第172話 走りたくない

 あれから数日が経過した。

 練習は若干ハードになり、筋トレの回数を増やしたり、走る量を増やしたりと試合に向けて準備を始めた。

 勿論、部員は全員やる気もやる気だ。

 今までの楽しいだけの練習と違って、フィジカル中心の地味な練習が増えてきたが、それでも弱音を上げずに頑張っている。

 ……なんてな。

 そんなわけがない。


 全員各々テンションはダダ下がりだ。

 あきらは日に日にシュート精度が落ちているし、姫希は俺を睨むことが増えたし、すずは毎日転がっている。

 すずに関してはどうやら走り慣れていないらしく、足を攣るようだ。

 今までサボっていたツケだな。

 すずは部活に参加した時期も一番遅かったし。


 そして、先輩二人は意外と平気だ。

 残り時間が減っているという自覚があるのだろう。

 一年連中と違って甘えている暇がないのだ。

 唯葉先輩は勿論、基本的にいつもテキトーな凛子先輩の真面目な姿には感心している。

 そもそも凛子先輩は基礎体力があるし、他よりもランメニューは楽にこなしている節もある。


 というわけで一年生の三人ももっと見習って欲しいのだが、どうしてもボールを使わない練習は楽しくないらしく、モチベーションが維持できないみたいだ。

 どうしたものだろうか。

 本人たちも練習に出てきている以上意欲はあるのだろうが、それとこれとは別だしな。

 うーん。


「無言で俺を睨みつけるな」

「元からこういう目つきよ」

「いつもはもっと可愛いぞ」

「今も可愛いわよ」

「……自信たっぷりだな」

「ふん」


 凄く居心地の悪い教室だ。

 何故隣の席の女子に朝から睨まれなきゃならんのだ。

 姫希は俺に言われてもじっと睨むことをやめない。


「そんなに走るのは嫌いか?」

「嫌いよ」

「俺が嫌がらせであのメニューを入れているとでも?」

「そうは思ってないわ。ただ、走る量が増えて肝心のプレイ精度が落ちてるわ。特にあたしとあきら」

「体力不足が原因だな。もっと量を増やすか」

「そこよッ! なんであたしとあきらが相談してから、二人だけ走る量が増えたのよ!?」

「もっと走りたいのかと思って」

「そんなわけないでしょ!」


 あれは一昨日の事だ。

 疲れた時のボールコントロール力の低下について、姫希とあきらから相談された。

 だからそれに対して、俺は二人の走る量を増やすという対策案を講じたのだ。


「さらにキツくなったわ!」

「だろうな。だけど、確実に体力はついてる。他の奴らと同じメニューをこなした段階じゃ前ほど息切れしてないじゃないか」

「そりゃそんなところでへばってたら、その次の練習ができないんだもの」

「あぁ」

「……え? 話終わり?」


 信じられないと言わんばかりに目を見開く姫希。

 その瞳は絶望か、真っ黒に見える。


 実際、俺は結構厳しい事を言っている。

 だが全ては二人なら頑張れると思っているからこそだ。

 その証拠に、すずには普段通りの練習しかさせていない。

 耐えられないのが分かっているからだ。


 そんな話をしていると、教室に見覚えのある奴らが入ってきた。

 あきらとすずだ。


「しゅうき、すずの足パンパン」

「このままじゃ壊れちゃうよ……」


 女子三人が全員俺に訴えかけるような目を向けてくる。

 まるで俺がいじめているみたいだ。


 ここは一応教室だし、周りの目が痛い。

 ただでさえ嫌われているのに、これ以上心象を悪くするのはやめていただきたいな。

 ちなみに未来も教室にいるが、何も言ってこない。

 あれ以降ロクに話してもないしな。

 お互いに距離を掴めていない感じである。


「こほん。でも先輩達は弱音を上げずに頑張ってるぞ」

「元々の体力が違う」

「すず、それは違うぞ。凛子先輩はともかく、唯葉ちゃんは中学の時から一生懸命練習してきたからこその体力だ。お前だって俺が来る前から真面目に参加していれば、こんなことにはなっていなかった」

「ぐさっ」

「なんだその擬音は」

「正論を刺されて反論する意思を絶たれた音」

「なるほど」


 相変わらず変な奴である。

 と、そんな事を思っているとあきらがボソッと呟く。


「二人とは重さが違うもん」

「……」


 何のとは聞くまい。

 冬服の制服でもサイズ感がしっかりわかる彼女。

 そりゃそんなもんがついてたら走りにくいわな。


「だが、姫希とあきらは特に体力がいるんだ。ポジションがポジションだから、走り続けられなきゃいけない。身長がないならその分走るしかないんだよ」

「わかってるわ。でも、このままじゃバスケ嫌いになりそう」

「そうだな」


 面と向かってコーチに相談できるのは俺達の関係性のメリットだな。

 事実として、走ることが多くなればつまらなくもなってくるだろう。

 俺もそうだったし、気持ちはわかる。

 しかも、走るのを強要してくるのは椅子にふんぞり返っている奴だ。

 かなりイラつくのも共感できる。


「よし、俺も一緒に走ろう」

「え? それはダメだよっ!」

「足また怪我しちゃう」

「そうよ。確かにきついけど、君に走らせるのは違うわ」


 言った瞬間に否定された。

 優しい奴らだな、本当に。

 確かに、本質的な解決にはならないしな。


「じゃあ期限を決めよう。走るメニューを多く練習に入れるのは来週末までだ」

「……永遠に続くわけじゃないのね」

「勿論だ。どのみち試合があるし、今月中には減らすつもりでいた。何度も言っているが、お前らは五人しかいないし、怪我されても困るからな」

「それなら頑張れそう」

「あと、最後まで頑張れたらご褒美でも用意しよう」

「ご褒美っ!」


 嬉しそうな声を上げたのはあきらだ。

 何を期待しているのか少し察しがついたため、とりあえず小声で訂正はしておく。


「……デートはしない」

「わかってるし。まぁでも、楽しみにしとくね」

「あぁ」

「ん。すずもやる気出てきた。あと実は、足攣ったらしゅうきに触ってもらえるからそこは嬉しかった」

「汗だく女子の足を伸ばしてやらなきゃいけない俺の身にもなってくれ」

「えへへ」


 困った奴だ。本当に。

 満足したのか教室に帰って行くあきらとすずに俺はため息を吐く。


 俺が現役の時なんて走るのは当然だったのに。

 何がご褒美だ。

 練習のおかげで身に着いた体力こそがご褒美だろうがって感じだ。

 つくづく思うが、こいつらは部活を舐めている。


「……焼肉」

「奢らん」

「つまんないわね」

「お前にとってのご褒美は飯しかないのか。この大食い女が」

「ちょ、その言い方はないんじゃないかしら!」


 またも激高する姫希。

 本当の事を言っただけなのに。


 それはともかくとして、いつしかクラスメイトからの視線は無くなっていた。

 騒動があった九月から結構経ったし、興味もなくなったのだろうか。

 ありがたい話である。

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