バスケロボ藤田
半戸ルネーム
第1話 バスケロボ藤田
私が所属する女子バスケットボール部には絶対的エースがいる。
2年の春に編入してきた藤田という女だ。
試合に出れば一騎当千、一対一でかなう者なし。目まぐるしく変化する戦況を支配し、ボールが回ってくれば必ず得点に絡む。
ありふれた弱小チームを戦えるレベルに引き上げたのは間違いなく彼女だった。
孤高の天才、それが私たち一般部員からの印象というかラベル付けというかだった。彼女がとてつもない努力をしていることを私たちは知っていたので、天才と呼ぶのは少し違うかもしれない。でも、孤高の部分はわりかし間違いではないと思う。彼女はキリッとした表情でいつも練習に打ち込んでいたし。
でもでも、さらに言えば、孤高よりも孤独の方が近いと私は思っていた。
彼女はとにかく浮いていたのだ。
雑談には絶対に混ざってこない。
遊びに行く約束をしているのも聞いたことがない。
浮いた話は当然にようにひとつもなかった。
こちらから話しかけてもYESかNOでしか返事が返ってこないのだから、当然向こうから話しかけてくるだなんてもっての外だ。
人間離れした正確なプレースタイルも相まって、まるでバスケ専用のロボットのようだった。
そんな彼女は誰が言い出したのか、見えないところでロボ田と呼ばれていた。
あるオフの日のこと。ロボ田、もとい藤田と二人きりで仕事をすることになってしまったのは、なんというか、かなり気後れのする話だった。
うまく私に仕事を押し付けた部活の友達に「ロボ田の足引っ張るな」とかなんとかよくわからない励ましを受けた後、私は仕事場所として指定された小さな準備室へと向かった。
12月に入り、校舎の中でもなかなかに冷える。特に、この辺りは暖房の風も届かないのか、他の生徒の姿がないほどだ。
準備室の冷たい扉を引きずるようにして中に入ると、ロボ田こと藤田はすでにそこにいた。学校の備品であろう椅子に堂々と腰掛け、足を埃まみれの長机に乗せて携帯をいじっていたのだ。ロボ田がこちらの方を向き、足を机からぶっきらぼうに下ろす。
机の上に積もったホコリは宙を舞い、窓からの西日に照らされ輝いた。古い資料やら参考書やらが敷き詰められた、物置のような一室。ここの片付けが私たちに割り振られた仕事だった。
ここを掃除して、バスケ部の新部室として使えるようにするというミッションだ。
足を机から下ろして多少は姿勢が良くなったロボ田の方に視線を戻せば、彼女はもうすでに携帯をスクロールしていた。あちらからの挨拶など、当然期待していなかったが、当たり前のように無視されたことは引っかかる。
当て付けのように、元気に挨拶をすることにした。
「藤田さん、今日はよろしくね。頑張って綺麗にしよう!」
狭い部屋で大きな声を出したのが功を奏したのだろうか。ロボ田は携帯から視線を外した。こちらを嫌そうに見るロボ田の目に少しだけ得意になった。
ロボの目にもなんとやらだ。違うか。
作業は至って簡単だった。日に照らされ続けてすっかり黄色く劣化した本をひたすら段ボールに詰めては運ぶ。単純な作業だ。誰でもできるし、誰もがやりたくない作業、そんな感じ。頭を一切使わない純粋な肉体労働。
拾っては詰め、拾っては詰めの動作は退屈だ。
全くもってやる気が出ないので、時折古本をパラパラと捲るなどする。
視線をロボ田の方にやると、彼女は黙々と箱詰めをしている。私への先ほどの態度はなんだったのか。仕事・部活に対しては真摯ということなのか。
黙々と冊子を箱詰めするロボ田を見ていると、こんな作業なら人間じゃなくてロボットの方が適任だろうと思った。テキパキと無感情に働くロボットは私のようにサボったり、無駄なことを考えたりしないだろう。機械なら疲れないし、退屈なあくびをすることもない。
押し付けられた仕事にちゃんと取り組めるほど私はできた人間じゃない。それとは対照的に、あくびもせず、疲れも見せないロボ田はもしかして本物のロボットなのでは。
ロボ田は何か考えているのだろうか?横目に見る彼女の無表情からは何も窺えない。
「ロボ田」のあだ名にふさわしい姿だ。名付け親のセンスにちょっぴり感心する。
こりゃロボだ。
気がつけばロボ田は自身の段ボールを古紙でいっぱいにしていた。こちらを一瞥することもなく彼女は立ち上がって箱を廊下に運び出し始めた。私は慌ててスカスカな箱詰めのままロボ田を追いかけるためによいしょと立ち上がった。
ちょっとお話でもしてみるかと思い、颯爽と歩くロボ田に駆け寄る。彼女の歩幅は大きく、夕暮れの太陽が廊下に落とす教室の影を次々と踏み越して行く。どうにか並んで歩くため私は脚の回転を上げてから、話しかけた。
「私、藤田さんと全然話したことなかったよね。趣味とかあるの?」
実際気になっていた質問をぶつけてみる。真横から見る凛々しい無表情が僅かに歪められ、一瞬だけ力強い目がこちらを見た。
もしかして気に食わなかった?何かまずいことを聞いただろうか。この世に存在する質問の中でもトップクラスに軽いやつのはずなのだけれど。
少しビクビクしてロボ田の横顔を伺っていると、彼女は化粧っ気のない唇を気だるそうに薄く開いた。
「ない」
ぶっきらぼうな二文字。考えうる上で最もカロリーを使わない回答だった。
あまりにもイメージ通りな返答に唖然としてしまう。いくらなんでも仲良くする気が無さすぎやしないだろうか。
思わずスピードを落とした私を、ロボ田はためらいなくスタスタと置いていってしまった。
いくらなんでもな反応だったが、気を取り直して追いかけることにした。
△▽△▽
ロボと働くならロボ田より、ちゃんとした機械のロボットと仕事したかった。
最初からロボットと割り切れるならコミュニケーションの取り方について考える必要もないし、自分を取り繕う必要もない。
ロボ田はこちらが必死に話題を振っても興味なさそうに一言相槌を返すか、酷ければ無視することしかしない。気を使わなくてはいけない分、人間なだけ質が悪いと思った。
それでも、私はロボ田に話しかけ続けながら作業を続けた。ああとか、うんとかしか言わない彼女と会話のキャッチボールを続けるのは本当に難しく、冬至前の日が傾き切る頃には一方的に話しかけるラジオパーソナリティのようになってしまっていた。
あまりにも会話する気がないロボ田に対して、意味のない義務感と無視されても話し続けてやるという意地だけで話し続けていた。
「──でね、駅前にできたって聞いたから行ってみたんだよ」
廊下を歩きながら、私の後をついてくるロボ田に駅前のケーキ屋の話をしようとした時だった。大変そうなので最後まで取っておいた、一際大きな段ボールを抱えた私の後ろから声がした。
声がしたというか、ロボ田が初めて自分から話しかけてきたのだ。
「あんた、よくそんなに私相手に喋れるね」
皮肉──だろうか。トゲのある物言いだった。
口調は至って平坦だが、その声には隠しきれない嘲りの響きがあった。私は最初、その声の主がロボ田であることにすら気付けなかった。ロボ田が発する声といえば、試合中や練習中のよく通る声と先ほどまで私の話に返していた曖昧な相槌だけだったから。
ロボ田が話しかけてきている。そんなこと今までなかったのだから。
「あはは……」
愛想笑いを返すしかない。今日初めてまともに発した言葉が嫌みじみた皮肉のような言葉だなんて。
ロボ田は後ろでどんな顔をしているのだろうか。声に表情はない。だからこそ色々な彼女の顔が浮かぶ。
いつもの無表情か、それとも呆れたような顔だろうか。馬鹿にしたようにニヤニヤしているかもしれない。
おそらくは、いつも通りの無表情だろう。
いずれにしても振り返る勇気は私にはない。
私はただ、夕陽に照らされる廊下の先を見つめて歩き続けることしかできない。
次になんといえば良いだろうか。
頭の中にはただそれしかなかった。どうすればうまくこの場を収められるか。
何か私の喋った内容が彼女の尺に触ったのかと思った。であれば、謝罪をするべきだろうか。
特に考えることもなく謝罪の言葉を口にした。
「えーと……なんか、ごめんね」
途端、背後から「どすん」とものが落ちる音がして、私はとっさに振り返った。
俯いたロボ田と地面に散らばった段ボールと本が目に入った。
「うざいんだけど。あんた」
言葉を失った。ここまで直球の毒を吐かれるのは久しぶりだった。
どんな感情よりも、真っ先に驚きがやってきた。
ロボ田が怒っている。どんなに理不尽な怒りを顧問にぶつけられても、どんなラフプレーを相手選手から受けても顔色一つ変えなかった彼女が怒っているようだった。
普段言葉を武器として使わない人間からの「うざい」という言葉はシンプルながら鋭い。鈍く青い刃物を突きつけられるように感じて背筋の産毛が逆立つ。
「うざい」という言葉なんて嫌というほど耳にして、すっかり傷つききって、耐性が完全にできていると思っていたが、それはどうやら間違いで。
目の前の孤高のエースの怒気にすっかり私は縮こまっていた。
私がすっかり固まってしまっているのを知ってか知らないでか、俯きながら彼女は続けた。
「正直さ、あたしはあんたのことが嫌い」
再び飛び出す拒絶の言葉。どう捉えたって冗談にならず、覆されもしない直球の感情。
回復不能な溝があることに私は気付いていなかった。
彼女の怒りの原因は私の今日の行動ではない。もっと根本的なもの。
何かを決定的に間違えたとすればそれは、今日の会話でどうにかなるものではなく、1年間弱の接し方自体だったらしい。
ロボ田は、藤田はゆっくりと顔をあげた。
その目に宿っていたのは明確な敵対心だ。
見開かれた対の眼は、ロボットと渾名される彼女が見せたことのない、機械は決して抱かない強い感情を爛々とさせていた。
「あたしにやたら話しかけてくるの、本当に迷惑だし、気持ち悪い」
真っ直ぐと目を見て彼女はそう言った。
「あんた、あたしに話しかけて自分をよく見せたいだけなんでしょ。誰にでも話しかけて、優しくしてあげれる自分に酔ってるだけ」
一度言葉を切り、語気を強めて彼女はさらに言った。
「透けて見えるんだよ、汚い欲がさ。自分を好きになってほしいっていう意地汚い内側がさ」
藤田は容赦無く続ける。一切視線は私からそらさない。逃さない意志が直に叩きつけられる。
苦笑いすら許されないような空気感を強制されていた。呼吸をするのも苦しいような気がして、いつの間にか私は否定の言葉を口にした。
「違うよ、私はただ仲良くなれればって──」
藤田が割り込む。
「──違わない。あんたはそういう人間だよ。教えてくれる親切な人がいなかったんだろうから、あたしが教えてあげる。あんたは無意識に人を見下して『かわいそう』とか思うようなクズだ。どうせ、小手先の小綺麗な言葉と態度で気に入られてきたんでしょ。実際今だって『なんかごめん』だの『仲良く』だの……」
そこまで言うと、藤田は一息つくように言葉を止めた。こちらに視線をぶつけるのをやめ、廊下の端に移動し、火災報知器の隣に寄り掛かる。こちらに視線を向けず、考え事をしているような顔をしている。
ここに来て私の様子を伺っているようだ。
少しだけ彼女の怒りも勢いを落としたように見えた。
藤田曰く、私は無意識で人を見下すクズらしい。
自覚はない。しかし、自覚がないだけで周囲の人にはどう思われているかはわからない。私の言動には上から目線な気があるのだろうか。それを確かめる術は思いつかない。
でも、少なくとも藤田はそう思っていた。
自分のことについて、自分が知らず、他人が知ることは少なくないだろう。いきなりそれを指摘されたのにはびっくりだが、「見下して」という言葉は引っ掛かった。
だから言った。
「確かに、そうかもしれない。それは謝るよ、ごめんなさい」
私は頭を下げてから藤田の方を見て表情を伺いながら続ける。
「でも、絶対見下してはない。だって、見下すも何もないよ。私、バスケも勉強も何にも才能ないし」
しばらく間が空いた。藤田の顔色は変わらない。一定の温度を保っているように見える。
感情の変化がわからない。次に何を言うかを考えているのだろうか。
やがて、藤田が口を開く。
「そういうとこもだよ、あたしが嫌いなのは」
壁に寄りかかったまま、藤田はゆっくりとこちらを見た。
呆れているようだった。
「あんた、すぐ言うよね。『才能がない』って。口癖になってるんじゃない?」
気にしたことがなかった。
『才能がない』
こんな言葉を日常遣いしていたのか。指摘されるまで気づかなかった自分の側面。
気がつかないうちに、口からこぼれ落ちていたのだろう。
才能がないと最初から諦めるのは、言われるまでもなく言い訳だ。努力の人間であるロボ田からすれば私の言い訳は耳障りだったに違いなかった。
でも、でもだ。
ふつふつと疑問が内側から湧いてくる。
私が藤田ほど努力したとして、どれほどの選手になれるだろうか。
そう思い、自分の掌を見つめた。
周りの人間に訪れた成長期の波に乗れず伸びきらなかった身長、スポーツ──特にバスケには適していないであろう小さな手、言われても改善できない鈍臭さ。
藤田は背が高く、私は小さい。藤田はボールを楽々持てて、私はボールを持つのにも苦労した。藤田はテキパキ動けて、私は練習についていくので精一杯。
あげればキリがないほど、どうしようもない才能の差が目についた。おそらく千切れるほどバスケに時間と力を注いでも達せない境地。
持つものと持たざるもの、それが私たちの関係だ。
ふと思う。
上から目線なのはどちらなのか。努力しないからうまくならないなんて所詮は勝者の戯言なんじゃないのか。
そんな私に藤田は言った。
「あんた、昔のあたしに似てるから本当にムカつく」
自分のこめかみがぴくりと動くのがわかった。半ば反射のように否定の言葉が飛び出す。
「そんなわけないよ。藤田さんと私が似てるなんて」
勝手に決めつけないでよ、そう叫ぶようにこちらに向いていない彼女の横顔を睨みつけた。
昔の藤田と私が似ている。
そんなわけがなかった。ありとあらゆる要素で私と彼女は対極にある。
だからこそ私をよく思わないんじゃないのか。
確かに、私はうちの高校に編入してくる前の、さらに言えば部活の外の藤田を知らない。だけど、「なせばなる」を地でゆく人が私に似ているなんてあり得ない。
藤田の横顔は無表情だが、私を嘲笑おうとしているようにしか見えなかった。
澄ました顔を見て、吐き出してはならない熱が腹に溜まっていく。
この気持ちは口に出したら負けだ。
彼女と私の関係が決定的になってしまう。どうにかして抑えなければならなかった。
意識して深く呼吸をする。
どうにかして落ち着けて、この場を切り抜ける必要がある。
しばらくの沈黙を破ったのはロボ田だった。
ロボ田はやっとこちらを見て言った。
「いや、似てるよ。ていうかわかるよ。あんた、怖いんでしょ。努力した上で歯が立たないのがさ。だから才能がどうとか言って本気でやることから逃げるんだ」
一瞬で頭に血が上った。
抑えろと言う理性の指令が、感情の激流に押し流される音が聞こえた。百戦錬磨のはずの私の卑屈さは、幼い激情に消し去られた。
彼女の指摘を無視できなかった。黙って聞いているだけなど不可能だった。
乱雑に本の入った箱を置く。
目の前の女が放った言葉は私が地面に段ボールを叩きつけるのに十分な力を持っていた。
おいた箱に手を置きながら、前屈のような体勢で叫ぶ。
「藤田さんに何がわかるって言うの。そりゃあなたはすごいよ。すごく努力もしてるし、結果も出せる」
止まらない。
「でも、だから、私みたいなやつの気持ちは絶対にわからない。だって何もかも違うもん。全部違うじゃん。あなたは本当に私が頑張ってないと思うの?」
ここで止まらなきゃいけないのに。
「必死にこっちも練習して、そりゃああなたほどじゃないかもしれないけど、頑張ってる。本気でやってるよ」
次第に頭の中がまとまらなくなって、視界もぼやけ始める。
ああ、やってしまったと頭のどこかで聞こえる。
だが、一度崩れた防波堤は今更機能するはずもない。
「それにさ、努力するのにも才能がいるんだよ。誰もが藤田さんみたいにストイックになれるわけじゃない。見られてなかったらついついサボっちゃうし、どうしたって楽な方に流れちゃう。誰もがうまく、効率よくできるわけじゃない。私はその代表だよ」
無様に私は泣いていた。繕えない内側を吐き出していた。もう自分が何を言っているのかわからないままに汚れた床に涙を溢す。
自分が喜怒哀楽でいうところの怒なのか哀なのかさっぱりわからない。
何もわからない。
「へー。努力してるねえ……」
ウインドブレーカーの袖がくしゃくしゃになるのも化粧が崩れるのも気にせず目元を拭い、膝をついたまま藤田を見上げた。
「まあ、あんたが努力した気になってんなら仕方ないか」
「した気になってるって……何それ」
「そのまんまだよ」
そう言い切る藤田の目は真剣だった。意志を持った冷たさを彼女は放っていた。
「あたしには、あんたのやってることが部活ごっこに見えるってだけ」
部活ごっこ。
ごっこ扱い。
この言葉に私が抱いたのは、怒りでも悲しみでもなく、納得だった。
本心の自覚に染み入った。
部活ごっこという言葉はどうしようもなく当てはまっていた。
言い返す言葉は喉元まで出かかるものも、納得した本心に腹の底まで引きずり戻される。
口から出る代わりにそれらは鼻やら目から流れ落ちるばかり。
しゃがみ込んでうずくまって泣きじゃくる。
私ができたのはそれだけだった。
△▽△▽
パチン、パチパチ
急にあたりが青白く明るくなった。誰かが廊下の蛍光灯をつけたようだ。
それと同時に、どこからか「うわっ」と声が聞こえた。
しばらくの目の眩みのあと、誰が立っているのか確認できた。
ロボ田だった。彼女は見たくないものを見たみたいな顔をしていた。表情豊かなロボ田は新鮮だ。
「あんた、まだ泣いてんの……」
私は廊下の電気をつけた人物の正体がロボ田だとわかると、すぐに段ボールに顔を伏せた。
明るくなって気づいたが、私が枕がわりにしていた箱はすっかりふやけてしまっていた。
ともかくベトベトの顔を見られるわけにはいかなかった。特にこの女には。
「そこどいてくれない?邪魔なんだけど」
邪魔なら横を通れば良いのにと思った。いくらでも通れるスペースはある。私のことはさっさとスルーして、帰宅して欲しい。
「はあ、ちょっと。どいてくれないとあたし帰れないんだけど」
私がどかないと帰れない。そんなわけなかった。
ロボ田はノックアウト状態の私を追い詰めるほど嫌いなのか。
より一層強く箱にへばりつく。
しばらく膠着状態が続いたのち、ため息をつく音がして、足音が来た道を戻って行った。
ロボ田は他の道から帰って行ったらしかった。横を通りたくないほど嫌われている。
そう思えて、また涙腺が緩む。
ずっとずっと、誰にも嫌われたくない、否定されたくないスタンスで生きてきた。
それなりにうまくやってきたつもりだ。正面切って悪口を言われたのは初めてだった。
誰にでも良い顔してうざい、八方美人でムカつく、そんな陰口を叩かれているのは知っていた。でもそれはあくまで陰口で、私を傷つけることはあっても、表面にあらわれるものじゃない。
しっかりと正面から打ちのめされた経験はなかった。
だから、これほど堪えるものだと知らなかった。
彼女が言った、「部活ごっこ」という言葉を思い返す。
それは私の人間関係にも言えるかもしれなかった。誰に対して、何を言ってあげれば正解なのか、そればかり考えていた。私は内面をひけらかさない会話を好んだ。
誰かが言ったワードをうまく拾い、返す。言葉のキャッチボールとはよく言ったもので、私にとって会話は分かりあいの手段であるというよりはゲームのようなものだった。
うまく好かれればクリア、それまでは態度を崩さず、ただひたすらに取り入る。そのために私は時間や労力、精神を迷いなく使った。
だから大抵の場合、私はこれまで勝ち続きだった。
その手法は便利で、痛手を負うことはまずなかった。
でも、ロボ田はそんな私の内心を見抜いていたのだろう。
お友達ごっこだと、ロボ田は嘲笑うだろうか。
──頭にコツンと何かがぶつかった。
何事かと顔を上げると、帰ったはずのロボ田が立っていた。
不安定な明かりを背景に、ロボ田がしっかりと仁王立ちしていた。
その表情はぼやけた私の目ではわからない。
見上げたのは束の間、彼女は私の正面にしゃがみ込んだ。
「あんた、弱すぎ」
そう言って彼女は私の手に何かを押し込んだ。
その温度の高さに驚き、思わず私はそれを取り落とす。
缶入りのホットココアだ。
私は床に転がったココアを呆然と見つめた。
「これあげるから、いじけるのやめなよ」
それだけ言って、ロボ田は私の涙やらでベトベトになっているダンボールをよいしょと持ち上げ、歩き出した。
私が何かをいう前に、彼女は私に背を向けていた。
「なんで、そんな」
私は弱々しく言葉を漏らした。
ロボ田は立ち止まり、軽く振りむく。肩から下げたエナメルバッグが少しずれたのか、体を揺する。
「ちょっと、言いすぎたから。でも、さっきのは本心だから、勘違いしないで」
ロボ田の瞳は相変わらず冷えている。しかしながら、手の中のココアは火傷するほどに熱い。
瞳とココアの温度差に頭の中がぐちゃぐちゃにされる。
また背を向けて、彼女は歩き出す。
部活用のシューズの甲高い音に追いつこうと、私はココア缶を拾い、立ち上がった。
彼女を追いかけるために一歩踏み出し──
「あたし、あんたのこと嫌い。あんたは練習から逃げてるのが丸わかりだから。でも、あたしはそれと同じくらい自分も嫌い」
「あたしも逃げてた。チームのみんなと仲良くなるための努力から逃げてた。ちゃんと歩み寄って、それで避けられるのが怖かったんだと思う。だから、それだけ」
うって変わった彼女の態度に、唖然とした。彼女の背中を見送る以外の選択を私はできなかった。
結局、私はロボ田のココアがぬるくなってしまうまで、その場に立ち竦んでいた。
△▽△▽
冬の朝の体育館は外よりも寒い気がする。
手がかじかみ、うまくボールを操れない。時折手を擦ったり、息を吹きかけたりしてみるものの、効果は薄い。でも、冷えた空気は頭が軽くなる感じがして嫌いじゃない。
ドリブルをし、シュート、入らず。こぼれたボールがバウンドして転がっていく。
体育館の高い天井についた、やたら大きい電気はなかなか明るくならず、まだまだコートのなかは朝焼けの赤色に薄く染まっている。ボールが弾むたびに静かに埃がたつ。
気合を入れて早く来た。いつも誰よりも早く朝練に来る彼女よりも、先についていたい一心だった。
気合の入りすぎた私は、夜明け前に学校についていた。さすがにロボ田といえども、1時間も2時間も朝練をしているようではないと知り、少し嬉しくなる。
彼女のバスケロボ以外の面をとても知りたい。
ココアを手渡した時のロボ田の表情を思い出す。
嫌味を言った時の表情を思い出す。
ロボ田のピースを一つずつ集めていって、パズルを完成させてみたい。完成した一枚絵はどのように見えるのだろうか。
少なくとも、冷徹バスケロボのイラストが浮かび上がるとは、思えない。
その場でボールをつく。その音だけが誰もいない広々とした空間にエコーする。
私だけしか、いない。今は私だけの場所。
学校に一人だけというのは、なんだか気分が上がる。非日常感が心地よく、呼吸に鼻歌が混じり始めた。
メロディーに合わせてシュートをうち、大体は外して、たまにうまく行く。
普段なら少しはイライラしそうなものだけど、今は楽しい。
彼女を待っているからか。
彼女がくれば、ここは私だけの場所じゃなくなる。
昨日の今日だ。間違いなく、気まずい雰囲気になるだろう。
私に深い傷を負わせた。ロボ田はそう思ってくれているか。
もしも、ちょっとだけでも思ってくれるのならば、私の歪んだ価値観はそれを嬉しく思ってしまう。
昨夜、眠りにつくまでずっと考えた。ベッドに潜りながらずっとロボ田について考えていた。
ロボ田が最後に言ったことについて考えを巡らせ続けていた。
彼女は「仲良くなるための努力から逃げている」と自分を表現した。
どのような心境の変化があったのかはわからない。
ロボ田が私を打ち倒した後、かなりの時間があったように思う。多分あの後、彼女は自主練をしていたのだろう。今の私のように、シュート練習をしながら、何かを考えていたのだろうか。
何か思うことがあったのだろうか。
寡黙で真剣で、皮肉屋な彼女が気になる。
不器用な優しさまで見せられたのなら、他の表情まで知りたくなる。
私は、彼女が言ったように、好かれたがりのクズだと思う。
でも、誰にだって好かれたいクズなんだからこそ、あいつにだって好かれたいと思うのが筋だ。
これまで、好かれるための、嫌われないための努力は欠かさなかった。今回だってやることは変わらない。
それに、思うのだ。
一回だけ、なってみたい。言い訳をするのをやめて、気取るのをやめて、がむしゃらな自分に。
一歩引いて、諦めてスカした自分を壊して、飛び越えて。その先にいる私は、彼女にどう思われるだろうか。
冷たく、熱い彼女はどう思うのだろう。今の私は、それをとても知りたい。
話しかけられるのをうざいと言い、上部で話しかけられる嫌う彼女は、何を思う。
それを知るための第一歩として今日は、だらだら練習しながら彼女を待つ。
彼女がどれだけ逃げたとしても、追いかける。それが新しい私の意地だ。
今、体育館の重たい防火扉が開き、朝日が差しこむ。
待ち望んだ彼女が、ドアの前でこちらを見て固まった。
手を振り、大きな声で呼びかける。
「藤田さん、おはよう!昨日はココアありがと!」
藤田が見たこともないような驚きに満ちた表情を浮かべている。
やっぱり。全然ロボットなんかじゃないじゃん。
バスケロボ藤田 半戸ルネーム @the-handle
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