化け猫シリーズ

声劇_化け猫ユエ_2名朗読劇【50分。1:1または0:1:1】

【概要】


 「娘と右目と子宮と呪いの、亜熱帯怪奇譚」

 猫の右目にヒトの左目、大きな平笠をかぶった西方の呪い師、ユエ。

 眼球振動で話しかけてくるユエの右目にして相棒、リールー。

 定期的にモノの怪を喰わないと飢えて宿主を喰おうとする、下腹したばらの居候。


 はらぺこの居候をなだめるため、三つの魂を抱えてユエは水牛車に揺られ行く。

 聞けば、満月の夜に女の腹が喰われると言う。

 「家」という結界の中に、なぜモノの怪は入り込めたのか。

 満月に照らされた水田に化け猫が跳び、荘園しょうえんの呪いに齧りつく。

 喪失と再生の亜熱帯怪奇譚、開幕。


 ※同性同士による二人芝居、また一人芝居もOKですが、ユエの体の性別は変更できません。


《約9000字》

上演時間目安 50 - 60分


登場人物

女性1名

性別不問1名



【登場人物】


◇ユエ

 右目に猫、子宮に魔女の魂を抱えた女性。西の国の魔法使いの家系だったが、十五歳の時に起こした事故によって故郷にいられなくなった。事故当時から身体の年齢に変化がないが、本人もそれに気づいていない。


◇ユエ(語り)

 ユエの立場で行う状況描写。


▽魔女 

 幼い魔女。終盤に少し登場。二人芝居の場合は、ユエ役の方が担当してください。



◆リールー

 ユエの右目。もともとは王族猫ケトリールという妖精であり、ユエの使い魔であった。ユエが事故を起こした時から右目として生きている。いわゆる妖精につき演者の性別不問。

◆リールー(語り)

 リールーの立場で行う状況描写



《ユエ、リールー以外の発言はセリフとして扱ってもよいですし、朗読的表現として扱っても構いません》


原作 「化け猫ユエ」

https://kakuyomu.jp/works/1177354054896395656



【PCやタブレット使用であれば、画面右上の「ぁあ《ビューワー設定》」から、組み方向を縦組みにすると読みやすいかと思います】


利用規約はこちらです。ご了承の上でのご利用をお願いいたします。

https://kakuyomu.jp/works/16817139555946031744/episodes/16817139555946036386



<以下本文>



    *   *   *



◇ユエ(語り)

 女ばかりを喰らうモノの怪がでたんだそうだ。それで、ガノイの荘園しょうえんとかいう所へ向け、水牛が引っ張る荷車に乗って、わたしとリールーは運ばれていく。


◆リールー(語り)

 もっとも現在の私はユエの右目であるから、別々に行動するなどあり得ん話だ。私にできることはせいぜい、見聞きしたものを覚えておくこと、ユエに猫の力を与えること、ユエの話し相手になること、ぐらいか。


◇ユエ(語り)

 それでわたしは、いつものように話し相手になってもらっていた。目玉と会話する方法?


◆リールー(語り)

 私が細かくぶるぶる震えると、その振動はユエの頭蓋を震わせ、声として届くのだ。


◇ユエ(語り)

 わたしは頭の骨だけを震わせるなんてできないので、普通に声にだすしかない。こんなふうに。


◇ユエ

 ねえリールー。平麺ひらめんはさ、やっぱりとり出汁だしのおつゆがいいよね。

 そこにちょっとだけ魚醤ぎょしょうを垂らして、具は蒸した鶏肉と香菜こうさいで、麺をお箸で持ち上げるとちょっと透き通ってるの。いいよね。


◆リールー

 味は私にはわからんが、麺が透き通る様子はなかなかに美しい。まぁそなたが喜んで食べている事はわかるよ。


◇ユエ

 でしょ? あそこの屋台の平麺、理想的なんだよね。ゆっくり食べたかったのになぁ。


◆リールー

 間の悪い来客であった。


◇ユエ

 ほんとだよ。なんでお昼食べてる時に来るかなぁ。女ばかりを喰らうモノの怪がでております、なんてさ、いくらわたしが専門のまじない師でも、食事中にそんな話ききたくない。


◆リールー《ものまね》

 「女ばかりを喰らうモノの怪が出ております」。


◇ユエ

 似てる。うまいねリールー。


◆リールー

 ふふふ。さて、女ばかり狙うモノの怪というなら……

 樫鬼かしおに

 水鏡みかがみわらい

 障猫さわりねこ

 蟻塚ありづか百目ひゃくもく

 陽炎橋かげろうばし

 こんなところかね?


◇ユエ

 うーん、どれも犬とは遠いよね。大きな犬の影を見た人がいるって話だし──それに『さらう』じゃなくて『その場で喰う』っていうのは珍しいよ。その場で喰われるのは圧倒的に男だもの。

 何にしたって、その、ガノイの荘園しょうえん? とやらに着いたらもう少し聞いてみないとだね。


◆リールー

 ユエ、あまり乗り気でないのか?


◇ユエ

 そんなことない。どうして?満月の夜に最低でも一人被害にあってて、始まりが半年前なら六人以上。けっこうな大物だよ?かなり腹持ちいいんじゃないかな。

 ──リールー、きょときょとしないで、視界がぶれてる。なにか言いたいことあるなら、言ってよ。


◆リールー

 なに……人死にが出ている割には、ずいぶん落ち着いているのだなと。


◇ユエ

 それは……慣れただけだよ、この六年で。わたしだって、もう十五の子供じゃない。いちいち取り乱したり、変に張り切りすぎたりしないよ。

 お腹の居候もまだおとなしくしてるし、大丈夫だって。


◆リールー

 ふむ。前にモノの怪を喰えたのは、ひと月前だったか?西の生まれのご婦人に、死産と流産が相次いだ時の。


◇ユエ

 ぬすみおにね。まさか私以外にも西から来た人がいるとは思わなかった。「守り犬」のおまじないは教えたけど、ちゃんとやるかなぁ。


◆リールー

 犬をイケニエにして寝床の下に埋める、というのは西の人間には馴染みが薄かろう。ご婦人も卒倒しておったな。


◇ユエ

 魔法にもそういうのあるよ。まあ同じ西の出身として、気持ちはわかるけど。


0  間


◆リールー

 ユエ、まぶたが閉じた。


◇ユエ

 うん。まだ着かなさそうだし、ちょっと寝る。リールーも休んでて。


◆リールー

 寝るなら、平笠ひらかさを顔に乗せてもらえるとありがたい。──うむ、助かる。


◇ユエ

 おやすみ、またあとで。


   0 転換


◆リールー(語り)

 さて夜遅く、荘園しょうえんについた。夜中にもかかわらず起きだしてきた荘園しょうえんのあるじは、私たちを見るなりこのような発言をした。

「異人の娘とは聞いていたが、まだ小娘ではないか。生白いうえに細い。本物なんだろうな?」


◇ユエ(語り)

 わたしは答えた。

「腕っぷしでやる仕事じゃないですから」


◆リールー(語り)

 これもよくあるやり取りだ。どうもこの国の人間にとってユエは幼く、そして病弱に見えるらしい。


◇ユエ(語り)

 色が白いから。髪や瞳の色が薄いから。どっちにしても気分はよくないし面倒くさい。ただ、本物か偽物かという問いにはすぐに答えられる。


◆リールー(語り)

 近寄って、私の姿をよく見てもらった。



◇ユエ(語り)

 琥珀こはくいろの人の左目、金色きんいろの猫の右目。わたしが本物の「化け猫ユエ」だ。


  0 荘園しょうえん主の屋敷で一晩を過ごした。


◇ユエ

 おはようリールー。さすが、偉い人のお屋敷は快適だね。風通しはいいし、日陰で涼しいし、お風呂あるし。


◆リールー

 荷台であれだけ寝ていたのに、よく眠っておったな。


◇ユエ

 猫はよく寝る。


◆リールー

 気持ちはわかるが。


◇ユエ

 ふふん。じゃ、お化粧するから、しばらくしゃべらないで。わたしに身を任せてね。


◆リールー

 心得ておるよ。


◇ユエ

 ありがと。 


◇ユエ(語り)

 そしてわたしは荷物から手鏡と化粧道具を取り出す。わたしはよそ者だ。土地の人間は簡単に心を開かない。しかもわたしは年下にみられる。


 だから化粧は入念でなければならない。モノの怪を相手にする人間には、相応の妖しさが求められる。


 目を強調するようにすみべにを引く。鏡に映った右目が、朝の光で縦にすぼまっている。



 この金色の瞳を見るたび、わたしの胸は小さくうずく。



 十四歳の冬至の日。三日をかけた召喚の魔法陣に王族猫おうぞくねこが現れた時、わたしは霜焼けやアカギレの痛みも忘れてはしゃいだ。

 真珠のような毛皮の、白く、しなやかで、美しい獣だった。

 お互いの血を舐め、わたしは猫に使い魔としての名を与えた。


 王族猫。またの名をケトリール。だからリールー。


 名付けが安直だと文句を言われたけれど、ともかく使い魔と「猫の魔法」を得て、これで一人前の魔法使いだとお祝いもしてもらって、次の年、リールーは身体を失った。


 わたしのせいで。わたしを助けるために。


◆リールー

 手が止まっておるが?


◇ユエ

 ん、なんでもない


◆リールー(語り)

 化粧を終えてユエが、紅い薄衣うすぎぬで口元を隠す。

 同じ色の長衣ながころもを着込んで平笠を取る。

 笠につけた五色ごしきの布がふわりと周りに垂れ下がる。


 まじない師として装った魔法使いが、私に声をかけた。


◇ユエ

 行こう、リールー。


  0 転換。荘園をまわる。

 

◆リールー(語り)

 化粧と衣装は充分に役割を果たしてくれた。

 訪ねた家の者たちは、ユエの問いかけに、涙を流しながら、時に祈るように、後悔をにじませながら、家族の死に様を語った。


 何が悪かったのか、どのような因果でモノの怪に目をつけられたのか、なぜあのような惨たらしい死に方をしなければならなかったのか。

 憎い。モノの怪を殺してくれ。でなければ家族が浮かばれない。


◇ユエ(語り)

 くだんのモノの怪を、彼らは「黒犬くろいぬ」と呼んだ。

 いわく、犬は家の中に突然現れたと言う。

 物音に目を覚まし、追い払おうとナタを振るったら、閉じた戸を破って逃げたと言う。

 そして、下腹したばらを喰われ息絶えた家族に気づいたのだと言う。


 家というのは、実はそれだけで強力な結界だ。窓や隙間のあるなしに関わらず、モノの怪がたやすく入る事はできない。

 西の吸血鬼なら入室の許可を得なければならず、東の九尾キュウビなら結婚せねばならない。


 どこかに綻びがあるはずだ。


◆リールー(語り)

 訪ねたのはどこも貧しい暮らしの農家で、大して物があるわけでもない。私の視界にも、ひっかかるものはなかった。

 犠牲になった女たちにも、女であること以外に共通点は無いように思えた。隣の荘園しょうえんから嫁いで来たばかりの新妻もいた。初孫を待つ母もいた。ここで育った女も、外から来た女もいた。


◇ユエ(語り)

 満月は明日。それまでに黒犬の正体がわからなければ。奴らを止められなければ。また誰かが死ぬ。

 なまじ神秘性を装うので、モノの怪を止められなかったまじない師はロクでもない目に遭いがちだ。

 逃げるのは難しくないけれど、この機会を逃せば、次にモノの怪を喰えるのはいつになるか。ぐずぐずしていると、わたしの下腹したばらに宿った居候が、飢え始めてしまう。

 自業自得とはいえ、忌々しい。


◆リールー

 ユエ、一息ついたらどうかね。朝から働きづめだ。


◇ユエ

 次で最後だから、そしたら休むよ。


◆リールー(語り)

 最後に訪れた家は他と様子が違っていた。どの家でも風を通して暑さをしのぐというのに、戸を閉め切り、落とし窓も全て閉じている。


◇ユエ(語り)

 どの家でも、誰かしらが家の周りで日々の用事をこなしているのに、家の外に人がいない。まるで無人の家。


◆リールー(語り)

 しかしながら、粗末な板壁の隙間から子供がこちらを見ていた。

 ここが「始まりの家」。


◇ユエ(語り)

 黒犬が最初に現れた家だ。


  0 「始まりの家」の中へ



◆リールー(語り)

 住人の表情は、縛り首の順番を迎えた囚人のようだった。


◆リールー(語り)

 先ほど壁の隙間から覗いていた、十歳ぐらいの少年。その父、母、祖母、曾祖母。少年の妹、弟。

 おびえる家族の口は堅く、さしたる収穫もないまま家を後にした我々を、少年が追いかけてきて、絞り出すように「みんなが言うんだ」と言った。


◇ユエ(語り)

 その子は、わたしにこう続けた


「姉ちゃんがケガレた事をしたから、だからモノの怪が出たんだって。得体の知れない人形なんか作ったからいけないんだって」

「おれ、言っちゃったんだ。姉ちゃんが変な事してたから、ヘンなことしてるって言ったら、泣かせちゃったんだ」

「そしたら母ちゃんも、ばあちゃんもおれの事怒るから、腹が立ったし、友だちに言っちゃったんだ」

「姉ちゃんが股から血が出て、土こねて人形作ってたって。変だよなって。気持ち悪いって言っちゃったんだ」

「そしたら、そしたら」

「姉ちゃん、死んじゃったんだ」


◆リールー(語り)

 娘の墓は家のすぐ裏に立てたが、ある夜、誰かに倒されたと言う。少年は最後にこう言った。


◇ユエ(語り) 

「姉ちゃの、はか、立てたっていいよな? 姉ちゃは、汚くないよな? よごれてなんかないよな?」


  0:転換。現在の時間軸、ユエの宿泊する部屋。


◇ユエ

 汚くなんか、ないよ。


◆リールー

 ユエ?


◇ユエ

 なんでもない。

 ……昔、お師匠様が言ってたね。子供が初潮を迎えたら土で人形を作らせて、毎月の経血を塗ってお守りにするおまじない。ただ、このあたりの風習じゃないはず。


◆リールー

 そのまじないが黒犬を呼び込んだ可能性はあるかね。


◇ユエ

 どうかな……。あそこの家の娘さん、十二歳だったってね。


◆リールー

 むごいことだ。


◇ユエ

 初めて月が巡って来て、痛くて不安で、そんな夜に、モノの怪に襲われたんだ。やるせないよ。

 土人形つちにんぎょうのおまじないを持ち込んだひいおばあさんも、受け継いだおばあさんも、人形を作らせたお母さんのこともさ。

 あそこの子も、わたしみたいに遅かったら死なずにすんだのかな。


◆リールー

 ユエは十四歳だったか。


◇ユエ

 よく覚えてるね。


◆リールー

 私と契約したすぐあとだったからな。


◇ユエ

 なんだか、ふわふわした一日だったよ。痛くて不安なのに、お母さんにはお祝いされて、この手鏡もらったりね。(ためいき)


◆リールー

 会いたいか。


◇ユエ

 今は、こっちに集中。あの男の子のおかげで、どんな人が狙われるのかは分かったんだ。月の巡ってきた女が狙われるなら、黒犬の由来もそれに近い何かのはずだよ──《軽く呻く》


◆リールー

 どうした?


◇ユエ

 お腹の居候がむずかってる。しかも月が巡ってきた。同時に来るのは、やめて欲しいなぁ。


◆リールー

 巡り合わせの悪いことだ。


◇ユエ

 うまいこと言ったつもり? とにかく、黒犬の正体突き止めて、明日の夜にはケリをつけたいよ。ぬすみおにぐらいじゃ、食べても長くは持たないみたいだし──あ!


◆リールー

 うむ?


◇ユエ

 いるよ、リールー。はじめから家の中にいる犬の。守り犬だ。


◆リールー

 しかしユエ、守り犬は人に害をなすモノではないだろう。ぬすみおにから婦人や赤子を守るモノだ。


◇ユエ

 うん。だから、反対なんだよ。

 おまじないを、のろいに変えたんだ。


  0:転換。


◆リールー(語り)

 翌日。荘園しょうえんの住民たちが、領主の屋敷に集まってくる。西の空を血のように赤く染めて、日が沈んでいく。


◇ユエ(語り)

 屋敷の大広間が、不安げな人々でいっぱいになる。


◆リールー

 しかし、守り犬を悪霊に転じさせるとは、ずいぶんと回りくどいことだ。


◇ユエ

 どこかのまじない師に言われて、犬を埋め直したのが、50年前って言ってたっけ?呪いを仕掛けた本人ももう死んでるんじゃないかな。


◆リールー

 気の長い呪いだ。なぜにこのようなやり方をしたのか。


◇ユエ

 興味ないな。気分悪い。イケニエにした犬をさかさまに埋めて、地獄に落とす。その犬がモノの怪になって、月の巡りを受けた女の下腹したばらを食う。

 ほんと気分悪い。

 ただでさえ痛くてしんどいのに、それをモノの怪に襲わせる神経が理解できない。


◆リールー

 全員集まったようだぞ。


◇ユエ

 うん──。はじめよう。


   0:ユエ、演説を始める。


◇ユエ

 此度こたびのモノの怪は犬のである。

 各々おのおの、家に埋まる守り犬を掘り出し、沢へ流して水葬とせよ。

 のちのち、犬の背を下にして埋めてはならぬ。地獄へ落ちた犬の魂はやがて変じ、斯様かような災いとなろう。奴らは埋めた骨をたどり、家々に現れたのだ。


 黒犬は、女の身からこぼれる血が呼び寄せたモノにあらず。土の人形が呼び寄せたモノにもあらず。奴らは月の巡りを受けた女から、血と揺りかごを盗みに現れたモノである。

 そも、月によって我らの身体からこぼれる血は、けがれなどではないのだ。

 我々が新たな命を宿すための、小さな輪廻りんねによってあふれるものなのだ。


 痛みを覚え、睡魔に襲われるのは、ひじりなる世に我らがほんのわずか近づき、この世からほんのわずか遠ざかるがゆえ

 此度こたびのモノの怪はその隙につけこんだ卑劣なるモノである。

 我らが身体の、我らが同胞の尊ぶべき揺りかごを冒したモノを、わたしは許しておかぬ。


 日の出まで屋敷から出ることなかれ。だが約束しよう。

 次の満月も、その次の満月も

 黒犬に怯える夜は来ない。


   0:転換。外へ。


◇ユエ(語り)

 この国の、田んぼの風景にも慣れた。満月に照らされて、みずみずしい稲の葉っぱが青々と揺れているのは、決して嫌いじゃない。

 屋敷を出て、広くて埃っぽい道に、わたしは立っている。


◇ユエ 

 ズレないといいな。


◆リールー

 ヒトの女は毎月、難儀であるな。


◇ユエ

 発情期の猫を見てると、ああはなりたくないと思うけどね。


◆リールー

 ほほう?


◇ユエ

 ふふん。

 ──来たね、黒犬。


◆リールー

 家の外にあって、月の巡りを迎えているのは、そなただけであるからな。


◇ユエ

 お腹も痛いし、こんなこと、さっさと終わらせてしまおう。


(猫の咆哮ほうこう)んやぁぁあ!


◆リールー(語り)

 間髪かんはつをおかず、ユエめがけて影が飛びかかった。身を屈めたユエから、平笠ひらかさが跳ね飛ぶ。しかし、影は、よろめいて腹ばいに倒れる。


◇ユエ

 猫の爪は、鋭い。


◆リールー(語り)

 ユエが手についた黒い血を舐めとる。口は裂け、牙が覗き、真っ白な毛が顔や首を覆って、頭から三角の耳が突き出ている。

 真珠の光沢をもつ白猫の頭に、稲穂いなほ色の毛をひとふさ流し、琥珀の左目と金の右目が月に光る。


◆リールー

 準備よろし。喰えるぞ、ユエ。


◇ユエ

 いただきます。


◆リールー(語り)

 ユエはもがく犬の影へ覆い被さり、ばりんと黒犬の頭を噛み砕いて飲み込む。屋敷から悲鳴が聞こえる。ちらりと目をやったが、どうやらこの姿を見た誰かのものだ。


◇ユエ(語り)

 ならば問題はない。この姿を見る者に親しまれてはならない。


◆リールー(語り)

 魔法で私から猫の力を引き出し、まじない師として人から集めた情念とおそれでモノの怪に近づいた人間。


◇ユエ(語り)

 それが化け猫ユエだ。


 モノの怪に味はしない。食べ応えもない。噛み砕くそばから黒犬は存在を失って、下腹したばらの居候に吸収される。

「食べる」という形をなぞるのは、居候がモノの怪を「喰らう」ために必要な手順に過ぎない。

 満足感と恍惚感こうこつかんが、わたしの腹を満たしていく。


◆リールー

 やはり、一匹だけではないか。


◇ユエ

 けっこう、多いなぁ……。リールー、上見て。


◆リールー

 あれは、亡霊か?


◇ユエ

 たぶん、黒犬を仕込んだまじない師だよ。ああやって薄ら笑って、女たちの腹が食われるのを見てたんだ。

 悪趣味。


◆リールー

 ユエ、相手の数が多い。平地で囲まれては不利だ。


◇ユエ

 わかってるよ。猫は!

◆リールー

 よく跳ぶ!


   0:ばひゅう!


◇ユエ(語り)

 犬どもをはるかに越えて、夜風になびく稲穂いなほの向こうへ跳び、あぜ道を駆ける。犬を引き連れ、ビンロウジュの森へ駆け込む。


◆リールー

 猫は!


◇ユエ

 よく伸びる!


   0:みゅん!


◆リールー(語り)

 伸ばした腕で若枝をつかみ、腕を戻して飛び上がる。


◇ユエ(語り)

 ぐるりと回って黒犬にとびかかり、延髄えんずいを噛みちぎってまた跳ぶ。


◆リールー(語り)

 犬どもを混乱させ、幹を駆け降りては一匹、また一匹と切り裂き、かじり捨てていく。


◆リールー(語り)

 真珠色の頭も、色白の両腕も血に染まる。


◇ユエ(語り)

 瞬発力や素早さで猫は犬に勝る。



◆リールー(語り)

 犬は持久力で猫に勝る。


◇ユエ(語り)

 時間が立てばわたしは疲弊ひへい


◆リールー(語り)

 同じことを繰り返せば犬は学習する。



◇ユエ

 しつこい……。


◆リールー

 背後に音!


◇ユエ

 ていや! 次!


◆リールー

 追うな! 待ち伏せだ!


◇ユエ

 ぐっ、このっ! ぎっ! 


◆リールー

 ユエ!


◇ユエ

 んやあああああああっ!


◇ユエ(語り)

 仕留めそこなった犬の一匹が首だけで跳ね、その顎でわたしの肩を砕いた。


◆リールー(語り)

 ぼり、という音が私にも聞こえた。


◇ユエ(語り)

 次々にとびかかられ、わたしは仰向けに倒された。痛い。からだの自由が利かない。身体の中心から熱が昇ってくる。


◆リールー(語り)

 内側から魔法が解かれる。猫の頭が人の頭に戻る。


◇ユエ(語り)

 こうなる前に、ケリをつけたかった。


◇ユエ(語り)

 「わたし」は、負けか。


◇ユエ

 ごめん、リールー。


◆リールー

 気にするな、ユエ。


◇ユエ(語り)

 笑いの口を張り付けて、まじない師の亡霊が降りてくる。笑えない。宿主であるわたしの危機が、居候に伝わってしまった。


 黒犬は、月の巡りが来た女の、子宮を喰う。

 わたしのみやには何がいる?

 わたしの子宮に間借りし、モノの怪を喰らって飢えをしのぐもの。


 十五歳のわたしが迂闊うかつに手を出した、世界のことわりと心通わせる生き物。

 その生き物が、繁殖のために人の子に植え付ける、自身の一部。


 魔女の魂が目を覚ました。


  0:転換。魔女顕現けんげん


▽魔女

 いい月だわ。とてもいい月。

 ねえ亡霊さん。

 まだそのあたりにあるでしょう? 母さまの食べかけが。

 持ってきて


◆リールー(語り)

 そのように、魔女は亡霊を使役した。


◇ユエ(語り)

 鈴を転がすような幼い少女の声色で、藍色の美しい髪を波打たせて。


◆リールー(語り)

 巨大なハリエニシダが黒犬を余すところなく刺し貫き、ふるふる震える犬の頬を愛おしそうに撫でて、魔女が、ふわり、笑う。


◇ユエ(語り)

 黒犬を捕らえた枝に花が咲く。黄色く可憐で小鳥のような花の群れが、月下の夜風に揺れてさえずる。


◆リールー(語り)

 魔女は地獄に落ちた犬の魂さえ魅了して、だらしなく舌とヨダレを垂らす黒犬どもを前に、金と藍色の瞳を細めて囁いた。


▽魔女

 あなたたち素敵よ。ほんとうにおいしそう。


◆リールー(語り)

 上品に、しとやかに、優しく抱きしめるように、魔女は喰う。優しく触れた手のひらから、愛おしく抱きしめた胸から、黒犬を「すふすふ」と取り込んでいく。

 黒犬に砕かれたはずの骨も、咬み裂かれたはずの肉も、冗談のように元通りだ。


▽魔女

 ねえ母さま? どうして泣いていらっしゃるの?


◆リールー(語り)

 すふすふと最後の黒犬を喰い、魔女が木の幹に背中を預ける。


▽魔女

 わたし、幸せよ。母さまの子でとっても幸せなのよ?


◆リールー(語り)

 そして魔女は、眠りに落ちた。



◇ユエ(語り)

 最初になくしたのは右目だった。次になくしたのは使い魔だった。続いてなくしたのは名前だった。


◆リールー(語り)

 六年前、ユエには別の名前があった。彼女も、その使い魔も、愚かであった。


◇ユエ(語り)

 老いて死を待つ魔女を騙した小ずるさ。手に入れた魂で魔女の力を取り込めると思った無知。


◆リールー(語り)

 そのあるじを、いさめなかった怠惰たいだ


◇ユエ(語り)

 ひとつの身体に複数の魂を宿すのは女性にしかできず、魔女の魂と緩やかに統合するのは、子供の時しかありえない。月の巡らぬ女児だけが魔女の適格者なのだ。


◇ユエ(語り)

 それを知らず、都合よく自分を「まだ子供」と定義づけたわたしは、魂を喰われかけた。


◆リールー(語り)

 まだ身体のあった私はとっさに、彼女の右目を爪でえぐった。


◆リールー(語り)

 使い魔は主人を傷つけてはならない。その契約を破った代償として、私の右目は彼女に奪われた。


◇ユエ(語り)

 リールーは魂を右目に乗せて、わたしに入り込んできた。


◇ユエ(語り)

 わたしの構成が変わって魔女の魂は混乱し、喰うべき相手を見失ってわたしの子宮に収まった。


◆リールー(語り)

 だが、ひとたび誰かが彼女の名を呼べば、魔女の魂は喰うべきものを認識して、乗っ取りにかかる。


◇ユエ(語り)

 だから故郷を遠く離れた。

 だれもわたしを知らない所に行かねばならなかった。

 今度は、何をなくしたんだろう。

 魔女が飢えるたびに、魔女が出てくるたびに、わたしはわたしの一部を失う。


◇ユエ

 リールー。


◆リールー

 食べ残しがあるな。


◇ユエ

 魔女、好き嫌いあるよね。亡霊も食べてけばいいのに。


◆リールー

 どうする?


◇ユエ

 まずは、魔法で仮の実体を与える。


◆リールー

 次は?


◇ユエ

 わたしのお腹の痛みを味わってもらう。


◆リールー

 そして?



◇ユエ

 荘園しょうえんの人たちからいろいろ預かってるからさ。

 恨みとか。

 しっかり受け取ってもらおう。


◆リールー(語り)

 亡霊に、筆舌に尽くしがたい痛みを与え、地獄に落として翌朝。


◇ユエ

 ねえリールー。この手鏡って、なんだっけ?


◆リールー

 ユエに初めて月が巡ってきた日に、母君から贈られたものだよ。私がそなたの使い魔になったばかりの頃だ。


◇ユエ

 そっか……そうなんだ。


◆リールー

 いろいろ大変な時期なのだというから、よくわからんが発情期かときいたら母君に怒られてしまってな。


◇ユエ

 そりゃ怒られるよ。そんな事があったの?


◆リールー

 あった


◇ユエ

 わたしもそこにいた?


◆リールー

 うむ


◇ユエ

 そっか。

 ぜんぜん、どんな気持ちだったのかも思い出せない。

 なくしたんだね。


◆リールー

 ユエ


◇ユエ

 リールー、父さんと母さんの名前、覚えてる?


◆リールー

 覚えておるよ。


◇ユエ

 わたしの名前は?


◆リールー

 口には出せんぞ。だが春が由来の名前だ。


◇ユエ

 よかった。合ってた。


◆リールー

 今の名を誰がつけたか、覚えているかね?


◇ユエ

 お師匠さま。月は欠けても満ちるからって。


◆リールー

 この国で最初に食べたものはなんだったか?


◇ユエ

 ヴスアー。

 皮ごとかじるってウソ教えられて、そしたら渋くて渋くて、一日中ツバ吐いてたよ。


◆リールー

 ユエ


◇ユエ

 うん


◆リールー

 なあ、ユエ


◇ユエ

 うん


◆リールー

 鏡を見てくれんか


   0:鏡越しに人の目と猫の目が見つめあう


◆リールー

 ユエが忘れても、私が覚えておるよ。


◇ユエ

 ……お腹の居候をどうにかしたら、やっぱりリールーの身体を探したいな。


◆リールー

 それはうれしいが、どうしたのだ突然?


◇ユエ

 だって、嬉しくてたくさんキスしたいのに、

 右目には届かないんだもの。


◆リールー(語り)

 こうして、私たちの仕事は終わった。


◇ユエ(語り)

 わたしたちは、謝礼を受け取って荘園しょうえんを離れた。


  0:転換。最初の街の広場 


◇ユエ

 さて東西南北、どちらへ行くべきか笠の神様にきいてみよう。


◆リールー

 そのような術があったかね? 


◇ユエ

 魔法とまじないの混成術だよ。

 ガノイの荘園しょうえん主がエーテルインクなんて持ってたからさ。とうぜん報酬として頂戴するよね。

 で、ちょちょいと平笠に細工して、物探しと、さらに運命の方角を決める術を仕込みました。

 ふふん。その名も「笠の神様」


◆リールー

 こう言ってはなんだが、効くのかね?


◇ユエ

 ものは試し。居候はお腹いっぱいで、一年ぐらいはもちそうだしね。追い出す方法を探すなら今だよ。

 じゃあ、投げます。そーれ。


   0:くるくるくるくる


◆リールー(語り)

 投げ上げた笠は意外と風に流されて、わたしたちは見上げたままそれを追う。


◇ユエ(語り)

 このあと、とある男の人の頭に笠がすっぽりかぶさって、わたしはその人の鎖骨さこつに思いっきり鼻をぶつけるのだけど。


 それはまた、別のお話。



<化け猫ユエ 完>




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