第193話 大会への特訓(凛子後編)
ご飯を食べ終えた後、俺達はボールを持って移動する。
馬鹿じゃないので、食べた量は控えめだ。
満腹で動けなくなっては本末転倒だから。
「で、僕はどんなドリブルを習得できるの?」
「別に大したことではありません。姫希や唯葉ちゃんみたいなレベルは求めてないので。ただ、シュートに繋がるドリブルを覚えてもらおうかと」
「なんか難しいね」
「そんな事はないですよ。普段パスを貰ってからレイアップすることが多いので、それを自己完結して欲しいだけです。自分一人でゴール下までいける力ですね」
物凄いテクニックは不要だ。
単純に、速さと緩急さえあればやれる。
そしてその二つは俺が何か言うまでもなく、凛子先輩には元々持っているものがあるから大丈夫だろう。
あとは自分のスピードに耐えられるドリブル力をつけて欲しいだけだな。
「今日からは走りながらドリブルをする練習をします。できるだけボールは見ずに」
「えっと、この公園の外周を?」
「そうです」
「……じゃあ、行ってくる」
「いや、俺も一緒に走ります」
「え?」
一人で行こうとした凛子先輩に俺は付いて行く。
何も自分だけ高みの見物をしようというつもりではないのだ。
「ボールが転がったら取りに行くの大変でしょ。脇には池があるし、そっちに落ちたら面倒だ。俺が横で注意してます。それに、俺だけここに座ってたら暇だし」
「寂しがり屋だね」
「はは、そうかもしれません」
そんな事を言いながら俺達は一緒に練習を始めた。
◇
「はぁ、はぁ……きっつ」
「流石にドリブルしながらじゃキツいですか?」
「ドリブルなくても結構長いよここ。ってか柊喜君はなんでそんなに平気なのさ」
「俺も一応元運動部なので体力はありますよ。この程度のスピードなら足も大丈夫ですし」
「凄いなぁ」
と言っても、俺が現役を引退してからは二年半近く経過しているが。
過去の蓄積ってのは意外と残っているものだ。
努力の積み重ねはそう簡単に消えない。
凛子先輩は地べたに座ってアクエリアスをごくごく飲んでいる。
余程疲れたのだろう。
「僕、何回ボールを池に落としかけた?」
「十七回ですね。二周したので時間としては十分くらいしか経ってないです」
「なんか自信なくなってきちゃったよ」
自嘲気な顔をする先輩に俺は肩を竦めた。
この人、本当にボールの扱いが下手くそだからな。
ふと気になって聞いてみる。
「他の球技はどうなんですか?」
「全部苦手かな。コントロールがおかしくって」
「あの、こんな質問あれなんですけど、なんでバスケやってるんですか?」
「ひど」
「あ、いや。貶したいわけじゃないんですよ。でも、そんなに球技が苦手なら、なんでわざわざバスケやろうと思ったのか不思議で」
バスケっていう競技はかなり難しい。
サッカーや野球などと違ってシンプルに触れ合う機会が少ない競技だと思うし、慣れるのも結構時間がかかる。
だからこそ、このボール感覚のおかしな先輩が何故バスケを始めたのか、疑問に思った。
俺の質問に凛子先輩は空を見上げる。
綺麗な星空だ。
長くなりそうなので俺は凛子先輩の横に腰かけた。
尻が冷たい。
「昔は、自分が球技苦手って気付いてなかったからかな。こう見えて僕は中学の頃からバスケやってるし」
「なるほど」
「あとは、兄に勧められたからだよ。ほら、僕って体力テストの結果とか良かったから、運動ができると勘違いされてたみたいで。身長高いし、バスケやってみたらどうだって言われて」
身長が高い人がやる競技と言えば、バスケとかバレーなイメージだもんな。
それは俺もわかる。
「で、身長あるから思いの外中学時代は試合に出させてもらっててさ。それでなんとなく高校でも続けたんだ。でもまさか、自分がスタメンでベスト8までこれる日が来るとは思わなかったよ」
「めちゃくちゃ努力しましたからね。試合のビデオ見ましたけど、凛子先輩の動き良かったですよ」
「ふふ、ありがとう」
「まぁ、問題点もありますけどね」
「これは手厳しい」
しかし、言われてみればとんでもない事だ。
五ヶ月前はあんなにハチャメチャなチームだったのに、今では上位校である。
努力は実を結ぶという事だな。
「ここまで来たら、優勝したいよね」
「そうですね」
「僕らはインターハイ、残ってもウィンターカップまでだし、もう残り時間がない。もっと頑張らなきゃ」
「無理は禁物です」
「うん。だから、そこを見極めてくれるのが柊喜君でしょ?」
「はい」
練習メニューも練習量も、基本的には俺の匙加減である。
若干自分で勝手に練習量を増やすドМな先輩もいるが、基本的には俺が決めたモノをこなしてもらうという感じだ。
みんなの健康を維持するのも俺の仕事。
凛子先輩は、まだぼーっと遠くを見ていた。
「僕、ずっと何の目標もなく生きてた。こう言っちゃなんだけど、成績は特に努力しなくても取れたし、部活の成績に不満もなかった。それなりに楽しめれば、それでよかったんだ。でももう、無理だよ」
「……」
「優勝したい。それに、柊喜君ともっと話したいとか、色々考えてしまう。欲が出てきたんだよ」
「俺のせいですか?」
「そう。柊喜君のせい。柊喜君のおかげ」
俺も、あきらに誘われて部活に入るまで、何の目標もなかった。
中学時代怪我で挫折してからというもの、自暴自棄だった。
あの日も、かなり参っていた。
ようやく俺の世界に色を差してくれた未来にフラれ、どん底だった。
そこからまた立ち直れたのは、目標ができたから。
なんとしてもこの人達と勝ちたいと、そう思えたからだ。
「ありがとう」
「俺の台詞ですよ」
「そっか」
断言できる。
この部活に入ってよかった。
この人達に会えて良かった。
「でもさ、部活はまだしも、僕の目指すもう一個の目標はサポートしてくれるコーチがいないんだよね」
「え?」
「柊喜君と、付き合いたい。キスしてみたい」
何てタイミングで冗談を言ってくるんだこの人は。
そう思って凛子先輩を見て、俺は固まる。
とても冗談を言っている人の顔ではなかった。
「柊喜君の落とし方もコーチングして欲しいな」
「……それ、俺に言うんですか?」
「あはは」
凛子先輩は声を上げて笑うと、俺を見つめた。
そして、近くに寄ってきて、立ち上がる。
そのまま、座ったままの俺をぎゅっと抱きしめた。
顔が胸元に押し付けられた。
「ッ!?」
「心臓の音聞こえる? 今僕、物凄くドキドキしてる」
「……」
「胸小さいけど、柔らかいでしょ」
「……」
凛子先輩の胸は控えめだけど、柔らかくて温かかった。
呼吸も苦しいくらいに押し付けられているのに、安心する。
そのまま頭を撫でられた。
「多分、今日が最後。もう今後はこんな大胆な事しない」
「……はぁっ」
「こっち見て」
ようやく少し手を緩められ、凛子先輩の顔を見た。
彼女は何故か真顔だった。
「大好きだから。僕も、二人に負けないくらい、柊喜君の事好きだから。辛いことがあったら誰よりも先に僕を頼って? 思いっきり甘えて? いつでもこの胸で抱き締めてあげるから」
「……離れましょう」
「なんでよ。喜んでるくせに。……興奮してるくせに」
「してません」
「嘘つきだね」
凛子先輩は下の方に視線を落としながら、俺から離れた。
そして、ニヤッと笑う。
「でもそんなところも好きだよ。僕達お似合いだね。嘘つき同士」
「……」
「あ、だいぶ元気になったし、もう一周ドリブルしようかな。ほら立って、柊喜君行くよ。そっちも元気でしょ?」
滅茶苦茶だこの人。
他人の心をこんなにぐちゃぐちゃにしておいて。
これだからモテる美人は困る。
「次池に落としそうになったら、明日の練習で凛子先輩だけランメニュー増やしますから」
「は~い」
凛子先輩のその返事に、俺は何故か寂しさを感じた。
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