第194話 大会への特訓(すず前編)

 いつもの練習で俺は体育館に一人座っていた。

 時刻は夕方なのに異様に静かだ。

 それもそのはず、この体育館には今俺しかいないのだから。

 だけど帰る事はない。

 一応あと一人、部員はいるからな。


「お待たせ」

「あぁ」

「髪結んでみた。どう?」

「いいんじゃないか?」

「えへへ」


 髪の毛をちょこんと後ろで結んでいるすず。

 最近髪を切ったらしく、セミロングだった髪は肩にもかからない長さに切りそろえられていた。

 短くしても似合っている。


 すずはくるりと一周回って俺に髪を見せてくる。

 相変わらず自己主張の強い奴だ。


「なんか二人きりの体育館ドキドキする」

「あんまりある事じゃないからな」

「楽しみ」


 今日の練習は俺とすずの二人きりである。

 先輩三人は全員放課後に用事があるらしく、姫希は体調不良で休みだ。

 あきらはクラス会議とやらで欠席と聞いた。

 というわけなので、俺とすずの二人しか残らなかった。

 何気にすずだけ来るのは初めてだ。


「今日は何するの?」

「せっかくだからゴール下の動きを色々教えようかと思ってる」

「いつもやってるじゃん」

「あれだけじゃ足りないんだよ」


 というのも、どうしてもすずと練習をしていると周りの目が厳しくなるからな。

 あきらのジトッとした目や、凛子先輩のなんとも言えない目を向けられると流石にやり辛い。

 どうしても体の接触が多いため、あの二人も思う所があるのだろう。

 だがしかし、俺達は真面目だ。

 仕方なくやっているだけだから。


 今日は誰もいないため、好都合である。


 二人でぼーっと向かい合っていても意味がないため、早速リングの下に移動した。

 すずは俺に体を預けてくる。


「いつもシュートを打つ時、相手を押し出してスペースを作ってるだけだろ? もうちょっとフェイクを混ぜてみよう」

「ん」


 言われてすぐにすずは一度左手でシュートを打つフェイントを入れ、右手でシュートをしようとした。

 しかし、大したズレは生じることなく、そのシュートは俺の手によって止められる。


「難しい」

「お前右利きだから、軸足でなんとなく読めるぞ」

「足も見てるの?」


 上目づかいで見られ、俺はなんとなくすずの足に視線を落とす。

 すべすべしてそうな太ももだ。

 って違う。


「体全体でフェイントを入れなきゃ騙せないからな。すずは素直過ぎるんだ」

「むぅ。嘘つくの難しい」

「ははは」


 つい笑いが漏れてしまった。

 嘘が難しいとはすずらしい話だ。

 バスケも普段の言動も、全てが素直だからな。


「すずは力で相手を押しのけたい」

「文字通りの脳筋だな。馬鹿の一つ覚えでやってても通じないぞ。この前の大会で思い知っただろ」

「じゃあどうすればフェイント上手くなる?」

「そうだな……。左手をもうちょっと使ってみたらどうだ?」


 右手からのシュートしかないから行動が読めるのだ。

 択を散らすのは駆け引きの定石。

 当たり前の事を言ったつもりだったが、すずはぱぁっと顔を明るくさせて頷いた。


「しゅうき頭良い」

「……ありがとう」

「ちょっと練習してみる」


 すずはそのまま、俺に体を預けて再び力強くドリブルを突く。

 ふわっと柔軟剤のいい香りがした。

 そしてターンする時、髪からシャンプーのいい香りもする。


 だけど肝心の左手シュートはなかなか上手く入らない。

 利き手と逆の手で打つシュートってのは、かなり難易度が高いのだ。

 俺も昔は苦手だった。


 すずはその後しばらく唸りながら、試行錯誤を繰り返した。



 ◇



「ちょっと休憩」

「あぁ」


 すずが外に水を飲みに行っている間、俺は椅子に座ってノートを開く。

 あとすずに教える事と言えば、リバウンドに行く時と行かない時の判断の方法などだろうか。

 これはまた難しいコーチングだ。

 体で覚えると言うより、頭を使わなきゃいけない分、教えるのも一苦労である。


 少しして戻ってきたすずは、じっと俺を見た。


「どうしたんだよ」

「なんか膝の上に座りたくなった」

「はぁ?」

「えいっ」

「どけよおい!」


 冗談かと思ったのに、そのまま座ってきたすずに俺はビクッとする。

 あまり言いたくないが、肉付きは良いし身長もあるため、そこそこ重い。

 早く立ち上がって欲しい。

 しかしながら、良い匂いがするのも事実だ。

 なんでこんなに汗をかいてるのに良い匂いがするんだこいつは。


「ちょ、早く!」

「あ、そんなに暴れたら――」


 転げ落ちそうになったすずが何故か向き直って俺の首に腕を回してくる。

 そのせいで、二人で椅子から転げ落ちた。


「いった……」


 すずが怪我をしないように全力でカバーに徹した結果、俺が色んな場所を打って怪我をした。

 何をしてくれるんだ一体。

 しかし、すずはぎゅっと俺を掴んだまま動かない。


「なんか、懐かしい」

「え?」

「初めて部活に来た時も、しゅうきはすずの事を押し倒した」

「べ、別に俺がわざとやったわけじゃない」


 そっと彼女の手を解き、俺は立ち上がる。

 すずは寝転がったまま続けた。


「知ってる。あの日もすずがしゅうきを引っ張ったせいだもん」

「……」

「でも、結構ドキドキした。あの時は下履いてなかったし、尚更」

「前提がおかしいんだよな。パンツは家でも外でも履け」

「最近は寒いから履いてる」


 立ち上がったすずは無表情で俺を見つめる。

 実に眠そうな顔だ。


「怪我してない?」

「平気だよ」

「急に上に乗ってごめんね。なんか衝動的にくっつきたくなった。誰もいなかったからつい」

「あぁ」

「たまに弟にもするんだけど、あいつはすぐに怒鳴るから椅子になってくれない。その点しゅうきは優しい。あんまり怒らないから」

「なぁ、お前弟君にもうちょっと優しくしろよ……」


 話を聞けば聞くほど不憫な奴だ、一真君。

 それに意外と仲の良い姉弟でもある。

 少し、憧れるな。

 俺には兄弟なんていないから。

 家族だって、いないから。


「あいつ、最近すずの練習に付き合ってくれるの」

「良かったじゃないか」

「でも文句ばっかり言ってくるし、ちょっと面倒。すず、やっと気づいた。頑張れるのはしゅうきが教えてくれるからだって」

「そっか」

「うん。大好きな人に教えてもらうから、応援されるから頑張れるってわかった。だからえっと、これからもお願いします」

「……おう」


 ド直球に言われて、俺はなんとなく頭を下げてみる。

 照れが隠せないレベルで凄いが、嫌な気はしない。

 ここまで応えてくれるなら応援し甲斐があるってもんだ。


「来年、同じクラスになれるかな」

「どうだろうな」

「もし同じクラスだったらすずが勉強でサポートしてあげる。部活は任せっきりだけど、それ以外はすずも助けてあげたい」

「……お前の方が成績悪いだろ」

「えへへ」


 冗談だったのか、目を細めて笑うすず。


「でもお弁当くらいは作ってあげる。毎日あーんしてあげたい」

「はぁ……。でもその新年度だって、今度の大会勝たなきゃやってこないぞ」

「ん。だから絶対勝つ。すずが最高にカッコいいところ見せて、今度こそしゅうきに好きになってもらう」


 こいつは本当にブレないな。

 呆れるほど真っ直ぐだ。

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