黙して語らざるは?

lager

探偵は現れない

『中国の川亀が占ったところによれば、

 南よりも暑く湿った森をゆけば南東以外はそっぽを向いて、

 犬が怒って北と言えば東に留まり穴を掘って進むしかなくて、

 北東以降も鯨が泳いで西なんて見向きもしないから、

 北西はどうかと牛と馬が促してみても気になるのは結局中央みたい。

 やっぱり南西くらいが丁度いいのかもしれない』


 そんな怪文書が黒板に張り出されていた。

 

 私がその日教室に入ると、黒板の前に人だかりができていたのだ。

 なんだなんだと人の輪の端っこにいたクラスメイトに問いかけてみると――。


「あ。おはよう。つかさちゃん」

「おはよー。どしたの、みんなして?」

「これこれ」

 

 そう言って見せられたその怪文書の、私は三行目の途中でその先を読む気をなくしてしまった。

「……なにこれ。うざ」

「いやウザくはないでしょ」

「なにこれ? 誰が作ったの?」


 その文字はA4の紙にプリンターで印刷されたらしく、本当にそれだけしか書いてないのでそれ以上のことが分からない。

 聞いてみれば、今朝一番早くに教室に入った北大路さんと南戸さんがそれを見つけたらしい。それは8時前くらいのことで、つまり、それより早く登校した人か、昨日よっぽど遅くまで残っていた人がこっそりそれを張り付けたんだろうと、そこまでは分かってるのだそうだ。


「で、これどういう意味なの?」

「それを今考えてるトコ」

「ふ~ん」


 秒で興味を失った私は、さっさと自分の席に戻った。


「おはよ~、綾ちゃん」

「ん」


 既に教室に入っていた隣の席の友人に声をかける。

 綾ちゃんは私と同じ吹奏楽部に所属してて、美人だけど大人しくて、あんまり目立つのが好きじゃない。けど、すっごく頭が良くて普段から難しそうな小説をよく読んでる。ひょっとして、綾ちゃんなら分かるのでは?


「綾ちゃんはあの暗号みたいなやつ見た?」

「ん。見た」

「意味わかる?」

「……分からない」

「そっか~」


 残念。

 ま。どうでもいいけど。

 なんだっけ? 海亀? 鯨? なんか北とか南とか書いてあったな。

 私、コナンとか好きだけど、謎解きはいっつも聞き流してるからな~。

 トリックとか暗号とかどうでもよくない?


 でも、そういうのが好きなクラスメイトたちはずっと頭を悩ませていた。

 ローマ字変換とか縦読みとか斜め読みとか漢字だけ抜き出してみるとか色々試してるみたいだけど、なかなか意味のある答えが出てこない。


「ねえ、この方角に意味があるんじゃない? 順番に文章を入れ替えてさ」

「じゃあ動物は? あ、ねえ。これじゃない、鯨の絵といえば、ほら。英語の教科書。牛と馬は、ほら、これとかさ」

「『ちょうどいい』のは南西なんだろ。南西ってこの教室だとどっちだっけ?」

「なあ、他にヒントが隠されてるんじゃねえの? 探してみようぜ」

「北大路と南戸さ~。ホントはお前らがこれ張り付けたんじゃねえのかよ」

「は? 意味わかんないんだけど」


 やいのやいの。

 ああだこうだ。


 ああ。会議は踊る。されど進まず。なんちゃって。

 みんな頑張ってるな~。

 みんなって言ってもクラスの三分の一くらいだけど。他の人は私と同じくとっくに興味を失っていつも通りに過ごしてる。


「ねえ、こういうのってさ。普通探偵役の人がサっと出てきてササっと解いてくれるもんじゃないの?」

「ん。この教室にはいないみたい」

「コナンく~ん」

「んふ」

「あ。笑った? ねえ、今笑った?」

「笑ってない」

「え~?」

「お助けキャラがいないのなら、私たちにとってのホームズはあなた」

「あっはははははは」


 綾ちゃん。哀ちゃんの真似上手すぎるんだよな~。鉄板かよ。私ももっと蘭姉ちゃんの真似練習しなきゃ。

 ていうか、クールな綾ちゃんが毎回ちょっと照れながら物真似してくれるの可愛すぎるんですけど。


 そんなことをしているうちに予鈴が鳴り、本鈴が鳴り、外村先生が教室に入って来て推理大会もお開きになった。

 正直私は暗号を残した犯人は先生なんじゃないかと疑っていたけど、その暗号を一目見て不愉快そうにしていたのを見て、その線はないなと考えを改めた。

 まあ、改めたところで別の考えなんかないんですけど。


 ホームルームが始まってしまえば、いよいよいつもの日常がやってくる。

 その日は一限目の体育で真中くんが足を怪我して病院送りになったり、三限目の音楽で生活指導を兼任してる先生が些細なことでブチ切れて延々お説教タイムになったり、お昼休みに何故か始まった端本さん主催のトランプ大会に巻き込まれたり、盛り上がりすぎて五限目の先生にトランプを没収されたりと、なかなかトラブル続きの一日になった。

 クラスメイトの何人かはしつこく謎解きに挑戦してたみたいだけど、授業が進むにつれてその人数も減っていき、結局真相は分からずじまいだった。


 あの暗号の意味も。

 誰がそれを作ったのかも。

 迷宮入り。

 南~無~。


 ま。どうでもいいけど。




 そして、放課後。


「そういえばさ、結局なんだったんだろね、今朝の暗号?」

「え?」


 通学路がほとんど同じ私と綾ちゃんは、並んで夕焼けの道を歩いていた。

 二人とも部活で疲れ切って口数は少なかったから、黙って歩いている間に色んなことを考える。そこで、そういえば、と急に思い出したのだ。

 綾ちゃんは一度だけこっちを向いて、それでもまた直ぐ前に向き直って、いつもの無感情な声で答えてくれた。


「特に意味はないよ」

「え~? そんなことないよ。あんなに凝ってたもん。絶対なんか意味あるって」

「そうじゃない」

「え?」

「『特に意味はないよ』。それがあの暗号の答え」


 ………ん?


「中国の川亀は『洛書』のこと。三×三の九マスの中に数字が割り振られてて、魔法陣になってる。それを東西南北に当てはめて、本文中の該当する方位の次の文字を数字の順に読むと『とくにいみはないよ』になる。それが答え」


 ……………………んん??


「え……ちょ、っと待って。え? 綾ちゃん。暗号、解けてたの?」

「ん。秒で解けた」

「何で黙ってたの!?」


 私が思わず大きい声を出すと、綾ちゃんは小さな肩をびくりと震わせて答えた。

「だって、真中くんに悪いと思ったから……」

「真中くん? なんで真中くん?」


 え? 彼がいない間に謎解きしちゃうのが可哀そうってこと? でも、彼がいなくなったのは一限の体育の途中だ。暗号文を見てすぐに分かったんなら、その時に言えば良かったのに。


「つかさちゃん。『洛書』って知ってる?」

「知ってるわけないじゃん。なにそれ?」

「ん。普通知らない。私だってたまたま知ってただけ。でも、あの暗号はそれを知ってないと解けない。実際、クラスの誰も解けなかった。じゃあ、あの暗号は?」


 何のため?

 それは……ただの悪戯?


「普通、暗号っていうのはメッセージ。誰かに伝えるためのメッセージ。誰にも解けない暗号なんてそれこそ意味がない。それに、例えば暗号の答えが『明日の英語小テストあるよ』とかだったら私もすぐ教えてた」

「え? 明日小テスト?」

「ごめん。例えが悪かった」


 やめてよ。ドキっとしたじゃん。

 でも、暗号の答えが『特に意味はないよ』だっていうなら、やっぱりただの悪戯なんじゃ……?


「私はそうは思わない。多分、あの暗号は、暗号を解くことそれ自体が意味を持ってる」

「どゆこと??」

「あれを作った人は、みんなの前でそれを解いてみせたかったんだと思う」

「……自分で作った暗号を? あ、答え合わせで、ってこと?」

「そうじゃなくて……。ええっと、何て言えばいいんだろう。みんなが解けない暗号を、自分は解いてやったぞ、って、その…………自慢したかったんじゃないかな」


 自作自演ってこと?

 えええ。そんな人いる~?

 それ、やってて空しくない?


「さあ。でも、私はそう思ったから、暗号が解けても何も言わなかった。せっかく頑張って用意したんだから、そのうち直ぐに謎を解き始める人が出てくると思ったの」

「なるほど。真っ先にドヤ顔で謎解きを始めた人が犯人ってことだね」

「犯人って……。ううん。まあ、そんな感じ」

「あれ? でも……」


 そんな人は結局現れなかった。

 私たちのクラスに探偵はいなかったのだ。


「あ」


 でも、そこまで聞いてようやくさっきの綾ちゃんの言葉の意味が分かった。

 今日、クラスメイトに欠席者はいなかった。

 ただ一人、早退した人を除いて。


「うん。多分、真中くんが暗号を作った人だと思う」


 な~る~ほ~ど~ね~。

 つまり真中くん、タイミングを見計らってドヤ顔で謎解きを始めようとしてたのに、怪我のせいで早退させられちゃって、それができなくなっちゃったんだ。

 そしてそして、教室には解くべき人を失った暗号だけが残された、と。


 綾ちゃんはずっと待ってたんだろう。誰かが謎解きを始めるのを。

 けど、探偵は現れなかった。

 なら、クラスメイトの中で唯一最後まで教室にいなかった人、つまりは真中くんが、消去法で探偵役=犯人というわけだ。

 まあ、入院するほどの怪我じゃないだろうから、明日は普通に登校してくるだろう。その時真中くんが『いや~。実は昨日帰ってから考えたんだけどさ~』なんて言って謎解きを始めたら、いよいよ犯人確定ってことね。


 んん?

 でも、そうだとしたら……。


「ねえ、綾ちゃん。どうして今私に教えてくれたの?」


 折角彼のプライドを守ってあげたんなら、最後まで秘密にしてあげればよかったのに……。


「だって………………から」


 それまで真っ直ぐ前を見て歩いていた綾ちゃんが、そっぽを向いてぽしょぽしょと言葉を漏らした。


「え? なんて?」

「私だって。ちょっとくらい、自慢したかったから……」

「は? カワイイ」


 私は綾ちゃんに抱き着いて頭をもふりまくり、その後はずっと腕を組んで歩いた。




 そして、翌日。


「ねえ、昨日の暗号どうなった? 誰か解けた人いた? いない? いや~。実は昨日帰ってから考えたんだけどさ~。あのね、中国の川亀っていうのは――」


 渾身のドヤ顔で謎解きを始めた真中くんを見て、私と綾ちゃんは顔を見合わせ、にやりとほくそ笑んだのだった。

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