第197話 大会への特訓(あきら後編)

「柊喜、大丈夫!? 大丈夫っ!?」

「何回も聞くなよ。平気だって」

「だって、だって……」


 涙目になりながら抱き着いてくる少女に、俺は『面倒だな、邪魔だな』なんて思いながらなすがままされていた。

 彼女はぎゅっと俺の首元に顔を押し付ける。

 小さくて柔らかい体の暖かさを感じた。


「大げさだって。別に大したことない」

「……そんなの嘘じゃん」

「……」


 今日、俺は怪我をした。

 元から痛めていた右足首を先輩との衝突でさらに拗らせ、追い打ちをくらった。

 自分の中で何となくわかる。

 終わった。

 確実に、もう今まで通りのプレーは続けられない。


 あきらは隣のコートで一部始終を見ていた。

 俺が先輩と接触し、その後言い争いに発展したこと。

 その時に先輩にボロカスに文句を言われたこと。

 それを目の当たりにし、今俺を慰めてくれている。


「なんでお前が泣くんだよ」

「心配、だもん」

「はぁ」


 俺はあきらの頭をゆっくり撫でながら、息を大きく吐く。

 優しいな、こいつは。


「別にバスケができなくなったところで、死ぬわけじゃないんだし」

「でも、柊喜にとってバスケは大事じゃん! おばさんとの大事な思い出じゃん!」

「もう、いいって」

「柊喜がおばさんの事を想ってバスケ始めたの知ってるもん。そんな簡単に捨てられるわけないじゃん! ずっと、全国大会に行きたいって言ってたじゃん! こんなに練習して、有名になったのに、怪我で終わりとか絶対ダメだよっ!」


 あきらがバシッとテーブルに新聞を叩きつけた。

 その面には俺の事が少し書かれていた。


「だからって、どうしようもねーだろ」

「っ! ……ごめん」

「……」


 本当は俺だって泣きたい。

 あきらの言う通り、俺は今まで死ぬ気で努力してきた。

 それがこんな事で壊されるなんて、信じたくない。

 でも仕方ないじゃないか。

 無理なもんは無理だ。

 そもそも今回の事故がなくても、俺は壊れていただろう。

 時間の問題だった。


「柊喜、あんなに頑張ってたのに」

「もういいから」

「……」

「お前は、本当に怪我だけには気をつけろよ」

「うん」

「心配してくれてありがとな」


 俺は最後にそう言って幼馴染を抱きしめた。

 苦しさを、あきらと触れることで紛らわそうとした。

 実際、それでかなり落ち着いた。



 ◇



「いたっ」

「馬鹿ッ!」


 おかしな体制のままステップバックしようとして転んだあきらに俺は駆けつける。

 そのまま背中を支えて様子を見た。


「大丈夫か?」

「うん。ちょっと捻りそうになったけど大丈夫そう。踏ん張らずに転んだから足はそんなに痛くない」

「無茶すんなって言ってんだろ……」


 部活の練習後、俺とあきらは二人で体育館に残ってステップバックの練習をしていた。

 他のメンバーは既に帰宅している。

 今は二人の貸し切り状態だ。


「あはは、ごめん」

「俺に謝らなくていい。自分の体は大事にしろ」

「柊喜が言うと説得力あるな」

「そうだろ」


 俺は怪我でスポーツキャリアを終わらせた人間だからな。

 しかもあきらは全て間近で見ている。

 勿論俺の一生の汚点である、最後の試合も。


「あの日の晩は抱き合って一緒に泣いたよね」

「泣いてたのはお前だけだろ」

「えー、嘘だ」

「俺は泣いてないぞ。絶対に」


 親がいなかった事もあるが、多少の事で泣くようなガキではなかった。

 それも中二だろ?

 絶対泣いてない。


 あきらは座ったまま、ぽつりと口を開く。


「今になってようやく少しわかったよ。この状況で試合できなくなったらって想像すると、ゾッとする」

「そうだな」

「柊喜は強いね。こんなプレッシャーと戦いながら、一人で立ってたんだ」

「……違うだろ」

「え?」

「一人じゃない。お前が支えてくれてたじゃないか」

「……」


 正直あの当時はあきらにありがたみなんかあまり感じられていなかった。

 俺も自己中だったし、自分の境遇にいじけていた。

 支えてくれる存在の大切さに、気付けていなかった。

 だけど今ならわかる。

 俺が前を向いて歩けたのは、一緒に悲しんでくれる奴がいたからだって。


「ってか、怪我のリスクが分かってんなら無茶すんな馬鹿」

「うひゃっ」


 頭をぐしゃぐしゃにすると、変な声で鳴かれた。

 ふざけてんのか。


「久々に頭触られた」

「……あぁ悪い。正直、今は幼馴染として見てたからつい」

「いいよ別に。昔のこと思い出すと、柊喜の事ちょっとそういう目とは違う感じで見ちゃう。なんか変だよね私達」

「本当にな」

「好きな人である前に、やっぱり家族なんだよ」


 一緒に歩んできた年数は重い。

 一度の告白で全てが変わることはできなかった。


 あきらは立ち上がって俺の方を見つめた。


「背、伸びたね」

「何を今さら」

「百九十はあるんじゃない?」

「余裕であるだろうな。このペースなら高校在学中に二メートル行くかも」

「あはは、巨人じゃん」


 日本人で二メートル越えは激レアだ。

 しかもスポーツもしていないとなると、何のための身長なんだって感じもする。

 そういえば未来に独活の大木って言われたことがあったっけ。

 あながち間違えではないって事だ。

 辛い。


「でも柊喜がどんなに身長伸びても、ずっと私の幼馴染だし、好きな人だから」

「流石に好きな人は変わるだろ」

「ん? 私が他の男の子と付き合って色んな事しても平気なの?」

「……え?」


 ニヤニヤ笑いながら聞いてきたあきらに、頭が真っ白になる。

 急な質問に、つい思考が止まった。

 こいつに彼氏……?


「なんでそこ固まるの」

「あ、いや」

「……あはは、まぁ嫌だよね」

「……」


 嫌だった。

 でもそれは、あきらだけじゃない。

 すずも凛子先輩も同じだ。

 それに多分、姫希と唯葉先輩に彼氏ができても、ちょっと複雑な気分になるだろう。


「私もあったんだ。前柊喜が熱出したとき、姫希が看病してたじゃん? あの日、物凄く嫌な気分になった。でも多分、それは柊喜の事を恋愛的に見てたからじゃない」

「うん」

「仲良くなると、恋愛抜きで考えてもちょっと複雑な気分になるんだよ」

「そんなもんなのか」

「多分ね。でも、もしそこに本当に恋愛感情が混ざると、もっと嫌な気分になる」


 あきらはよくわからない顔で俺を見つめた。


「柊喜が他の子と付き合い始めたら、多分私おかしくなる」

「……」

「苦しくて苦しくて仕方がなくなる。だから、考えてみて欲しいんだ。柊喜が感じる私に彼氏ができた時の不快感って、どのくらいのモノなんだろうって。それがもし、後者なら……あはは」


 最後は笑って誤魔化されたが、言いたいことはわかった。

 あきらの言う通りなのだろう。


「何の話してるんだろう私達」

「言い出したのはあきらだけど」

「あれ、そうだっけ?」


 記憶力の悪い奴だ。

 そもそも俺の方から恋愛関連の話を振るわけないだろうってのに。


「まずは次の大会で優勝しないとね」

「なんだそのテキトーな感じは。俺達最高ベスト8のチームだぞ」

「柊喜いなくてベスト8でしょ? いたら優勝できるって」

「何を根拠に……」


 簡単に言ってくれるぜ、本当に。

 と、あきらはボールを胸の前に抱えながら、にこりと笑う。


「だって幼馴染だもん。私達の絆は並じゃない」

「……幼馴染なのは俺達だけだろ」

「あはは、もうみんなとも相性バッチリじゃん! 姫希もすずも凛子ちゃんも唯葉ちゃんも、みーんな柊喜の事信頼してるし、柊喜もみんなの事信頼してるでしょ?」

「そうだな」

「だから大丈夫!」


 いつか聞いたような事を言うあきらは、そのまま俺に近づいた。


「頼りにしてるよ? コーチ」

「任せろ。言っただろ、県大会優勝させてやるって」

「うん、それでこそ柊喜だよ」


 まるで俺の方が元気づけられているみたいだ。

 意味が分からない。


 なんだか生意気だったので、俺はあきらの頭を再度ぐしゃぐしゃに撫でまわした。

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