第191話 大会への特訓(姫希後編)

 バスを降り、俺達は二人で別の公園に辿り着いた。

 先程のおんぼろではなく、こちらは割と整備されている。

 ゴールも綺麗だし、コートもしっかりあった。

 練習場所にはうってつけである。


 ちなみに人気はない。

 時期が時期だし、そもそも八時を過ぎているため、当たり前か。

 こんな凍える夜にバスケをしに来る奴の方が少数だという事だ。


「いい場所だな」

「うん。でもいつもはもっと人がいるから、勇気が出なくて。君が一緒なら大丈夫と思ったのよ」

「誰もいないな」

「冬だからかしら。好都合ね」


 俺と姫希は荷物を下ろして上着を脱ぐ。

 そのままゴールの近くまでやってきた。


「姫希に打ってもらいたいのは、ミドルシュートだな」

「スリーポイントは?」

「確かにそれも良いが、お前の場合一番の長所はドリブルだ。それを生かすならミドルレンジの方が良いだろう。あと、今から二ヶ月で姫希がスリーを決められるようになるとは思えない」

「相変わらずね、本当に」


 彼女はそんな事を零しながら、何の気なしにレイアップシュートを打つ。


「前に君が行ってたこと覚えてる? シュートの練習はレイアップが入るようになったからだって。だからあたし、必死に練習したのよ」

「知ってる。見てたから」

「どう? もう、合格?」


 言われてとある日の事を思い出した。

 未来の部活乱入事件の翌日、クラスメイトに俺が言いたいことを全部ぶちまけた日だ。

 あの日の放課後、こいつは俺に向かって合格と言った。

 なんて上から目線な奴なんだと思ったが、あの時、俺はこいつに認められたと感じた。


 若干不安そうに俺を見る姫希。

 こいつも、あの時の俺みたいな感覚なんだろうか。


「合格だよ。ミドルシュートの練習を許可する」

「やっぱりコーチってわかっててもその言い方ムカつくわね。でもありがとう。凄く、嬉しいわ」

「そっか」


 本当によく頑張っていた。

 あの壊滅的だった姫希が、ついにレイアップを難なく決められるようになったとは。

 物凄くレベルの低い事を言っている気がするが、俺達にとっては大事な事だ。

 比べるべきは過去だからな。

 素直に姫希の成長を褒めてやろう。


 というわけで、俺達は新たな練習に着手する。

 姫希は控えめに言ってシュートのセンスが皆無だ。

 このままだとリングに当てる事すらままならないだろう。

 だがしかし、こいつは努力の天才でもある。

 何とかなると思いたい。


「まずはシュートフォームの矯正だ。今まで何も言わなかったが、お前のシュートフォームはびっくりするくらい汚い」

「どこが?」

「試しにドリブルからシュートを打ってみろ」


 俺の指示通り、姫希はドリブルからストップし、シュートを放つ。

 そのボールは虚しくバックボードに当たるだけで、リングにはかすりもしなかった。


「ストップした時に体が流れてる。特に足の位置が」

「……なに、どこ。別にもう文句言わないから触っていいわよ」

「あぁ。つま先をリングに向けろ。今どこを向いてる」

「あ、ズレてる」

「そうだ。それに、手の力も左右で差があるから真っ直ぐ飛ばない。お前は両手打ちなんだから、もっとバランスを意識してみろ。悪いが男子の俺は両手で打つ習慣がないから、詳しい指導は難しい」

「……」


 姫希は黙りこんだ。

 じっと俺の目を見たまま何も言わない。

 もしかして、怒った……?


 やはり触り方が気に入らなかったのだろうか。

 気を付けたんだけどな。

 それとも言い方?

 若干辛辣過ぎたか……?


 しかし、次に姫希が放った言葉は俺の予想外のモノだった。


「あたし、右手の方が器用なのよ。君も教えられないんだったら、あたし片手打ちに変えたい」

「……本気で言ってるのか?」

「大体あたし、バスケはNBAが好きだから片手の方が馴染みあるし。そっちの方がカッコいいじゃない」

「でも筋力的な問題もあるぞ」

「じゃあ筋トレするわ。それに、あたしの場合スリーポイントは打たないんだから、このくらいの距離はいけるでしょ」


 そう言って姫希はボールを拾い、何も言っていないのにシュートを打った。

 今度は右手を主に使ってだ。

 すると若干、ボールが真っ直ぐ飛んだ。


「どう?」

「まだ左手を使い過ぎてる。ほら、よく言うだろ。左手は添えるだけだって」

「わかった」


 その後、姫希は試行錯誤していた。

 冬だというのに汗をかきつつ、一心不乱に。


 そして数十分、あれでもないこれでもないと俺を無視して練習して、ようやく一本入った。


「入った!」

「今、何を意識してた?」

「体の向きと、重心と、あと右手のどの指でボールをコントロールするか。あとはそうね……足かしら」

「そう、シュートってのは体全体の力を使うからな。今日でそこに気付けたのは偉いぞ。俺何も言ってないし」

「あ、一人でずっとやっててごめん。暇だったでしょ?」

「いや。微笑ましかったよ」

「馬鹿にしてるじゃないの」


 はぁとため息を吐く姫希。

 その息が白く色づき、消えていく。


「確かにシュート練習キツいわね。体全体を使うから、物凄く汗もかくし」

「でもこれからはもっと辛くなるぞ。なんたって、この練習をディフェンス込みでやるんだから」


 ドフリーのシュートが入るのは前提条件だ。

 県大会の準々決勝以上で実際に使うとなれば、ディフェンスがいても決められるくらいにはなってもらわないと困る。

 そして、その練習でこそ俺の出番が来るわけだ。


「ちょっと今、やってみたい」

「あぁ」


 俺と姫希は向かい合う。

 初めてのマンツーマン指導の時も、こんなだったっけ。

 一対一をして、ボコボコにして、半泣きにさせた。

 懐かしい話だ。


 姫希はまず、さっきのシチュエーションに持っていくためドリブルを突く。

 かなり速い動きに、思わず一瞬出遅れる俺。

 ようやく追いついたと思えば、今度は綺麗なタイミングで切り返された。

 器用な奴だ。

 恐らくただのドリブル対決なら、今ここで負けていた。

 姫希のドリブルは、そのレベルまで達しているのだ。


 だがしかし、バスケで求められるのは総合力。

 俺には身長というアドバンテージがある。


 姫希が打ったシュートを俺は難なく叩き落とした。


「いたっ」


 ボールしか触っていないが、ビビった姫希が尻もちをつく。

 シュートは失敗だ。


「大丈夫か?」

「平気よ。ありがと」

「ッ!」


 何の気なしに差し出した手を掴んで起き上がる姫希。

 なんでだろう。

 その顔を見た時、俺の中の何かがざわついた。

 照れ笑いを浮かべる姫希に、鼓動が早くなる。


「本当ね。ディフェンスがいたらシュートなんて打てたもんじゃないわ」

「あ、あぁ」

「そもそも抜くことに必死になってシュートがおろそかになる。多分君が止めなくても、今のシュートは外れてた。これからも練習しなくちゃね」


 姫希はまっすぐ前を向いていた。

 眩しすぎるその顔に、俺は思わず聞いた。


「お前、なんでそんなに頑張れるんだ?」

「は?」

「いや、あんまり俺が言うべきじゃないが、すずとかはその、俺に好かれたいからって理由でバスケを頑張ってる。だけどお前は違うだろ。なんでそんなに、キツい練習に立ち向かえるのかなって思って」


 俺には、明確に目標があった。

 自分が一番上手いという自負もあった。

 だからこそ頑張れたし、練習するのも好きだった。

 だけどこいつは違う。


 誰よりも自分に自信がなくて、下手くそで、初めは練習にやる気があったわけでもない。

 そんな奴が、なんで。


 俺の質問に姫希は呆れたような顔でため息を吐いた。


「バスケが好きだからに決まってるでしょ」

「そう、だよな」

「それに、前も言ったと思うけど、君に必要だって言われた時、嬉しかった。あたしはここでバスケしてていいんだって思えたの。それで練習して、結果も出て、あとちょっとで目標の県大会優勝じゃない。本気でやるのは当たり前じゃないかしら」

「その通りだな」

「あとあたし、みんなの事好きだし。足引っ張りたくないから。……勿論、柊喜クンの事もね」


 本当に、凄い奴だな。

 そっか、そうだよな。

 じゃあ俺も、失望されないように、こいつに応えなきゃな。


「ねぇ、もうちょっと練習していい?」

「電車無くなるぞ」

「あ、どうしよ」

「あきらの家にでも泊めてもらえよ。断らないと思うし」

「……ちょっと電話してみるわね」


 その日は、それからもしばらく練習した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る