宿命の化け猫娘が、ひとりの命のため受けとった対価とは。
人の体に猫をまとって、化け猫ユエが降ってくる。
《約10000字》
上演時間目安 50-60分
登場人物
女性1名
性別不問1名
注意事項
叫び(悲鳴、猫の
【登場人物】
◇ユエ
右目に猫、子宮に魔女の魂を抱えた女性。西の国の魔法使いの家系だったが、十五歳の時に起こした事故によって故郷にいられなくなった。事故当時から身体の年齢に変化がないが、本人もそれに気づいていない。
メインストーリー中の年齢は実は25歳。
語りとして、状況、心情描写の一部を受け持ちます。
また、「魔女」も担当します。
◇ユエ(語り)
ユエの立場で行う状況描写。
▽魔女
幼い魔女。序盤に少し登場。二人芝居の場合は、ユエ役の方が担当してください。
◆リールー
ユエの右目。もともとは
◆リールー(語り)
リールーの立場で行う状況描写
《ユエ、リールー以外の発言はセリフとして扱ってもよいですし、朗読的表現として扱っても構いません》
原作 「化け猫おちる」
https://kakuyomu.jp/works/1177354055451648831
【PCやタブレット使用であれば、画面右上の「ぁあ《ビューワー設定》」から、組み方向を縦組みにすると読みやすいかと思います】
利用規約はこちらです。ご利用にあたって、かならず一読をお願いいたします。
https://kakuyomu.jp/works/16817139555946031744/episodes/16817139555946036386
<以下本文>
* * *
◆リールー(語り)
夜明けであった。
見晴らしのよい山の中腹、目立たぬ墓に日が昇る。
◇ユエ(語り)
わたしは、わたしが埋葬した、わたしの大切な人に、話しかける。
◇ユエ
ね。クォン。あっちの国では、わたしたちは空に昇って、太陽に溶けたことになってるらしいよ。
◆リールー(語り)
ユエの指が、古びた帳簿をなぞる。私はユエの右目であるから、彼女の目として、その様子を見ている。
◇ユエ
わたしもね。生きている間に、あなたと過ごした三十年があって、良かった。
◆リールー(語り)
私の視界が滲む。ユエの涙によって、または私の涙によって。
◇ユエ
そろそろ、行くよ。
◆リールー
すっかり、寂しくなってしまったな。
◇ユエ
そうだね、リールー。
クォン、右目殿も寂しいって。それとももう、聞こえてたりするのかな。
愛してるよ。
<転換>
◇ユエ(語り)
二十七年前。わたしは、追われていた。
◆リールー(語り)
深い密林の中を逃げた。矢と
◇ユエ
犬しつっこい!
◆リールー
ユエ、落ち着け。我々を消耗させるのが狙いだ。
◇ユエ
わかってるけど、まるまる一日、よく飽きもせず……!
◆リールー(語り)
びう! と耳元をかすめる鏑矢。音で私もユエも平衡感覚を奪われる。
◇ユエ(語り)
矢の
◇ユエ
くそっ、くそっ、くそっ!
◆リールー
あと半刻だ、ユエ。半刻で呪符の効力が切れる!
◇ユエ(語り)
仕組まれていたと、気づいた時には遅かった。
依頼されたモノの怪退治はニセモノだった。わたしを、猫の右目を持つまじない師、「化け猫ユエ」を狩るための仕込みだった。
◆リールー(語り)
密林に案内されるなり不意をつかれ「
◇ユエ(語り)
馴染みのない土地で、生い茂る木が視界をさえぎり、出口もわからない。わたしの平笠なら「笠の神様」の術で道を示せたのに、追われる途中で落としてしまった。
◆リールー(語り)
さらに、密林に張られた結界が、他のモノの怪を遠ざけている。モノの怪を喰うために受けた依頼であるのに、ユエは、厳密には、ユエの子宮に宿る居候は、食事にありつけない。
◇ユエ(語り)
わたしの
◆リールー
ユエ、水音だ。沢があるぞ!
◇ユエ
沢!? あ、そっか沢ぞいに走れば。
◆リールー
密林を抜けられるだろう。少なくとも、走るに邪魔な植物は少ない。
◇ユエ
踏ん張りどころか。リールー、
◆リールー
承知した。
◇ユエ(語り)
わたしは右目にはまった猫の目、わたしの相棒、リールーから猫の力を引き出す。猫の魔法「
◆リールー(語り)
ユエの肩から上を真珠色の毛が覆い、口が裂けるように広がって牙が伸び、頭に三角の耳が立つ。輝く毛のひとふさに稲穂の色を残して、ユエの頭が猫の頭に
◇ユエ(語り)
体の芯に熱がこもる。魔法に体力を奪われて脚がふらつく。それを気力で従えて、わたしは猫の脚力を解放した。
◇ユエ
クォン。ちゃんと帰るよ、クォン。
◆リールー(語り)
獣の疾走に沢の水が跳ねて
追っ手が慌てて沢に飛び降り、進路をふさぐ。
浅黒い肌を革の鎧で覆い、弓を構えた者が数名。
太く短い
ヤブから飛び出してきた
矢が腕を、頬を
段平が突き出され、振り下ろされるさらにその下。
◇ユエ
猫は、すり抜ける!
◆リールー(語り)
追手の足元をくぐり抜け、さらにユエは加速する。さえぎる物はない。このまま引き離せば逃げ切れると思えた。
◇ユエ(語り)
その時、ぱきん、と痛みを伴う耳鳴りがした。
◆リールー(語り)
ユエが態勢を崩し、沢を転がる。
◇ユエ
だめ。今は、まだ、だめ……!
◆リールー(語り)
ユエの下腹に宿る居候が、空腹に耐えきれなくなったのだ。
◇ユエ
(悲鳴を上げる)(中から内臓を削られるような痛み)
◆リールー(語り)
ユエの魂を、下腹の居候が、かじった。
◇ユエ(語り)
そして追手の矢が、わたしの背中を射た。次々と、矢が刺さった。
◆リールー
ユエ、ユエ、大丈夫だ。何をなくしても、わたしが覚えているから。
◇ユエ(語り)
リールーの声だけは、はっきりと聞こえる。体のどこに、どれだけの矢が刺さっているのか、もうわからない。熱い。肺から血がのぼって来て、息ができない。
◆リールー(語り)
追手の一人が、ユエの髪を掴んでいる。
◇ユエ(語り)
下腹の魔女が目を覚ます。
<転換>
▽魔女
母さまが魂をわけて下さっていたのに、親子の時間を邪魔するなんて、乱暴な人たちなのね。
ねぇ、痛い? 手や足が
そこのあなた、みなさんを集めてきてくださる?
わたし、思い付いてしまったの
食べづらいモノでもね
ひと工夫すればおいしくなるのでしょう?
お漬物にして発酵させるだなんて、あなたたちって神秘的なのね。
わたしね、人間は食べられないけれど
情念に満ちたモノの怪はとても好きなの!
あ、でも、こういうのは発酵とは言わないのかしら?
むずかしいわ、ふふ
ねぇ、あなたたち
いまからモノの怪になって?
◆リールー(語り)
人間はコ・ホンに変えられた。非業の死を遂げ、弔われなかった兵士が成り果てる鬼だ。
猟犬はチョ・ディアヌに変えられた。背中を下に土に埋められ、地獄に落とされた犬の怪異だ。
そして魔女は、それらのモノの怪を抱きしめるように丁寧にすふすふと捕食した。
◇ユエ(語り)
満足した魔女がすやすや眠って、わたしは体を取り戻した。体だけは、いつも完璧な状態で戻ってくる。
◆リールー(語り)
そのかわりに、ユエはなくす。
例えば思い出。
例えば他人への関心。
例えば人らしさへの執着。
<転換>
◇ユエ
(考えこんでいる)うーん。呪符に、武器に、結界。相手は念入りに準備してやる気まんまんだったのに、どうしてわたしは殺さないように頑張ってたんだろう?
◆リールー
ユエ。
◇ユエ
この気持ちのズレが、わたしのなくしたものと関係してるんだろうね。
◆リールー
なるべく人を殺さない。そういう約束をしていたのだよ
◇ユエ
誰と?
◆リールー
クォンという、何かにつけてすぐ唄いたがる、のどかで気のいい行商人の男だ。ここ三年ほど、二人で暮らしている。
◇ユエ
は?
◆リールー
ここ三年ほど、二人で
◇ユエ
聞こえてる。聞こえた。男の人と? 二人で? わたしが? ほんとに?
◆リールー
うむ。
◇ユエ
その……いわゆる、夫婦、とか?
◆リールー
事実上そうなるか
◇ユエ
事実上。
◆リールー
私も初めは驚いた。
◇ユエ
えっと、じゃあ、つまり、わたし
◆リールー
大事にされておった
◇ユエ
ほんとうに? わたしが、だれだか知らない人と? その、夫婦ってことは、やっぱり……
◆リールー
それはそうだが、知らぬ人間というわけではないのだよ。
◇ユエ
う……うー、だめ。気持ち悪い。
◆リールー
ユエ。そこらの道端の男が絡んできたわけではないのだ。この三年の間、そなたは幸せそうにしておったよ。そのような言い方はしないでくれ。
◇ユエ
そんなこと……言われたって。わたしは、思い出すこともできないのに……
あ!
◆リールー
どうした?
◇ユエ
◆リールー
なるほど、犬に匂いを覚えさせるのにでも使ったか。
◇ユエ
なくしたと思ってた。(ため息)帰ろう、リールー。
……疲れたよ。
◆リールー(語り)
ユエが大きく息を吸い、魔力を取り込む。私の魂にユエの意識が触れて、私は彼女から受け取った魔力と熱量を代償に魔法を提供する。
◇ユエ(語り)
わたしに貼られた「
◆リールー
猫は
◇ユエ
いつの間にかいなくなる。
◇ユエ(語り)
王族猫の通り道。
夜空に漂っているような、光の瞬く
◆リールー(語り)
瞬く光は「場所のかけら」だ。誰にも見られていない間にだけここに現れる、風景の破片。
◇ユエ(語り)
この通り道に初めて来たとき、リールーにはまだ真珠色の体があった。十四歳の時に出会い、使い魔の契約を結び、その身を挺して馬鹿な
いまでもずっと救い続けてくれている、大切な右目。
◆リールー(語り)
場所のかけらの一つに、私は目をとめた。それはつまり、ユエにも見えたということだ。
◇ユエ
猫は、どこにでも現れる。
◆リールー(語り)
選び取ったかけらが広がる。風景に包まれる。
◇ユエ(語り)
体に重さが、肌に熱が、耳に音が、帰ってくる。
薄暗くて木の匂いがこもる、閉め切った、夕暮れの室内。わたしの家。
◆リールー
この家は、なくさなかったのだな。
◇ユエ
ここに一人で住んでる、と思ってる。でも、二人だったんだね?
◆リールー
そうだ。
◇ユエ
そっか。やっぱり書き置きぐらい残してあげた方がいいのかな。その人、字は読めるの?
◆リールー
行商人だからな、読み書き算盤はなかなかのものだよ。
◇ユエ
行商……それで留守?
◆リールー
もう帰っていそうなものだが。なぁ、ユエ。やはり、元の生活には戻らんか。
◇ユエ
うん。王太子殿下を殺した罪がどうとか言ってたよね? 何がどうしてそうなったのか知らないけど、もうこの国にはいられないって。
◆リールー(語り)
ユエが血で汚れた服を脱ぎ、硬く絞った布で体を拭き上げていく。
◇ユエ
それに、普通の人がわたしと一緒に暮らしていくのは、やっぱり無理だよ。モノの怪を食べないと居候が飢えるし、そのために危ない目にも遭う。今回みたいなことだって……また起きるよ。
もう産まれた街の名前も、元の名前も思い出せない。じわじわと空になっていくような、そんな人と暮らすなんてさ。
◆リールー
そうならんように、私がいる。
◇ユエ
うん。そうだね。わたしの過去のほとんどは、リールーが一生懸命話してくれたことだ。リールーがいなかったら、今頃『わたし』なんてどこにもいないんだ。だけど、ふるさとを捨てて、別の土地で新しい思い出ができても、わたしはそれもなくしてしまう。
◆リールー(語り)
ユエが
鮮やかな赤の晴れ着が見えた。ユエがこの晴れ着を着た日を、私は覚えている。
◇ユエ
リールーには、感謝してるんだよ。どんなに感謝してもしきれないぐらい。いつも優しくて、わたしは今でもそれに甘えちゃってる。
この繰り返しをずっと続けて、それでどうなるんだろう。魔女を追い出す方法は全然見つからないし、わたしは、ずっと年もとってない。
わたしがユエになったのはもう十年も前なのに、鏡を見ると「十五歳ぐらいだな」って思うよ。このままずっと、たとえば百年たって、それでもこのままで、とかさ。
そうなったら、どうしよう。
◆リールー
王族猫はそもそも長命ぞ。たとえ百年たとうが、また話して聞かせるよ。
◇ユエ
だけど、わたしをなくすたびに、リールーを悲しませてる。それは、すごく、嫌だよ。
ごめん。こんなこと言われても困るよね。
◆リールー
なぁ、そなたの右目を
◇ユエ
うん……だからわたしは魔女に喰われずに済んだんだ。
◆リールー
さて、使い魔でない以上、私がそなたに協力するのは契約ゆえではない。これは意地だよ。
私と共に見聞きした事をユエがなくしてしまうのは、やはり忍びない。こればかりはな。だが私はあきらめんよ。猫はあきらめが悪いのだ。
だから何度でも話して聞かせよう。もし私を忘れてしまったとしても、また初めから話して聞かせよう。
奪われてばかりであっていいものか。この十年そなたはあがき続けておって、そのユエを、私のユエを、空っぽにされてたまるものか。
これは私の意地であるし、意思であるし、このように生きると決めたのだ。
今の我々の姿はそなたの失態が引き起こしたかもしれん。だが報いはもう十分だ。
故郷を離れ、元の名を名乗れず、元の名を知る者に会えず、思い出をなくして見知らぬ土地で放浪を繰り返す。もう十分ではないか
ユエ。そなたは幸せを求めてよいし、幸せになってよいのだ。私はそれで報われる。そなたの目として見たそなたの生が、私の中のそなたの思い出が、私の生を彩っておるよ。
◇ユエ ……
◆リールー
だからユエ。なぁ、ユエ。泣くな。そなたが泣くと私は物が見えないのだ。
<転換>
◇ユエ(語り)
翌朝、早くに目が覚めた。
右の
起こしてしまわないように左目だけ開けて起き上がり、
昨晩、蚊帳を吊ってやけに安心する自分がいることに気が付いた。
簡素な寝台に横になり、ふわりとやわらかな幸福感も感じた。
この家のあちこちに、気分のかけらが散らばっている。朝日に温まりだした室内でかけらを集めているうちに、古い帳簿がしまってあるのを見つけた。
帳簿から感じる気分は特にない。おそらく触った事がないのだろうと思う。ただ、ぱらぱらとめくってみると、時おり欄外に短かく書き付けがあるのに気が付いた。
◇ユエ
「平麺はあまり喜ばれず。出汁か? 茹でか?。月は蒸し鶏と
◇ユエ(語り)
月、というのはわたしのことだろう。シーイーの言葉でユエは月という意味だし、平麺の具は蒸し鶏と香菜が一番だ。
◇ユエ
「今日から買い付け。戻るまで何事もありませんように」
「鶏で支払われた。上手にさばけるだろうか」
「月、素手で鶏をさばく。右目殿の助力だと。心臓に悪い」
「平麺、褒められる。月は笑うと鼻に小じわが寄る。かわいらしい。唄にしよう」
「月が平笠を直している。この笠がふってきた日を思い出した」
「小じわの唄は不評」
「家に一人だとどうにも落ち着かなくなったな」
「月と暮らすことに口を出された。大きなお世話だ」
「右目殿とも直接話してみたいが、なにか方法はないものか」
「月、戻る。怪我をしていた。大したことはなく
「お守りをつくってくれた。月のお守りだ。効くに決まっている」
「月、なかなか帰らず」
「まだ帰らず。たしかホン市の方と言っていた。探しに出る」
「腕を折って熱を出していた。泊めてくれていた民家に礼を述べ、どうにか連れ帰る。喧嘩をした」
「生活のためではなく、なくさないためにモノの怪を喰うのだと。悩む」
「モノの怪か人間かと月に問われる。不安げ。人間と答えたが、違和感。なぜだ」
「問いの答え、出ず」
「どちらでもいい。どちらでも。何をいまさら悩んだのか」
「月の怪我、癒える。とくに曲がったりもしていないようで、安堵」
「
「生地の買い付けの手伝い。美しい生地ばかりだ。月にも見せてやりたかった」
「晴れ着を作ろう。月は色が薄いから、きっと鮮やかな色が似合う」
◇ユエ(語り)
どこかぼかして書いてあるのは、帳簿だからかもしれないし、見られるのが恥ずかしかったからかもしれない。
◇ユエ
ふふっ。誰に見られるのが恥ずかしかったのかな、あなたは。
◇ユエ(語り)
符合する記憶はある。鶏をさばくのに「猫の爪」を使った覚えがある。でも、その鶏をどうやって手に入れたのか思い出せない。
腕の骨を折って、道中の民家で世話になった覚えもある。だが、どうやって帰ったのか思い出せない。
城下町に行った覚えもある。だが、なぜ行ったのかを思い出せない。
わたしの飛び飛びの記憶を、短い文章が埋めていく。
この小さな家で過ごした時間を思い出せば、なにもかもチグハグだった。その隙間に、この帳簿の持ち主がいたのだろう。
この小さな家で過ごした気分を思い返せば、安らぎを、優しさを感じた。その気分は、この帳簿の持ち主がいたからなのだろう。
わたしは
◇ユエ
わたしは、ここで、幸せだった。
◇ユエ(語り)
会ってみたい。昨日までのわたしを
この時、外から大人数の足音が聞こえ、次いで「ばがん」と、戸を蹴りつける大きな音がした。
◆リールー
なにごと!?
◇ユエ(語り)
右目を開く。とっさに部屋の隅に身を寄せて、壁に留められた布をむしりとった。
「
◆リールー(語り)
役人たちが家探しを始める「探せ! 内通の証拠、暗殺の企て、疑わしきものはすべて持ち去れ!」と。
◇ユエ(語り)
鷹ノ目の呪符が奴らに「そこはもう見た」と誤解させ、わたしたちの潜む一角は無視される。
◆リールー(語り)
それ以外は、徹底的に荒らされる。
◇ユエ(語り)
箪笥がすべて開けられ、乱暴に中身が引っ張り出される。
◆リールー(語り)
鮮やかな
◇ユエ(語り)
水瓶が割られる。蚊帳が引き落とされる。
◆リールー(語り)
寝台がひっくり返されて、
◇ユエ(語り)
ふわりとした幸せの匂いが乱されていく。右目が強く振動した。
◆リールー
何をするか貴様ら!!
◇ユエ(語り)
リールーの声は、わたしにしか聞こえない。
◆リールー
おのれ、おのれ! 晴れ着から足をどけよ! 平笠に触れるな! 貴様ら、末代まで呪ってやろうぞ!! ぐぬ、おのれ! おのれぇえ!!
◇ユエ(語り)
わたしも猫の爪を振るう衝動に駆られて、思いとどまる。
◇ユエ
リールー、だめ。ここを血で汚したくない……!
◆リールー
しかし! ユエ、見ておれぬ! 頼む! あやつら私たちの家を!
◇ユエ !!
◇ユエ(語り)
自分の愚かしさに
◆リールー(語り)
役人のひとりが「ありました」と声を上げた。
手には一冊の帳簿。別の役人がそれを受け取り、周りに背を向けて開く。
懐から畳んだ紙を出し、帳簿に乗せて「やや!」とわざとらしく驚いた。
◇ユエ(語り)
ちょうどわたしたちの真っ正面だった。
◆リールー(語り)
役人が言う。「これこそ、化け猫と共謀した証拠に違いない! 早速王宮に伝えよ! 先日に捕らえ、王宮へ移送した男こそ、下手人の片割れに相違ないとな!」
◇ユエ(語り)
ふざけてる。
◆リールー(語り)
ユエが右足を振り上げた。
◇ユエ(語り)
とんだ茶番。
◆リールー(語り)
ユエの爪先が役人のこめかみにめり込む。
◇ユエ(語り)
そんな茶番で、よくもわたしの!
◆リールー(語り)
ユエが足を振りぬく。
◇ユエ
リールー!!
◆リールー
おう!
◇ユエ
えりゃあああ!!
◆リールー(語り)
ユエが猫をまとい、蹴り倒した役人を越えて跳び、別の役人の顔面に膝を叩き込む。居並ぶ役人どもを振り返る。「ばっ、化け猫ユエ!」と驚きの声が上がる。
◇ユエ(語り)
そうだ、化け猫だ。おそれるがいい。それがわたしの力になる。モノの怪としてのわたしを強くする。
◇ユエ
何が「やや!」か、恥知らずどもめ。
我が右目の怒りを、思い知れ!
<転換>
◇ユエ(語り)
役人どもを叩き伏せて、わたしたちは最低限の荷物をまとめると、人目をさけて城下町へと向かった。
◆リールー
もう、戻ることもなかろうな。
◇ユエ
やっと住み慣れてきた町だったのにね。さみしい?
◆リールー
ふむ。まあな。穏やかで明るい場所であったから。
◇ユエ
また、少しずつ聞かせてね。わたしがどんなふうに、その、夫婦になったか、とか。
◆リールー
もちろんであるよ。
なぁ、ユエ。王太子殺しの下手人というのはずいぶんと大ごとだが、町にはそういった噂がなかったな。
◇ユエ
なんだろうね。あんまり大ごとだから、むしろ秘密にしてるのかもしれないし、単純に知らせが間に合ってないのかも。なんでもいいや。
◆リールー
クォン殿も、無事でいればよいのだが。
◇ユエ
うん。捕まえて、王宮まで連れてったって言っていたから、まだ生きてるよ。
◆リールー
ふむ。しかし、なんだって我々なのか……。あの家で、穏やかに暮らしていたはずなのにな。
◇ユエ
それは、きっと、わたしだからだよ。
異国から来た、妖しげな術を使うまじない師で、おまけにあだ名は化け猫だし、適当に罪を着せるにはちょうどよかったんじゃない?
……クォンさんを、巻き込んじゃったな。
◆リールー
あの男は、そんなことは気にせんよ。まずは助ける手立てを考えんと。
◇ユエ
うん。
◆リールー(語り)
そして、私たちは城下外れの
◇ユエ(語り)
夜中に町へ忍び込んで、処刑の日取りを知った。わたしの首には多額の賞金がかかっていた。
城下町にはふんわり「楽しい」という気分が残っていた。きっと、二人で遊びに来た時の気持ちなのだろうと思う。
◆リールー(語り)
王族猫の通り道で「場所のかけら」の中にクォンの姿を探したが、失敗に終わった。
数多くのかけらの中にそれらしい牢屋を見つけても、はたしてそこが目的の場所かどうか判別するには、情報が少なすぎた。
◇ユエ(語り)
そして今わたしは猫をまとい、高い木の上に身を隠して正午を待つ。
平笠は脱出先の目印として置いてきた。荷物もそこに隠しておいた。
◆リールー(語り)
遠く向こうの処刑場を木の柵が囲み、柵を群集が囲む。水牛の引く車の上に
◇ユエ
リールー、いつもありがとう。
◆リールー
どうした
◇ユエ
忘れる前に言っておこうと思って。
◆リールー
ふむ。ありがたく受け取っておくが、まさか魔女の力をあてにしているのではなかろうな?
◇ユエ
違うよ。魔女があそこの一人一人を区別するとは思えないもん。そうなったら負けだよ。
この前、言ってくれたでしょ? 奪われるばかりでいいものか、って。私のユエを、って。あれね、すごく嬉しかったよ。
◆リールー
む、ふ、うむ。
◇ユエ
照れたの?
◆リールー
からかわんでくれ。
◇ユエ
ふふ。
◇ユエ(語り)
胸の前に縛ったズダ袋に手を当てた。あの帳簿の手触りがある。欠けてしまった「わたし」を再び満たしてくれた短い言葉の数々と、寂しがり屋で照れ屋の右目。
月は、欠けてもまた満ちるのだ。
◇ユエ
たとえ空っぽになっても、きっと、取り戻せるものだってある。
◆リールー
その通りだ。――いま、
おお、クォン殿、すっかり痩せてしまって。
◇ユエ
行こう。リールー。
◆リールー
猫は、
◇ユエ
いつの間にかいなくなる。
◆リールー(語り)
「場所のかけら」の中から、ユエが迷わずひとつを選び出した。処刑場をはるか真下に見下ろすかけらだ。
◇ユエ(語り)
罪人に
◆リールー
猫は、
◇ユエ
どこにでもあらわれる。
◆リールー(語り)
はるか上空からの落下。
◇ユエ(語り)
裾や袖がビィイと震える。頬が空気に引かれて、猫の牙がむき出る。
◆リールー(語り)
私たちはまっすぐ落ちていく。力なくうなだれた人影が、ぐんぐんと近づいてくる。
◇ユエ
(猫の咆哮)んにゃあああああ!
◆リールー(語り)
モノの怪に力を与える物がふたつある。
ひとつは、人々からのおそれ。
天から降る化け猫の姿が、人々の目におそれを生む。
◇ユエ(語り)
もうひとつは、正当な対価。
蚊帳に、寝台に、枕に残った気分が、帳簿の欄外に重なった書き付けが、今のわたしに引き継いだもの。
これまでに与えられた幸せは、これからの命に釣り合う。
無実の罪人と目があった。日焼けした顔に真っ黒な瞳。
はじめまして、クォン。
◆リールー(語り)
晴天の
◇ユエ(語り)
刀を持った処刑人を、問答無用で蹴り飛ばす。
クォンの背中に蛇ノ目の呪符が見えた。予想通りの対策。
わたしは構わずクォンを抱きかかえ、鷹ノ目の呪符を貼る。
「見ているぞ」を「もう見た」が無効化する。
◆リールー(語り)
処刑場の兵士が迫る。ユエが自分の影を見る。
◇ユエ
クォン、歯、くいしばって。
◆リールー(語り)
両脚に筋力、魔力、呪力、ありとあらゆる力を込めてユエは、正午の太陽に向かって、跳んだ。
これを見た刑場の者たちは後に語ったという。忌まわしき化け猫と大罪人はおそれ多くも空に昇り、陽の光に溶けて二度と降りてくることはなかったと。
◇ユエ
猫は、いつの間にかいなくなる。
<転換>
◇ユエ(語り)
一年後。
お尻の白い
隣にクォンがいるのにも慣れたはずなんだけど、ふいに「ユエさん」って呼ばれると、時々こそばゆい。
◆リールー(語り)
私は右目であるからユエの顔色などまったく見えないのだが、それでも熱は伝わってくるのだ。
◇ユエ(語り)
クォンは不意うちみたいに、好きとか愛してるとかそういう、恥ずかしくなるようなことを言うんだもの。
◆リールー(語り)
一緒に暮らした三年間を忘れてしまって、すっかり初々しくなったユエを私は、
◇ユエ
……もう。
<化け猫おちる 完>
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