生意気なビート

赤川凌我

生意気なビート

生意気なビート

赤川凌我

  僕が今からする話は最近あったものだ。その話はどこか軽妙であり、荒唐無稽であり、したがって人間らしい燦然たる輝きを帯びたものである。僕はこの話を公にする事を慢性的に躊躇していた。しかしながら僕が現在23歳で、学問探求での使命を果たした事から、今度は方向転換として自分の闊歩する小径を芸術家に定めた。しかしながら僕の家には楽器もなければ、僕は絵画に没頭したい訳でもない。当然の成り行きとして小説家活動を余儀なくされた。いや、自分でそう考えたのだ。即ち僕がこれからする話は半ば僕の自己満足であり、読者を享楽する口上や目的で書かれたものではない。しかしながらだからと言って読者を置き去りにしたような独善的な弁舌で書かれている訳でもないからお付き合い頂ければ作者冥利に尽きるのである。

 2022年の8月、僕は平日の仕事を一通りやり尽くし、今日は土曜日である。実は昨日夕餉を終え、入浴も済ませた後に酒を飲んだ。ウイスキーを飲んだ。本当は割る必要のない白ワインなどを所望していたし僕自身も白ワインを嗜むつもりだったのだが近所のスーパーでは白ワインは陳列棚に鎮座しているものの安価なものがなく、安価な酒は小柄なボトルのウイスキーしかなかった。したがって僕はウイスキーを昨晩飲んだ。僕は統合失調症なのでひっきりなしに幻聴が聴こえていた。しかしながら昨日の僕の幻聴は罵詈雑言や僕を誹謗中傷するような内容ではなかった。しかしながら幻聴は一般に医学用語で考想化声と言われるように僕自身の妄想に即して発生するメカニズムだ。昨日聴いた幻聴は僕に対する激賞や美辞麗句が主体であった。僕はこの二転三転する幻聴によって束の間の享楽や愉悦を得た。普段引きこもりがちで滅多に人と積極的に交流しようとしない僕にとっては幻聴だけが僕の少なくとも脳髄で完結する社会そのものであった。それ以外の社会は僕にとっては辛辣で苦痛に横溢したものなのである。まあとにかくそんな幻聴を酒の肴に僕は昨日ウイスキーのミニボトルを飲んだ。

 また深夜にはアニメーションもやっていた。僕が内心懇ろにしているアニメーションだ。僕は高校時代以後、即ち統合失調症の発症を契機にアニメを殆ど鑑賞しなくなったし寸毫も共感したりカタルシスを感じることはなかった。僕はアニメなどの大衆娯楽を半ば選民思想的な、或いは中二病的陶酔によって忌避し、古色蒼然な純文学の世界に浸潤し、現実逃避をする事が当時の通例であった。無論僕の高校時代の全てをそのような純文学の耽読で過ごした訳ではない。光陰矢の如しなどという俗諺はあるにせよ10代後半の激動の時代は特殊相対性理論のように感覚が鋭敏になり光速に自身の感覚が接近する。アインシュタインは光速度普遍の原理から、ローレンツ収縮の応用で時間は絶対的なものではないこと、時間も遅くなる事があり得るという発想の転換を成し遂げた。1905年のこの特殊相対性理論を筆頭とした光量子仮説、原子の計測方法、ブラウン運動の理論などを矢継ぎ早に発表した時期はよく「奇跡の年」と称されて、科学史における衝撃的な出来事として長らく万人に紹介されてきた。この奇跡の年と言うのはアイザックニュートンの1666年の三大業績を成し遂げた驚異の年に追随するような修辞だが、このようなある意味流麗

とも言える豪華絢爛な言葉で科学者の苦心惨憺に報いたり、礼賛したりする事は実に殊勝な事だと僕は感じる。まあ話が脱線したが僕の高校時代は純文学一辺倒だった訳ではない、60年代から90年代までの英米音楽をその僕の高校時代から現在に至るまで僕は愛好している。これらの芸術というフレームを通して世界を見る事で錯覚的にでも現実の迫害を逃れようとしたのだ。しかしながら煌びやかな芸術を持ってしても僕を救う事は出来なかった。幻聴や被害妄想の総量はあの湿潤かつ病的な猛暑によって爆発的に増大した。高校一年の夏の事である。まあ最も、僕は高専という理工科学校が肌に合わずそこの2年に進級する際に僕は高専を退学し、制度の相違からまた高校を入りなおすには転校という形式ではなく、過年度入学する必要に迫られた。その結果僕は過年度入学したのであるから。通常大学浪人のような代物でない限り、淀みなく進学進級していくのが社会の風潮である日本である。したがって僕は本来なら高校二年の齢で、高校一年をし、また周囲の学生より一歳年上で一念発起して学生生活を送っていた。不眠の残滓はあったものの、最初の頃は学年でもトップクラスの学力を誇り、旧帝大を目指し、また山岳部でも「山岳部のエース」の異名を恣にしていた。バレー部へも兼部していた。その最中、統合失調症は15歳の前駆期を経過し、疾走し、急性期へと移行した。もはや僕は学業や恋愛どころではなくなった。世界は僕に対し陰謀を仕掛けているように感じていた。無論僕は元来知的水準の高い男である、残存した理性を具して自分のその被害妄想を廃絶しようと躍起になったが、統合失調症は流石に古代からユダヤ人にさえ慄然とされるような根深さを持っており、僕は全ての被害妄想を排除する事は出来ず、そればかりか日々魑魅魍魎な人生の眺望から新たな被害妄想が相次いでアップデートされるという地獄絵図を僕は経験していた。精神が破綻する前は僕の顔面の端正さから多くの女子生徒からはイケメンだと評判であった。しかしながら僕は極度に疑心暗鬼になり、合理的に考えればおかしい悪罵を聞くようになった。もし統合失調症による幻聴でなければーもしそうでなければその窮状の責任の一端は僕にもあった。即ち何らかの刺激が投擲され、その結果化学反応的に僕への迫害が始動したという可能性もあった。僕は女子のような行動を女性生徒から可愛いと思われたくてやっていたのだ。中には反吐の出るような事もやった。当時の事を回顧してみても自分の事ながら悪寒が走る。単なるオカマのチビ男であった。高校生なんてものは往々にして精神が未熟である。殊に女子生徒なんてものはその胸中に腹黒さ、陰湿さといったものを同居させている事が認められている。不特定多数の彼女達が主体的に僕を迫害し、過剰なまでの応酬をした。そのような可能性も考えられなくもないが、もしそうならオーバーキル状態である。こういうのはネット用語で「炎上」なる言辞で暗喩出来る。しかし如何に精神的に未熟な高校生であってもここまでするだろうか。そういった程度の問題を度外視せずに考えてみると、やはり僕は最初の内は他者からの危害である可能性はあるものの、やはり恒常的な幻聴や被害妄想という意味ではその大部分が統合失調症によるものだったのだろう。

 統合失調症、旧名は精神分裂病。さらにそれより前はクレペリンによって早発性痴呆なんて風にも呼称されていた。日進月歩の現代精神医学、その診断基準にはアメリカ精神医学会が上梓した精神疾患マニュアルであるDSM-Vが現在ではスタンダードとなっている。最も当時はまだDSM-Ⅳであったが。まあともかくそういった物差しがあって、それと精神科医のクライアントへの洞察と相乗効果を発揮して診断が行われているというのが常である。医学では触診、視診、聴診、打診、問診…など様々な診察形態があるが精神医学の病床では問診が一般化である。その精神科の印象は最早人口に膾炙していると表現して差し支えない。精神疾患は不可視の病であり、明らかな発達遅滞を伴う知的障害や、意思疎通に慢性的な異常が散見される発達障害と違い、僕のその高校以後からの持病である統合失調症は表面的には極めて普通に見える事が多い。したがって巷からの誤解も多く、現代の日本社会においてはまだまだ統合失調症への認知が十分なものではないのは歴然たる事実である。

 まあとにかく僕は統合失調症になったのだ。そして高校時代の急性期を受けて僕は咄嗟に精神科や心療内科を受診し、現在に至るまで闘病を継続させている。自分の病歴について、僕は頻繁に他者に伝達させてきた。幾つか私小説として小説化もした。もう子の病歴を反芻する事を僕はやりたくない。流石に自分の中でも抵抗感があるし、これ以上の再三再四にわたる病歴の訴えは僕自身の精神を退廃させ、堕落させるような気さえする。

 僕は暇を持て余し、京都の街へと繰り出した。自宅でひっそりと過ごす事は今の僕にとって時間の浪費である事を意味している。そしてとある路地にさしかかりお気に入りのジョンレノン的な丸いサングラスを着用した僕が悠然と歩いていると、背後から女性の声がかかった。「あの!」僕は踵を返し、振り返った。目前には巨大な臀部、そして妖艶な巨乳で長身の僕好みの美女が僕を見据え、佇立していた。僕はどぎまぎしながら「はい?」と返した。彼女の方はそれを見るや否や、満面の笑みを浮かべた。「赤川君、赤川…凌我だよね?久しぶり!かっこよくなったね!私、覚えてる?山口!山口早苗!」僕は少しまだらぼけの僕の頭脳をフル回転させた。山口、ああ高校時代のあの山口か、彼女ってこんなに魅力的だったっけ?高校時代はもっとちんちくりんだったような。「だいぶ、印象変わったね。今は22歳か、どこで働いてるの?」僕は余りにもタイプな彼女を見ながら臆面もなくそう尋ねた。本当に頭が沸騰しそうだ。「今は会社でOLやってるよ、中京区の方にあるんだけど…立ち話もなんだからお茶しない?時間あるかな?私、君と話したいの」僕は人にここまで気さくに話しかけられたのは中学の時分以来だった。僕は形容しがたい高揚感を感受しつつ、狂乱した胸中を抑制しつつ、微笑を携えて「時間はあるよ。僕は今日何もする事がないからこの辺で買い物しようとしてたんだよ。もう買いたいものは買ったし、さしあたりする事もなく、ただ往来を歩いていたとこだ。いいよ。お茶しよう。なんたって僕は自分じゃないが友達皆無、恋人皆無…」友達皆無なんて大噓だ、しかし僕はこのような奇跡的な展開をいざ眼前にしてみれば僕の定言命法はいかんともしがたく屈するしかなかったのである。僕は否応なしに放埓かつ猥褻な妄想を始めた。魅力的な彼女の裸体、そして恍惚の表情を浮かべる彼女の美貌、僕と恋人になった後の幸福に満ちた日々への逗留…僕の妄想は枚挙に暇がなく、まるでダムが決壊したかの如く際限なく、指数関数的に加速した。彼女は僕の応答を聞き、こう言った。「ありがとう!じゃあそこのペニーレインって喫茶店に入ろうか。私実は初めて赤川君と邂逅した時からずっと赤川君の事気になってたんだよね」ほんのり顔を赤らめながら、彼女は微笑した。僕も微笑を禁じ得ない。「そうしよう」僕たちはペニーレインの内部に入った。ペニーレインというのは象徴的な名前の喫茶店だ。ビートルズのアルバム、マジカルミステリーツアーでもペニーレインってナンバーがあったな、確かジョンのストロベリーフィールズフォーエバーに対抗して作られたと言われている楽曲だ。まるで激甚の苦痛に充溢した高校時代を救うかの如く、僕は山口さんと出会った。僕は本当に恐悦至極であった。

 やや長身の男性店員は僕たちに言った。「いらっしゃいませ。二名様ですか?」彼女は言う。「そうです」「奥のテーブルにどうぞ」、僕たちは店員の先導を得て席に座した。僕はジョンレノン風、リアムギャラガー風のサングラスを外した。ここでは照明も大人しいし、僕の視覚過敏でも大丈夫そうだ。店員は205㎝の巨人の長身からすれば小柄に感じた。僕は席について突如無意識的に、開口一番こう言った。「山口さんはさっき僕の事をかっこいいって褒めたけど、山口さんも本当、綺麗になったね。一瞬誰か識別できなかったよ。芸能人クラスの美貌じゃない、正直僕のタイプ」僕は傍から見ればセクハラと誤解されそうな言動を繰り出した。しかしながら僕はそのような事を言っても彼女を不愉快にさせないという、自らの直観に即した確信があった。「ありがとう。ところで赤川君もめっちゃ身長伸びたね。何センチ?」「205㎝」「そっか、どうりででかいと思った。下手したらバスケ選手よりでかいんじゃない?NBAとか」「僕もまさか二十歳過ぎて170㎝から35㎝も伸びるとは想定してなかったよ。高校時代にここまで長身だったらなあ」「ははははは、いやいや、205㎝の高校生は流石にでかすぎでしょ。たたでさえ赤川君は女顔の美形なのにそれだけ並外れて長身だったらすごく目立つと思うよ。赤川君の今のルックスは日本人としても全体未聞だよ」彼女はくすぐったそうな、同時に本当に面白そうな顔をしながらそう言った。これは演技だろうか?僕はふと疑心暗鬼になった。いや、そんな訳がない。僕はずっと迫害されてきたから人間不信に陥っているんだ。その気持ちは自然だけど今は邪推するな、例え彼女が僕を翻弄する目的であれ、僕が今するべき事は全力でこの至福の時を過ごす事だ。僕は少しかぶりをふりつつそう考えた。「赤川君、確か大学に進学したんだってね。どこの大学?」「小崖大学、まあ俗にいうFラン大学さ。僕は統合失調症で勉強も、普通の生活でさえも履行困難になったからね。当然の帰着だよ」「いやいや、赤川君はすごいよ。これほどの魅力的な美貌に、高校時代は自力でルービックキューブ完成させてたじゃない。のちのち、調べてみたけどルービックキューブを完成させるには最低でもIQ160必要なんだって。そんなの私みたいな凡人には不可能な芸当だよ。赤川君は天才だから、学校教育の枠にははまらなかっただけじゃない?もし学歴に不服があれば今からでも入りなおせば良いし。今はもう卒業したの?」「うん、僥倖に恵まれて。周囲からの助力を得ながらなんとかストレート四年間で大学卒業したよ」「良かったじゃない」「うん」

僕たちはその刹那、お互いに幸福で満たされている事を了解しあった。会話自体は凡庸なものであったが僕はそう感じずにはいられなかった。彼女はおもむろにスマホをカバンから出してこう言った。「赤川君、赤川君のライン教えてよ」僕は内心狂喜乱舞しながら答えた。「いいよ」僕の脳髄は誇張していえば欣喜雀躍とした状態であった。実際僕のこれまでの孤独を基調とした寂寞感は今この一時を通して消失していくのをつづけざまに感じた。そして僕たちはラインを交換した。その後の会話はかくの如くである。

 「赤川君、本当に魅力的になったね。私正直今の赤川君すごくタイプだよ。高校時代も魅力的だったけど今は本当に洗練されてるよね。ところで赤川君は大学時代何してたの?今の挙動不審ぶりを見るに、まさか接客業でアルバイトしてた訳じゃないよね?」

 僕は自分の病気による弊害として得た性質を看破されて、ややふてくされたような感情をこの娘に抱いた。しかしそのような事は彼女には知る由もないし、知っていたとしても僕の気分を寸毫も逆撫でしない一挙一動を徹底する事は何人にも不可能だ。彼女は人非人ではない。彼女は女神だ。そう強迫的に考えつつ僕は答えた。

 「実はね、僕は大学時代、特に1年の頃は法律により飲酒が解禁されてー最も今は法律も変化して成人は18歳以上になった訳だけど、まあとにかく僕はひがな酒を飲むようになった。一時期スーパーの総菜でアルバイトしてたんだけど、深夜に及ぶ激務で疲労困憊になっちゃって、ストレスが蓄積するに従い僕の酒への惑溺は不可避的なものになっていったんだ。そして大学での講義も頻繁にさぼるようになっちゃった。高校時代も相当不良だったけど、大学時代は更に堕落が進んだんだ。これでは駄目だと痺れを切らして、僕は2年に進級した際に、精神病院に入院したんだ。一か月程度ね。もっともこの判断には身体測定が怖かった事も当時の身長にデリケートだった僕にとってはかなりのウェイトを占めるんだけど。まあとにかく精神病院に行って、退院して、20歳から小説執筆やら、学術論文の執筆に本腰を入れるようになったんだ。僕は専攻の哲学よりも数学や自然科学に熱烈な興味関心を抱いていたから、数学と自然科学の勉強と研究を本格的に始めた訳。で、紆余曲折あって現代の最先端の数学、自然科学、哲学の知見をたった3年という短い歳月で完全に習得し、結果的に豊饒の期間と僕が恣意的に読んでいる学問研究に東奔西走した期間において22本もの論文を書いて、その中で膨大な量と質の発見発明を論文にまとめ、定理や法則も証明し、中では賞金一億のミレニアム問題三問も証明して、実質ガウスやガロアやオイラーやアインシュタインやニュートンを僕は凌駕した感じ」

「賞金一億!総計3億じゃない!他の赤川君の業績を鑑みるにもし正当に赤川君の功績が理解、評価されれば歴史年表に赤川君が掲載されるのは不可避だし、そうなれば日本随一の、傑出した、部類の天才として認められるよ!専攻の哲学ではどんな研究をしたの?」

「まあ講義の勉強を端緒に、独自の僕がフレーム理論と呼ぶ理論をアインシュタインの相対性理論にあやかって特殊と一般に分けて書いたよ。卒論ではその内の特殊フレーム理論を血気盛んに提出したものの。誰からの理解も賛同も得られなかった。教授達は高学歴で秀才な筈なのに、全然理解されなかったよ。しかも僕は自分のアイデアを過不足なく、懇切丁寧に説明する事が苦手だったから口頭試問の際にも彼らからの色よい返答は得られなかったんだ。まあ時代を超越した革新的な、画期的な理論が理解されるのは、その提唱者と同様に時間がかかるのは分かってるけど」

 「それでも赤川君はすごいよ!頑張ったね!ルックスも上等なら頭脳も天才的じゃない。女子から見れば高嶺の華だろうなー」

 「褒めてくれるのは嬉しいけど、僕は統合失調症で実は恋人も友達も大学では一人も出来なかったんだ。だからずっとやるせなくて。でも自分を変革するしたたかさもなくて、僕はただ時間が過ぎるのを、時間が僕の現状を打開してくれるのをただ漫然と待つしかなかったんだ」

 僕はメンタリストではないから彼女の胸中を、その機微を推し量る事は出来ない。しかし僕はこの会話においても幾分かの重厚さを感じていた。そして僕はそれを甘受して悦に入る事が出来ていた。他者との会話においてこのような気分を味わうのはいささか頓狂で、未曽有の事に感じられた。本当に僕は嬉しかった。もし彼女が僕をおだてる存在でなかったとしても、僕は彼女のその美貌、魅力的なルックスを見て昇天しそうな気分を感じずにはいられなかった。僕はこの時の為にこそ生きているのだとさえ思った。僕は年頃の女性にここまで優しくされた事が嬉しく、何故かそれが脈絡もなく性的愉悦へと繋がり僕は勃起していた。僕はこの喫茶店を出るまでには何とか勃起した自分のペニスを鎮めようと思った。だから僕はこの興奮を会話によって浄化させる為に、己の心の均衡を保持する事を意図して会話を変えた。

 「そういう山口さんは高校卒業後、どうしてたの?」と僕は尋ねた。「山口さんの情報は僕、ほとんど知らないから。別に君が殊更に魅力がなかった訳じゃない。でもあの頃は病気によって苦しんでいて自分の事で精一杯だったんだ。無論人生の過渡期において自分の事がいっぱいいっぱいな事があるのは発達心理学的にも自然なものだけど、それでも僕は幻聴や被害妄想などの統合失調症による病魔とも闘っていたんだ。傲りかも知れないけど僕はそこらの人間よりは遥かに苦痛を耐え忍んできたつもりだよ。まあそういう訳で君の理論的に情報は得られなかったんだ。だから聞くんだ、君は高卒後はどうしてたの?」

彼女は一瞬、小動物のように目を丸くして、そしていささかの悲哀を感じさせるよな顔で言った。「そっか、赤川君は本当につらかったんだね。勉強も恋愛も満足には出来ず、頼れる人は一人もいない。人一倍不安になりやすかったんだね。やっぱり私はあの高校時代に赤川君と真剣に仲良くしてれば良かったんだ。私は本当は赤川君の事、大好きだったんだよ。でも自分に素直になれなかった。赤川君の言うように人生の過渡期で自分の事だけでせいいっぱいだったんだよ、私も。で、返事だけど、私は高校卒業後すぐに専門学校に進学したよ。今は京都だけど、当時は大阪の専門学校に通ってたんだ」

僕は当惑した。えっ?彼女が僕の事を好き?なぜ彼女はそのような恥ずかしい事を惜しげもなく言えるんだ?そんな淡々と、そんな流動的に。僕は彼女ほど素直になれない。それとも彼女は言語曲芸師で、詐欺師でこの後僕を利用し、金銭をだまし取ろうとしているのか?僕は統合失調症特有の被害妄想による陰謀論のような思想を脳髄で勃興させていた。寸刻前の性的興奮による陰茎の勃起は忽然と収まり、今度は現実のありもしない悪意に慄然としはじめていた。僕は頭がおかしいのかも知れない。いや、頭がおかしいのだ。しかし、実際これまでずっと孤独に過ごしてきた僕が何の脈絡もなくこのような魅力的な人と出会って、普通に会話出来ているなんて事はあり得るのだろうか。神は僕を笑っているのだろうか。これは新たなる試練の序章なのだろうか。くそ、なんで僕は現実の喜びを素直に享受出来ないんだ、忌々しい統合失調症め。

 「そっか。専門学校ね、じゃあ今はその専門学校で得た技能を汎用させて仕事をしてるの?君と再会して初めて分かったけど、君は高学歴ではないにせよ、頭よさそうだね。高校時代、僕に統合失調症がなければ僕はもっともっと喋ってたに相違ないよ。まあ当時の君はおぼろげながら小柄だったこともあって、恋には落ちなかったかもしれない。しかし今や本当に僕は君が好きだよ。君が僕を好きなのと同じように。本当にタイプだ。僕が恋愛に関心を持ち出したのは僕が19歳の高校三年生の時からで、ずっと175㎝以上の長身美人が僕のタイプだったんだ。まあ実際、長身美人といる方が安堵できるし、そういった打算的な目的もあったんだけどね。本当に見た目で態度を変転させるのは軽薄に感じるかもしれない、低俗に感じるかも知れないけど、君は本当に僕のタイプだ。今こうして喋っている事自体も僕は自分の興奮を抑えるのに精いっぱいだ。つかぬ事を聞くようだけど君は今身長何センチ?」

「私の身長?186㎝だよ。見れば分かると思うけど私より高い女子は滅多にいないよ。高校時代は私155㎝だったけど、見違えるように伸びたよ。赤川君と同じように高校卒業後に劇的に伸びた感じだね。31㎝も伸びたから、脳の病気かと思って病院にも行ったけど、脳に器質的な異常はなくて、ただ私は超晩熟だっただけみたい」

「186㎝!」僕は吃驚仰天した、そうすると彼女は大半の女子バレーボール選手より長身ではないか。見た時から年甲斐もなく心がときめいていたけど本当に彼女は僕の理想像そのものであった。彼女ほど完璧な女性はこの世にいないとさえ、僕は感じた。

「赤川君だって、超長身じゃない。その絶世の女顔美形でその長身は顔と身体が一致していないようにも思えるけど、そういうとこも可愛い。私たち長身カップルでお似合いかもね。さっきから感じてたけど、周りも衆人環視。視線も釘付けだよ。本当に赤川君はメスの顔だからどんな表情も愛くるしいわ」

視線が釘付け?僕は周囲を見渡した確かにまばらに僕たちをチラ見していた人間がいた。しかしそのような事は僕の今までの人生でもよくあった。それがチラ見なのだろうか?僕は皮肉にも懐疑的になった。まあ女性というものは実際他人の目線に敏感だ。昔どこに目がついているんだと思うほど僕の視線を認識していた長身の女子がいた事を僕はふと思い出した。

 「ところで、赤川君」僕は夢見心地な気分のままその言葉を聞いた。「最近何してるの?」

「僕は今障碍者雇用で清掃の仕事をやってるよ。A型作業所ってとこだけど、一応最低賃金はもらえてる。土日祝は休みで、一日あたり6時間は働いてるかな。最初は業務に慣れるために4時間勤務だったけど、大学卒業して就職して数か月経って、だいぶ職場に慣れてきた感じかな。今日は休日だから昨日テレビ放映の映画を見ながらウイスキーを飲んだよ。勿論夜の話ね。僕ウイスキー好きなんだ」

ウイスキー好き、何だか韻を踏んだような言語遊戯だと思った。

「そうなんだ、じゃあ今日私の家に泊まってく?私もお酒好きで、ウイスキーももちろん好きなの。私も土日祝は仕事休みだし、赤川君さえ良ければ一緒に宅飲みしようよ。まだまだ話もしたいし」

 僕は依然として夢見心地であった。束の間の快楽に僕がコミュ障で対人恐怖な事もすっかり忘れそうな位の強力な快楽に僕は酔いしれていた。

「いいね。そうしよう。歯ブラシとか、寝る場所とかある?」

「あるよ!勿論!実は私社長で世間でいう大金持ち、富裕層の人間なの。私の家はその御多分に漏れず豪邸で一軒家だから赤川君は存分に楽しめる事請負だよ」

「えっ!!」僕は意表を突かれた気がした。山口さんが、大富豪?一瞬嘘を疑ったが話の脈絡からして嘘なんて言っていない事は一目瞭然であった。彼女は本当にハイスペック女性となっていたのだ。実際最初からそんな気はしていた。身に着けている時計は何やら外国のブランド物の時計の様だし、服装も瀟洒だ。育ちの良さも滲み出ている。僕は逆玉の輿になるのだろうか、などといやらしい事を考えながら次のように言った。

「ビュリフォー。君は本当にすごいね。今までの会話で君は僕の事をかなり買っているようだけど、君自身もハイスペックな人間じゃない、それも僕とは違って社会的な地位もあるから思わず陰隠滅滅としちゃうな。まあ、このような話が合って、かつ可憐で美しいくタイプの女性と飲める事は男冥利に尽きるよ。飲もう飲もう。僕もそうしたい。僕もこれまでの苦悩を、統合失調症との険悪な関係を、そして苦心惨憺な闘病を一挙に忘れて酒を飲みたい。一人飲みも悪くはないが、二人で飲むのも悪くないっ」

「赤川君、本当に嬉しそうだね。私も無性に嬉しくなってきちゃった。赤川君のその潤沢な、露骨なまでに素直かつ率直な瞳を見ると」

「っ」僕は赤面した、無意識の内に涙腺が弛緩していたのだ。

彼女は微笑みながら「じゃあ私の家に行こっか」と僕に言った。僕は漸くその頃気づいた、相対性理論のような時空の歪みが生じていたかのようにこの会話の進行に即した時間経過が伴っていない事に。もう午後7時前である。夏であるから外は漆黒に包まれてはいないがしかし眩いばかりの暖色、夕焼けのそれに街はある種独特の表象を僕に与えた。

「そうだね。夕飯はどうするの?」

「私の家でウーバーイーツか何かで宅配しようよ、夕食が終わって入浴も済んだら一緒に宅飲みしよ」

そして紆余曲折があって、僕たちは夕餉を済ませ、入浴も済ませ、今ウイスキーを割って一緒に飲んでいる。無論、矮小かつ脆弱かつクソ雑魚産業廃棄物かつ、変態な僕の事だ、多少はエロティックな妄想の実現を期待していたが、僕はそれにも勝って今は共に、明朗に語り合う事を何よりも望んでいた。彼女の方も僕と再開直後セックスする気はなかったらしい。

 僕たちは高級なウイスキーを割って飲んでいる。彼女は水割りで、僕はコーラとレモンティーを交互に活用しながら割って飲んでいる。「本当に君といると楽しいなあ。たとえこれが刹那的な幸福であっても、僕はこの瞬間が宝珠にも似た価値を持っている事に今や一縷も疑念がないよ」

「はははは。赤川君詩人みたい。さっきから思ってたけど赤川君詩人とか小説家とか物書きが向いてるんじゃない?天職だと思うよ」

「よく言われるよ。でも僕は元来理系だし、文学的なセンスや、突拍子もなく面白い諧謔、緻密な情景、心情描写が苦手でさ、今でも小説書いてるんだけど、まさにその点において四苦八苦してるし、23歳という年齢の事も顧慮すれば僕はまだまだだなあって思うよ」

「謙虚なのは良いことだよ。私も頑張んないと」

「でも本当に驚いたよ、どうやってこれほどの豪邸や資金を膨らませる事が出来たの?」

「私、実は投資に激甚の才能があるらしくて、仕事の片手間に投資していく内にお金が無尽蔵に増えていってさ、門外漢なんだけどそうやって膨張させてきた資本を元手に自営業を始めたんだ。するとこれもまた大成功、順風満帆すぎて怖いくらいだよ。高校時代のチビで平々凡々な私のイメージを具すれば、赤川君が驚くのも無理はないよ。私だってたまに自分のこの富裕が夢なんじゃないかって、メタフィクション的な事を考えたりするもの」

「本当に、驚き桃ノ木二十世紀だよ」

彼女は本当に面白そうに破顔一笑した。その嬉々とした様子を見て僕もまた嬉しくなった。楽しさって伝染するんだなあ、久しぶりに思い出した。僕は時折死を決行したくなるほどの衝動的な絶望に苛まれる事も多い。まるで自分だけが特段不幸で、社会において孤立して、周囲の人間の悉くから見下されている、嫌われていると思い込む程である。しかし僕も好意のある他人とこうやって話し合える事を思えば、やはり僕だって人間である、との思いを内心強固なものにした。これは過去の僕の暗黒に満ちた半生(無論それだって科学的数学的に暗黒に満ちていた訳ではない。僕が一方的に人生を悲劇的なものに買いy策していただけだ)を垣間見れば劇的な変化であるように思えた。僕は対人恐怖で、女性恐怖でこれまでずっと社交なんてものとは無縁の、無残な人生を送るのだと思い込んでいたが、そういったものが如何に偏見であるかを僕は痛感した。自らの愚昧さに思い、僕は笑った。過去それほど笑ったことがない程高らかに。僕は自分を自動的に鼓舞出来るようになった。この短期間で。丁度ジョジョの奇妙な冒険で承太郎がディオのザワールドとの決闘の際に時を止める事を短期間の内に学習したように。

「ところで赤川君」彼女は場の雰囲気を壊さないような慈愛に満ちた程度の些細な神妙さを顔に宿し言った。

「実は私、赤川君のブログの愛読者なんだよね」

「えっ」僕はまた意表を突かれた、面食らった自分を客観的に見つめ、僕は自分がまるで手品ショーにおける観衆のような心地さえした。本当に、彼女には驚かされてばかりだ。

「赤川凌我のブログ、赤川君の顔がアイコンだったからだしぬけにすぐ分かったよ。あのジョンレノンみたいなサングラスつけた写真もプロフに載せてたでしょ?本当に赤川君の書く記事は面白いよ、私の生活の糧にしてるとも言っても過言ではない。赤川君は自覚してないようだけど、君、本当に読者を魅了するようなもの、観衆を魅了するようなものいっぱい持ってるよ。もっと自信を持った方が良いと思うけどな。統合失調症なんて関係ないよ。君は君だよ。どんな艱難辛苦があったとしても君はここまで私を楽しませてくれる。ここまで私を癒してくれる。私はその事が本当に嬉しいのよ。君の豊かな才能も、君の女の子みたいな甘い顔も、並外れた長身も、エトセトラエトセトラ、とにかく全て私のタイプ!付き合って!」

僕は冗談かと思った。もしかしたら山口さんは酒の酔った勢いで後々とんでもなく悶絶するような事を口走っているのではないか?僕が山口さんの立場なら同じ事をするだろうか?しかしながら社会そのものから侮蔑され、迫害されているという被害妄想が払しょくできない、その残滓がいつまでもまとわりついている僕にとっては、やはり、この事は嬉しかった。否、僕でなくても嬉しいだろう。彼女はその上品さを美貌を妖艶さを更に引き立てるかのように眩く光っていた。大日如来も、阿弥陀如来も、薬師如来も、彼女程の値千金の内面の尊さには叶わないだろう。そして何より外見がたまらなく愛おしかった。ええい、はっきり言おう、僕だって酒の勢いかも知れない。しかし絶対的な覆しようのない事実がある。それは。

「嬉しい。僕も君の事が好きだ、大好きだ。付き合おう。僕もそうしたい」

彼女は今やどんな純真無垢な乙女よりも乙女に見えた。本当に僕は彼が愛くるしくてたまらなかった。僕の文才ではこの情景をありのままに、当意即妙な装飾を伴わせて表現する事は不可能である。ここは天国かな?僕がこれ以上幸福になっていいのかな?

「ありがとう!大好き!」彼女のその心底嬉しそうな顔と、スタイル抜群の長身、そして女性らしい丸みを帯びた体躯をまじまじと見つめ、今こそあの時だと思った。あの時、僕が夢にまでみた童貞を捨てる時である。それもこんな素敵な女性と。有頂天、そのような表現では可算的に表現できない。僕は恋愛の熱に犯され、無我夢中になった。彼女は女王だ。抜群の優秀な生物だ。この放蕩に包まれる事は男としての誇りだ。

 僕は淫らな気持ちが最高潮に達し、彼女の陰部を触ると言った奇行に走った。流れ的にあり得ない事ではない、斬新な恋愛行動ではない。しかし僕は内心僕がそのような事をしてセクハラにならないか、犯罪にならないかと言う観念に脅かされた背徳感を同居させていた。彼女の女性器は濡れていた。それもかなり湿っていたのであった。女性の愛液というものを直に触ったのは初めての出来事であった。僕はふと我に返る。「ごめんよ。君の言質を取ることなく」僕は自分の生まれて初めてした猥褻な行為に罪悪感を感じながらそう彼女に言った。僕は周章狼狽していたのだ。そして彼女の顔面を見やる。彼女はさも不思議そうな顔をしながら言った。「なんで?続きしようよ。私、赤川君に抱かれたい」これほどの誇らしい事はない。勲章ものだ。僕の罪悪感は完全に消失した。そしてどれだけの時間が経過しただろうか、僕たちはお互い一糸まとわぬ姿になって、ただ二匹の動物となりお互いを欲していた。彼女の陰部は十分に愛液まみれになっていた。僕は彼女にフェラチオをしてくれるように言った。彼女もまた誇らしそうにフェラチオをした。ひょっとして彼女は経験者なのだろうかと思うほど巧みな舌使いで彼女は僕のペニスを口でしごいたりした。そして僕は呆気なく射精した。童貞特有の早漏である。しかし僕は2か月間、オナニーをしていないという事もあってまだまだ性欲はありあまっていた。彼女はその気配を察し、「もう我慢できないのよ。ほら、入れて」と大きな臀部を僕に向けた。そして僕は彼女の肉体の卓越した造形美に内心感銘を受けつつ、彼女の女性器に自らの男性器を挿入した。僕は本当に初めての経験なので驚いた。お互いの体液の粘着質な音のエロティックさ、想像上のセックスとは訳が違う。セックスとはこのように心地良いものなのか。僕には動かさずとも、驚異的な、常軌を逸した快感が五臓六腑を疾駆する様子を感覚的に受け取った。そして僕たちは闇夜の中で二人とけていった。僕たちは晴れて結ばれた。彼女の方は処女ではなかっただが僕は至極幸福であった。ここまで語ってきて今更だが、この後の事は秘する華という事で敢えて書かない。しかし僕にとっては最高の夜だった。このような幸せな夜は初めてだった。僕は親友と恋人を同時に得た。そして僕たちはそれ以後お互いの事を名前で呼ぶようになった。

 翌日僕は起床した。あの夜は未来永劫続くかのように長い夜だった。今は昼の一時である。僕は見覚えのない場所に仰臥しているのを認識し、昨日の事は淫魔の夢ではなかった事を悟った。「ははは…」僕はつくづくこの現実に勝ち誇ったような、仇敵の鼻っ柱をへし折ったような気がしてならなかった。僕への罵詈讒謗、それはどこまでが真実でどこまでが幻想だったのか、一患者の僕としては本当に渾然一体としすぎていて判然としないものであった。これほどの快楽に対峙しても僕は自分の認識に確信を持てずにいた。僕が理想の相手とベッドインしてそして…ちょっと待て、彼女はどこだ。彼女が見当たらない。もしかすると僕は金銭を騙し取られる為に彼女とワンナイトを過ごしたのではないか、そいったヒステリックな考えが僕の内部で隆起した。しかしそんな事は杞憂であった。彼女は広い豪邸の台所にいた。僕が探し回った末見つけたのだ。彼女は僕を見て、女神のような笑顔で言った。「おはよう。よく眠れた?」僕はこの期に及んで現実のシビアさを忘れる事が出来ずにいた。いや、僕は信奉していたのかも知れない。僕の中の悲劇の不滅を。「何してるの?」怪訝そうな顔を僕は彼女に向け、尋ねた。「少し遅いけど、何か凌我がお腹空くだろうと思って、ご飯作ってたのよ」僕は感激した。そして僕たちは食事を共にした。そして僕は彼女に尋ねた。「ねえ、ちょっと莫迦みたいな事言うけど、僕たち一緒に住まない?」「それって同棲ってこと?」彼女は不敵な笑みを浮かべて言った。やはり図に乗りすぎただろうか、僕の言葉が逆玉の輿に乗りたいという安易な考えの下で生気したのは彼女の頭脳明晰さがなくても分かる。そんな事を考えていると彼女は「私もそう思っていたの。同棲しましょ。そうするとまずは仕事よね。それと場所も両者の許諾の下で選ばないと」早苗は本当に大した人間だ。僕は彼女の方が社会的にも人間的にも僕より一枚上手である事を感じて感服した。「いいの?」僕はそう言った。「何言ってるの。いいに決まってるでしょ。凌我は病気で散々な目にあって、人間や現実に対して不信感や恐怖を抱いているのは分かってる。でも忘れないで。あなたは幸せになって良い人間なの。あなたが私を抱いた時、私本当に嬉しかったのよ。女に生まれて良かったと感激で泣きそうになったのよ。あなたはそれに気づいていなかったみたいだけど。あなたは私を幸せに出来る。私もあなたを幸せに出来る、利害が一致しているのよ、無粋なエゴイズム的表現を使えば。だからこれから一緒に末永く暮らしましょう。また時期が来たら結婚だってしましょう。私は最初からそうしたいと思ってたの」早苗の一言一句がまるでキリスト教の使徒の福音のような、或いは僕が成し遂げた物理学上の統一化のような、あのような純粋な幸せとなって僕の胸中に去来した。僕の中の社会や人間に対する悪辣な秩序は彼女という革命者によってコペルニクス的転回を遂げたように感じた。僕の脳内では醜い怪物がシュールリアリズムにおけるダリの絵画の如くぐにゃぐにゃに溶解していったのを心に描いた。そして怪物は跡形もなく僕の想像から削除された。僕は幸せになって良い。心から愛する彼女からそう言われた。その厳然な事実に僕は狂喜した。高校時代、知人の学生に「人生は捉え方次第」と啓蒙されたのを僕はこの時久しぶりに思い出した。彼女は天才だ、複雑怪奇な僕の人生、悪霊達が跋扈する僕の人生を根本から覆した。これこそ真のパラダイムシフトではないだろうか。純粋な演繹で僕のようにガウス級の定理や法則を証明するより彼女のように人の存在そのものを変える人材は貴重だ。彼女は人間国宝だ、僕はそうも思った

 今の僕は安っぽい恋愛小説のようなものかも知れない。安っぽいと形容したのは僕には独自の文体も語彙もなければ、技巧的な表現も出来ない。即ち表現者の序列としては最下層にいる人間であるからして僕の甘美な経験を十分に読者に伝える事が出来ないからだ。同じ対象を見てもゴッホとゴーギャンのように全く異なった芸術作品となるような事象が頻発する世の中である。もしかすると僕の経験は僕の長広舌以上に素晴らしく、美しいものかも知れない。その可能性を考慮して安っぽいと言ったのだ。これは別に僕が根本的に謙虚であるとかそういった類の話ではない。僕はかつて頑迷固陋だったし今でも頑迷固陋に相違ない。それでも僕が学問において獅子奮迅に努力して偉大な功績を残したのと同じように僕はこの卑近な愛を携えて芸術家として今後も邁進していきたい。そう真摯に思った。毅然としたその顔には迷いはない。僕は戦士としてこの死に至る戦いを継続するつもりだ。愛する者の為に、誰かの為に強くなるのだ。そして僕はそれまでの退屈な、下等な、見るに堪えない痛ましい自身の惨状を津々浦々と展開していた現実の苦しみから完全に遊離する事が出来たのである。奇跡というものは存在するのだ。フィクションの世界とは異なり、現実には起承転結がなく、感情の爆発がない、と僕は思い込んでいた。自分を救えるのは自分だけだと自分に言い聞かせながらこれまで生き抜いてきた。しかし救いは存在したのだ。無論早苗に依存するのは良くないし、ある程度自立した大人の男として生きる事を僕は覚悟している。美談っぽくなるが僕は今そう思ってしまう。

 僕は以上のような事を頭の中で巡らせながら食事を終え、そして早苗は何やら買い物をしに出掛けた。そして彼女が出かける前に僕も色々と支度をしないといけない事を伝え、家に一旦家に帰る事を伝えた。僕もこれから急遽自宅に戻って両親にこの事の顛末を説明しなければならない。逆玉の輿なんてそんな都合の良い事を僕は想像だにしなかった。僕はブラックサバスのロードオブディスワールドを聞きながら市バスを経由して自宅に帰ってきた。そうして猪突猛進に入浴をして、食事をして思った。本当に、信じられない。こんな出来事が僕の人生に起こるなんて。僕の人生はピンクフロイドのタイムのように静かな絶望の中でただひたすら耐えていくのが関の山だと思っていた。実際どのような大発見大発明をしても僕の人生に起伏はなかった。僕の15歳からの人生が如何に虚妄でこけおどしの退廃感と倦怠感に支配されていたか。それを僕は現在時間の浪費であったように思える。真実は弁証法的な発展の上で暫定的に提起されるものだ。人生の負の側面だけをみて悲劇のヒーローを気取っていた自分自身もなんて馬鹿だったんだろうと僕はしみじみと思った。

 僕はビートルズの白盤、ホワイトアルバムに収録されているジョンの曲、ハピネスイズアウォームガンを不意に思い出した。I need a fix because I`m going down.(ヤクが必要だ、落ち込んできたから)いやいや、僕にヤクなんていらない。僕の人生にヤクはいらない。まあ統合失調症の当事者であるから向精神薬は服用しなければならないけどさ。僕はもはや、犯罪に走る必要はなくなった。昔は僕を迫害した連中を血祭りにあげて、殺害しようとする危険思想が支配的になった時期もあったが。嫌な連中は世間に点在している。彼らの為に禁忌を犯す必要はない。僕には如何に迫害されようとも伴侶がいる。これも、やはり僕の思考回路の成熟であり、長足の進歩だろう。本当にありがとう、神様。僕は不可知論者で神や仏の存在を強く意識した事はついぞなかったのだが、もしそのような超自然の絶対者がいるとすればこれは感謝せねばならない。恩義を感じなければならない。こう考えた時から僕は宗教というものをより一層、なかんずく重要なものだと感じるようになった。こういう究極の境地はドストエフスキーの「罪と罰」のラスコーリニコフのように七転八倒して到達できると考えていたが、僕はやはり幸運の寵児だ。僕はその日、植物的に熟睡をした。

 翌日、僕は早苗に連絡を取った。いまどうしてる、という自然な文だった。彼女は暇だったのかノータイムで連絡を僕に寄越した。「アニメ見てる」との事だった。僕は正直彼女のような優秀な人間であってもアニメは見るものなのだと納得した。日本のソフトパワーは比肩しうるものが稀な程世界では相当力量を持っていると仄聞する。クールジャパンなんて風な商業的な売り文句を引っ提げて商売道具に転用したりする程の拝金主義的とも言える連中もいる程、日本のアニメ産業は巨大になった。これからのご時世、日本は自身の経済力を向上させ、世界の覇権国家になるためにも利用するものは利用していかなければならない。勿論限度はあるし、伝統的な惻隠の情なども必要不可欠だろうが。世の中は優勝劣敗、弱肉強食、その事を念頭において僕は生きている。日頃から騙されたりしていないか、どこか上手すぎる話はないかと、日常の枝葉末節においてもよくよく吟味し、注意喚起を意識的に自分に対して励行している。

 さて、今日はどうしようか。昨日は外出したし、今日は僕も早苗と同じように何かのコンテンツを楽しもうか。僕は一昨日、早苗と熱い一夜を共にし、晴れて恋人となった。しかしながら恋人と言ったって距離感というものが必要だ。いつもべたべたしているようなカップルは破局目前とも認識されるように人間である以上自分の時間を得る事は大切だ。それは僕だってその御多分にもれない。さて、どうしようか。

 あっ、虫。いや、飛蚊症か。僕の知覚は統合失調症を経て、非常に凋落した。基本的な登山以外の運動ではいつも周囲に追随する事が出来なくなるほどその様相は病人然としていた。登山以外と言ったのは実は僕は数学者、自然科学者、芸術家であるだけではなく熱心な登山家でもあるのだ。僕が堕落を極め、統合失調症に凌辱され続けた高校時代においてさえ僕は余暇に登山をしたりしていた。一人で登山をしたこともあれば、母親同伴で登山をした事もある。大学時代は登山サークルに入っていた時期もあり、愛宕山に登った事もあった。コロナウイルスによる社会活動の変動に伴って、実は大学卒業以後一度も僕は登山をしていない。しかしそれでも畢竟登山への情熱は忘れる事が出来なかった。そうだ、幸い資金もある事だし、登山に行ったついでにどこかの温泉宿に泊まっていこうか、一人旅というのも良いかも知れない。僕は自分の関西弁や地方への辟易から実は上京する事を目標として今現在仕事に従事している。まあとにかく、僕は関西弁の否応なしの脱却という意味でも東日本に憧憬しており、首都ではないものの東日本へ登山を行く事は今後の僕の活動性を並々ならぬ加担をする一大因子となるかも知れない。今日は無理だが来週にでも一人旅に行こうか。早苗を誘っても良いが。

 僕は今まで僕が勉強してきた事柄に目を向け、色々と思索に耽った。哲学では大学入学以前に既にフロイトの「精神分析入門」をバイブルにしていた。卒論で使用した哲学者はフロイト、ヘーゲル、カント、ユング、デカルトだ。分野も出身もてんでばらばらの烏合の衆達であるが僕は彼らの思想を一つの卒論に集約した。その論文は教授達にさえ理解されなかったし、反論自体も僕の論文をいささかも理解していない上での質問だけであった。似たような研究をした精神科医の論文があると口頭試問の際にある教授から言及された。ガロアの論文がアーベルの同様の方程式論と似ていた為、コーシーという、フランスのガウスとも言われていた大数学者が彼にそれを教えたというある説がある。その真偽は定かではないがそれと同じような事を僕はされたのだろう。しかしそれは僕の名誉や自尊心を傷つけるものではなかった。ガロアで思い出したが、ガロア理論というのはべき根における対称性、正規部分群、別名ガロア群と呼ばれる代数方程式特有の性質から五次以上の代数方程式には代数的な解の公式を持たない事をアーベルルフィニの定理という先行の研究の簡略化という形で完璧にガロアは証明した。この際に用いたガロア群を用いた一連のガロアの証明は当時革新的、天才的すぎて、ほぼ誰にも理解されなかったものだ。カテゴリー論的操作により代数方程式の代数的な解の成立条件を探ろうとしたのは代数方程式の解の公式が何から構成されているかという原点回帰のアプローチであった。代数方程式の係数の四則演算、ガロアリゾルベントという分解式による有理式、そして最後にべき根を用いた有限体、この三つだけが楕円モジュラー関数などの超越的解を除いた代数方程式の解の公式を構成するものである事をガロアは発見し、さらに生涯でガロアがポアソンに提出した三度目の論文においてべき根の場合はガロア群という群、グループという概念の応用が重要である事を発見し、ガロア群自体も一つの定理として発見した。そして置換群の性質、これは現代の代数幾何学や位相幾何学、集合論などでも使われる事で、巡回置換や恒等置換、奇置換、偶置換などの骨子となる置換からこの性質をガロアは証明した。ガロア理論は幾何学の対称性や、物理現象の対称性を記述するツールとして現在の数学や自然科学の基礎として発展した。これはガロアの死後、20年以上経ってからの事だった。それほどまでにガロアは先駆的な存在であった。しかし真の天才とはそのようなものなのだ。同時代の権威や大衆から即座に理解されるような才能は天才でないか、天才であるにしても天才の中でも水準の低い天才である。思い返せばガロアが20歳で決闘で夭折するまでに、10代にして、このような大理論をガロアは発見していたのだ。ガロアの学校での成績は不振であった。数学に至っては「並」の評価であったようだ。しかしガロアは既存の学校教育や学校そのものの枠にはまらず、のみならずよく教師に反抗したり、校長を嘲笑した記事を書いて放校処分を受けたりしていた。彼自身も学校は苦手だったのだろう。 

 僕は10代の頃も、確かに真の天才であった。周囲の人間はそれに気づかなかったし、僕より頭の良い奴は生徒にも教師にも誰一人として存在していなかった。統合失調症は僕の研究を阻み、ガロアのように早期の段階において研究成果を上げる事は出来なかった。高校自体も僕の逆鱗に触れたり、療養の夾雑物になったりしていた。とにかく統合失調症になった後に、無理やり混沌の全日制高校に通学し、高校生活を全うする事は甚だ予後の悪くなるような対処法で僕にとって何の得にもならなかった。しかし20歳からの3年間の豊饒の期間で僕はそのような超天才ガロアやガウスやオイラーやニュートンやアインシュタインを超えた。流石にイチローや大谷翔平などは分野が違うので比較できないが。まあそういう経緯もあって今現在の僕は学問的功績の上で芸術家として屹立している。天才を理解するにはタイムラグが必要であるから僕の豊かな応用性重要性を持つ仕事については結果待ちという事だ。

 ところで僕は視覚過敏である。これは20歳の頃から突如僕の人生に躍り出た。俺以前にも親からの遺伝と現代人御用達の携帯などの電子機器によるブルーライトの影響でかなりの近視であった。視覚過敏、羞明という症状はどうやら精神薬や眼球そのものの影響でないことが医者からのお墨付きで判明した。まあ暇だし、今から僕が20歳の視覚過敏発症の契機となった精神病院入院時代を思い出してみようと思う。とてもエキサイティングな体験だ。

 僕は今ケースワーカーの車によって精神病院に運ばれている。僕の母親も同伴だ。僕の母親は過保護で統合失調症で懊悩している僕を救おうと昔から孤軍奮闘してくれた。彼女がいる事は僕にとって心強い。僕は精神病院入院によってどうにか人生が好転する事を祈っている。疾駆する車外を見た。見知らぬ景色ばかりだ。僕は京都ではあまり散策したり冒険した事がないので非常に新鮮に感じる。僕の郷里の和歌山県田辺市に比べればかなり違う。どう違うかというとニューヨークとケンブリッジくらい違う。まあ冗談はさておき、僕はこれから精神病院への入院の手続きをする。もう僕の通院先の精神科から入院予定の通達はなされている。僕の主治医もこのままでは一人暮らしも破綻し、勉強もままならない、大学は何年かかって卒業しても良いから今は入院した方が良い。君の和歌山で受信したヤブ医者の精神病院への閉鎖病棟に近いイメージは調子外れに時代錯誤なので、安心して精神病院への入院をすれば良い、と大体このような趣旨の事を僕に言った。僕はこのまま不確定要素の高い生活を戦々恐々と送るよりは精神病院に入院した方が良いと彼に賛同する考えを持つようになった。さて、病院の清潔な廊下を渡り、問診表を記入した、そして診察が始まるまでさしあたり待機せよとの事だったので僕は母親と一緒に待合室で待機した。ケースワーカーは多忙だとの事で僕たちを車で送った後はどこかへ行った。そして数分経過した。僕たちは診察に呼ばれた。その診察において僕を担当する医師は君は前のヤブ医者が言ったように自尊心が高いのではない。知能が高いのだと言われた。わざわざ診察の際にそのような用意周到な言葉を言う医者はあり得ないから僕は彼の言葉を事実として受け入れた。とりあえず1か月間程度入院する手筈が整った。当時の僕の身長は178㎝だったので身長は178㎝だと言った。体重は度重なるストレスに伴う絶食により標準体重程度まで落ちた。したがって僕はでぶっちょではなくなっていた。体重も伝えた。そして色々あって僕は病室に案内された。当然相部屋である。僕は自由時間に病院付設

の売店まで論文執筆の為のノートとペンを買いに行った。万が一に備えて病院の一隅には患者各人の外出記録をつけていた。郷に入っては郷に従え、僕は病院内の規則に隷従し、病院に隷属した。僕は入院の為にある程度のエゴイズムは放棄するつもりだった。僕は少なくとも主観的にはその事をやむなしとして受け入れていた。

 僕は病院内では今とは違い短髪だったが非常に可愛い可愛いと言われていた。病院内では一眼レフで年増の女性から真正面から臆面もなく写真を撮られたり、眼鏡美女だの、中出ししてだの、または性的な事など玉石混合の扱いを受けた。中出しなど以降の実例はもしかすると僕の統合失調症の症状かも知れないので確信は持てない。また僕は病院内ではテレビを見たりした、生活リズムに服薬のタイミングが合致しないとの事で特例で僕だけ服薬時間を臨機応変に変更してくれるように頼んだら、その要求は飲まれた。また最初の内は携帯は9時以降の就寝時間以降には没収されたのだがその没収が何故かなくなった。看護師たちもわざわざ取りに来るのが億劫だったのかも知れない。また携帯の充電器が壊れた。僕は破壊神の如くよく壊す。多分僕は機械の好敵手なのだろう。そして面会に来たケースワーカーの、長身でイケメンの先ほど車の送迎で触れた職員がわざわざ僕の充電器を買いに行ってくれた。携帯なしでは辛かろうとの事だった。恐るべき聡明な慧眼である。実際僕の入院生活は携帯を除外すればあまりにも無味乾燥過ぎる。

 僕は入院生活で3人の患者と親密な仲になった。彼らは若く見える者もいたが僕より軒並み年上であった。しかし僕たちは何度も暇つぶしで話すうちにかなり打ち解けた。僕と洋楽の趣味のあう人も中にはいた。僕はその彼と開口一番にガンズアンドローゼズの話をダメ元でふかっけた。すると彼はガンズを知っていたらしく、のみならず重篤なヘヴィメタリスナーである事が判明した。僕は彼と音楽の話をした。飽きもせず何時間も。彼は僕の事をギラギラした目をしている、若いころのアクセルローズのようだと激賞してくれた。僕は彼のような仲間がいる事は非常に心強かった。それまでは僕は作業療法の時間に一心不乱に論文を書いているだけの大人しい男だった。サングラスをかけた時にはオジーオズボーンみたいだと言ってくれた。彼はよくメロイックサインをしていた。後に仲良くなった人たちとは何となく適当な会話をして過ごしていたが僕とその洋楽好きの彼は当時の僕にとって象徴的なまでの閃光であった。またその彼からは「女の人よりかわいいって凄いですね」と言われたりした。まあデブだった時の不細工染みた顔面よりまだかわいいと言われる方が嬉しい。それも女性の専売特許である可愛さを一部の人たちの価値観とは言え超越出来るとは。二度くらい大学に病院から通学した時もモデル級美女とか言われたり写真を撮られたりしたな。確かに僕は自他ともに認める女顔美形だが正直他人から言われる程の美貌を持っているとは思っていなかった。つまりルックスにおいて彼らと僕とでは齟齬があったのだ。しかし僕の幻聴は一時的には静謐であったものの、急にかつての勢いを取り戻した。

 僕を謗る言葉はありもしない方向からありもしない形式をとって僕の聴覚に乱入してきた。僕はただ怯えるしかなかった。その原因が病院にあると妄信した僕は医師に退院したい旨を端的に伝えた。医師は了承した。そして退院直前の日には統合失調症のレクチャーがあり、統合失調症は蝶の繭の如き自我障害であり、遺伝的な相関関係はないというその頃の精神医学の知見を資料を巧みに用い、説明してくれた。僕はそこで独自の意見を述べたりした、学校教育の秩序の中にいた時よりも活発に意見を言う事が出来たと現在でも自負している。

 僕はそういう訳で退院という節目を迎えた。折しも退院直前に精神障害者共同移住施設、グループホームへの入居の準備が整っていた。僕はそれから間もなくグループホームで生活する事になる。最初は歓迎パーティーのような事をされた。僕はその気持ちは嬉しいが僕自身の五里霧中の前途が頭から離れず素直に喜べなかった。入居者の一人に僕が苦手な人がいた。彼は頻繁に僕を食事に誘ったり、支離滅裂な言葉のサラダを僕に投げかけたりしていた。僕も健常者から彼のように見られていると考えると底知れぬ恐ろしさを感じた。僕はこれ以上統合失調症の深淵にはまってはいけない。そのようなもう一人の僕からの警句が頭の中でこだましたのを僕はひしと感じた。僕は彼が悪人でない事は知っていた。だからこそ、彼を避けるのは非常に心苦しい事であった。これは脚色抜きである、針小棒大な表現ではない。二度同語反復したのは強調したいからだ。僕は一風変わった精神疾患者を糾弾したり弾圧したりしたくはない。そもそも僕もその一群なのでありそのような扱いを受ける事がどれくらい辛いかを体験してきた。だからこそ心苦しかったのだ。身近に社会の山積した問題に接する事は中々感慨深いものである。今現在も一応障碍者雇用という枠で雇用してもらい、そこで一生懸命働いてもらっている。がしかし、あの頃のような感じとは疎遠である。無論自分からそのような精神疾患にまつわる諸問題に飛び込んでいく度胸は今の僕にはない。僕はあのような独特の緊迫した状況に飛び込む勇気はない。僕はこれまで勇猛果敢に僕の思っている事を自然主義の法則性に即して述べてきたつもりだ。

 そういう訳だ、もしかすると読者には難解な怪文書のようなものに思えるかも知れない。僕は説明不足という悪癖奇癖があるのだ。意識的にそうった傾向を今更是正する事は出来ない。僕は今多くの脳髄で考えた事を綿密に示している、それらはある程度超自我の検閲はあったものの、性描写の試みなど、僕にとって新しい、非常に非難される恐れのある事をやってきた。これ程までに僕が自分の経験を如実に筆記したのは僕のブログを度外視すれば極めて稀なものである。僕はずっと統合失調症として白眼視されてきた。それは思い込みによるものであったり、奇行や奇異な雰囲気によるものであったりファクターは多種多様である。しかし僕からすればそれは人生を僕なりに享楽しているだけなのだ。過去の文壇の豪傑達の作品を拝読した際に僕はまず自分自身を改造する必要はあると思った。理論的に無理な曲解や偏見などはもはや僕の独力で打開可能な範囲を超越している。それは他人に任せるしかない。持ちつ持たれつが人間関係の中枢だ。日本人は病的な自己責任理論、集団主義、同調圧力があるからその辺のリテラシーがまだ足りない。

 僕は文章表現が拙劣だ、パーソナリティが反社会性のものであるし、統合失調症だ、そして何より中学時代は酷い文章力と言われたり、高校時代は国語の偏差値が22だったりもした。そういった諸因子があって幾分伝わりづらいものはあると思うが、それは堪忍してほしい。もっとも、僕自身も自分の未熟さを甘受した上でこの物語を書いているのだからある程度難色を示される覚悟はある。

 さて、ここまで考えている中でいつの間にか夜になった。食事は実は先ほど買いに行ったので支度は万全だ。入浴をする。何かのハウリングがさっきからする。これは言うまでもなく統合失調症の症状である、皮肉なのがその反響が肉声となって神出鬼没することである、これには流石の僕も慄然としてしまう。まあそんなこと考えている内にシャワーは終わった。僕の文章の間隙では形式上は無として表現されるからここまで展開に緩急がありすぎてついていけなかったりするだろう。また時系列もかなり玩具扱いしている節がある。僕はそういった傾向が前衛的とも言えなくもないが、しかし似たような事は先達達が散々やってきたものである。

 入浴も夕食も済ませた。今の時間は夏の湿潤な暑さと睡魔がある程度僕を襲撃するまでの暇との闘いである。早苗に連絡しようかと思ったがあまり連絡がしつこいと愛想を尽かされてしまう。良い男は極限まで相手の状況を慮って臨機応変な対応を取るべきだ。まあそれはおそらく報酬付きの格率でありカント的な認識論を挿入すれば仮言命法であるに相違ないのだが。しばらく時間が経過した。僕は向精神薬をしつつ、この夜に溶けていこうと思った。この錯綜した世界を生き抜くためには強靭であらねば、それに僕には早苗がいる。大丈夫だ…その後の事を僕は覚えていない。夢がそうであるように無意識の世界と現実の世界が混在しているのかも知れない。

平日が始まった。僕は外の蒸し暑さ苛立ちを募らせながら僕の自宅から目と鼻の距離にある職場に赴く。僕は職場の安価かつ健康的な給食を食べ仕事の時間が来て業務を始めた。タイムカードは職場に到着した時点で押すのが規則であって僕もそうしている。特にその規則に抗するような理由もない。逆にさしたる理由もないのに反骨心だの反体制などを心の中心に据え、ただ無作為に反抗していく程の胆力を僕は生憎持ち合わせていない。統合失調症の発症の9年目、流石にそのような気迫ある行動を取るには歳を取り過ぎた。僕は徒労に終わる事が自明な事柄については、これは健常者でもそうだろうが実行する士気が喪失してしまう。これが大人になったという証左なのだろうか。かつての狂気の萌芽は今や僕の万事においての養分を吸い取り、大樹となった。この大樹は屋久杉級の大樹である。

 多分早苗は僕の実情に愕然として白眼視したりすることはないだろう。僕はそれを信じている。そう考えながら僕は浴室の清掃を行っている。この間は何かを考えながら作業せずにはいられない。僕は仕事を無心でするような修行僧ではないからだ。何故か僕には他人に影響を与えるパープルヘイズ級の細菌を持っているらしく、僕を意識したり敵愾心を燃やしたりする若者を街の中でも散見する。無論これは単なる妄想の一種である可能性も十分に想定される、したがってこの文章そのものが僕にとっての病気の症状の経過そのものである。医師に見せたら途端に分析対象とされるおそれのある文章である。しかしそれでも良い。僕は人と話したい。数日前早苗と話した時間が恋しい。もっと早苗と話したい。早苗。

そして僕は何度も何度も同じような日々を過ごした。平日なんてそんなものだ、資本主義の犬であっても、そうでなくても大抵の大人は労働を生活の中心に据えている。水商売だろうが、闇金業者だろうが、ヤクザだろうが、マルチ商法だろうが。僕は自身が大人の成員であるという事実を今やなす術なく受け入れていた。昔僕は童話のような奇想天外な人生を良くしていたものだがむしろ僕はそういった絵空事よりも今の現実の方が性に合っているように思える。とにかく、今日はまた土曜日だ。僕は昨日早苗に連絡を取った、一緒に今日は科学博物館にデートに行くつもりだ。科学博物館、非常に楽しみだ。彼女と僕とは少し趣味が重複しているところがあり、そういうところも僕には非常に安心感を覚える。彼女のお姉さん的な並外れた長身、丸みを帯びた僕とは決定的に違うスタイル、そのプロポポーションも抜群だ。僕は市バスに乗り、彼女の豪邸付近のバス停に降りた。市バスに乗るのなんて慣れたものである。そして若干起伏のあるような路地を通り、やや閑散とした住宅街を抜け、僕は遂に彼女の家についた。インターホンを押す。「はい?どちらさまですか?」魔訶不思議にも彼女の家のインターホンにはモニターがないらしい。僕は「僕だよ。凌我」と言った。「よく来たね、あがって」そう彼女が言うとドアのロックが解除される音が聞こえた。僕はドアを開けた。すると入り口付近に早苗が満面の笑みを浮かべ佇立していた。「おはよう凌我」

「おはよう。しかし知らなかったよ京都に科学博物館なんてものが出来てたなんて。何年も京都にいたのに。灯台下暗しとはよく言ったものだね。科学博物館ってどんなものが展示しているんだろう」

「なんでも科学史に基づいて、様々なモニュメントや資料が置かれているらしいよ。凌我は自然科学者だったよね?好きな科学者とかいるの?」

「そりゃいるよ」僕は反射的に言った。

「第一に僕のこの長髪も万有引力の発見で知られるアイザックニュートンの長髪を意識したものだし。大学時代はガウスやオイラーの理論を専門的に独学していたくらいだし。それに僕が懇意にしている特撮映画でラグランジアンなんて言葉が出てきた時は興奮のあまり僕のリビドーの亢進を抑えられなかったね。ラグランジアンってのは解析力学の一つの単位系の事ね、運動エネルギーからポテンシャルエネルギーを引いた物理量だよ。ジョセフルイラグランジュって科学者が提唱した概念さ。彼の運動方程式、変分法という概念でニュートンやライプニッツの微積分をさらに応用した微分方程式は現在物理の世界で多分に応用されてるよ。同時期にオイラーも同じ運動方程式を発見したから解析力学では彼らの名を関したオイラーラグランジュ方程式なんてものが物理学屋の人口に膾炙しているよ。同じような物理量を表す際にハミルトニアンなんて言葉もあるね。これはアイルランドの天才、ウィリアムハミルトンという天才が作ったハミルトンの生準方程式、別名ハミルトンヤコービの方程式と呼ばれるものを記号化したものだよ。他にもマクスウェルの電磁気学なんてものも良いし、そこから発展したアインシュタインの特殊相対性理論、世界一美しい方程式と言われるE=mc²の方程式も素晴らしいね。まあ僕は個人的にはニュートンの運動方程式であるF=maも素晴らしいと思う。ニュートンの絶対空間における重力は逆二乗の法則が働いて段々と力が変化したりするんだよ。aは重力加速度で、mは言わずもがな、質量ね。重力は惑星ごとに違う事は周知の事実だけど。アインシュタインの一般相対性理論における重力、電磁的慣性もびっくりしたよ。その美しさに目を見張る。リーマン幾何学の宇宙における応用、スカラー曲率、リッチテンソル、などを用いたアインシュタイン方程式、特殊相対性理論の光速度不変の原理からよくこのような気宇壮大な理論が思いついたものだ。まあリーマン幾何学ってのは四次元を追加した微分幾何学の一分野みたいなものかな、微分幾何学はガウスが創始したんだけどね。ガウスもすごいよ、数学史上最高の天才なんて呼ばれながら電磁気や、気象学、天文学の分野でも桁外れの才能を遺憾なく発揮した。また中学生なら知っているような力の平行四辺形なんてものも良く出来てると思う。いやあ、素晴らしい、なんて科学史は素晴らしいんだろう」僕は喋りながら恍惚の表情を浮かべた。傍から見れば完全な変態であり、性的倒錯者である。なんとも禍々しい、僕のようなおじさんが年甲斐もなくはしゃいでいる。駆け巡る僕の脳内物質、ベータエンドルフィン、チロシン、エンケファリン、バリン、リジン、ロイシン、イソロイシン!

「すごいね。正直凌我の言ってる事途中から分からなかったよ。流石、百戦錬磨の科学者も伊達じゃないね。君の実力を垣間見た気がするよ。まあとにかく君の児童のように輝いた眼を見たら私もわくわくしてきた。一緒に楽しもう」

「うん」

「じゃあ行こうか。私車持ってるから、外車だよ、BMWだよ。凄いでしょ?」彼女は自慢げに胸を張った。その巨大な双丘を見ると僕は興奮してきた。勃起するとまずいので僕は目線をそらしながらこう言った。

「ご飯はどうするの?」

「外食にしようか。何食べたい?」

「昼は定食、夜は焼肉かな」全く分不相応のプリマドンナである。何故僕がそのような偉そうな口をきけるのか。若干僕は自分の卑俗さに閉口した。そして僕たちはまず腹ごしらえという事で科学博物館付近の定食屋に向かった。ドライブなんて久方ぶりだ。そういや、僕は高校生と大学生だったときに実家に帰って祖父母からの寵愛を受け、よくドライブに連れて行ってくれたっけ。なつかしい、今現在でもたまに祖母とは連絡を取っている。僕は彼らが死ぬことを考えれば本当に胸が苦しくなる。そんな事想像するだけで肺腑を抉られるような衝撃だ。彼らには大往生してほしい。彼らが死んでも、僕は彼らの強さを決して、片時も忘れない。そうする事が死者への敬意であり、殊勝な弔いであるに相違ない。僕はそんな事を考えていた。彼女とのデートにおいてなんて場違いな事を考えているんだ僕は。これじゃ完全にクレイジーガイじゃないか。そうしている内に定食屋に到着した。何やら豪華そうな、高級そうな外観の定食屋である。僕たちは車から降り、店内に入った。そして席に座った。客層は非常にリッチだった。高級そうな背広の重役のような人間もいれば、中々の美女もいた。人数はそれ程多くなかったが、かえってその事がこの料理屋の格式高さ、風格の上等さを示しているように僕には思えた。しかしそのような他の客と比べても彼女の美貌は光り輝いていた。186㎝の長身もそうだが、何より天使や女神のような可愛さと綺麗さを兼ね備えたその顔の端正さを引き立てる道具として周囲の人間は機能しているような錯覚さえ感じた。

彼女は微笑を浮かべながら言った。「何食べる?」

「月並みだけど、かつ丼かなあ。セットは味噌汁もついてるわ、おかわり自由か。よし、かつ丼定食にする」

「私は海鮮丼かな」彼女は店員を呼ぶボタンを押した。すると店員は即座にやってきた。そして僕たちは注文をした。僕はかつ丼を食べた。かつ丼の味は非常に洗練されていた。誇張抜きでこれ程までの絶品なかつ丼を食べた事はなかった。かつ丼なんて男なら頼みがちなカロリーの高い食事だ。しかし僕は本当に満足した。僕のような食通でさえそう思う。

「ふうー。食べたね」彼女が言った。僕たちは二人ともいつの間にか食事を完了していた。

「うん、味噌汁も3回もおかわりしちゃったよ。店員から変な目で見られてないかな」

彼女は苦笑した。「見るわけないでしょ。客は食べれば食べる程店の経済活動に少なからず貢献しているんだから。マルクス思想じゃないけど」僕はそれが最もらしいものに思えた。「しかし186㎝もの体躯の割に、あまり早苗は食べないんだね」

「身長はあまり食事に関係ないんじゃないかな、そういう205㎝の凌我だって意外と大食いじゃないんだね、驚いたよ」僕たちはその意外性も味わった。

「凌我って父親似、母親似?前から女顔美形だと思ってたけど、どっちに似てるの?」

「母親かな、実は近視眼も母親からの遺伝なんだ。僕のお母さんはジョディフォスターに似ているよ。最近は老齢でかつてのような美人でなくなったけど。それにね、僕が統合失調症で苦しんでた時も僕のお母さんは懸命に僕にかまってくれたんだよ。この恩義は絶対に忘れないよ。いつか、僕の書いた論文の重要性が一般に認知されて、莫大な富を得たら、その資金の一部は両親に渡そうと思っている。僕は闇雲に彼らに苛立っていた事もあった。僕はその事が本当に申し訳ない。いつの世も両親ってのは偉大だよ。僕のお父さんもよく家族旅行で僕たち家族を牽引してさ、非常にエキサイティングな場所にも行ったし、勉強にもなったよ」

「そっかあ、凌我は愛されてるんだね」

「うん、そうらしいですね」

「じゃあ食べた事だしそろそろ出よっか」

「そうだね」

僕たちはいそいそと店の外に出た。彼女に聞くと科学博物館はここから3km先にあるらしい。そして僕たちはそこを目指して車に乗った。

 科学博物館についた。入り口には誰かの趣味だろうが、正多面体が置かれていた。すると僕は即座に自分の蘊蓄を語り始めていた。「ねえ、知ってる?正多面体ってのは群論と不可分なものなんだよ。群論ってのは偉大でね、現在の科学の対称性を示す概念として幅広く利用されているんだ。量子力学などのヒルベルト空間や、相対性理論のローレンツ群などにもね。もっとも相対性理論は他にもマクスウェルの研究やハミルトンの研究、微分幾何学などもふんだんに利用されてるし、量子力学についてもアインシュタインの光量子仮説を発端として、ハイゼンベルクの不確定性原理、シュレーディンガー方程式、プランク方程式などの他人の研究がないと成立しなかった。昨今では全くのオリジナルで論文を書くことなんてご法度だよ。僕の論文も全くのオリジナルではないし。あのニュートンだって、ガリレオやケプラーやコペルニクスの観測やら実証やら理論やらがなければあのようなニュートン力学なんて作れなかった。大言壮語を言うようだけど、どんな天才であれ鈍才であれ僕たちは人間である以上社会と無縁でいる事は出来ないのさ」

彼女は感心したようなそぶりを見せ、言った。「凌我って博識なんだね。本当に毎度のことながら感心しちゃうよ」

 僕たちは入館の手続きを済ませ、さらに内部へと進んだ。中には原子爆弾の模型、偉人たちの肖像画とそれに付随した解説文。何やら剛体の性質を示す為かコマのようなもの、コンピューター、そして立体の地球儀の模型、ロボット、他にも様々な展示物が置かれていた。僕の知的好奇心はここで最高潮を迎えた。なまじ科学知識があるだけその仔細な内容も明晰に理解できる。また、原本だか知らないが、古めかしい外国の書物が置かれていた。接触をする事は出来ないにせよ。僕は展示物をひたすら凝視していた。ニュートンのゆりかご、天体望遠鏡、電子顕微鏡、DNAの二重らせん構造の模型、リービッヒ管、保存されているトリニトロトルエン、動物の剥製、恐竜の骸骨、僕はまるで悠久の安寧な時間を過ごすようにそれらを見ていた。早苗と何か会話をしたような気がするが生返事ばかりで、僕はその内容を明晰判明に覚えていない。

 また数式なども書かれていた。マクスウェル方程式でお馴染みのネブラ、それにベータ、ガンマ、ゼータ、グザイ、イプシロン、パイ、シグマ、指数関数、対数関数、三角関数、行列式、線形代数、アーベル群、偏微分方程式、飽きもせず僕はそれらを眺めていた。登山家が風光明媚な大自然を山頂で見るが如く、僕も同じような琴線に触れるような思いをした。僕は自分の情熱に犯され、いつの間にか先ほどまで僕をリードしていた彼女との立場が逆転して、今度は僕が彼女をリードするようになっていた。彼女は満更でもなさそうだった。

「凌我って普段は草食系だけどいざという時はリードしてくれるのね。そういうとこも魅力的よ。私、女としての幸せを堪能しているようだわ」そんな事も彼女は途中で言っていたような気がする。そして光陰矢の如し、あっという間に午後7時前になっていた。流石に僕も疲弊した。僕たちは博物館を出て適当なベンチに座った。「今日はありがとう。私本当に充実した一日を過ごせたわ。私はこれまで2人くらいの男の人と付き合った事があるけど彼らと凌我とは段違いね。凌我、可愛い顔して、結構情熱的なのね。話には聞いてたけど本当に自然科学者なのね。何かに一生懸命になってる君が、本当に私は大好きよ」彼女は頬を赤く染めながら言った。その顔は本当に美しく、芸術的だった。しかし彼女には毎度驚かされる。素面でよくそんな恥ずかしい言葉を言えるものだ。これは別に婉曲的な反語などではなく心の芯からそう思うし、それゆえ僕は彼女に畏敬の念を抱かずにはいられない。本当に、すごい人を恋人にしたものだ。僕は自分の統合失調症としての数奇な運命をもはや思い巡らす事さえしなくなっていた。僕の心は彼女が救って暮れた。彼女は僕と過ごして満悦そうだが、それは僕だって同じ事だ。僕は童貞のまま23年もいた、その間恋愛に対して臆病になってはいたものの、まさかこれほどまでに円滑に一つになって、デートが出来るとは。僕は色んな意味で余韻に浸っていた。そしていよいよ外は本格的に暗くなってきた。

「ご飯にしよっか。確か注文は焼肉だったかな?」「うん」「じゃあ行こう」また彼女が僕をリードする立場に戻った。僕は彼女をリード出来ない事が男として腹立たしかった。しかしそんな事を考える事は無益以外の何物でもなく、最愛の人とのデートを台無しにするような愚行だと思い、悲観的な思考を辞めた。恋愛、古今東西の人間がその様子を物語にしたり神話にしたり、時折ミュージカルにしたりしながら表現してきた。僕は恋愛からは蚊帳の外にいるような疎外感を23年間ずっと感じていたのだが、今や僕もその極めて人間らしい文化生活の一端を担う人間になっているような気さえした。

 なんやかんやあって僕たちは焼肉屋についた。僕たちは席に着いた。デジャヴを感じた。そして僕たち一連の注文をした。ホルモンを僕は食べられないが彼女はホルモンが好きだとの事で頼んでいた。多くの肉を頼んだが、僕は瀬戸内海級の空腹に犯されている。飢餓に苦しむ難民のように。などと馬鹿な事を考えている内に肉が来た。雁首揃えて肉は僕たちに焼かれる為に運ばれてきた。僕は一応大きいライスを注文していたのでそれも来た。僕たちはトングを使って肉を無言で焼いた。まるで僕たち二人は剣を作る鍛冶屋のような、そんな職人的な魂が乗り移ったシャーマンであるように感じた。しかしながらこれは僕にとってとりたてて気まずいという訳でもなかった。聡い彼女もそれを理解しているだろう。しかし早苗の真剣な顔は本当に眼福だった。僕にとっては肉よりも彼女のその姿の方がありがたく感じた。僕は焼けて赤い箇所のなくなった肉を取った。そして口に運んだ。肉は僕の口内で溶けていった。本当に美味しい。和牛は世界でもブランド物として定着しているような人気な食べ物だが、本当に美味しいよ。ていうか「これ、和牛だよね?」僕は早苗にそう聞いた。早苗は「うん、そうだよ。確か近江牛だったかな。説明のとこに書いてた」僕たちは肉を食べながら色んな話をした。

「凌我って精神科に通ってるんだよね当然。デイケアとかは行ってるの?」

「昔は精神科付属のデイケアに足繁く通ってたけど今は行ってないな。なんだか僕はデイケアが怖くなっちゃってさ。その訳は筆舌に尽くしがたいけど。そういやデイケアには東大卒の男性もいたよ。それに僕はデイケア主催のクリスマス会でブラックサバスとビートルズの曲を演奏したんだ。僕はリードボーカル兼リードギターを担当した。まるで自分がジョンレノンにでもなったような気さえしたよ。MCも務めてさ。演奏の合間にドイツ語やらを言ってたな、当時としては僕のお手製の諧謔の一部だった。皆僕の演奏上手いとか、魂がこもってたとか、かっこよかったとか言ってくれてたよ。デイケアの女性職員は僕の事可愛いって言ってて評判だったらしい。まあ僕の成功経験かな、ライブは。一応大学のサークルでも演奏はしたけど」

「凌我って対人恐怖症とかコミュ障を自称する割には行動力が卓越しているよね。本当に尊敬しちゃうなあ。それに演奏もしたんだ、すごいね。私楽器は不得手だからそんなことと出来ないよ楽譜も読めないし音楽理論も分からないしさ」

「僕も楽譜は読めないよ、ジョンレノンなんかも確か楽譜が読めなかった筈」

「そうなんだ。ところで凌我が今日つけてた色つきの眼鏡、もしかしてジョンレノンリスペクトの眼鏡?」

「そうだよ、僕はジョンレノンに憧れているんだ。彼のような傑出したカリスマ性を持つ人間は世界でも稀だし、なによりかっこいいしさ。ビートルズではルックスが一番良いのはポールみたいだけど僕は内面を包含すればジョンレノンがビートルズで一番イケメンだと思うな」

「確かオアシスのリアムも丸いサングラスつけてたよね?私オアシスたまに聞くよ」

「そうだね、リアムは破天荒な人物だけど、歌い方なんかもどこかしらジョンの影響があるように僕は感じるな。それの是非は僕の問うところではないので沈黙するしかないけど。ヴィトゲンシュタインも論理哲学論考で言ってたよね、語りえぬものには沈黙しなければならないと。形而上の事については多くを語らない方が良い。沈黙は金さ」

「ヴィトゲンシュタインって誰?」

「哲学者だ。20世紀の巨峰、言語哲学の泰斗。彼は自身の言語哲学において写像理論や心理関数を用いて書物を上梓したんだ。それが論理哲学論考。彼はその著書により、これで哲学上の全ての問題は解決したと言って一時期小学校教師になったり庭師になったりしたんだけど、結局ケンブリッジ大学に招聘され、論理哲学論考が博士論文として受理され、彼はケンブリッジで教鞭をとることになったんだ。ケンブリッジ大学と言えばニュートンやホーキングなどを輩出したトリニティカレッジが有名だね。まあ彼は死の少し前哲学探究っていう書物を記したんだ。その中では言語ゲームなんてコンセプトも提唱されたみたい。また、写像理論にかんしては世界は事実の総体であって物自体は認識されずあくまで写像として人間の脳髄に出現すると述べたんだ。その研究がラッセルやフレーゲの固有名や確定記述句、記号論理学、数学基礎論なんかにも多大な影響を与えたんだけど。まあヴィトゲンシュタインは哲学者になる前は工学の研究なんかもしていたみたいよ。プロペラの研究なんかもしたし、物理学者ボルツマンの下で指導を受けたかったけどボルツマンの自殺によってそれは成就されなかった。そのボルツマンはエントロピーの研究、熱力学の研究において統計力学を組み入れた方程式を提唱したことで有名だよ。ボルツマン定数も彼によって発見された。またさっきの博物館でも色んな物理学者がいたね。ガロアの生命に関わったフーリエは電気工学では不可欠なフーリエ級数やフーリエ変換で知られているし、ポアソンは統計学のポアソン分布、コーシーはコーシーコワレフスカヤの定理やコーシーリーマンの定理などで有名だし。まあフーリエ、ポアソン、コーシーは別に今の話題に関係ないけど」

「凌我と話しているとこっちまで賢くなったような感じがするよ。本当に凌我は大した人だよ。天才という呼称すら陳腐なものに思えるよ、凌我を考えれば。高校時代から頭良い事は分かってたけどまさかここまで頭が良いとは。才能は大学で開花した感じ?その、物理学とか数学とか哲学に関しての才能は」

「まあ自分で才能が開花したなんて言うのは烏滸がましい感じがするけど、確かに高校よりは自由に勉強研究出来たかな。小学校から高校までの学校教育のフレームは僕の学習を妨げる要因の一つだった。その邪悪さは統合失調症のそれに匹敵していた。本当なら出来る事なら僕もガロアやパスカルのように10代で研究して何かの大発見をしたかったんだけど、その機会は20歳からになっちゃった。今は芸術家として活動しているよ、頑張ってね。本当に僕は存分に生きた証を残せたと思うよ、いつ死んでも良いってくらいにね」

彼女は一瞬蒼白な顔面になり、泣きそうな顔になりながら言った。「例え比喩表現でもいつ死んでも良いなんて言わないで。君が死ぬ時は私も一緒。私たちはずっと一緒にいるんだから」感極まって声を震わせながら彼女は言った。僕はたとえ冗談でも彼女を不安な思いにした事を心底恥じた。「悪かったよ、そんな意図はなかったんだ」「わかってるよ」彼女は笑いながらそう言った。「ところで」僕は話題を変えるべく開口した。「君はどんな音楽を聴くの?僕はやっぱ60年代から90年代までの英米音楽かな。僕の魂のバンドと呼べるのはやっぱビートルズ、ブラックサバス、ピンクフロイドかな。僕はこの三つのバンドの大ファンでアルバムも持ってるよ。他には有名なアーティストのアルバム、例えば金クスのアーサーとかビーチボーイズのペットサウンズ、ガンズアンドローゼズのアペタイトフォーディストラクションなんかも好きかな。色々音楽聴いてきたけど、僕は邦楽に関しては、僕の少年期を彩ったアニメやゲームの音楽しか聴かないかな。僕は洋楽派だよ。実は音楽愛が高じて、ザガバメントというアルバムを作ろうとしたことがある、コンセプトアルバムだよ、その歌詞は文学的哲学的だった。またザソルロスってバンドも作ったよ」

「私は大抵クラシック音楽かな。バッハとかショパンとか聴く。あとは凌我と同じようにビートルズも聴くよ。君は観た?ビートルズの映画、すごくよかったよ。ネットで有料で観られるんだけどね。ルーフトップコンサートの映像も流れてさ、私思わず興奮しちゃった。ビートルズの音楽はセンスが良いよね。それにロックンロールの型破りで色んな要素を組み込んでる。インド音楽、シタール、フォーク、ハードロック、ジャズ、サイケデリック、ブルース、本当彼らは世界一のバンドに相応しい事をやってきたよ。楽器も弾けないのに差し出がましい事を言って恐縮だけど」僕は彼女の言葉を聞くだけで嬉しい気分になった。彼女の声は声優にでもなれそうなかわいい声である。芋っぽさもなく、本当にその麗しい外見と同様に洗練され、際立った上品さに横溢している。

「そうなんだ、やっぱ僕たち気が合うねえ。君がビートルズを聴くなんて。まあビートルズは今やポップ音楽の権化のようなものだけどさ。誰もが彼らを仰ぎ見ている。彼らは巨星だよ、疑問の余地なくね」しかし彼女は本当に並外れている。容姿は言うまでもないが、専門学校卒だというのに僕の会話に難なくついていける順応性、そして上質な趣味、鷹揚な内面、気配り、僕は彼女には僕の専門分野での勇ましさを除けば大敗を喫している、人間性という側面で言えば。しかしそのことに対しては何ら僕は嫉妬を感じたりはしていない。多分これが恋人通りの健全な心の在り方なんだろうなと僕は思う。もっとも僕の恋愛経験は極めて浅瀬だが。無論加齢とともに容貌は劣化する、知能だって耄碌する可能性も否めない。それでも僕は彼女を見るとまるで無限という概念そのものと相対したかのような神秘的な趣を時折感じてしまう。

 僕たちは食事を済ませた。僕は翌日に予定もないし、彼女の家に泊まる予定でスーツケースに色んな必要なものを詰め込んできた。彼女は車で僕を彼女の家まで走らせた。中途でスーパーに寄ってウイスキーのボトルを買った、大きめのボトルだ。また彼女は彼女のお気に入りだという酎ハイを買っていた。途中で何やら柔和な目をしたおじさんが僕たちに「可愛いねえ、長身のお嬢さんたち」と言ってきた。彼女は苦笑しながら自分たちはカップルだという事を彼に言った。すると彼は「レズビアン?性的マイノリティは世間からの目も冷ややかかも知れないけど応援しているよー」そう言って彼は去っていった。ナンパという訳ではないようだ。おそらく壮年男性特有の人懐っこさが表れたのだろう。僕は野暮な事だと思って敢えて無言で微笑んでいた。

 そして彼女の家に着いた。「今日もエッチする?」彼女は妖艶な不敵な笑みを浮かべリビングでそう聞いた。僕は今日はやめておくと伝えた。もっと溜めてから僕は性交したいのだ。彼女はそれに気分を害したりはせず、そう、と言った。とりあえず飲酒は入浴後にしたいから僕は彼女にシャワーを使って良いかと聞いた。彼女は快諾した。僕は忌憚せずにシャワーを浴びに向かった。僕は様々な事を回顧しながらシャワーを浴びた。今日の科学博物館、すごかったな。中学時代に修学旅行で行った。東京の国立科学博物館よりも興奮した。これは僕が自然科学者だからだろうか?それとも感受性が発達したのだろうか?まあいずにせよ良い経験だった。あんなに興奮したのは幼年期のウルトラマンショーに保護者同伴で行った時以来だった。そうだ、僕は何も変わっていない。僕の現在は単なる置換であり、僕の周囲の秩序は僕の幼年期からの置換群とも換言出来るものなのだ。僕は駄目人間なんかじゃない、僕には早苗がいる、僕には学問がある、僕には芸術がある。そして努力は必ず報われる。これまで何度も神社で今までの努力が報われますようにと祈ったではないか。早苗との再会が神のご加護なら僕の前途有望もまた神のご加護によって開拓される。しかしーと僕は思った。彼女のような女王様を発掘したのは本当に奇跡的だった。彼女は僕のバイアスのかかった、悲観的、退廃的、虚無的な人生観を破壊した。無論それは形而上の事である。しかしこれは僕が逆立ちしても出来なかった偉業である。僕は自分の思考に自縄自縛になって、ずっと苦しんでいた。その破壊を彼女は易々と成功させた。大した娘だよ、僕はそう思った。彼女は僕より一歳年上だが、そのルックスも相まって僕には彼女が居丈高な女王のように思えた。年下だという事が未だに信じられない。

 僕は風呂をあがり、僕の持ってきた就寝用の衣服に着替えた。そして僕は髪を持参のブラシでとかし、長髪故長い時間を要して僕の頭髪を乾かした。そしてその後に僕は彼女のいるリビングに向かった。彼女は超然と読書をしていた。大人っぽくて僕は彼女への愛を膨らませずにはいられなかった。この感覚はいつになったら慣れるのだろうか。「何読んでるの?」「夏目漱石のこころ」こころ、あのこころか。僕は大学時代こころの文学購読の講義を受講していた。僕一人が哲学科で周囲の受講生は文学科であった。しかし僕は文系ではないにせよ文学が好きで、特に当時は古典に拘泥していた節がある。現代のエンタメ小説やライトノベルはどうも、肌に合わない。また他にはディケンズの講義や近代日本文学の講義も受けたっけ。本当に面白かったけど、卒業単位に含まれなかったのに少し落胆したな、まあ良い経験だったから後悔はしていないけど。「早苗はKについてどう思う?」僕はそう聞いた。「うーん、頭はいいけど、ちょっと頑固な感じかな。でも先生にとってKが重要な位置を先生の人生の一隅に占めているのは分かるよ。私は先生程豊かな人間関係を体験した事はないな。先生の周囲にはお嬢さん、奥さんもいた。結局Kの自殺の感覚を尾に引いたまま、先生は高等遊民生活を送っていたんだね。私もたまに高等遊民生活送ろうと思ってる。先生みたいにはなりたくないけど。もう一人じゃ使いきれないくらいお金を稼いだからね。変なものぐさ男が私にしつこく言い寄ってきた事も多いけど、私は彼らが嫌いだった、生理的に受け付けないかな。私は凌我の、優しくてかわいくて綺麗な女顔、そして超天才的な知能、際立つ長身が好き、凌我の内面も好き。本当に凌我は私の理想の男性像そのものだよ」

 僕はやはり、いつになっても彼女の率直な告白癖には慣れられそうにない。彼女はそう言われて赤面している僕を見て、楽しんでいるのがまる分かりだ。僕が初心な事を知っていたそんな事をするのはサディスト的だ。でも不思議と敵愾心は感じない、僕は早苗のそういうところもやはり愛しているのだ。

 「風呂、空いたよ。入ってきたら?」僕は彼女にそう言った。彼女は分かった、そうする、といい浴室に向かった。僕はマウスウォッシュも持ってきた。セックスはしないにせよ、接吻くらいはするかも知れない。否、接吻くらいはしたい。したがって僕は口内戦場をした。僕は僕の自慢の長身美人の彼女を表現したいが僕にはそれを成就させる修辞能力を持ち合わせていない。僕は文豪でもなければ、ランボーやダンテやホメロスのような一流の詩人ではない。僕の統合失調症との記憶は文学とは不可分であった。またジムモリソンにストーカー的な執着を見せ、僕も彼と同じように傲岸不遜に、波乱万丈に生き、27歳で死にたいと願った事もある。それは中二病的とも言えるものであった。しかし自身の作り出した世界に居座るのは当時の僕にとってライフワークとも言える事だった。僕は統合失調症の被害妄想のみならず、そうした文学や音楽に没頭し、次々と自分の感性を涵養させ、妄想の地平を更に拡張する事をしていた。その事に命をかけていたと言っても良い。僕は高校時代、数式を見ると吐き気がした、数式恐怖症のようなものがあるとすれば当時の僕は否応なくそれに該当するだろう。理論物理学者になるという夢も潰えたかのように思えた。とりもなおさずそうした胸中の変遷は僕に理系の世界で惑溺する事を辞めさせたのだ。所詮、理系なんかは机上の空論だ、そうした明白な誤解を僕は妄信していた。文系の世界だって大した事がない事は内心分かっていたものの僕は自分の行動を正当化し、ユダヤ人のように自分が神のような絶対者の寵児であると思い込む事で、どうにか心の不均質、不調和を解消しようとしていた。しかしながらそういった試みは極めて泥沼であり、僕の統合失調症の病状を更に悪化させる事に何らの抵抗力も示さなかった。

 僕はずっとびくびくとしていた。長い間ずっと。現在それは下火になったものの、少しでも無理をしたり燃え尽き症候群で虚脱感に襲われたりすると、幻聴の悪夢がまた僕の下に来たりする。来る?いや発生するのだ。それは僕たち有機体の内部に孕むものの現れだ、そしてそれを表出させるのはフロイトの晩年に言ったような死への欲動、デストルドーなのだ。

 そんな事を考えている内に彼は入浴を終え、リビングに返ってきた。「何してたの?」彼女は僕に聞いた。「ぼーっとしてた。でもこのぼーっとする事って脳科学的に言えば独創力や閃きの土壌らしいね。ニュートンもぼーっとする癖があったみたいだよ」

「そうなんだ、すごいね」そうして彼女は冷蔵庫で冷却していたウイスキーのボトルや酎ハイの缶を持ってきた。彼女の体からはすごく良いにおいがする。僕はこの僕の下賤な嗅覚を恥じた。女子特有の良いにおいだ。性懲りもなく僕はそんな事を考えていた。

「つまみは、これでどう?ピザ」過去のものなのだろうか有名なピザ企業のロゴが入ったケースを冷蔵庫から出して彼女は大型の電子レンジに入れ温めて、ソファ付近のデスクにおいた。そして僕たちはおもむろに飲酒の準備を始めた。僕は酒を注いだグラスを突き出し、ヒステリックに「ルイフィリップに乾杯!」とグラスを突き出し、笑いながら咆哮した。早苗は目を白黒させた。「何それ」「天才数学者のガロアのパロディだよ。ガロアはこうやって国王暗殺企図の容疑をかけられたんだ」「なんだか、きな臭いわね」「確かに」僕は気を取り直して「チアーズ」と言った。彼女も「チアーズ」と言った。僕たちは酒を飲み始めた。このウイスキーは上等なやつだ、値段に見合う程のおいしさを感じる。「あー、うまい」僕は本当に幸せだった。彼女の方もくすぐったそうな顔をして片目を瞑り、本当にお酒って最高ねなどと言っていた。

 「そういえば凌我って大学でどんな勉強してたの?独学の数学や自然科学以外でどんな勉強をしてきたのか気になるわ。何か印象に残った講義はある?

「まあ哲学の勉強から経済学やら生物学やら文学やら政治学やら宗教学やら倫理学やらだよね。楽しかったのはディケンズの講義とか惑星科学とか、進化生物学の講義、哲学概論とかかな。僕の出身大学は文系の大学で理系の学部がなくてね、図書館の蔵書には自然科学や数学の専門書がかなり少なかったね。数学や自然科学については僕は最先端の論文を読みつつ、ネットで用語や証明や定理を調べながら勉強したよ。まだそれらの勉強を本格的に始めて3年間しか経ってないけど。この短い期間で僕程の功績をあげる事が出来たのはこの利便性を追求したユートピアである情報化社会という世相を考慮しても奇跡的だと思う。僕は様々な新しい事を成し遂げた。僕は自分の論文、分りにくい論文を読み解き、その秘めた応用性を審美眼慧眼で見抜き、整理し、理解してくれる人が出てくる事を祈ってるよ。今はもう学問研究をしたくなくなったから小説創作をしたりしているよ。もう正直燃え尽きみたいな感じで、学問研究はしたくないかな」

「そうは言うものの、学問への情熱はまだまだ不滅でしょ?さっきの科学博物館の凌我の瞳、すごく輝いてたよ」

「そう?いやいや、お恥ずかしい」僕は苦笑しながら低頭した。

「恥ずかしい事なんてないよ。そういうとこ、素敵だと思うし男らしいと思うな」

「ところで君は、マイケルムーアのボーリングフォーコロンバインって映画を観た事がある?アメリカの銃社会を批判、風刺したドキュメンタリー映画なんだけど。コロンバインの銃乱射事件を問題的として監督のマイケルムーアが作った映画だよ」

「観たことないなあ。私、ドキュメンタリー映画好きだからまた観てみるね!」

そして僅かの沈黙を経て、彼女は口を開いた。「でも凌我って本当に長身だよね。芸能人やモデル風情なんかじゃ追随できないくらいの抜群のスタイルじゃない。すごく絵になるよ」

「その言葉、そっくりそのまま君にお返しするよ。君のような長身美人、僕は前代未聞だと思うよ」「ずっと童貞だったの?」彼女はそう聞いてきた。「そうだね、まあ僕の病気を視野に入れればそれも否応なく受け入れざるを得ない事実なんだけどね」

「凌我は背高いし、可愛いしかっこいいし多分結構ファンがいると思うよ。高校時代も実は君のファンクラブみたいなものもあったし」

「そうなの?」意外だった。僕に恋している女性がいるという想像に耽った事は往々にしてあった。しかしそのようなものは妄想以外の何物でもない。その上僕には中学時代の優等生としての他を寄せ付けない矜持もあった。本当に、僕に人気が?俄かには信じられない。状況的に彼女が嘘を言っているとは思えない。しかしそれを一たび受け入れてしまえば僕はまた調子に乗って失敗を犯す気がする。そういった僕の性向があるが故に僕はニュートラルな、中庸的な立場を堅持させているのだ。妄想も馬鹿と鋏は使いようという言葉もあるように使いようによっては仕事にも出来る。物書きなんてものはその最たる例である。僕は妄想をこれ以後も大切にしなければいけない。しかし同時に妄想に染まってはいけない。ジョンレノンも言っていただろう。人は夢だけに生きれば、終わりだ。

「君は高校時代、小柄だったよね。それがここまで長身になるなんて僕には思いもしなかったな。両親が長身だったの?」「私の長身は隔世遺伝かな。実はもう死去した祖母が175㎝だったの。30年代生まれなんだけどね。まあでもよく高身長あるあるで服がないだの、ドアに頭をぶつけるだのと多くの人によって言われているけど私、衣服はネットで買うし、ドアにも無意識に頭をかがめているから頭ぶつけないと。ああいうのは正直、長身への誤解に拍車をかけるものだと思うな。まあだからと言ってその情報で不利益を被った事はないし、この先もないだろうけど」

 僕たちはこの平穏無事な時間を一緒に楽しんだ。酒を嗜むのは大人の醍醐味だと僕はつくづく思った。僕は今までただひたすらに自分の生きた証を残そうと私利私欲とも見られかねない生活を送ってきた。統合失調症発症以後はそれがさらに顕著である。人生は因果応報である、僕の努力は必ず報われる、その事が僕はいやに腑に落ちたように思えた。錯覚かも知れないが僕は自分の思考を俯瞰しているようにも思えた。僕たちの夜はまどろみに満ちていた。時間はあっという間に過ぎていった。

 僕は翌日、早苗の家を離れていつもの通り市バスを使って家に帰ってきた。そして何をするでもなく非生産的な懶惰な時間を過ごしているとインターホンが鳴った。僕の部屋のインターホンだ。誰だろう。どうやら宅配らしかった。僕は宅配院からエレキギターを貰った。エレキギターなど新たに購入した覚えがないぞ。はて。などと思いながらケースを開けてみると見覚えのある改造ギターがあった。僕は自分の痴呆に驚きつつ、これが僕のギターであることを認識した。そうだ、僕は確か演奏する際、ストラップがつけられないとの事でギターの突起物を改造してもらったのだ。それ以前にも弦を逆に張るという事を漫然と僕は行っていた。何故そんな事をしたかと言うと僕は左利きのギタリストだったからだ。僕は元来左利きである。学校教育に毒されていた頃は目立つまいとして右利きを装ってはいたものの、ボールを投げる事以外は全て左利きだ。ギターに関しても例外ではない。僕はロックの革命児、ジミヘンドリックスに心酔し、ギターを買ったのだ。その事を鮮明に僕は思い出した。そうだ、バンド活動をしよう。僕はそう思った。

 僕はネットでバンドメンバーを募集した。「ザソルロスという名前のバンドのメンバーを求む。僕と共に音楽活動を楽しみましょう」こういった文面だ。僕はネットの、統合失調症当事者のチャットにそう書き込んだ。一時間ほど経つと3人の人物が名乗り出た。しかもうますぎる話なのだが、リズムギター、ドラム、ベースの三人である。普通こんな風に担当楽器が明確に分かれる事はない。しかも全員男で統合失調症当事者である。僕はまるで宝くじにでも当たったような高揚感で彼らの所在地を訪ねた。全員関西圏のメンバーであった。僕はではあなた方、時間の空いてる日を教えてくれと僕は言った。彼らは異口同音に来週の土曜日なら空いていると言った。僕もその日は空いていた。では一度会って、一緒に作詞作曲をしようと僕は彼らに言った。彼らは全員温和そうな気質であった。ただし全員僕より年配の野郎どもだった。まあ敬語は必須だよね、年功序列的にと思いながら僕は就寝した。

 僕はそれから平日を有機的に過ごした。フロイトは人生とは働くことと愛する事に幸福があるといったが実際その通りだ。僕の人生はその事柄を迎合し、咀嚼し、溜飲を下げる事が出来たのだった。僕は本当に嬉しかった何もかも、こんなにとんとん拍子にうまくいくものなのだろうか、これはもしかすると陰謀ではないかとの考えが頭をよぎった。しかしそのような猥雑な妄想は結局のところ重箱の隅をつつくようなものだ。僕の現実があまりにも理想的過ぎて懐疑的になる気持ちは分かるが、どう考えても嘘や陰謀の存在の証拠を僕は対峙する現実から見つける事は出来なかった。

 そして土曜日が来た、約束の日だ。僕は待ち合わせ場所の某音楽スタジオに赴いた。もしかするとあの大物ユーチューバーのように誰一人として僕の約束を守るものがいないという最悪のケースを想定していたが。じっと自販機付近のベンチに座っていると3人の男がこちらを見て手を振ってくれた。「おーい」僕は驚いた。確か30代の男性メンバーなのだが、彼らが全員女性にモテそうなイケメンであった事、また平均して目視185㎝はありそうな長身であった事、そして彼らが全員あたかも友達の一群であるかのようであった事、大別すると三つの意味で僕は驚いた。「最高のルックスですね」シドヴィシャスのような男が僕にそう言った。「いやいや、あなた方のルックスも最高ですよ」「じゃあ自己紹介しよっか」長髪のポールマッカトニーのような男がそう言った。僕はやや緊張した面持ちで「赤川凌我です。担当はリードボーカル、リードギター、リズムギター。これまで僕は多くの曲の歌詞を作ってきました。今日はその内の幾つかをあなた方に手伝ってもらおうと思っています。これから一緒にザソルロスとして活動していく仲間としてどうぞよろしくお願いします」

「中井雄介です。年齢は38歳。俺も赤川君みたいな新しい音楽ジャンルを作ろうと思ってたんだよ。でも自分では作詞作曲出来なくて。既に赤川君がある程度のコンセプトアルバムの骨子が出来上がってると聞いてびっくりしたよ。俺が赤川君くらいの年齢の時は作詞なんてしたことなかったから。統合失調症で離職するまで、俺は会社員として勤めていたんだけど忙しくて芸術活動どころじゃなかったし、そもそも俺には才能がなかったからね。俺の担当楽器はベースね」シドヴィシャス風の中井さん。

「俺は安藤勝。年齢は31歳。担当はドラム、一応ギターも弾けるけど。僕も赤川君と一緒に未来の芸術の飛躍の為に全力を尽くしたい。ビートルズを超えるような、世界一のバンドを作ろう!」ポールマッカートニー風の安藤さん。

「俺は清水昭ね。担当はギター、ネットではリズムギターって言ったけど、リードも一応弾けるよ。これから一緒に頑張ろう」モデル風の清水さん。

 僕たちは早速スタジオに向かった。まず僕はEgoistic Anarchyという曲でブルースのような曲調を使ってはどうかと提案した。それでいヘルタースケルターのような怪しめのハードロック調的要素や独特の高音と低音のコーラスを入れてみてはどうかと提案した。皆賛同し、曲の中では英語の社会の革命を彷彿とさせるような血生臭い日本語が使用された。僕の曲の歌詞は表題は英語を採用しているが歌詞そのものは日本語オンリーである。彼らは僕の作った曲の歌詞を世の中に一石を投じるような刺激的な歌詞だと言っていた。安藤さんは「俺はこういう歌詞、邦楽では見たことがない」と言っていた。

 そして僕たちはそうこうしている内に4曲の作詞作曲を終え、レコーディングも終えた。清水さんは僕のギターを上手いと褒めてくれた。しかし僕はまだまだだと思った。彼らは全員プロレベルの技巧を携えていたからだ。なんでそんなに演奏が上手いんですか?と聞いたら中井さんは「努力の賜物だよ、所詮俺たちは赤川君と違って凡人凡人」僕は彼らの一挙手一投足が今後の僕の仕事において有益な働きとして奏功する事を確信するに至った。収録したのはYou Bastard. Fuckin` Twisted Government、Fill In The Blanks、Advanteges、そしてさっきのEgoistic Anarchy。僕のそれらの歌詞に通底していたのは青年期独特の過激かつ直情的な佇まいであった。彼らは僕の歌詞を何度も褒めてくれた。正直こっぴどく酷評されるものだと覚悟していたので、僕はその事実に少し安堵した。僕たちの作曲活動はそれから2か月かん続いた。僕は早苗とのラインで彼女にその事を、進捗を克明に伝えたりしていた。また彼らと僕の間柄はかなり良くなり、休日にレコーディングが終わった後には居酒屋で一緒に酒を飲んだりした。彼らはほどほどに酔う、というのをモットーにしていた。統合失調症を悪化させる一因として飲酒がある、したがって俺たちは俺たちの行動を意識的に統制しないと統合失調症が再発してしまう。そうなれば最悪の場合、俺たちの人生を棒に振る事になる。そういう事を言っていた。安藤さんは「俺は100歳まで生きるんだ」と頻繁に連呼していた。僕は彼らと一緒にいる事でかつての20歳の精神病院にいた時代の延長にいるような気がした。そして僕たちのアルバム、「The Government」は11月に無事完成した。僕はその完成したデータをCDに落とし込んだ。まずは100枚程作って、欲しい人、僕たちの音楽を理解できる人に販売しようと思った。中井さんはザソルロスという名前で、アイコンを僕の作ったロゴにし、ネット通販のアカウントを作った。「これで俺たちの作った、努力の結晶がリリースされるよ。赤川君、安藤、清水、本当によく頑張ったね。俺たちは俺たちが如何に努力してきたかを分かっている。苦痛を共有しているんだ、単なる統合失調症患者同士というより、もっとスピリチュアルな、魂のレベルで俺たちは戦友だ。本当に」僕はその言葉を聞いて感激のあまりしくしくと泣き始めた。皆は僕の頭をなでたり、馬鹿にするような感じではない調子で笑った。よくよく考えてみれば205㎝の巨人がおじさん方から優しくされるのは何となくシュールであった。

 僕はここまで記述していなかったが実は早苗から一か月に300万の仕送りを受けていた。したがって働く必要もないのだが、とりあえず僕は12月に上京し、住居を探そうと心に決めていた。しばらくは何もしなくてもぐうたら過ごせるのだが僕は書く小説のネタとして日々の生活を奔走する事になるだろうと思った。僕の小説、「殺人犯」という名前の作品はようやく単行本一冊分くらいの分量になった。振りかえってみれば恐ろしい程の言葉の奔流だ。僕は小説の天才ではない。ただの天才が小説を書いただけだ、とそう思った。そして何やら僕の書いたブログが近頃、日本人の中で話題になっているらしく、僕の下にはネット記事の取材の依頼が殺到した。僕はその中で、何とかして僕が実質的に歴史上のどのような偉人も凌駕している事を大衆に思い知らせてやろうということで無理のない範囲で取材の幾つかをこなした。場所は東京の世田谷区、東京に足を踏み入れたのは中学時代以来だ。喧騒、群衆、電光掲示板、僕は京都の都会とはまた違った趣のあるこの首都に圧倒された。そしてビルの内部でインタビューは行われた。僕の経歴、持病の事、作品の事、ブログの事、数学の事、自然科学の事、哲学の事、様々な事が矢継ぎ早に聞かれた。僕は終始冷静さを維持した調子で3時間にわたるインタビューを終えた。高額そうなカメラが僕の周囲を衆人環視の如く取り巻いていたのはなんだかうざったく感じた。それに僕は自分の容貌に矜持がないから、写りの良い写真だけを採用してくれよ、と内心懇願していた。

 インタビューを終え、僕は東京の雑踏を歩いた、宿泊先のホテル代や交通費、そしてインタビューのギャラなどの、諸々の金は僕にくれるらしい。ギャラがどれくらいか、守銭奴のようなメンタリティで彼らの一員に聞くとそれまでの僕の障害者雇用では荒唐無稽な程の天文学的な数字を提示された。無論、100万とかそんなものではないが時給換算で年収分のギャラはあった。こりゃ資本主義の世界に生きて、拝金的になる人間がいるのも頷ける。実際政治家の腐敗などもこういったいやらしい俗物的発想を基調として発生するものが大半だろう。

 そうして3日くらいたって同じような東京での取材を終え、僕は京都に帰還した。何やら東京では僕が誰か識別できる人間がまばらにいたようで、「ブログ見てます」、だの「応援してます」、「一緒に飲みにいかない?」などと言われたりしたが何だか僕は有名になった事で総毛立つような戦慄を感じた。僕は恐れおののきつつ、一緒に居酒屋で野郎どもと酒を飲んだり語り合ったりした。背広姿のイケメンな兄さんたちと一緒に飲むのはまるで僕自身も彼らのような高等な生物になったような心地がして実に愉悦であった。そして何故か僕と一緒に写真を撮りたがる連中もいた。僕は適当にピースしたり、ぎこちない笑顔を浮かべたりして写真を一緒に撮った。僕はエゴサーチなどしない人間だ、というのも僕への悪口を恐れているからだ。したがって彼らの撮影した写真を僕は見ない事を祈った。

 僕は5日ばかりの東京での取材兼逗留を終え、京都に返ってきた。自宅で僕はまったりと過ごした。早苗からは「東京どうだった?」とラインが来た。「僕は悪くはなかった。皆僕が統合失調症であるという事を前提としていたものの誰も僕を腫れもの扱いしなかった。僕を一人の人間として扱ってくれてるような気がした。知り合った連中は良い人たちだよ。高校時代は日本人をクソジャップなんて卑称で呼んで揶揄してたけど、本当に訳影の至りというか、やむにやまれぬ理由があったとはいえ自分の愚行に罪障意識を感じるよ」

「大丈夫だよ。誰でも周囲の人間を過小評価したくなる時はある。統合失調症のせいでい色々と鬱屈したり憤懣が溜まってたりしてたんでしょ。多分君に優しくしてくれる連中gは全員がそうとは限らないけど君を一人の人間として尊重していると思うよ。今まで話してくれたみたいに陰謀論を信じたくなる気持ちも分かるけど、君はこれから社交力を身に着けて、より一層幸福になれば良いよ。私も凌我を応援してる」胸を打たれる言葉だった。僕が闘病生活の時に書いた、悲痛な殴り書きとも言える文書を僕は家の中で発見した。読み返してみると、本当に当時は余裕もなく不安定だったのだなあと思った。それとは対照的に今は本当に満ち満ちた時代だ。誰にでも安価で提供される商業的な善意ではなく、僕は真の人間からの善意を享受した。少なくとも僕はそう感じた。携帯を見る。僕の取材が何故だかニュースになっていた。「統合失調症の天才、赤川凌我さんに取材」との事だった。なにやら拡散されたりもしていた。そして有料ニュースサイトにも入っているらしかった。カメラマンが優秀だったのか僕の顔面は芸能人以上に美しく映っていた。こう言うとまるで僕がナルシストのように思えるかもしれない。しかしそれは物自体の本質ではない。どうせフォトショップなんかで加工したんだろう。この写真は僕ではない。自惚れてはいけない。この先も粛々と、僕は自分の使命を果たすだけだ。何故かツイッターのフォロワーも東京での取材を契機として指数関数的に増大した。もうこれ以上僕は迂闊なツイート、弛緩しきったツイートは出来ないなと、襟を正すような気分になった。実際僕の前途は面白い、依然として曖昧模糊としている事は事実だが、有名になった統合失調症はどのような精神状況の変化を辿るのか、僕は自分自身を鳥瞰図的に見て、まるでモルモットの実験のように自分を認識するようになった。実際統合失調症の有名人ではきっちりと診断名を貰っているのはノーベル経済学賞のジョンナッシュ、画家のエドヴァルドムンク、などであろうか。僕は実際どのような鋭利な知性を持つ人物よりも上位にいるような気がした。だからと言って馬鹿な行動を取ったりはしないが。僕が大学時代に偏執的に自分は人類史上最高の天才なんだ、21世紀の最高賢者なんだと言い聞かせていたが、スタンダードなルートを辿ってはいないものの僕はその悲願を叶える為の甚大な予兆を感じていた。

 僕のファンを称する人間たちは僕が様々な偏見にさらされてきた悲劇の英雄である事を僕にDMで伝えてきた。彼らは僕を守ろうとしているようだ。実際僕のような脆弱なメンタルを持つ人間が一人の力だけで有名人として生きるのは困難を極める。彼らの助太刀は有難い。彼らの存在は僕にとってファンネルのようなものであり、頼るべきところは頼り、また感謝を助けられる都度僕は彼らに言っていこうと思った。また僕には日本を覇権国家にしようという目的がある。無論僕に政治的な英知はないし、ナポレオンやアレキサンダー大王のような軍才でもない。しかし僕なら出来ると思うようになった。科学、数学、芸術の発展と普及に僕は献身しようと思った。その結果殉職しても構わないと僕は思った。恋人がいると言うのに僕はまだそんな事を思っているのかとも思うが。

 そして12月の初旬、上京の準備を徐々に始めている折、安藤さん達から連絡が来た。僕たちのアルバムがなんと一世を風靡しているとの事だった、「プログレッシブツイスト、爆誕」だの「人類史上最高のバンドの活躍」などとの記事が一部のニッチな音楽雑誌では掲載されており、SNSなどでも話題沸騰であるらしい。一応バンドのリーダーは僕なので安藤さん達三人から連絡が来たというはこびだ。また大阪の中規模音楽ステージでの出演の打診も来てるらしく僕にその判断を乞うた形である。僕はいいですね、そうしましょう、でも病気の事もありますからメンバー全員にくれぐれも無理しないように、少しでも不調を感じればやせ我慢なく僕たちに伝えるように、と他のメンバーにも言ってくださいと僕は彼に伝えた。

 僕は既に京都の障害者雇用の仕事を退職している。懇意にしてくれた職員たちには申し訳ないが、僕は毅然として辞職した。後悔はない。僕のような社会的弱者を拾ってくれたその邂逅に感謝しつつ僕はこの統合失調症のステレオタイプを瓦解させる為に今後も頑張って生きていきたい。僕のこれまでの記述でも察しがつくように僕はどうしても心に鞭打って、無理しすぎる傾向がある。それはおそらく僕の自己評価の低さや完璧主義に起因するものだろうが、そういったものもこれから改善しなくてはならない。口だけじゃない、言行一致を意識して。

 僕たちのライブは慌ただしく12月下旬に行われた。僕はジョンレノンのダーティーマックのようなライブを念頭に置き、僕たちのオリジナル曲を演奏した。観客は大盛況、中には興奮のあまり失禁する連中や、僕のリードボーカルと一緒に斉唱しだすに連中までいた。ライブとはここまで発達するものなのか、と僕は思った。大学時代やデイケアのライブなんてほんの数人のもの好き達しか観客がいなかったぞ。僕は昔のそのイメージを脳裏によぎらせ、思わず歓喜に打ち震え、五体投地しながらむせび泣きそうな気概を懸命に抑え、笑いながら演奏するにとどめた。僕のライブでの機知たっぷりのMCもなかなか評判が良かった。十分すぎる程の富や名声は得たように思えた。既にこの頃には僕を人類史上最高の天才、21世紀の最高賢者だと暗黙に了解する人も増え始めていた。サングラスをつけながら演奏したものだからトニーアイオミとジョンレノンが合わさったみたいだと言う者もいた。かくして僕は天才の名をほしいままにするようになっていた。

 ライブが終わると、早苗は僕に抱きついてきた。「私今日の凌我の輝きを見て思った。君はジョンレノン級の天才ミュージシャンだって。ならば私は君のヨーコになりたい。資金管理なら任せて、私営業の才能はあるから。凌我もその事は知ってるでしょ。私たちは名コンビとして歴史年表に掲載されましょう」僕は早苗の言動に売名意識的なものを錯覚した。しかし僕は知っている。彼女はそんな安い女じゃないと。彼女は僕なしでも天才的な偉人として歴史に名を残す。まあ人間だれしも語弊のある事を口走る事はあるものだし、それは早苗にとっても例外ではない。「そうしよう。僕たち二人で世界を変えるんだ。社会も変えるんだ」僕はそのような事を言った。これほどの熱狂に支配された時期は幻聴が極めて活発だった高校大学時代以来だ。僕はこの傾向に何となく胡散臭さを感じつつも、それが単なる疾病の余波だという事も理解していた。僕と彼女はライブから少し遠方にあるホテルに一泊した。人生がここまで劇的なものに変転するとは僕は思ってもいなかった。そして僕たちは交わり、一夜を共に過ごした。

 それから3日後、遂に僕の上京の日がやってきた。緊張のあまり昨日はよく眠れなかった。僕と早苗は東京で同棲するつもりだ。ラインで早苗はもうすぐ着くと連絡を寄越したた。京都駅で彼女を待っていると僕と同じくらいの長さの長髪のモデル級美女がやってきた。彼女は早苗だった。「雰囲気変わったね、色も染めた?暗めの茶色に」と言った。「うん」と彼女は言った。「私考えたの、今までの凌我は絶妙なバランスで精神的な均衡が保たれていたけど、これからは本当にリスキーになると思う。これから私は凌我の人間関係をマネージメントするわ。凌我が発狂しないように、絶望しないように、何とか私と幸せな余生を送れるように私が君をマネージメントしていく、君に拒否権はないよ。あと私24歳になったら凌我の子供が欲しいの、これから子作りも頑張ろう」私は突飛な発言に耳を疑った。しかしながら早苗の言う通りだ。僕は健常者と遜色なく生きていくにはあまりにも弱すぎる。ストレスがなくてもかえって体調を悪くしてしまう僕の性だ、これからも一筋縄ではいかないだろう。東京生活では僕一人が僕自身の人生を上手く保つだけの力量は僕にはない。僕は自分の興味関心を持つものに関しては圧倒的な集中力を発揮するが、反面それらにエネルギーを使い果たしてしまい。生活面が破綻に向かう可能性もゼロではない。統合失調症患者の命は風前の灯火、食事管理だって中年太りの恐れもあるから十分に気をつかわなければならない。僕にはそのような事は出来ない。ならば彼女に色々と世話をしてもらうのは願ったりかなったりではないか?どの道これまで僕をサポートしてきた早苗だ、この先ヘマをする可能性はゼロではないだろう、それに僕も彼女に幸せをもたらせばそれだけでゼロサムゲームだ、ちゃんとそうやって夫婦生活において努力していけば良いだろう。僕たちは新幹線に乗って東京に向かった。

 僕たちの住まいは既に早苗が建築していた豪邸だった。京都の豪邸はどうしたのかと問うと、あれは別荘としてこれからいてもらうと言っていた。金持ちの余裕は恐ろしいものだ。しかし僕は彼女に頼もしさを感じた。僕も同じように彼女に頼もしさを感じてもらえるような、男の中の男を目指していかなければならない。既に運送業者によって荷物は運搬されていたらしい。僕たちはその日からその邸宅での生活を開始した。僕は芸術家であり、ほぼパトロンと言って良い彼女との生活をしている。彼女の手料理は頗る絶品だった。何故こんなに美味しいのかと聞けば、「色々勉強したし、自炊の習慣は金の貯蓄にととって功を奏するからね」と言った。僕も彼女に手料理をふるまってやれるようにならないと、と密かに僕は彼女に対し対抗心を燃やしていた。僕が作れるのはレトルト、パスタ、こんな料理はサルでも出来る。僕はまだまだだな、つくづくそう思った。僕は彼女にソファで「僕のようなひもがいて、君の人生が最低なものにならないか、それだけを懸念している」と言ったら彼女は「私が好きでしてることだから。それに君は自分をひもというけどもう既に凌我は一人でも高等遊民生活を送れるほどの莫大な財富を得ているのよ?もう君は私の100倍以上の資金を稼いでる。ミレニアム問題の賞金でしょ?それに君の諸理論の活用の返礼、総合すれば本当に大富豪よ?もっとも君は自分のお金がどれくらいか、支出監理の生殺与奪を私に握られてる訳だけど、もし嫌ならいつでも言ってね。私も凌我が一人で資産運用出来るように懇切丁寧に教示してあげるから」恐れ入った、女王様。この長身美人の女神は本当に賢い。聡明な、澄んだ瞳に、可愛いらしい美貌、僕が君と出会ったのは運命だ。「僕が君と出会ったのは運命だ」おっと、思わず声に出してしまった。彼女は悶絶しながら僕に抱きついてきた。「私も同感。私、凌我が大好きよ。この先も永久に。死んでもね。仕事だって本当は一秒でも君と一緒にいるだけの口実に過ぎないの」

 僕は東京での生活をしながら、芸術活動をしたりしていた。すると某日、遅山出版社からあなたの理論の贅論というものの書籍を出版したい。しかしあなたはもう研究生活を辞めたようだから草稿の作成は求めない。ささやかでも良いのであなたの難解極まる贅論について教えて欲しい。親愛なる赤川氏、との文章を添えた電子メールが届いた。丁度その頃僕は作品のアイデアも停滞を極めていたので、たまには違う事をして人生を換気した方が良いと思い、僕は快諾した。そして話をしに、東京の原宿のオフィスビルに僕は後日招かれた。僕は何やら若々しくて派手な中背の美女職員と話をする事になった。彼女は言った。「なぜあなたのリーマン予想を解決し、関数解析学でも発見として記述した贅論は、贅肉の贅なんて言葉を使用したのですか?造語ですよね?」「それが余分なものであるからだ。贅肉のようなものであるからですよ、例えばリーマン予想の証明には数直線上の間隙に目を向けた。これはリーマンのゼータ関数のオイラー積を使用したゼロ点を単純明快なものにするのにうってつけの手法だった。贅は素数以外の全ての数であって、素数をどちらかというと注目すべき養分であると発想を展開したのですよ。この発想の転換、分かりますか?そしてその贅論の中の四則演算で表現できる、即ち贅論における体を想定した。するとリーマン予想はある条件では成立するものの、それ以外の条件では成立しない事が分かり、Q.E.D.、証明完了となった訳です。関数解析学については関数の位相に着目し、その間、贅がどのような構造を持っているかを発見した。これらが二つの贅論的アプローチです」

「おっしゃっている意味が革新的、斬新的過ぎてよく理解できません。しかし我々は最大限理解の裾野を広げて発表したいと思っています。あなたの論文をまた読ませていただきます、今お聞きしたものは、万が一に備えてボイスレコーダーで僭越ながら録音させてもらってます。またあなたは哲学においても贅論を使ったようですね。ブログの方でも贅論の文系的解析として独自の論調を展開しておられる。哲学的な贅論についても我々はたいへん興味関心を勃興させています。どうかご教示願えないでしょうか?」

「まあ僕はあまり説明が得意じゃないので、自分のアイデアを分かりやすく伝えたりすつのも頗る苦手なんです、どうかご容赦ください。それで哲学的贅論についてなのですが、これは日本人の知的生産性というものに着目し、何かを創造している時を贅と仮定したのです。そして大局的な視点で日本人には贅論的な認識が必要なのである、と述べました。また日本人には精神的慣性、美を中心に据えて、カントやレヴィナスから着想を得た顔というテーマについて大弁舌を振るったりしました。ブログについては、覚えていませんが、おそらく赤川哲学と似たような感じでしょう。良ければ僕の原書、ブログやら論文やらを参考にしてください」

「なるほど、勉強になります」彼女は大きな目をぱちくりさせて言った。

 すると唐突にオフィスにいた短髪でそこそこの長身の男が「赤川?赤川じゃないか!」と僕に声をかけてきた。僕は誰?と聞いた。「高専の一年の時にお前と同じクラスだった西だよ」西、あああの僕が教員に頭部を渾身の力で殴打された時にエンタメとして嘲笑し、また普段から僕に辛辣ないじめをおこなっていたあいつか。僕は当時の記憶を思い出し、一気に憤激した。何故こいつはこんなに親しげに話しかけてくるんだ?僕が有名になったから阿っているのか?僕はこいつに対して何か罵倒してやりたい気に駆られたが、それは辞めた。僕は大人になったんだ、社会にはこいつ以上に嫌な連中が跋扈している、案外日本の中枢機関を牛耳ったりしているかも知れない。いちいち、こいつみたいなカスどもを相手にするのは時間と気力の無駄だ。僕はそのような事を考えた。「赤川、お前高専の時は成績不振で、チビで根暗で、不良だったのに、よくここまで偉くなったな、感心したよ。俺は高専出て、3年次に東大に転入して院まで進んだけど、工学の修士でたあたりで研究が嫌になって今はこの民間企業で働いてるよ」こいつは笑顔を絶やさずそう言った。中々良い王道を歩んでいるじゃないか。きっと彼は精神疾患なんてものとは疎遠なのだろう。それに、東大だって?日本の最高学府じゃないか。僕がやってきた事と言えば学問探求、芸術創作、彼よりは一般的なレールから多少逸脱している。学問的名声や、芸術的名声では既に人類史上最高の天才と言われるまでに僕は大成した、大金持ちにもなった。なのになぜ僕はこんな奴の経歴を知ってむかむかしているんだ?僕は彼には死んでいて欲しかった。彼のようなカスは自然淘汰されて欲しかった。そう慢性的に思っていた事を僕は思い出した。

「赤川、お前統合失調症になったんだな、お前の事はよく知ってるよ。周囲の老若男女が異口同音にお前の話題をするからな。耳にタコが出来るくらいお前を称賛する連中もいるよ。たかが統合失調症が何偉そうにしてるんだ?もう一度いじめてやろうか?」

こいつは何を言ってるんだ。僕をいじめる?冗談は大概にしたまえ、僕の周囲には様々な理解者のバリアがついている、お前のようなカスが如何に知略を練っても難攻不落のバリアだ。その事はお前も理解している筈だ。冗談も大概にしたまえ。それにお前は先ほど僕に対し阿るような発言をしたではないか。急に攻撃的な態度に豹変するのは精神異常じゃないか?君こそ精神科に生きたまえ、もしかすると境界性パーソナリティ障害かも知れないぞ。

僕と話をしていた早川という女性職員は彼を見て迷惑千万と言った様子でこう言った。「西さん、どこかに行ってくれませんか?私は今赤川さんと仕事をしているんです。それにあなたのような低能が赤川さんに張り合おうとしているのは見苦しいですよ。あなたは女性と6股もかけて、周囲から総スカンを食らっているじゃありませんか。それにあなたのような安月給でどうやって赤川さんを陰謀に陥れるつもりですか?ヤーさんでも使うんですか?ヒットマンでも使うんですか?冗談もほどほどにしてください。あなたと赤川さんは次元も違えば住む世界も違うんです」西はさもこぶしを握り締めながら心外そうな顔をした。「クソアマ、何を言ってるか!いい加減に」彼は何かに気づき周囲を見渡した。周囲の職員の悉くが彼を冷ややかな目で見ていた。彼自身も一連の会話が周囲の顰蹙をかっている事に気づいたらしい。彼は悔しそうな顔で、偉そうなまでに威風堂々とした歩き方でこちらから離れていった。

 僕たちは話し合いを終えた。僕は自らの身の上を話した。今後の出版の源となるかららしい。僕は疾風怒濤に、僕と懇意だった精神科医、高専時代、少年期、幼年期、高校時代、精神病発症、闘病、などをざっくばらんに話した。僕の大仕事についてももちろん話した。彼女は聞くことが上手だった。僕もリラックスして、淀みなく話すことが出来た。この閉塞した日本社会で聞くのが上手な人というのは、極めて貴重だ。彼女はあの西のような奴らはあなたが羨ましくて、自分の栄光なき人生が悔しくて、自分が許せなくて、あなたにいちいちつっかかってくるけど、あんなのは無視していればいずれ消滅していく、気にすることなく無視していけば良い、あんな連中のスティグマのかかった意見を真に受けていたらあなたのような統合失調症患者は再発しかねない、と僕に言った。僕はその有難い言葉を聞き、感謝の意を表した。僕たちの話し合いは終わった。もう午後6時過ぎだ。僕は地下鉄を使い、自宅に帰った。

 僕は早苗の手料理を食べながら今日あったことを話した。早苗は西のカスぶりに笑ったりしていた。また彼女は僕が今日、自分の理論を説明する事を頑張った事に労いの言葉を投げかけた。僕はそれを受け止め、自分には理解者がいる事に心底安堵した。僕はもう一人じゃない、その当然の現実に対し、僕は徐々歓喜の念を感じていた。人間は社会的動物であるとアリストテレスは言った。それは統合失調症であっても通用する言辞だ。デイケアやグループホームなる設備が整っているのもその障害者にも社会性が必要だとの当事者或いは医療関係者からのニーズに答えた結果だろう。社会性というものは本当に重要なのだ。どのような天才秀才であっても本当の意味で孤独で隔絶された時間を過ごす事はないだろう。もしあったとしてもきっとそんな時間は絶望的である筈だ。人間の真価は他者との関係性の中で初めて発露される。どのような大発見大発明を成し遂げても、それが人間に到底理解できない内容であれば妄想扱いされるだろう。実際僕もそうされてきた。辛酸をなめるような記憶だ。しかし統合失調症当事者であっても人生の苦しみから離れる事は出来ない。少なくとも僕はそうだった。まあなんでもすぐに一般化しようとするのは僕の悪い癖だ、直さないとな。

 東京生活を始めて1年が経った。僕は25歳になった。早苗は24歳。僕は東京に住みはめた頃、地下鉄が頗る苦手で乗ってるだけでパニックを起こしそうであった。しかしそれも徐々に慣れてきた。他人の目線なんて関係ない、どんな芸能人であっても自分の思うがままに行動すれば良い。世の中の9割強は取るに足らないカスばかりだ。そんなカスどもに気を使ってどうする。そんなのは時間の無駄だ、という風に思うのに1週間もかからなかった。また僕は205㎝の高身長だが、それほど電車は窮屈に感じなかったし、無意識に頭を屈めているからなのかドアの上部にも頭をぶつけない。それでも実測は205㎝である。僕は自身の身長に自信を持つようになっていた。某日以降、早苗は僕と子作りしようと言うようになってきた。僕たちは夜に度々交わった。そんな日を過ごしていると、10月に早苗の妊娠が分かった。僕たちは本当に喜んだ。僕も末代まで自分の生きた証を残したいと思っていた。子孫が増えるのは有難い事だし、僕も今日からお父さんか、しっかり気を引き締めていきないと。お父さん、実にくすぐったい言葉だ。しかしながら僕は父親として、正々堂々生きる覚悟が既に出来ていた。早苗の方もお母さんとして生きる覚悟が出来ている。まあ早苗はもともと母性の塊のようなものだ、僕も早苗に甘えたりしている内にその事を強く意識するようになった。早苗を見ると甘えたくなる。

 翌年、僕たちの子供が生まれた、子供は女の子だった。早苗は「きっと凌我に似て美形で長身な子になるわ。きっとモテモテになるよ」と言った。まあモテるかどうかはさておき、僕は彼女に健やかで生きていて欲しいと思った。僕はこの時初めて親の気持ちが分かった気がした。子供は生きているだけで親の希望になるのだ。僕はこの子に長生きして、出来れば幸せになってほしいと思った。その頃、日本の出生率は徐々に右肩上がりらしかった。若者の晩婚化、或いは未婚傾向が数年前までは取り沙汰されていたが、その悪しき傾向もなくなってきたらしい。理由は分からない。日本人も危機意識を持ったのだろうか。また街では多くの外国人らしき人間も見るようになった。日本人と外国人のカップルらしきものを見るのもかなり多くなってきた。なんと単一民族で孤立した言語の日本社会において近年外国人居住者が殺到し、日本国籍を得るケースが増えてきているらしい。凄い世の中になったものだ。また日本人としての権利を持った外国人が日本政府を大改造しているらしい。横領や贈賄などの腐敗は影を潜め、日本は今やGDPで世界一の国となっていた。アニメや日本文化などのソフトパワーでも今や日本は世界を牛耳っていた。韓国や中国や東南アジアは日本のコンテンツを臆面もなく模倣している事も多くなった。それほどまでに日本文化に心酔していく若者が多くなったという事だろう。数年の内にここまで日本社会が劇的に変化するとは。万物流転というがまさにその通りだ。事実は小説よりも奇なりというがまさにその通りだ。僕はこうした社会的な世相の変化にも満足するようになった。僕も過激ではないものの日本を愛国する人物の一人であり、日本が発展するのを見るとなかなか嬉しいものだ。

 僕たちの子供の名前は群と名付けた。これは僕の発案だった。僕は数学において基盤をなす群という概念が好きだった。早苗の方も何やら色々考えていたらしいが結局僕の案がまるまる採用されたようだ。彼女によると「群…か、いいね!シンプルイズザベスト!」との事らしい。僕はそこに面白さを感じた、のみならず満足感のようなものも同時に感じた。僕たちの子供はすくすく育った。幼稚園、小学校、中学校、と友達と喧嘩をする事無く、いじめにあうこともすることもなかった。また友人関係については僕に似なかったのか、結構友達がいて家に5、6人の群の友達が遊びに来た事もある。群の友達は何やら僕を見つめ頬を染めて嬉しそうに笑っている事が多かった。群にその事を聞くと、「お父さんは男なのにめちゃくちゃ可愛い女顔してるって友達に評判なんだよ」と言っていた。小娘は小学生あたりから色気づく、僕は恋愛に関しても体に関しても晩熟で、女性に興味を持ち始めたのは19歳の頃からだった、身長が急激に伸びたのは21歳ごろからだった。僕は女性がどのような考え方をしていて、どのような感性をしているのか、皆目見当もつかない。そもそも女性と言ったって個性もあれば、環境の相違もあって、即ち個体差がある一般化してこうだと言う方がナンセンスだ。しかしそれでも女性は性的に早熟であるらしい。火のないところに煙は立たないというし、特にそのテーゼに反駁する必要もなかったので僕はそれを受け入れていた。

 群は小学校の頃から男子生徒にモテていたらしい。1か月に60回も告白された事もあったらしい。とんでもない数だ。ギネス記録級ではないか。そこからもう相当な数の男子と付き合っていた。時には20代のホワイトカラーの男性と付き合っていた事もある。僕はおいおい、大丈夫かと思った。彼女の貞操に一抹の不安を感じながら、子育てはある程度放任して、指導すべき場所は指導していった方が良いと思い、僕はあえて口出しはしなかった。群は僕たちインドアな夫婦に似ず、運動神経が抜群だったようで何度も何かの大会に出場したりして、メダルを取ったりしていた。読書感想文でも表彰された事もあった。僕はそんな事子供時代には出来なかった。彼女が高校生になる頃、その経歴の華やかさから様々な運動部から熱烈な歓迎を受けたらしいがそれらを全部拒否し、文芸部に所属するようになった。またいつの間にか始めていたモデル活動もしていた。高校生の群は身長182㎝になっていた。スタイルは抜群に良かった。どうやら東京で歩いているとモデル事務所から声をかけられたらしい、群はこれは詐欺ではないかと思いつつ、暇だったので幾つか仕事をしてみたらしい。すると瞬く間に彼女は大ブレイクした。彼女の乗った雑誌には「長身美人の時代来る!」と何やら明治維新のプロパガンダのような誇大広告が目についた。彼女はその雑誌の大トリを務めていた。また本当に長身美人の時代が到来したらしく芸能人は175㎝以上の長身美人がブリティッシュインヴェイジョンの如く大挙して活躍していた。僕は人間というものに唖然としながら、その現実に対しどこか満足感を感じていた。

 またいつの間にか僕の完成させた統一場理論が新たな力学の記述道具として一般に使用される事も多くなったらしく、赤川力学と呼ばれる新たな分野がいつの間にか表れていた。代替透過による新たな重力理論、そして光量子における新たな視点は、実証実験によりその正当性が公に認められたらしく、僕は完全な名士となった。世界各国からも非常に絶賛されているらしく、僕の真似をしたり、僕の映りの良い写真を使って様々な情報が躍り出るようになった。ネットの情報発信はデジタルタトゥーだと言うから中々消えない。僕の名声はここにきて完全に不動なものになった。僕はガロア以上の功績をなした。ガロアがもしこの年齢まで生きていたら僕くらいの凄い功績を成し遂げただろうか。それともガロアの才能はフランスの激動の時代故に発露したものなのだろうか。僕は19世紀に夭折したガロアに思いを馳せた。日本のマスコミは連日、朗報のニュースを報道していた。犯罪や事故などのニュースは格段に減った感じがする。僕の威信は決定的なものになった。何やら僕のプライベートも賑やかなものになり、段落夏などという雑誌が僕の写真を許可なく撮り、雑誌に掲載する事もあった。僕はその事に迷惑だとメディアの取材の際に言った。すると僕のファンネルが働き始めたのか似たような事はなくなった。誰だってプライバシーというものはある、有名人然り、芸術家然りだ。

 時間は過ぎた、群は22歳、僕は47歳になった。僕はこの頃、ゲーテの「時よ止まれ、お前は美しすぎる」の言葉を言うようになっていた。群は数年間付き合っていた恋人と結婚した。誠実そうな中肉中背の男性だ。どうやら群より一歳年下で21歳らしい。僕は彼らの結婚式で、泣きながら群を祝福した。自分の子供の結婚式がこれほどまでに感動的なものだとは思わなかった。また名前は度忘れしたが、何やらクラシックの涙腺を刺激すると言われている名曲が式内で流れていた事も僕を更に感動的なものにさせた。そういえば僕と早苗の結婚式も僕の両親は泣いてくれたっけ。今や僕の両親はいない、祖父母ももちろんいない。しかし全員大往生だった。僕は彼らとの記憶を思い出すと少し泣けてくる。それでも僕は自殺しようとしたりなんかしないし、彼らの愛を心のボックスに入れたまま、人生を生きている。彼らの愛は僕を生かした。そして早苗の愛も。愛こそが全てだった。ビートルズの曲でもあるように。その事を僕は強く実感した。天才としての輝きは失ったもののそれからの僕の人生は名士そのものだった。

 僕たち夫婦は世間では名の知れた史上最も有名な夫婦として認められていた。また僕は史上空前の天才と言われる事も日常茶飯事であった。そしてある日から突如として片頭痛のような頭痛に僕は苦しむ事となった。また最近老け込んで、白髪もめっきり増えた。僕は病院に行って検査を受けた。すると僕は脳腫瘍らしい。本当は20歳の時から脳腫瘍だったのだが47歳になるまでずっとその腫瘍が育っていたと言うのだ。その腫瘍は悪性の腫瘍であり、悪性新生物、または俗に言うガンであった。僕は15歳から23歳まではずっと死にたい、死にたいと思ってきた。今は死にたいとまでは思わないものの生きる事にさほど執着しなくなった。僕はもう十分社会貢献も出来た。学問や芸術のパラダイムシフトも何度も起こした。僕は手術を受けるかどうかを聞かれた、何でもグリア細胞に根付いたグリオーマという悪性脳腫瘍のようだ。僕は手術なんて趣味の悪いことはしたくない、と言った。同伴した早苗は、さめざめと涙を流しながら僕が死ねば、私も死ぬからと僕に言った。医師はそれを聞いて、それはいけない、考え直してほしい、生きていればきっと良い事があると早苗に言った。早苗はそれ以降黙りこくった。その日から僕は自宅で療養生活に励んだ。若いころは統合失調症で療養生活を送った事も多いし、そうでなくても僕たちの仕事の形態は非常に自由なもので休みたいときに休めたので僕はほぼニートのようなものだった。そういえばダーウィンは生涯ニートだったらしい。僕たち仲間だな、ダーウィン。そして僕は自身の死にゆく運命を悟り、ハイデガーなどの著作を読み、死についてよく考えるようになった。自分が死ぬ事は神でもないかぎり覆す事は出来ない、太古の地球では天変地異で絶滅した生物もいたくらいだから僕の死は多分それほど剣呑なものではないだろう。僕はこの時リルケの言った、人間は蜂の巣の鉢蜂が死ぬように死んでいくと言っていた事を思い出した。僕の人生も畢竟そのようなものなのだろうか。それにしては劇的な生涯だ。実際僕が早苗に再会するまで、僕はどんなに世の中を完全に変えるような膨大な僕功績を持ってしても僕の人生には栄光がないものだとばかり思っていた。僕のような才能は出る杭を打つ日本社会において埋もれていくものだとばかり思っていた。しかし現実は予測不可能である。これも早苗などの良き人たちと会った事のバタフライ効果なのだろう、いつの間にか僕はそう確信するに至った。

 しかし見方によっては僕のこの脳腫瘍による死もなかなか幸福ではないか?事故であっけなく死ぬよりも僕には僕の死を惜しみ、弔うであろう多くの人間がいる、多分。僕の葬儀には多くの人物が参列するだろう、多分。まあ事故で死ぬ可能性はあながちゼロではないし、殺人事件で死ぬ蓋然性もあながちゼロではない。しかし僕のそういった悲劇的な結膜を避けるべく、今やSPが僕の周囲についている。大丈夫だ。

 僕は48歳になった、余命はあと数か月らしい。僕の娘や娘の夫はよく僕たち夫婦の家に来たりしていた。僕はこの頃、せん妄状態にある事が多かった。僕は意識が明瞭な時、早苗に出来れば自殺はしないでほしい、君が僕の死を悲しむのと同様、娘たちも僕の死を悲しむだろうから、と言った。あなただけ、死ぬって言うの?そんなのおかしいわ、と早苗は返した。僕は絶句した。引いたからではない、僕は早苗の意志を尊重しようと思った。僕の後追い自殺をするのも別に認めたって良いじゃないか。僕は王でも皇帝でも暴君でもない、他人の将来に無粋に介入するのは辞めようと思った。群には子供が出来ていた、男の子一人、女の子二人だ。男子は悠人、上の女子は愛菜、下の女子は慧、僕は孫の名前を頭の中で度々混同した。名前を間違えて呼ぶのは、明らかに失礼であるから僕は孫を愛称で呼ぶことにした。その方が分かりやすいし、老齢の耄碌した僕にとってはやりやすかった。年をとると、知力体力は歴然に衰える。早苗も今でも絶世の美女だが、熟女でもあった。既に手も顔も小皺が出来ている。しかしそれでも年齢の割には彼女は若く見えた。

 僕はもう自分の死期を確かに意識した。それは目前であると意識した。この人生の末期において僕は典型的な物理学者のように世界の対称性に目を向けるようになった。僕の人生と僕をいじめ、迫害したカスどもの人生、プラスとマイナス、僕はそれらの一目瞭然の事象を大変好ましく思った。また対称性を持つ幾何学図形にも興味を持つようになった。美しいものの虜となる事、僕の人生は学問研究にしろ、芸術活動にせよ、恋愛にせよ、その他あらゆるものでも、ずっと美しいものの虜となっていた。そして人生が終盤に差し掛かり僕は表面上の美しさだけでなく本質的な、内面の美しさをよく見るようになった。実に悲しい事だが僕の死が近づくに比例して早苗の体調も悪くなっていった。精神科にも行った。彼女は中度のうつ病だと暫定の診断が出た。僕はある日自宅で倒れ、翌日から神奈川県の病院に入院する事になった。もう自宅にいても仕方がないと僕は思い、僕は精神病院で残りの時間を過ごす事にした。僕は死ぬ前に作曲は無理でもプログレッシブツイストの作詞はしようと思い、病院で歌詞を書いた、パソコンのワープロを使った。それは以下の通りである。

誤形式


1.ありとあらゆる障害を抱えて

誤った人間が居丈高にふるまい

コミュ障の人間は心地悪そうに息を潜める

日出る国のかつての純粋は見る影もなく狂ってしまった


他者から奇異に見られ

かつての明るさも軒並み凋落した

そんな中で僕が敵がい心を燃焼させる契機となった

市民の悪癖

形式主義という変質的奇癖


*それが絶対に悪だとは思えないが

僕自身がそうであるように

前に進め、文明繁栄の為

僕は猛進するぜ

統合失調症の解の公式

そんなものは存在しない

多様な5次以上の実存こそが解なのさ


同調圧力

1.エヴァリスト・ガロアは試験で測れなかった

情熱を保ったまま革命と研究に取り組み

最後はその輝きをフランスの愚民の同調圧力に苛まれ

数学史上最大の愚行を対価に銃創を抱え死んでいった


彼らの激情が分かるだろうか

彼らの激情が分かるだろうか


2.三島由紀夫は自分の情熱を文学に昇華していった

その修行の日々は誰よりも心許なく、身体は儚く

彼は世界の退廃とは対照的にその強烈な自尊心で日本の同調圧力の中で

耽美的な死を望んだ、それは芸術への無鉄砲な愛と真の深紅であったがしかし彼もまた死にたかった


3.赤川凌我は個人的な大仕事を成し遂げた

彼は統合失調症と共に自分の生きた証を残しただのクズで終わらないように

死物狂いで茫漠の砂漠を疾駆した

しかし依然として彼への迫害は止まず

彼自身は同調圧力の色彩を憎悪するようになった


彼らの激情が分かるだろうか

彼らの激情が分かるだろうか


激甚の真面目さで彼らはその身を自分を超えるものの為に捧げる

激甚の真面目さで彼らはその身を自分を超えるものの為に捧げる


異端者

1.ユネスコに登録されたウルトラマンと栄華の日本

円谷はずっとプリマドンナで、興味のないものはわめき散らし一切やらない

しかしその態度が現代文化を産んだのだ

すなわち、猪突猛進に孤軍奮闘するその姿勢がだ

過激さの中にこそ創造がある

過激さの中にこそ進化がある


2.南方は自分に制限をかけなかった

地方の僻地に彼の天才は発露し、同心円上に彼の魂は場を広げた

日本製の別次元の刃、大いなる飛躍

どうしても存亡をかけた闘いの中でこそ閃光は一際輝く

雑魚を蹴散らし、悪習慣を廃し、変革の使徒として自分を信じること

それこそ模糊を生きる多くの豪傑が意識すべき基本原理だ


どうにかしてやれよ

どうにかして、愛すべきフィールドに栄光を与えろよ

それでこそ一流の闘士だ


3.見上げた夜空の星たちの光

確かにあった心のハミルトニアン

僕たちは必死に純粋な物理量を観測していた

けれどいつの日か、純粋さは異端にみなされ

聖人は異端者とみなされた

僕を落としたのは万有引力じゃない

民主主義の要、大多数の大衆だったのさ

しかしそんな法則も破壊してやる

破壊した後に創造するのだ砂場の建築物がそうであったように


僕は日増しに体調を悪くした。もはや哀れな僕に罵詈雑言を投げかけるものも少なくなった。それどころか僕を冷遇していたように見える日本人の大部分でさえ僕を礼賛し、僕を生き神様のように扱うようになった。その兆しは脳腫瘍が発覚する前にもかなりあった。しかし僕の死を意識するや否や、本当に人間を超越したような存在として、半ば伝説そのもののように扱い始めたのを感じ始めたのは最近である。僕の意識が明瞭な時間は比較的少なかった。僕は病院の一室で仰臥する事が多かった。最近は横になったまま一日を終える事も珍しくなかった。僕の頭髪は加齢により、禿げる事はなかった。僕は禿げる事を覚悟していたものの、結局障害を通して禿げる事はなかった。僕の大学時代に執筆した理論精神学は今や、精神医学で中心的な役割を担っているらしい、僕は歴史上はじめて精神の量を数式を用い記述した人物として有名らしい、また代替透過による統一場理論の完成者としても、また僕の数学の諸理論も今大学院で教えられているらしい。僕の諸理論の秘めたる応用性は僕が予見したように人類文明の礎となった。今や僕は産婆術をしていないのにソクラテス以上の哲学者だと称する人物もいる。現代学問の父であるとか言う声も頻繁に聞くようになった。

 昔僕はライブをしながら筋トレをしていた。ザックワイルドのような筋骨隆々な体躯を目指していたのだ。そして筋骨隆々になった。ダヴィデ像の如く。身長はどちらかと言えばジョーイラモーンに近いが。しかし栄枯盛衰、僕の肉体はよぼよぼになった、そして僕の意志に反して僕の肉体はやせ徐々に衰えていった。昨今では日本の黄金時代の象徴として僕を偶像扱いする連中も出てきた。また大学では僕の発表した熱力学の円内拡大の原理に基づき、他に僕が提唱した微積内法の豊饒な応用でもって科学は更なる長足の進歩をし、何やら僕の他の諸理論などもそうであろうが、見たこともないような奇怪な製品や機械なども製造されるようになった。なにやら一昔前は斜陽産業に思えた日本の家電、そして日本のお家芸の自動車産業にも僕の理論が応用されたらしい。僕はそれらの製造の書類にサインした記憶がある。人類文明はコロナによる混迷を経て、このような黎明期を迎えるようになった。この事は非常に喜ばしい事だ。クソ雑魚産業廃棄物だった僕がそんな事を成し遂げるとは。吃驚仰天した。5つのノーベル賞の授賞式にも僕は出席し、前人未到、空前絶後の日本人5つノーベル賞受賞が果たされた。またフィールズ賞もミレニアム問題三問の証明が認められ、受賞する事となった。賞とは無縁であった青年期の僕に言って聞かせてやりたい。君は報われたよ、と。

 何やら僕は若い連中からも尊敬されているらしい。渋くてかっこ良い、理想のおじ様、老害っぽさがない温厚篤実さ、など言われているらしい。まあ、悪い気はしない。そして某日、僕は遺言を残すに至った。財産分与や、遺族、ファン、各種仕事関係者に向けてまるで古代ギリシアの古典にでも出てきそうな酔狂な文面で僕の考えている事を伝えた。そしてそこから数日後、僕は安らかに息を引き取った。享年48歳。


 ―帝国新聞「赤川凌我死去、享年48歳」―

赤川さんは統合失調症当事者として、幅広く芸術活動を行った。また数学や自然科学でも巨大な功績を残した。アイコンのジョンレノン風の丸サングラスは彼をより一層ポップなキャラクターへと引き立てた。彼のファンからは「彼は偉大な魂だ。彼が何よりも大切にしたのは学問と芸術であり、その両者において彼は永遠に不滅だ」「彗星にように消えていった」などの声が上がっている。

 赤川さんは1998年8月5日生まれ。和歌山県出身。15歳で統合失調症を発症し、成績は不振となり、周囲との交流に対し消極的になり、のみならず性格も一転して内向的、自閉的なものとなった。過年度入学した高校時代、16歳にて統合失調症の急性期が始まる。大学在学中より数学、自然科学、哲学について猛烈に勉強を開始し、20本の論文を執筆。大学卒業後直後に更に2本の革命的、画期的な論文を執筆し、これらを執筆した時期は本人曰く「豊饒の期間」と呼ばれている。また大学在学中に小説執筆、絵画創作、作詞作曲も果敢に行い、晩年に至るまで芸術活動を続けた。

 現在は現代学問の父として人類史上最高の天才、または21世紀の最高賢者と周知のごとく世界中に知られている。また「殺人者」、「偉大なる文明」、「プログレッシブツイスト」などの初期の短編中編作品から後年の「マジカルミステリー」、「ダブルスタンダード」「Are You OK?」など非常に実験的な作品を執筆した。

 彼は21世紀までの統合失調症に基づく固定観念、学問上、芸術上のパラダイムのほぼ全てを変革し、現在では彼の理論を抜きして科学技術文明を語る事は不可欠な、テクノロジーの大家であった。我々の生活になくてはならない大発見、大発明も成し遂げ、イギリスCCDの発表した世界の偉人100人では日本人として唯一1位に選定された。贅論、統一場理論、微積内法、分極限分法、理論精神学、赤川幾何学、赤川力学、赤川光量子仮説、閃握、前次元学、回転微積分、赤川哲学、置換群の人生哲学など彼の豊かな才能により彼の豊かな功績は生み出された。前述のように彼は非常に卓越した天才数学者、天才物理学者、天才哲学者、天才芸術家である。



 僕はあの世で僕の死亡記事を見てうすら笑いを浮かべた。そして今の自分を意識し、ビートルズのアデイインザライフの歌詞を思い出した。あの世は意外と悪くはない。愉快な連中が毎夜乱痴気騒ぎをしているし僕は罪深い人間だからきっと僕は地獄行きだろうと思っていたが、あの世には天国も地獄もないらしい。また死んだ人間は普段は煙の形状を取り、死滅する事はない。自分の思い通りに外見を変える事が出来る便利なシステムでもし現世がそうであったのなら犯罪が横行するディストピアになっていた事だろうと、僕は三島由紀夫に語り掛けた。誰だか識別可能なように、一応あの世の決まりとして時系列は別として生前の自分の姿に形を変える事を僕たちあの世の民衆は義務付けられている。僕が彼を三島由紀夫だと知ったのもそのためだ。またあの世なので、言語と言う概念は存在しない。表現技法に四苦八苦する事はあれ、大抵皆何を喋っているかは周知の事柄である。

 三島さんはなにやらあの世の文壇の会議があるらしく1時間ほど僕と喋った後、流れるように煙となって東の方へ飛んで行った。僕は蓮の池付近に移動した。さっき三島さんと話したところ、死の前の市ヶ谷自衛隊駐屯地での一件を惹起させたのはやはり死にたかったかららしい。先ほど会話した記憶を思い出ししみじみとしていると天女さんが僕に話しかけてきた。「あなた、暇?」「うん」僕は応答した。「ならちょっと私たちと悪魔対退治に行かない?」これがあの世版桃太郎か、などと考えて苦笑しつつ僕は快諾した。我々の地からワームホールを通って我々は悪魔が悪さをしている無意識の花園にたどり着いた。「ジャックポット!」そう咆哮しながら悪魔の一人は悪人を胸から肛門まで引き裂いた。引き裂かれた悪人は熾烈な苦痛のため顔面を歪ませた。彼の体からは臓物が流れ落ちる。そして悪魔はそれを貪り食っていた。しかし引き裂かれた悪人の体は2秒も経たぬ内に再生した。悪人の一部はあの世のシステムの不具合によりこの悪魔の地へと飛ばされ、サディストの極悪非道な悪魔達によって色々と弄ばれる。以前天女たちからその事を話には聞いていたが、実際にその様相を目にすれば僕すらも愕然とせずにはいられない。僕は幾ら悪人とは言え、元々生きていた人間があのようにされるのを見るとはらわたが煮えくり返るような思いをした。天女たちは悪人を思うがままに料理している悪魔達目掛け、手からビームを出した。悪魔達は成す術なく断末魔を上げ、消滅していった。中には「畜生」などと言って死んでいくのを見た。「大草原不可避」僕はそう言って、笑みを禁じ得なかった。どっちがだよ。悪人は煙となってワームホールを抜けていった、まるで電子のように。僕たちは悪魔退治をほんの短期間で終わらせた。僕はワームホールを経て元いた蓮の池付近のベンチに戻された。去り際、天女の一人は僕に投げキッスをしていた。

 僕は特に蓮池にも愛着はなかったので、煙となり都心部へと移動した。中の視聴覚室では誰かの人生のドキュメンタリー映画が流れていた。僕は暇つぶしにと思い、見てみた。どうもドキュメンタリーの焦点として扱われている男は栄光なき天才であったらしい。15歳でロックの洗礼を受け、偉大な曲を幾つか作るもそれは当時の偉大だとされているバンドに盗まれたらしい。僕は少し茫漠たる悲哀を感じた。僕は浮足立って、上映中の映画館から離れた。たとえ死後でもああいうのは見たくないと思った。なお、僕の近視はなくなった。あの世では自由自在に操れるため僕は普段から2.0であの世の生活を送っている。

 僕はあの世の芸術家による個展に出かけた。あの世にいる僕たちは体力が無限にあるので何でもできる。しかしながら気力には生前の残滓を引き継いでしまうそうだ。ドーム場の建物についた。ここが例の芸術家の個展会場だ。個展の内部に入る前の回廊には「神々も照覧あれ!」との文言が書かれたものが立ち並んでいた。実はあの世の芸術家の個展にはゼウス、ニュクス、タルタロス、アテナ、ディオニュソス、天照大御神、スサノオなどの神々が暇つぶしにやってくる事も多いらしく、その情報を知っていた僕には、芸術家かあるいはその関係者が神々の来訪を意識して作ったポスターである事はすぐに分かった。会場には面白く、美しい芸術品のラインナップが鎮座していた。僕はそれらを耽美的に鑑賞して回った。またその芸術家は楽器演奏もやるらしく、見物人が何千人もいる中、急遽「イエーイ!ジャスティス!」などと叫んで観衆の笑いを取り、自作の曲を演奏した。芸術作品と同様に脳に直接入り込んでくるその曲は、ハードロック的でもあり、ヘヴィメタ的でもあり、ジャズ的でもあり、ブルース的でもあった。僕は彼に感心した。彼、というのはその芸術家が190㎝はありそうなダリのような髭を蓄えた巨漢だったからだ。これほどのインパクトのある外見でも生前に栄光がなかった事を考えると、やっぱり現世なんてイカサマなんだな、と思った。

 僕は草原で寝そべっていた。あの世では自分の眠気も自由自在に操る事が出来る。アインシュタインもこんな風にして相対性理論の思考実験を行ったんだっけ。どれくらい時間が経っただろうか、何やら地震のような音が聞こえ始めた。しかしあの世に大陸プレートや海洋プレートはなく、したがってプレートテクトニクスは起こらない。一体どういう事だと思いながら耳をそばだてていると、まるで僕が生前ウルトラマンエースで見たように空を割って大怪獣が現れた。その大怪獣は僕の知覚にどすどすと接近してきた。怪獣は一瞬にして煙となった、そしてその煙は人型へと変わった。怪獣は早苗だった。「凌我!」彼女は僕に抱き着いた。「久しぶり」泣き笑いをしながら彼女は僕に話しかけた。僕は彼女との再会は至極幸福だったが、何が何だか理解できない。丁度複雑怪奇な文体に錯乱する人間のように僕は瞬きを何度もした。「早苗、一体どうやってここまで来たの?」僕は彼女に話しかけた。「現世では夢という領域への研究が指数関数的に飛躍してね。まあそうさせたのはあなたの理論精神学があったおかげでもあるんだけど。私たちの現世の人類文明は遂に夢の本質を発見し、あの世も理論物理学者達によって研究されて私たち現代人は自分の意志であの世に行き来出来るようになったのよ。丁度ガガーリンが地球から宇宙へと進出したようにね」いくら理論的に可能とは言え、この事象が確認されたのは彼女がは初めてだ。まさか僕に会いたくて仕方がなかったのか?僕は自己愛の激しい思考を一瞬巡らせた。「凌我に会いたくて仕方なかったから私が先陣きって人体実験を申し出たの」コントかこれは、なんでこううまい具合に行くのか、僕はそれ程徳の高い人物なのか。

「群はどうしてるの?」「群は今、芸能人になってるよ。父親が人類史上最高の天才だって事でネームバリューを利用して女優をやってるわ。184㎝の長身美人女優は世間から非常に受けが良くて今大人気の女優。これも私たちが長身美人の時代の草創期の立役者となったおかげね」

「現世では今は何時なの?」僕は聞いた。「今は、午後2時かな、大抵の日本人は働いてる時間ね」「なんで怪獣の姿をとって現れたの?」「よくわからないけど、多分無意識上の特殊効果とかじゃないかな」僕たちは僕の生前と同じように会話をした。この時が永遠に続けば良いと思った。僕は早苗がこの世界で死ぬとどうなるかが気になって彼女に聞いた。「この状態で早苗が死んだらどうなるの?」彼女は淡々と答えた。「強制的に現実に戻されるらしい。よくメタバースにこういう設定が現世ではあったけど、ちょっとそれに似てるよね。なんかロマンを感じるなー」なるほどそうなっているのか。僕はてっきり、この状態で死ねば際限のない苦しみを味わう事になるのかと思った。いかんいかん、現世でホラー小説を読み過ぎたせいで縁起の良くない事を考えてしまった。それでも僕は早苗と再会できた事が、やはり、心底嬉しかったのだ。

 そうやって二人で談笑を交えながら会話をしていると少し僕たちから距離の離れたところから色んな人が僕たちを凝視していた。そして彼らが段々とこちらに近づいてきた。どうしたのだろう。彼らの内の一人が僕たちに話かけてきた。「もしかして、君たち、赤川凌我と山口早苗?」僕は怪訝に思いつつもそうだよ、と答えた。すると彼らの何人かが興奮を隠しきれない様子で、「俺たちあんたらの大ファンなんだ、もしよかったらこのノートにサインしてくれ!」「私も!」「俺も!」なんと、僕達はあの世でも有名人なのか。となると、あの世に来てから暫くの間、僕が感じていた僕に向けられた視点は僕の著名さゆえの事だったのか、僕はそう考え納得がいった。彼らの一人が「凌我が死んで、あの世にいる事は分かっていたけど、早苗さんもやっぱり死んだの?」早苗はそうではない、自分は現世の科学技術の応用でここに馳せ参じたのだ、と言った。「すごい!」小柄な女性がそう叫んだ。そうだよ、もう一人、おしゃれの為だろうか、眼鏡をかけた女子がそう言った。「私が死んだのは1600年代、つまり17世紀だけどあの世に科学技術を使って来る事が出来るなんて、人類の知能には不可能がないんじゃない?!」僕は少し自慢げに「実はその技術が結実したのは僕が現世で研究し、発見した理論がもとになっているんだ」そういうと僕らを取り巻いたあの世の住人の熱気は更に最高潮へと達した。「凌我が現世で史上空前の大天才だって言われてる事は俺たち、聞いてたけど、まさかそこまでとはな、見直したぜ、凌我」人懐っこそうな顔をした壮年男性はそう言って僕の肩を叩いた。「大三元四暗刻字一色だ、トリプル役満だよ、凌我は!」僕達に最初に話しかけた男がさも嬉しそうに言う?妖艶な堀の深い金髪碧眼の美女はそれを受けて「何それ?」と言った。「麻雀の役だよ」「麻雀?」「そういうテーブルゲームがあるの!中国発祥の遊戯の事さ。そっかお前は確か紀元前生まれだったな。失敬失敬」「何かよくわからないけど、誉め言葉なのは理解できるわ。文脈的に」彼らはくすくすと笑いあった。

 「そうよ、凌我は私の自慢の夫なの」早苗は大きな胸を張って言った。今更だが、あの世への突入には、現世での恰好が基本的に反映されるらしい。「あんたは早苗だよな、あんたの事もよく知ってるよ。ムッツリスケベの悟はあんたの事をオードリーヘップバーン以来の超美女と絶賛してたよ。あの世では性欲も自由自在に操れるからあいつはあんたの写真を見てマスターベーションをよくしてたよ」早苗は微笑を浮かべて言った。「そう、あの世でも人気なんて光栄だわ。その悟君にもよろしく伝えておいて」ここに来た時の早苗は20代の美貌のままだった。彼女はその魅力を自覚してか、ウインクをした。「ヒャー!」「フォー―――!」男どもは野獣の如く叫んだ。中には興奮のあまり気絶する者もいた。「あらあら」彼女は口を手で押さえくすくすと笑った。「おかしいな、あの世では気絶なんてしない筈なんだけど」僕も笑った。その場の誰もが僕達の笑いにつられた。笑顔は伝染する、か。「あんたたち、本当にレズのカップルみたいね、長身の」先ほどのおしゃれ眼鏡の女子がそう言った、大勢の群衆がそれに追従し、囃し立てた。早苗は赤面した。僕は「いやいや、僕は男だし」そんな時間が長く続いた。

 彼らは用事があるとかで僕たちのもとを去っていった。賑やかなのは良いが、あの世でも一応どういうしくみか知らないが気力的に疲れる。早苗も同様だった、最も彼女は純粋な死人ではなかったが。先ほどの彼女は僕が臨終しそうな期間の辛気臭そうな顔から打って変わって幸せそうな顔だった。こんな思い、久しぶりね、まるで私たちの若いころみたいね、と早苗は僕に言った。「そうだね。そう言えば早苗はいつまでここにいられるの?」彼女は答えた。「制限時間はないの。なんだか瞬間が可算的に無限になるらしくて。必要とあればずっとあの世にもいられるの。まあ現世に戻るためには点滴だのをしてなきゃいけないけど。一応あなたの遺産と私の所持金はビルゲイツの総資産を事実上追い抜いてるから、金ならいくらでも出せるわ。愛する君と私の為だもの、なんだってするわ」早苗は嬉しそうな顔面を維持したまま僕にそう言った。僕たちはそのまま景色を楽しむ事にした。時間は腐るほどある、僕たちはあの世公認の歴史的ニート二人組だ。その事を頭で反芻すると、何故だか僕もさらに嬉しくなった。僕たちは沈黙を維持した。それは心地の良い沈黙であり、僕たちは個体から形を変え、素粒子レベルで一体になったような気さえ僕にはした。彼女はユング的にはアニマだったのか?

「そういえば凌我、統合失調症は治ったの?流石に死んでからも統合失調症に苦しんでないよね?」

「うん」と僕は言った。「統合失調症は治ったよ、そもそもあの世では脳の概念も現世とはまるっきり違うらしくて、その構造の差異によって統合失調症も自然消滅したんだよ。今では幻聴も被害妄想も、そして陰性症状も、認知機能障害もきれいさっぱりなくなった。丁度死と同時に悪性脳腫瘍が消えうせたのと同じ事かな。人間は現世では儚い存在だけど、死んだ人間はここまで自由なんてね。僕は気力以外は全て自分の意志でコントロールできるみたい。あの世での自由こそが先達達が夢見た真の自由なのかも知れないね。もっとも現世で日常的に思索に没頭し、功績をなした偉人達も会おうと思えば会えるよ。でも僕は別に興味はないかな、彼らと会うことに。特に天才なんてのは一癖も二癖もあるものだしさ、そういう七面倒くさいのは苦手なんだ。さっきも言ったように気力はコントロール出来ないんだよ、どうやら他の人は出来るらしいけど」

「そうなの。あの世って言っても至れり尽くせりって訳ではないのね」

「まあ別に構わないけどね、むしろ一つくらい障害がないと僕の美的感受性が受け付けなさそうだし。あの世も現世も自分の将来は自分が決めるものだね、やっぱり。まあ現世の場合は義務教育期間だの情操教育だのゆとり教育だのがあったけど」

「今はただ翼をたたんでゆっくり休んで」彼女はそう言った。僕はその言葉に甘える事にした。現世で散々彼女に甘えたように。まあ僕も同じくらい彼女に甘えられたが。僕はしばらく目をつぶっていた。かなりの時間が経ったか、何やら僕の顔面に水滴が落ちたのを感じた。僕は起きた。「何事だ」早苗は僕を見下ろしていた。「私、本当に久々にこうしていられるのが嬉しくて泣いちゃったの、本当に寂しかったんだから。私たち、未来永劫ここで一緒にいましょう」彼女はそう僕に語りかけた。僕は少し吃驚したが泣くほど彼女が恋焦がれていた事を知って微笑んだ。するとその直後今度は彼女以外の水滴が僕の顔面やら身体やら、早苗にやら降り注いだ。「何なの、一体全体」僕は動じる事無く淡々と言った。「どうやら神様の恒例行事みたい。具体的には何の神様か知らないけど。聖書に神が三日三晩地球に雨を降らせたって物語があるでしょ?それにしたがって死人の僕達からも普段は不可視の神様が何か怒った時にはヒステリックに雨を降らせるんだよ。穏やかな時は快晴、何かを怖がってる時は曇天、他にも現世では人間が確認する事が出来ない天気の形態を僕たちは確認できるよ。神の真理に呼応してあの世は成り立ってるんだ。僕達死人はその細胞みたいな感じかな」

「とにかく、住居に入りましょ」「近くにホテルがある。無限の人数を収容できる量子力学的ホテルが」「ならそこに行きましょ」

僕たちは煙となって、猪突猛進にそのホテルに向かった。彼女は場所を知らないので僕は彼女の手を取り、先導した。

 僕たちはホテルに着いた。僕はいそいそとチェックインを済ませた。最初から泊まる予定だったホテルだ。そして二人で部屋に入った。「そういえば」彼女が思い出したかのように、晴天の霹靂のように口を開いた。「凌我、自己憐憫の癖、なおったんだね」

僕は確かにと思った。「言われてみれば自分を憐れむ事はなくなったな。その辺も現世にいた時よりも明晰に出来るようになったのかも」

「現世にいた頃は統合失調症だったから自己憐憫も致し方のないことだと思ってたけど。やっぱ統合失調症がない方が男らしくてかっこいいね、君は」

 そして僕たちはやや沈黙した。「暇だね」「そうだね」僕は音楽を流そうかと彼女に提案した。彼女は「でも携帯もないじゃない」と言った。「あの世ではね、自分の脳髄の音楽プレイリストを使って音楽を流すことが出来るんだよ。どういう仕組みかは分からないけど、現世での意識的ネットワーク、集合無意識とつながっているみたい。じゃあ僕の好きなブラックサバス流すね、ヘヴィメタの総本山」僕は彼女がうん、と頷いたのを見て音楽を流し始めた。刺激的な重低音、言語的に万能となった死者である僕には歌詞の意味が一点の曇りもなく汲み取れた。僕はブラックサバスの蘊蓄を我田引水に早苗に語りだした。あの世で知った事なのだが、ブラックサバスのオカルト、ホラーな歌詞はあの世の国民的バンドと化していた。あの世の音楽的嗜好もあながち馬鹿には出来ない。そして僕はその事も彼女に話した。僕たちは長い時間ブラックサバスの音楽を聴いて悦に入っていた。

彼女も実は僕の形見として残されたブラックサバスのアルバムを、僕を思い出しながら狂ったように聴いていたという。

 僕は騒然とした音楽が流れている間、僕の遺体はどうしたのかという事を彼女に聞いた。「あなたの遺言通り、火葬にしたわ。ウジ虫の餌食にならずに済んだわ。あなたの葬式にはビートルズのインマイライフを流したよ、それもあなたの遺言通り」「そうか」僕は僕の遺言の内容を実行してくれた事に安心した。

 僕たちはずっと、音楽を聴いていた。僕は途中で趣向を変えて、ピンクフロイドの音楽を流し始めた。シドバレット脱退からロジャーウォーターズ脱退までの間のプログレ然としたピンクフロイドが僕は好きなのだ。僕はまず狂気を流した。そしてその音の芸術とも言える洗練された音楽に、先ほどの直情的な印象のするブラックサバスの音楽とはまた異なった良さを再認識した。そういえば僕は生前、プログレッシブツイストという一大音楽ジャンルを作った。それは僕独力では不可能であった事だ。僕は大学時代から自分が音楽ジャンルを創始したいと思っていたが皮肉にも大学時代、僕と熱心にバンド活動を行おうとする男が誰一人としていなかった。音楽的には無明の時期である。しかしそのおかげで数学、自然科学、哲学の画期的、革命的な功績を残す事が出来たのだ。禍福は糾える縄の如し、災い転じて福となす。幸福と不幸は常に紙一重のものなのだ。僕は高専時代、いじめられた事を不意に思い出した。あの体が小さく、内向的だった高専時代、あの時期から僕の精神は統合失調症によって甚大に蝕まれていた。もはやコミュニケーションは完全に不能となり、僕の友達はいなかった。中学時代の旧友も僕が精神に異常をきたしたのを感知し、即座に離れていった。僕はそういった環境の変化にも耐えられるだけの精神的な強靭さ、レジリエンスが備わっていなかった。結局僕は勉強に没頭する事もなく、ただひたすら活字やネットの世界にのめりこむようになっていった。0.5はあった視力も0.1まで下がった。また高専での学業成績は下から三番目程で、成績不振者として教員から呼び出された事もある。高専での留年は珍しい事ではなく、僕のクラスにも一人いた。しかし、僕は留年してしまえば、当然僕は自殺など、破滅の道を歩むだろうなと思っていた。結局僕は高専を辞め、過年度入学で地元から電車で50分の高校に入りなおした。基礎的な学力がついていたのか、その気になれば出来るのか、実情は定かではないが、僕は二度目の高校の入学試験を難なくパスした。

 僕は二度目の高校で最初は絶好調だった。女子にもモテて、成績も学年トップクラス、さらに部活でも活躍していた。しかし僕は外面の華やかさとは対照的に内面では非常に自暴自棄になっていた。恵まれている事がかえって僕の抑うつや自己懲罰を加速させた。そして僕は信じられないような奇行を取り、それを契機として幻聴や被害妄想は始まった。僕は統合失調症の自分に同情してくれる人がいる事を願って、周囲に僕は統合失調症だと吹聴して回った。当時は知らなかったのだが芥川龍之介や、アイザックニュートンも統合失調症だったらしい。僕は後年、5つのノーベル賞、1つの国民栄誉賞、アーベル省、フィールズ賞を取り、ジョンナッシュを超えた高機能な統合失調症患者と称される事となった。しかし天才とは、結果論である。学生時代の僕は普通の人として周囲から扱われていた。僕正直そういった、本来の僕の実力と周囲の評価との差異に内心不満を募らせていた。よく自信過剰な人が自分の理想像と現実での評価との板挟みで苦しむ事が心理学的な実例でも取り沙汰されていたが、僕の場合はそれとは少し違う、僕は真の天才であり、それに相応しい実力を学生の時分から兼ね備えていたのだ。

 そんな事を考えながらビートルズの名盤なども僕は早苗と聞いていた。そして遂に飽きてきた。僕は早苗に言った。「そういえば、あの世の第二の首都に芥川龍之介の邸宅があるんだ。今から彼のところへ一緒に行かないかい?僕は彼と話したい。同じ芸術家として」彼女はいいね、行こうと言った。僕たちは煙の姿となり、その地へ向かった。例のごとく僕が先導した。実はあの世では脳内に前世にいた頃よりも極めて高性能なGPSが海コメれている。しかしそれは機械ではなく魂としてだ。現世での機会が、あくまで水素やら電気やら、蒸気機関やら、熱やら、水力やら、原子力やらのエネルギーの変換で行われるのが通例であるのに対し、あの世のそのエネルギー源はデウス様によると魂であるらしい。僕達人間は神と同じような形として受肉し、誕生する。僕は神々を拝見した事があるが、ガネーシャやら阿修羅やらの異形を除けば軒並み普通の人間と見分けがつかない程の外見であった。

 僕たちは芥川の邸宅についた。死者の脳は携帯端末やパソコンの如く高性能な連絡機能もついている。僕は彼に連絡を入れて先にアポをとっていたのだ。またこのあの世における死人の脳の機能は、各人の創造性による彫琢によって際限なく高性能にする事が出来る。その際限のなさはまるで人間の欲望のそれと似ている。あの世は現世を超越した、無限性の地なのだ。また言い忘れていたが人間以外のあの世もあるらしい。僕は詳しくは知らないがワームホールによって、ゾウのあの世に旅行に行った人もいるらしい。人間のあの世は他のあの世ともつながっており、諍いが起こる事はまず間違いなくない。仮に起こったとしてもあの世には審判者という神でもあり植物でもあり、動物でもある存在によってすぐさま鎮静化される。

 僕は芥川邸のインターホンを押した。彼の生きた時代の建物とは対照的に非常に現代的な住居だ。もっともこの現代的、というのは僕の晩年の前世の時の事を言っているのだが。芥川はドアを開けた。うん、肖像画通りの顔だ。もっとも、あの世の人物は現世の自分の姿ならどの時期の外見でも良いため、彼も僕と同様25歳前後の風貌であった。「よく来たね。さ、上がって上がって」彼はそう笑いながら僕たち言った。彼は繊細で神経質そうな顔をしていた。僕達は彼に導かれるまま、ソファのある部屋に来た。どこか紅茶のような良い香りが部屋中に漂っている。僕たちはソファにかけた。「赤川君、君の現世での仕事は見ていたよ。君は本当にすごいね。あそこまで世界を変えられるのは本当にすごい。確かに、人類史上最高の天才だよ、君は」僕は照れながら「ありがとうございます。あなたにそう言ってもらえるのは光栄です」と言った。「芥川先生の著作も僕は芸術活動を行う上で勉強と称して拝読しました。あなたの文体は非常に無駄がなく、整っている。21世紀ではあなたの文学は好評ですよ。もっとも、日本の文壇の最高峰である夏目漱石の『こころ』や太宰治の『人間失格』の方が売れてましたけど」彼は笑いながら言った。「ああ、太宰君ね、僕のファンだったみたいだね。僕は彼の事も知ってるよ。彼、玉川上水で死んだあとに僕のこの邸宅に来たよ。血走った目で、息をはずませながらね。僕は若干引きながら、彼と会話したけど、彼の才能はすさまじいね。『人間失格』以外でも女性支店の描写や愉快な諧謔、皮肉、彼は一流の芸術家として相応しいと思うよ。彼は自分の著作を脳内フォルダを開いて僕に見せてくれたんだ。僕は彼の作品は『人間失格』と『恥』と『走れメロス』しか知らなかったんだけど、彼は私の生涯をかけた仕事です、今でなくても良いからぜひ読んでください、と言って僕にデータを送付したんだ。僕は同じような事を確か物理学者のウィリアムハミルトンが言っていたなと思ったよ、そして彼の作品を彼が帰ってから読んだらすごく面白かった。僕には生前あんな小説は書けなかった。中には駄作もあったけどあれほどの才能は近代日本文学随一だと思うよ」彼は嬉しそうにそう言った。「確か凌我君は、筒井康隆やディケンズも好きらしいね」「そうです」僕も筒井康隆の小説読んだよ、あれは非常に面白いね。「まあ僕が筒井康隆を集中的に読んだのは大学時代ですかね。まあそれ以後にも色々と読みましたけど、真の意味で読んだ、精読したと言えるのは大学時代です」「そうか、そうか」彼は笑いながら言った。僕は彼が旧帝大出身である事を思い出した、しかも東大である。僕は彼ほど勉強が出来た事はない。前世では彼が統合失調症であったという説も聞いていたが、発症はおそらく大卒後だろう。僕だって、僕だって統合失調症さえなければ東大に入れていた。僕は半ば滑稽でルサンチマン的とも言える敵愾心を彼に対して燃やしていた。「僕は自分の仕事を通してアンガージュマンとして21世紀を獅子奮迅に行きました。無理をした事もありましたけど、早苗のサポートと加齢と、闘病経験によって無理しすぎるという僕の悪癖も段々となおっていきました」彼はそれ受けて、こう言った。「僕も凌我君と同じように統合失調症だったよ。あの世の医者は名医揃いで、僕の生前の記録を見てあなたは統合失調症でした、と彼らの一人に言われたよ。まあでもあの時代は21世紀よりも深刻な障害者差別が跋扈していてね、統合失調症の患者であっても世間の対面、パブリックイメージを考えて、そう言ったカミングアウトはしない事が無意識的な常識としてあったんだよ。確か僕の家族にも統合失調症の人がいたみたいでね、確か、『点鬼母』にその事を書いた気がするけど、でもあの世に来てからはあまり自分の作品を読まなくなって、自分が何を書いたか、今では判然としないんだよ、皮肉な事にね。まあでも『河童』とかにも幻聴幻覚の描写は入れたかな。当時は幻聴でも幻覚でも、病気の症状であれ、金を稼いで妻子を養うためには遠慮なく利用するしかないと思っていたんだ。生前は本当に必死だったよ。僕は一日中小説のプロットを考えている時もあったよ」彼は聡明で輝きのある瞳と、高知能そうな口の動きを伴わせて、そう喋った。彼との会話は長く続いた。

 そして僕たちは会話を終えた。「今日は楽しかったです」と満面の笑みで言った。彼は「こちらこそありがとう、またいつでもおいで。どうせ死人は暇である事が多いんだから」と言った。そして僕たちは芥川邸を去っていった。早苗は僕たちの会話を終始無言で聞いていた。早苗は言った。「まるで私、蚊帳の外だったみたいね。あの人、凌我の事好きでしょ。まあ凌我の並外れて魅力的なルックスと内面を考慮すれば当然だけど」その瞳は嫉妬に燃えていたように思えた。僕は言った「そうなの?彼が生前同性愛者だったって話は聞かないけど」しかし、と僕は言った。「しかし、僕が彼のような文豪と会って話が出来るとは、生前死人と会話するという妄想を何度かしたことがあるけど、先程の会話はそう言った自由闊達な妄想に見劣りする事のない夢のような時間だった。いやあ、本当に、貴重な体験だった」「文豪は、君もでしょ」彼女は微笑みながらそう言った。

 そして僕たちの物語はあの世であっても際限なく続いていく。前世での出会いを端緒として、まさか僕がこのように良い人たちと、そして愛する早苗と一緒に、太平無事な生活を送れるのは非常に愉快な事だ。僕は生前は不可知論者であったからあの世について真剣に考察した事はなかった。そしてあの世に来たとき、僕はまるで自分の新たな物語がまた始まったように思えた。ずっとずっと、思い描いていた、一片の煩わしさのない、真の自由。僕のようなクソ雑魚産業廃棄物が、このような安寧秩序の下で生きられるのは本当に光栄だ。現世では邪知暴虐の老人や、厚顔無恥な若者も非常に多かった。しかしそれは僕の生前の視野狭窄の視点によって観察されたものであり、それをあたかも帰納法的に結論へとつなげるのは早計であった。しかしそのような事は関係がない。今の僕はあの世だ。どうやら早苗は自分で現世との接続を切るオプションを選択したらしい。金は前払いであったから、大富豪の自分にとっては造作もない買い物だったと言っていた。「群は元気だろうか?」僕は早苗に聞いた。「元気みたいよ。彼女も私のような素敵な旦那さんと協力して人生を生きているみたい。群は一図で、そして美しい、私と同じくらいにね」「人生の意味って結局なんだったのか、今の僕には皆目見当もつかないよ」彼女はくすくすと笑いながら言った。「そんな事を考えるのはきっと哲学者くらいね」彼女の姿は神の心情を反映する夕日によって美しく照らされていたのだった。



 以上のような事を僕は僕と同性同名である赤川凌我氏の脳内をハッキングして得た事である。目覚ましい発展と遂げた科学技術文明においてはこのような事も行えるようになった。僕は専門的な機械を統御し、彼の脳内を露骨なまでに暴き切る事に成功した。僕の発明したこの機械の特許を、僕は今特許局に申請している最中である。この発明は人類文明全体に災いをもたらす恐れがあるだとかで今現在僕はお偉方の判断を待っている状況である。そのため、今現在、僕のこの大発明は一般には伏せられている。しかし人の脳をここまで緻密に暴くことが出来るとは、僕のネイキッドマッドネス、マッドサイエンティストぶりにもしばしば僕は愕然とせざるを得ない。奇しくも僕も彼と同じような経験をした事がある。また、全てではないものの僕と彼には類似点が多い。彼はパラレルワールドの僕ではないかとの疑念を抱いてしまう程。しかし僕は彼のように女性に優しくされた事がない。その事に対し、僕は激烈なルサンチマンを感じずにはいられない。しかし赤川氏の死後の世界まで僕のこの機械は受信したのか?理論上はあり得ないのだが。なるほど、僕には超能力が目覚めたのだ。魂に対するストーキングを可能にする能力を実現させるのは超能力以外に可能な訳がない。統合失調との闘病を経て、僕は超能力を得たのだ。「生意気なビート」僕は自らの心の醜悪さを言語で昇華させるようにそう吐き捨てた。このナンバーは終わりだ、言いたい事はもっとあるのだが。


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生意気なビート 赤川凌我 @ryogam85

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