第168話 嫌われたくない

 ※未来の視点です



 ◇


 柊喜と別れてから、私はとにかく歩いた。

 その場からいなくなりたくて仕方がなかった。


 私を突き動かす感情が何なのかはよくわからない。

 柊喜にまた復縁を断られたショックはあるだろうし、恥ずかしいという気持ちもある。

 でもその一方で自分の中で薄暗い感情が湧いているのも理解できた。


 駅までついて、なんとなく後ろを振り返った。

 柊喜の姿はなかった。

 その事実が胸をきゅっと締め付ける。

 また涙が溢れそうになった。

 意味が分からない。


 ぼーっとする頭で私は電車に乗り込み、そのまま家を目指す。

 電車内ではふと過去の事を思い出していた。

 高校入学初日の事だ。



『デカすぎでしょこの人。邪魔なんだけど』


 私が彼に抱いた第一印象はこの一言に尽きる。


 入学式で隣に座る出席番号一つ違いの男。

 肩が邪魔で窮屈だった。

 まだ私は隣だからいいけど、こいつの後ろの席の子はマジ可哀想だなって思った。

 だけど、そんな事を思っていると、そいつは振り返って小声で言った。


「……ごめん、前見える?」

「あ、うん」


 その後、若干前屈みになりながら式を乗り越えた彼には驚いた。

 邪魔だけど、悪い奴ではなかった。


 そして式が終わった後、教室に入り絶望した。

 出席番号が前後だったから、私の席はその大男の後ろだったのだ。

 終わったと思った。

 そんな時、そいつが放った言葉は今でも覚えている。

 というか、それがきっかけだった。

 私の中の何かが変わったのは。


「授業とかで困ったら言って」

「え?」

「板書ノート見せるから。黒板見えにくいだろ?」

「そうだね」

「って言っても俺も字汚いんだけどな」


 申し訳なさそうに笑う目の前の男——千沙山柊喜に私は多分惚れた。

 我ながらちょろいとは思うけど、こいつ意外といいかもって思った。

 元々高身長男子は好きだったし、その点において柊喜は問題ない。

 だから私は彼と積極的に絡むようになった。



 思い出して、自嘲気な笑いが漏れた。

 私、なんて言ってフったんだっけ。

 デカいから邪魔とか目障りとか言った気がする。

 確かに邪魔だけど、彼にはそれ以上に良いところがあったはずなのに。


 だけど、すぐに我に返る。


 なんであんな奴の良いところを思い出してるんだろ。

 あいつの眼中には私なんていない。

 周りの可愛い女の子にちやほやされて鼻の下伸ばしてるような奴なのに。

 上から目線で筋違いな説教かましてくるウザい奴なのに。

 あんな奴、どうでもいいはずなのに。


「嫌われたくない」


 いつの間にか電車から降りていた。

 電車に乗り込んだ記憶すら曖昧だ。

 どうやって最寄りに辿り着いたのかよくわからない。


 フラフラした足取りで自宅に戻るけど、途中で疲れた。

 思えば朝から慌ただしかった。

 歯を磨いて朝食を食べて、もう一度歯を磨いて。

 前日に用意していたはずの服をまた吟味して時間を潰して。

 そして久々のメイクでちょっともたつきながら。

 そして走って駅まで行って、待ち合わせ時間の三十分以上前に到着してしまった。

 その後もずっと水族館内を歩いていたし、基本的に私から話を振っていたから疲れてしまったんだ。

 当たり前だ。


 一度休もう。

 頭の中が整理できてない時に考え事なんかするもんじゃない。

 冷静になればすぐに柊喜の事なんかどうでもよくなる。


 そうだ、『やり直したい』とか言っちゃったけど、あれは雰囲気に流されてなんとなく口走っちゃっただけだ。

 本心でも何でもない。

 だから落ち着いて……。


 公園のブランコに座ると、膝に水滴が落ちてきた。

 涙が、溢れてきた。


「……しゅー君に嫌われたくない」


 今日、一番嫌だったのは復縁の申し出を断られたことじゃない。

 その時の柊喜の顔と、声のトーンだ。

 まるで付き合っていた時みたいな、優しいものだった。

 その態度が私に追い打ちをかけた。

 物凄い後悔の念に駆られた。


 例の動画騒動以降柊喜はずっと冷たかった。

 何を言う時も声は冷え切っていて、表情も硬かった。

 そんな彼が、久々に私の事を本当の意味で見てくれた。


「……なんなのお前。私の事嫌いならあんな顔しないでよ」


 口を開くと同時に涙が押し寄せてきた。

 声が自然に漏れてくる。

 いつぶりだろう、こんな泣き方をしたのは。

 近所に住んでいると思わしき子供たちに不安そうな顔を向けられるが、そんなのお構いなしに泣いた。


 しばらくして、声をかけられた。


「未来ちゃん?」

「……あ、ちっちゃい人」

「一言目から失礼な人ですね。どうしたんですか?」


 涙でぐちゃぐちゃな視界の中、私の目の前に現れたのは少女だった。

 そこらで遊んでいる子供たちと大して身長が変わらなさそうな子。

 だけど、一応は先輩である事を知っている。


 最近柊喜と一緒に勉強していた女子バスケ部の先輩女子が、そこには立っていた。

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