第5話 私 の 名 前
私は自分の名前が大嫌いだった――
如月 來夢(きさらぎ らいむ)
世間一般的には珍しい名前だったから、私は中学校でクラスのいじめの対象だった。
皆からの罵詈雑言は当たり前で……
上履きを隠されたり、教科書に落書きされて新しく買い直さなきゃいけないこともあった。
次第にいじめはエスカレートしていき、バケツの水を頭からかけられた。
当時内気な性格だった私は、そんないじめに立ち向かう勇気もない。
悔しい―――
悔しくて悔しくて、たまらなかった。
どうして生まれた時から授かった名前が原因で、こんなにも辛い思いを私がしなくてはいけないのだろうか
私はクラスメイトを恨んだ。
親を恨んだ。
世界を恨んだ。
家に帰ってから毎日泣いた。
泣いて、喚いて、私の心はいつもかき乱された。
一つの薄いグラスが割れ、水が溢れるように――
私の感情は零れ落ちる。
そして最後には何も無くなるのだ。
己の感情を押し殺して
私は三年間ひたすらに耐え忍んだ――
時は流れ――――
それは高校入学式の朝。
私は不安な気持ちでいっぱいだった。
新生活、新たなこの環境でもいじめられるのではないか?友達もロクにできず、同じことの繰り返しなのでは……
そんな事ばかりが頭の中を駆け巡った。
高校の最寄り駅に着き、額から汗がじんわりと流れる。
まだ入学式までには時間があるので、私は気分転換がてら近くのコンビニに立ち寄った。
ズラリと並ぶファッション雑誌。
私は鏡に反射している少女を観察する。
黒髪の少し傷んだ短いショートヘアー、何年も使っているメガネ、こんな田舎娘のような格好をしている私にファッション雑誌など到底無縁だ。
そろそろ時間だ、学校へ向かおう――
そして、それはコンビニから学校は向かう道中の出来事だった。
私は彼に出会った――
「すみません。來夢さんですか?」
「は、はい……?」
大嫌いな自分の名前を呼ばれ、条件反射的に私は身構えてしまっていた。
抵抗などはしない。中学校からの負け犬根性が染み付いているからである。
けれど青年の表情から、とてもそのような邪念を感じ取ることは出来なかった。
「これ、さっきコンビニで落としましたよ?通学用の定期ですよね」
「あ、ありがとうございます……」
どうやら定期を落としてしまっていたようだ。
「あの……どうして私の名前を……?」
「ん?ああ、定期に印字されてますからね。もしかしてお名前の読み方間違ってましたか?」
「い、いえ!ちゃんとあってます。」
「良かった。
「……え?」
私は耳を疑った。
青年は私の大嫌いな名前を
そんな事言われたことが無かったから、不思議な感覚に陥った。
自分がどうして次の言葉を口に出したかはわからない。
けれど、この人ならなんて答えてもらえるのか興味があった。
「へ、変な名前じゃないですか……?」
青年は心底呆気に取られているような表情をし
少しすると何やら考え込むように腕を組み、考えがまとまったのか、私の方へと向き直る。
「何故です?」
「え……?」
「いえ、変とは……どの辺が変なのかと思いまして」
「だ、だって珍しいじゃないですか?私はこの名前がずっと嫌いで……」
「そうですか、けれど僕は凄く綺麗な名前だと思いました」
「けど、皆は変だって、そこまで変な名前は世界でお前一人くらいしかいないって……言われて……」
私が俯くと、青年は困って慌てているようにも見えた。
けれど今でもハッキリと覚えてる。
あの時の言葉。
この思い出は今でも私の宝物――――
「確かに、その名前は貴方一人だけかもしれないですね」
「…………そう……ですよね」
「けれど、例えこの世に同じ名を授かった者が何人居たとして、その名前に込められたご両親からの想いや願いまでは違う。願いが違えば、それは全くの別物だと僕は思うんです」
「だからそれは間違いなく君だけの名前だ」
「たくさんの願いが込められた君だけの名前。
どうか大切になさってください」
私はずっと間違っていた――
大嫌いなこの名前のせいで皆からいじめられていた。
けど、いじめられていた理由なんてきっと他にも沢山あったのに、全部名前のせいにして苦しいことから逃げていた。
この名前はお父さんお母さんから貰った一生に一度のプレゼント。
そんな大切な名前を一番穢していたのは私自身だった――
踵を返して去っていく青年の後ろ姿が揺れている。
じんわりと世界が歪んでいた。
もう不安な気持ちは無かった。
一つの薄いグラスが満たされて溢れるように
私の感情は零れ落ちる――
お母さん……
お父さん……
ずっとずっと……ごめんなさい――――
――――私は自分の名前が大好きになった。
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