第196話 大会への特訓(あきら前編)

「おーい。カレー余ったから要らなーい?」


 とある日の夕方。

 何をするわけでもなくリビングでぼーっとしていると、玄関先から声が聞こえた。

 随分原始的な来客だ。

 どうやらインターホンという文明の利器を知らないらしい。


 よっこらしょと腰を上げ、俺は玄関を開けた。

 そこには鍋を持った幼馴染が立っていた。


「やっと出てきた。遅いよ」

「お前はなんでインターホンを使わないんだ」

「両手塞がってるから」

「普段からあんまり使ってないだろ」

「あはは、そうだっけ」


 こいつは俺を呼ぶとき、大抵外から大声を出してくる。

 たまにインターホンを鳴らすときもあるが、基本的には直接呼んでくる。

 そもそも前までは無言で入って来る事も多かったし。


「ってかカレーのおすそ分けなんて古典的だな」

「あはは、うちのお母さんも柊喜の事心配してるんだよ。あえて多めに作ってた気がするし」

「申し訳ないな。ありがたくもらうよ」


 あきらと俺の関係がぎこちなくなっていることに、おばさんは恐らく気付いていると思う。

 毎日一緒にご飯を食べていたのに、急に距離が空いているのは不自然だ。

 だからと言って、あきらが俺に告白をしたと知っているかは知らない。

 思春期特有のそういう時期だと思われている程度だろう。


 俺はあきらからカレーの鍋を受け取った。

 今日の夕飯にでもしよう。


 と、用は終わったのにあきらは家に帰らない。


「どうした?」

「別に。夏のこと思い出してただけ」

「夏?」

「あの日も、カレーだったなぁって」


 あの日と言われて俺も思い出す。

 あれはそう、俺が未来にフラれた日だ。

 夏野菜をふんだんに使ったカレーをあきらにご馳走してもらった。


「あの後私が柊喜を勧誘して部活に連れ込んだんだよね」

「そうだな。ここの庭で一対一をした」

「うん」


 そうか、あれが夏の事なのか。

 もうすっかり寒くなってしまったものだ。

 チラリと見えるカレーの具材もあの時とは違う。


「ご飯食べた後、こっち来ても良い?」

「え?」

「あ、泊りたいとかじゃなくて、ちょっと練習したくて。今日体育館使えなくて筋トレしかしてないじゃん? だからちょっとボール触りたくって」


 あきらの言葉を聞いて俺はスマホを見る。

 今は六時半か。


「あんまり遅い時間は無理だぞ。近所迷惑だから」

「うんっ。すぐご飯食べて準備するね」

「了解」


 俺が頷くと、あきらは背を向けて走り出した。

 意識が高いのは良い事である。



 ◇



 おばさんの作ったカレーを食べた後、俺は庭のゴールを起こす。

 基本的に使わないため、邪魔にならないように倒して端に置いているのだ。

 準備するには手間がかかる。


「よいしょ」


 額ににじむ汗を拭いながら一息つくと、ボールを持ったあきらがひょこっと顔を見せた。

 良い時間だな。


「やるか」

「うん」


 あきらの服装は見ていると若干寒そうだ。

 上は薄い長袖、下はまさかの短パン。

 やる気は感じるが、風邪でも引かないか心配になる。


「寒くないのか?」

「うん。カレー食べたし」

「何の関係があるんだよ」

「あははっ。なんか体温まったから」


 あきらはそんな事を言いながら俺が準備したゴールにレイアップシュートを打つ。

 そのシュートは普通に入った。

 やはり基礎力は見違えるほどついているな。


「上手くなったな」

「そりゃ柊喜が半年近く教えてくれたから」

「お前が頑張ったからだろ」

「それもあるけど、それだけじゃない」


 思えば色んな問題に苛まれながら、よく頑張ったものだ。

 初めの方は俺の元カノが乱入してきてひと悶着あり、またその後には先輩たちに絡まれて面倒ごとが起きたり。

 遠征では他校の女子に嫌がらせされ、テストではみんなで必死に赤点回避しようと勉強会をした。


 まるでバスケに専念できるような状況ではなかったのに、本当に大した奴らだ。

 正直尊敬する。


 あきらは不意に俺の方に振り向いた。


「一対一しよ」

「はぁ?」

「久々にやってみたい。自分がどれだけ上手くなったか知りたいから」

「まぁいいけど」


 断る理由もないためあきらの正面に立つと、変な顔をされた。


「靴それでいいの?」

「え?」

「怪我しちゃうよ」

「別にお前とバスケするくらいじゃ悪化しないって」

「わかんないじゃん。心配だから履き替えて。ほら早くっ」

「はいはい」


 説教されては仕方がない。

 俺は渋々サポーターを巻き、靴下と靴を履き替えた。


「じゃあ行くよ?」

「あぁ」


 合図した瞬間、あきらは即座にゴールを見た。

 以前と違ってシュートを打つ気満々である。

 だがしかし、圧倒的な身長差があってシュートは打てない。

 そのまま彼女はドリブル突破を伺う。


「考えすぎだよ」

「あ」


 俺をじっと見ながら好機を狙うあきらから、ボールを奪い取った。

 残念そうな声を漏らすあきらに俺は苦笑する。


「はは、甘いな。もっと強い力でボール持ってないと今みたいに奪い取られるぞ」

「でもさ、やっぱ上達して痛感したよ。柊喜って凄いんだね」


 今の攻防で完全に心が折れたらしいあきらはその場に座り込んだ。


「シュート打ったらブロックされるし、簡単なフェイントにも引っかかってくれない。こんなに強い女の子とは戦ったことないけど、上位のチームに通用しない理由が分かった気がするよ」

「悲観的だな」

「間に合うかな、春までに」


 時間はあるが、人が劇的に成長できるほどの期間かと言われればそうでもない。

 頭を使わない限り大した成長は望めないだろう。


「今の攻防、上手い奴ならどうやって突破すると思う?」


 質問するとあきらは考え込んだ。


「姫希とか唯葉ちゃんならドリブルで抜くのかな。すずなら力づくで押し込むかも。凛子ちゃんなら……あ」

「何か気付いたか?」

「あれ練習したい。柊喜が前に宮永先輩に決めてた奴」

「どれだ?」

「ステップバック」


 あきらが辿り着いた答えは、俺が思っていたモノとは少し違った。

 ドリブルでも教えようかと思っていたため、彼女の発想には驚く。

 だけど、間違えではない。


 ステップバックは相手から距離を取り、自分がシュートを打ちやすいようにスペースを作ることができる。

 シューターのあきらには持って来いのスキルだ。

 だけど、簡単に習得できる技術でもない。

 結構身体能力もいるからな。

 うちで器用にできそうなのは、凛子先輩くらいだろうか。

 あの人の場合ステップバックができても、肝心のシュートは入らないだろうが。


「私じゃ無理?」


 多分俺は微妙な顔をしていたと思う。

 それがあきらを不安にさせてしまったかもしれない。


「そんなわけない。楽に覚えられるわけでもないが、練習したら絶対できるはずだ。あきらはシュート上手いし、覚えるに越したことはないと思う」

「ホント? 教えてくれる?」

「勿論」


 選手の方からこんなに前のめりな姿勢で教えを請われて、断れるコーチなんているものか。


「だけど場所を変えよう。ここじゃ怪我しかねない」

「わかった。怪我は、危ないもんね」

「あぁ」

「じゃあ楽しみにしてるから。実はあの時から、ずっと憧れてたんだよね」

「そっか」

「柊喜めっちゃカッコよかったもん」


 言われて一瞬、腿が痙攣した。

 ちょろい筋肉だ。

 少し褒められたくらいでまたバスケがしたくなったらしい。


「この前の大会の一回戦のあきらもカッコよかったぞ」

「ベンチで見ててほしかったなぁ」

「悪かったな。もう病気しないように気を付けるから」

「約束だよ? 柊喜がいないと締まらないんだよ」


 こいつらは試合前もまるでバス遠足みたいに写真を撮って遊んでいたからな。

 まぁ、それもそれで楽しければいいんじゃないかと思うが。


「なんか寒くなってきたし、帰ろっかな」

「風邪ひくなよ。ゆっくり風呂入って温まれ」

「はーい」


 行儀良く返事しながら、あきらは帰って行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る