第221話 好きって何
※姫希の視点です。
◇
好きって、なんなのかしら。
シャワーを浴びながらふとそんな事を考える。
最近、よく考える事だ。
あきらとすずの柊喜クンへの異常な愛情表現を見ていると、なんだかもやもやする。
人を好きになるってどんな感覚なのかわからない。
そもそも、あたしは誰かを好きになったことがあるのかしら。
「んー。お姉ちゃん流すのまだ?」
「あ、ごめん」
弟の髪を洗いながら考え込んでしまっていた。
シャワーでシャンプーを流してあげた後、あたしも自分の髪を洗う。
「今日ね、友達にラブレター貰った」
「ら、ラブレター?」
「うん。僕のことが好きなんだって。でも僕は他の子の事が好きだから、ごめんなさいって断ったんだ」
「へぇ」
弟はまだ小学二年生。
未だに高校生の姉に髪を洗ってもらっているような子だ。
そんな子が、恋愛か。
「……人を好きになるって、どんな感覚?」
「お姉ちゃんには好きな人いないの?」
「あたしの好きな人……?」
髪を流しながら考えてみる。
しかし、思い浮かぶ顔は一つだけだ。
まぁあたしの場合、そいつとしか接点がないんだけれど。
「わかんないわ」
「ふーん」
体を洗ってから湯船につかり、長い間一人でじっと考える。
全部柊喜クンのことだ。
彼とは色々あった。
あの人が初めて部活に来た日、下着姿を見られたのはまだ覚えている。
その後も何かとイライラさせられた。
頑張り過ぎて発熱し、倒れたのを看病した時は、申し訳なさと同時に馬鹿じゃないの?と思ったものだ。
自分の限界がまるでわかってない。
だけど、ベッドに横になった彼の横顔は、なんだか可愛かった。
それこそ弟みたいに思えた。
ずっとどこかにあった警戒が、すっと溶けていったのを覚えてる。
コーチとして頑張っているけど、同い年の男の子なんだと気付いた。
少し、守ってあげたくなった。
そんな事を思いつつ、あたしは彼に守られてばっかりだった。
引っ張られてばっかりだった。
彼の元カノに泣かされた時も、部活で伸び悩んでる時も、ずっとずっと、彼はあたしのそばにいてくれた。
気付けば、あたしの中で彼の存在が大きくなっていた。
「好き、か」
あたしは柊喜クンのことが好き。
信頼している。
だけれど、あきらやすずのことを見ていると、ニュアンスが違うような気がした。
好きは好きでも、前に言った通り、LoveじゃなくてLikeなのかしら。
「まぁ、どっちでもいいわね。どうせあいつ、あたしの事なんかなんとも思ってないでしょうし」
明日、柊喜クンはあたし達の誰かに告白する。
だけど、心配しなくてもあたしなんか選ばれないから。
少し胸がちくっとしながら、そんな事を考えた。
◇
「もう一回言う。俺と付き合って欲しい」
目の前の柊喜クンは、あたしの目を真っすぐ見てそう言った。
彼は、あたしの事が好きらしい。
まず初めに『なんで?』と思った。
だけど、彼はそんなあたしに照れもせずに好きなところを言ってくれた。
そのおかげで、柊喜クンが本気であたしの事を想ってくれてることがわかった。
今は、自分の気持ちについて疑問が生じている。
あたしは、この人のことをどう思ってるの?
好きは好きだ。
だけど、やっぱり振り切れない。
どうしてもあきらやすずの姿がちらつく。
あたしの好きを二人と同列に並べるのは、なんだか違う気がするから。
「……」
あたしが答えないから、柊喜クンが徐々に変な顔をし始める。
断られたって表情だ。
苦しそうに、だけど少し笑みを浮かべながら、困ったように頬を掻く。
手持ち無沙汰になった時に頰を掻くのは、この人の癖ね。
「ふぅ」
ドキドキしっ放しで、呼吸が浅くなっていたから、あたしは息を吐いた。
そして気付く。
「嬉しかった……?」
「え?」
独り言に首を傾げる柊喜クンを無視し、あたしは考え、苦笑した。
そっか。そうだったんだ。
先ほどの自分の発言を反芻して理解する。
あたし、この人に告白されて嬉しかったんだ。
じゃあそれが、答えじゃないの。
結論に辿り着いてからは簡単だった。
難しいことを考える必要なんてないもの。
自分の気持ちに嘘なんてつけない。
目の前にいる男の子の顔を見ながら、あたしは口を開く。
「あたし、すごく口悪いわよ」
「知ってる」
「他の子に遠慮なんてしないわよ?」
「あぁ」
「それでもいいの?」
「勿論。そんな姫希のことが、好きだから」
「わかったわ。……よろしく」
「ッ!?」
あたしは、髪を弄りながら応えた。
顔が死ぬほど熱くなっているのが分かる。
何故か、涙ぐんできた。
「仕方ないから付き合ってあげる」
「ははっ。なんでそんなに上から目線なんだよ」
「あはは」
あたしは柊喜クンのことが好き。
誰の気持ちより劣ってるとか、もうどうでもいい。
好きっていう事実は変わらないんだから。
と、二人で笑い合っているその時、足音が聞こえた――。
◇
※柊喜の視点
◇
姫希にオッケーをもらった。
付き合うことになった。
幸せだ。
正直絶対フラれると思っていたため、夢みたいだ。
目の前で笑う姫希は何故か涙目で顔真っ赤。
そんな姿に、俺もつい泣きそうになった。
最近、涙腺が緩んでいる気がする。
しかし、俺の恋愛がこうも綺麗に収まるわけがない。
いつものことだが、大体落ち着いてくると、何か波瀾が生じるものだから。
ゆっくりと近づいてくる足音に、俺と姫希は顔を向ける。
二人の時間は、とある一人によって阻まれた。
「……やっぱり伏山さんなんだ」
「未来」
不意に現れた元カノの姿に、俺は然程驚かなかった。
大体こういう時に現れる奴だし、もうそういう運命だと思うしかない。
未来は、優しい顔をしていた。
「ごめん。学校に用があって来たんだけど、たまたま伏山さんが体育館に行くところが見えてさ。話聞こえた」
「そっか」
「黒森さん達のこと、フッたの?」
「あぁ」
「伏山さんと、付き合うんだよね?」
「うん」
「そんなに好きなの?」
「大好きだよ」
「……」
俺に告白してくれた女子のことはちゃんとフるつもりだった。
だけど唯一、未来だけはフッていない。
別に存在を忘れていたわけではない。
単純に、向き合う気がなかっただけだ。
あいつらの想いと未来を同列に並べるなんてありえないと、俺が判断した。
そしてその理由に、多分未来は気付いてくれた。
昔のこいつなら全然納得してくれなかったと思うが、今の未来は変わった。
俺が何に傷つき、何を思ったかを理解しようとしてくれるようになった。
未来は、涙をこぼした。
「……こんなに辛かったんだ」
「……」
「好きな人が他の人と付き合うって、こんなに、胸が苦しいんだ」
去年の夏、俺は未来にフラれた。
『デカいから邪魔』
『もーいらない』
『お前で十分だっての』
『先月くらいから新しい彼氏いるんだよね』
未だに全ての言葉を覚えている。
それほどまでに、傷ついた。
未来はようやくわかってくれたらしい。
「ごめん。……別れる前に他の人と付き合うとか、ありえなかった」
「そうだな」
「……」
謝った後、未来は背を向ける。
そして小声で言った。
「私、フラれる事すらできなかった」
「……」
今更過去のことを掘り返す気はない。
そもそも未来は既に変わってくれていた。
好きになることはなかったが、努力を否定する気もない。
当たり前のことが分からなかった未来が、他人の気持ちを知ろうと考えられるようになったのは、物凄いことだと思うから。
未来が帰った後、俺は姫希に謝った。
「なんかごめんな。変な感じになって」
「いいわよ。大事な事でしょ? ってかよかったわね。やっと全部わかってくれたみたい」
「あぁ」
「それにしても、相変わらず凄いタイミングで現れる人ね」
「まったくだ」
お互いに顔を見合わせて、苦笑する。
あの別れ話も、もう八ヶ月も前のことだ。
前は姫希に別れ話を聞かれて、今度は未来に告白を聞かれて。
本当に、何の縁なんだろうな。
「じゃあ全員を呼んで報告するか」
「……えぇ、そうね。覚悟はできてる」
告白して付き合って、これで終わりではない。
四人に、俺達が付き合い始める事を、伝えなければならないから。
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